第36話 魔王の娘
魂を弄び人間を永遠の操り人形とする存在――黒呪術師。
未知の殺戮兵器を用いて人類を死地へと追いやる存在――魔王。
魔王は機械人形を従え死屍累々の山を築き、黒呪術師は死体人形を繰り阿鼻叫喚の地獄を顕現させる。
どちらも忌むべき存在にして、人類にとって最悪の敵である。
そのどちらの血も受け継いでいるのが、
「パール――」
サティの身体を半ば引きずるように背負うムサシを、少しでも手伝おうとしているのだろうか、今はそのサティの腕を支えてひた向きに歩く少女を、カルナは無言で睨みつけていた。
――サラスとヨーダはこのことを知っているの?
黒呪術師であることは――サラスが知らないはずがない。であれば、彼女の摂政役であるヨーダが知らないはずもない。それを話してもらえなかったことに幾ばくかの悔しさは覚えても、無駄に不安を煽らないためと思えば納得もできる。ただでさえ初めて彼女たちが訪れた際から機械人形と同じ服装をして魔王の関係者であることを如実に物語らせていた。それ以上の警戒は城内を混乱に陥れる可能性すらあった。
魔王の娘であることは――恐らく、知っていたと考えて間違いないだろう。
人質や交渉材料として匿っていたということであれば、ある程度納得のいく話であるが、しかしそれにしては彼女たちを自由に動き回らせ過ぎていた。それどころか彼女たちに料理を作らせたりもしていた。人質や交渉材料として考えていたとしたら、あまりにもお粗末な扱いだった。
サラスとヨーダがなにを考えているかわからない。
ムサシにしてもそうだった。
加護のことは聞かされていても、それ以上のことは教えてはくれない。
彼がどこから来た何者なのか、少なくともサラスには心当たりがあるように思えた。
ムサシが魔王討伐の切り札になることはわかる。
それでも何者であるかわからない彼を信用できない。
しかし、それ以上に――
「――魔王の娘」
カルナは魔王を知っている。
あの男の恐ろしさを知っている。
血の海を知っている。
黒い雨を知っている。
夜を終わらせる光を知っている。
無残に殺された母親を知っている。
だから――
――魔王は、一刻も早く、殺さなきゃいけない。
カルナは背負ったウェーブの身体を静かに降ろした。
そして帯刀した剣をゆっくり鞘から引き抜く。
鋭い眼光の先で、年端もいかない少女の栗色の髪が揺れていた。
◇
「カルナっ!!」
武蔵がそれに気付いたのは、偶然だった。
鞘のない刀を持ったままサティを運ぶのは困難だったが、それでもいつアンドロイドの襲撃を受けるかわからない。あの不可解な力でアンドロイドに対抗できるのかはわからないが――不思議と武蔵にはできると確信があったが――いずれにしても武器は必要だと考えた。しかししばらく歩いてもそんな人影は微塵も見えず、太陽が少しずつ上がってくるに連れて気温も上昇し体力を奪っていくなか、いい加減この刀も手放してしまったほうがいいんじゃないかと思い始めた、そんな矢先の出来事だった。
太陽の光が妙に目に入ると思った。その光の先でカルナの剣が煌いていた。切っ先はパールの首を撥ねる軌跡を描くように動いていると気付いたときには、武蔵は背負ったサティを放り出してパールを庇うように身体を捻り――そしてその剣閃を刀で受け止めた。
「きゃっ!!」
サティの身体はパールを巻き込むようにして転がるが、今は彼女に手を貸す余裕はない。
「どうして、カルナっ!?」
カルナの攻撃は明らかにパールを殺そうとしていた。
それが冗談の類でないことを、鍔迫り合いの先に見えるカルナの目が物語っている。憤怒を含んで見開かれたそれは、武蔵にもわかるほど殺気に満ちていた。
「どきなさいっ!!」
困惑と疑念の動揺の中で、武蔵は簡単にカルナに押し負け、尻餅をついてしまう。
パールとの間を隔てていた武蔵がいなくなると、カルナは再び剣を構え直す。
「えっ――」
ようやくサティの下から這い出てきたパールが、そんなカルナの姿を目にして、それでも状況が飲み込めずに武蔵同様に一時停止。
無抵抗なパールに向けて、カルナは剣を振り上げる。
「やめろ!!」
立ち上がる時間はなかった。
武蔵は刀を捨て、地面を半ば這うようにパールに飛び付き、そして、
「――ぐっ!!」
寸でのところでカルナの剣戟から逃れようとしたが、躱しきれず、左肩口に鋭い痛みが走ったかと思えば、そこがパックリと割れ、鮮血が飛び散った。
「ムサシっ!!」
叫んだのパールだった。
思えばちゃんと名前を呼んでくれたのはこれが初めてじゃないかと、そんな場違いなことを思いながら、パールを抱えて転がり、どうにかカルナから距離を取る。
そしてどうにか体勢を立て直して、パールに背中に庇うと、改めてカルナに向き直る。
カルナはそんな武蔵を苛立たしそうに、見下すような視線を投げていた。
今まで見た中で、一番、冷めた、それでいて熱の籠った、そんな視線だった。
「どうしたんだ、カルナ――っ!?」
叫ぶとそれだけで左肩に激痛が走った。傷口を確認しようにも、背中に近いところの傷だったのでよく見えない。左腕は動かそうと思えば動くので、恐らく筋が切れたりはしていないだろうけれども、それでも激痛が伴う。今はまともに動かせない。
「――の娘」
「――なに?」
「アルクの娘!! レヤックの娘!! 世界を混沌に導く忌むべき存在!! あんたなんか、生きてちゃいけない!!」
「――アルク……の娘? レヤック……」
――レヤックって、黒呪術師ってサティが言ってたっけ? じゃあ、アルクって?
カルナが口にした言葉を、武蔵は半分近く理解できなかった。
しかし、
「――パール?」
背中を引っ張られる感覚に、パールの様子を確認したら、彼女は泣き出しそうな、ひどくショックを受けたような、そんな不安そうな様子で武蔵の服を握りしめていた。肩がひどく痛んだが、それを指摘できないほど悲しい顔をしていた。
「邪魔しないでムサシっ!! これはね、あたしたちの問題なのよ!!
そいつを庇うってんなら、あんただって容赦しない!!」
「――はぁっ?」
状況も意味も全く理解できなかったが、それでもカルナのその言葉にはさすがの武蔵も頭にきた。
「ふざけろ!! 勝手に巻き込む、さらに勝手なことを言う!! いい加減にしろ!!」
「巻き込んだのはそっちでしょ!! 突然現れて!! どこの誰かもわからなくて!! あんたもアルクの仲間じゃないの!?」
「誰のこと!?」
「またとぼける!!」
「知らない!!」
「無関係だって言うなら、あんたも消えなさい!!」
「俺だって、帰れるなら帰りたい!!」
「もうやめて!!」
言い争いを割ったのは、パールの叫びだった。
振り返れば、パールはボロボロと涙を溢していた。
「もう……やめて……」
そして一歩、二歩と前に進み出て、武蔵の前に出ると、
「カルナ……殺してもいい」
「パールっ!?」
まるでその命を差し出すかのように、パールはカルナに向け両手を広げた。
「――潔いじゃない」
「……わたしは失敗作だから。生まれるまえからお父さんに捨てられて、お母さんを殺した。サティを壊して、アンドロイドのお母さんも壊して、みんな傷つけた。
生まれてこなければよかったなんて、そんなことわかってた。
だから、殺していい」
絶えず涙を流しながら、そんなことを言うパールの言葉に、カルナは一瞬だけ引きつられて泣きそうになった――が、しかしすぐにまた感情を押し殺したような視線に戻る。
「……それで……それでいいわよ。
動かないでくれたら、痛くないようにするから、だから――」
「二人ともいい加減にしろよ!!」
そんなやり取りを、武蔵は我慢できず、日本語で叫んだ。
「……愛して……苦しいのは嫌だ、つらいのは嫌だっ、守って、守ってっ、守って! 守って!!」
「あっ……」
武蔵が口にしたその言葉は、暴走したパールが叫んでいた言葉だった。
すでに武蔵の心に直接届けられた言葉たちだった。
心と心で繋げてしまった言葉は、どこにも嘘をつけない。だから、
「お前が言ったっ、パール! なに、殺してもいいだ!
お前の心の声は、とっくに聞いた!! 今更、嘘はわかる!!」
「―――――」
「サティが言った! 人の心は、大切にしなくてはいけない! 命を大切にする! それを、もう忘れたのか、パール!!」
「―――――っ!」
「それは、お前自身も、そうだ!!」
「でもっ!!」
パールが勢いよく振り返る。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった、ひどい顔を武蔵に向けて、パール叫ぶ。
「わたしのこと、大切にしてくれる人なんて、もういない!!
わ、わたしがレヤックでっ、アルクの娘だって知ったらっ、カルナみたいにっ、みんなっ、みんなっ、嫌いになるっ!! だったら!!」
――ムサシはパールのこと好きですか?
その覚悟はすでにサティから問われている。
黒呪術師がどんだけ危険な存在なのか、身を持ってわかった。アルクと言うのがどんな存在なのかわからないけれども、それでも武蔵はすでに答えている。
日本に帰りたい。
そんな言い訳で誤魔化せない。
溢した涙を拭った小さな手のひらに、武蔵はなにも返せていない。
だから、
「俺は嫌いにならない!!」
「えっ――」
泣きじゃくるパールを抱き締める。
いつか同じように孤独に泣いていた少女を抱き締めた。そのときと同じだけの力強さで抱き締める。
いつか同じように淋しさに震えていた少女を抱き締めた。そのときと同じだけの決意で抱き締める。
そして少女の頭を、あやす様にポンポンと撫でた。
「ふわっ――」
「ようやく触れられた」
驚いて見上げてくるパールに、悪戯っ子のようにちょっとお道化て笑って見せた。
それでパールは、初めて自己紹介したときのように、顔を真っ赤にする。自分の名前を名乗るのが恥ずかしくて口ごもっていたのも全く同じ、驚きすぎて何も言えずただ口だけが「あ」と「わ」を繰り返すようにパクパク動いた。
控えめな言っても、すっごく可愛かった。
「泣いてるより、そうやって、顔を赤にして、照れてるほうが、可愛い。
俺は、パールのこと、嫌いにならない」
「……うぁ、は……はい……ありがとう、ございます」
なぜか礼を言うパールを一度離して、もう一度だけ頭を撫でる。ビクンと過敏に反応するパールだったが、もうその手を避けることはなかった。
――少しは気持ちが伝わったってことでいいのかな。
泣き顔も一気に引っ込み、呆けた表情になってしまったパールの心境はイマイチ把握できなかった。
「……あんた、なにしてんの?」
声の先に視線を向ければ、こちらもパールに近い呆けた――というよりも困惑に近い表情をしているカルナ。先ほどまでの冷酷さは完全に消え失せてしまっていた。
「えー……ほんと……えー……」
視線は武蔵とパールを行ったり来たり。表情も眉間に皺を寄せて睨んだと思えば、急に気まずそうに明後日を向いたと思えば、今度はちょっと赤くなって下を向いて――と世話しない。しかし最終的には武蔵の見慣れた不機嫌そうな表情で睨みつけてきて、
「あんたっ! 自分がなにしたかわかってんの!?」
「いや、さっきまで殺そうとしてた人に言われても……」
カルナの二十面に、武蔵もまた面食らってしまう。
――もしかして、ロリコンかと思われたのかな?
武蔵としては小さい子をあやすお兄さん程度の感覚で接していたわけなのだが、過剰反応されてしまうと返って気まずく感じてしまう。
「あんたはっ……ほんとにっ……ほんとにっ……なんにも知らないでっ……なんにもわからないくせにっ……!!」
そんな武蔵の困惑が通じてか、カルナは地団駄を踏んで怒りを露にすると、切っ先をパールに向けて、
「断言するわ。その子は、いつかあんたを絶対に不幸にするわ。そしてここでその子は殺さなかったことを後悔するのよ! 絶対に!!
だから、これが最期の警告よ。今すぐ退きなさい! でなければ、あんたも殺すわ」
「ここで退いたら、後悔する。絶対。だから、断る」
「そう……いいわ、なら、ここで死になさい!」
肉薄するカルナを視認しながら、武蔵は刀の所在を確認する。それはカルナのすぐ脇に落ちていて、とても拾っていられない。
――あの力は、刀なしでも使えるか? だけど、そうしたら――
あの力がいつでも発動できるものかわからない。
あの力がどれだけ制御できるものかわからない。
だけどそんな不明瞭な力に対する不安よりも、血と腐った肉の臭いを先に思い出す。胃がひっくり返るような気持ち悪さを思い出す。
――あの力が発動したら、カルナを殺してしまうんじゃないか?
この状況においても武蔵はそんなことを意識してしまった。自分を殺そうとしている相手の心配をしてしまった。
それがどれだけ甘くバカなことなのか、わからないわけではなかったが、それでも武蔵はパール同様にカルナのことも傷付けたくはなかったのだ。
できれば三人で――サティとウェーブの身体も含めれば五人で――無事に帰りたかった。
あの寺院に帰りたいのだ。
明らかに判断が遅れた。
相手が動いてから武器の所在を確認して、さらには相手の配慮まで――これが例え剣道でも、負けるのは必須だった。
その上で、戦いを放棄してようやくパールを連れて逃げようと動いた身体は、思った動きをしてくれない。
パールの手を掴んだ腕が激痛に襲われる。先にカルナに斬られた肩の傷を完全に失念して、さらに身体が止まる。
カルナはすでに剣を振り上げていた。
そのとき武蔵にできるのは、パールを抱き締めて、せめてその切っ先が彼女に及ばないようにする以外になく、
振り下ろされた剣先は、
「そこまでだっ!!」
予想外の闖入者によって受け止められた。
「――団長っ!?」
自分の上司に切っ先を向けていることに気付いて、慌ててカルナは後ろに飛び退く。
「ムサシっ! パールっ!」
遅れて駆け寄る聞きなれた声に、武蔵は驚いて顔を上げる。
「……師匠? それに、サラス?」
「よっ、無事でなにより――ってわけでもなさそうだな」
先に目に映る大男は、相変わらずの飄々とした態度で軽く手なんて挙げてくる。明らかにカルナの剣戟を受けた様子があったのに、無手であることにいくらかの驚きを覚える。
「ムサシっ! 怪我っ! 怪我っ!? 大丈夫なの!?」
「あっ、待って! 待って! 触らない!! お願い!! 触らない!!」
本当に心配したという様子で駆け寄り様、武蔵の怪我を血に濡れることも厭わずにベタベタ触るのは、紛れもなくサラスだった。
せいぜい三日振りだと言う感慨も吹き飛ばすくらいのいたぶりは、まさかいい子にルスバンできなかったことへの報復だとは思いたくない。
「どうして……なんで、サラスも、団長も、こんなところにいるのよ……」
「カルナ、とりあえずよぉ、剣しまえって」
二人の登場に動揺を隠せないカルナは、未だに剣を構えて切っ先をヨーダに向けていた。
「なんで……だって、その子は、レヤックで……魔王の娘でっ!」
納得がいかない様子のカルナは、ヨーダの指示を聞かず、まるで悪戯が見つかった子供のように半泣きになりながら、嫌々と首を振る。
その様子にヨーダは半ば困ったように首を掻いて、そして一言、
「取り押さえろ」
その指示で一斉に飛び出してきたのは、寺院の戦士たちだった。
不意打ちのように三人でカルナに飛び掛かると、放心状態に近い彼女はそれだけで簡単に剣を取り落として、地面に押さえつけられてしまう。
「なんで!? どうしてよ!?」
心底納得のいってないカルナは、泣き叫び、そしてヨーダを睨むように見上げる。
「とりあえず頭冷やせって、な?」
「なんでよ! だって、そいつは! レヤックよ! 魔王の娘なのよ! あなたの敵でしょ、サラス!! お母さんの、仇の、娘なの!! お父さん!!」
「えっ?」
カルナの口から出た思いがけない単語に、武蔵は思わず驚きの声を上げた。
『サラスの敵』で『お母さんの仇』そして『お父さん』と言ったのだ。
ヨーダのことをお父さんと呼んだのだ。
それに対してヨーダは、あからさまに弱ったなという顔をした。
サラスもまた、そんなカルナから守るように、パールを強く抱き寄せていた。
「なんで……なんでよ……」
「連れてけ。二、三日牢に入れとけば、頭も冷えんだろ」
慟哭のような娘の疑問の言葉に対して、父親は冷酷な仕打ちを部下たちに命じていた。
そのあまりにも厳しい態度に、武蔵は些か苦言を呈したい気分ではあったが、それでもただまた新しい情報に対して処理が追い付かずに、ただただ連れて行かれるカルナを無言で見送るしかなかった。
カルナの涙が、しゃくり上げながら響く「なんで」と言う言葉が、しばらく武蔵の脳裏から離れなかった。




