第35話 アンドロイドのお母さん
落ち着きを取り戻したパールだったが、それでもその場から動こうとはしなかった。
横たわるサティの頭を膝に乗せて、今もう声を上げずに、ただ静かに泣いていた。
「ウェーブ、サティを直す方法はないのか?」
武蔵としては一度サティの身体を修理したこともあり、諦めが付かず、パールの様子を物悲しげに見つめるウェーブに聞く。
「あるわ」
「えっ……あるの!?」
半ば駄目元で聞いたつもりだったが、あっさりと肯定されて武蔵は驚きに声が詰まる。
「この施設に汎用型アンドロイドの予備ボディがあるわ。基本パーツは一緒だから、そこから壊れたパーツをいくつか交換するのと――」
「それは、一度サティに指示されながらやったことがある。それで直るなら手伝えるかもしれない」
ウェーブは一瞬驚いたような顔をして武蔵を見た。
そしてまるで何かが解決したように、クスリと微笑んで見せた。
「……そう、それじゃあ、頼むわね。
あの子のこと、よろしく頼むわよ」
「えっ?」
そう言ってウェーブはゆっくりとパールに近付いていくと、後ろからその小さな背中に抱き着いた。
「……お母さん?」
「……何度も言っているじゃない、私はお母さんじゃないわ。貴女のお母さんはもう死んでしまったのよ」
「……じゃあ、あなたは?」
「ただの、アンドロイドよ。名前も、もう必要ないわ。もうすぐいなくなるから」
「……どうして?」
「……パール、サティはね、ムサシが直してくれるわ」
パールの質問を無視して、ウェーブは彼女の耳元で「よかったわね」と囁く。
武蔵のところにも微かに届いたのその声は、まるで根性の別れの言葉のように聞こえた。
それはパールも勘付いたことのようで、ウェーブの腕を振り解いて振り返ると、再び「お母さん」とウェーブを呼んだ。
パールを映したウェーブの目が僅かに下がる。
「……私は……貴女のお母さんは、レヤックとして、そして魔王の娘として、どうあっても残酷な運命を生きていかなくてはいけない貴女から、少しでも悲しみや苦しみを遠ざけたかった。
……私は、そのために造られた。なのに、サティを壊してしまって、私が一番、貴女を悲しませてしまったわ。
私は貴方のお母さんではなかったし、貴女にお母さんと呼んでもらう資格はないわ。所詮はただの偽物よ」
「……でも……でも、わたしのこと、守ってくれた。偽物なんかじゃない。あなたもサティと同じ、アンドロイドのお母さんだよ」
「……偽物じゃない? ……サティと同じ、アンドロイドのお母さん――」
ウェーブが驚いたように目を見開く。そしてなにか合点がいった様子で満面の笑みを浮かべて、
「そう、なら、これからもずっと貴女と一緒にいるわ。二体で一つの、貴女のアンドロイドのお母さんとして――」
振り返り、武蔵の目を真っすぐに見る。
その眼差しに先ほどまで感じていた儚さのようなものは、もう見つからなかった。
その真摯な表情に、武蔵は少しだけたじろいでしまう。なにか無茶なお願いをされる予感がした。
「ムサシ、改めてお願いするわ。
このボディももう限界だわ。もう直に動かなくなってしまう」
「お前も直せってこと?」
「いいえ、違うわ。関節部分ならまだしも、このボディも、サティのボディも、汎用型では替えが利かないパーツがいくつも壊れてしまってるわ。だけど壊れていない部分を繋ぎ合わせれば、一体分は修理できるわ。
サティのボディの修理に、このボディのパーツを使いなさい」
「それは……」
人間でいうところの臓器移植をイメージして、誰の指示も貰えないでそんなことできるのかという不安が浮かぶのと同時に、それではどちらか一人しか助けることができないことに気付く。
しかしウェーブは、そんな武蔵に気付いてか、あっけらかんと言う。
「言ったでしょ、二体で一つって。
どのみち私もサティも再起動したところでどれだけ前のままでいられるかわからないわ。
だったら私は、私の魂を彼女に託すわ」
「――魂?」
アンドロイドに魂はないと言い続けていたのは、サティだった。
武蔵にはそれが信じられなかった。ウェーブもまた、機械にだって魂は宿ると信じているのだろうか。
「私だって、黒呪術師よ」
その言葉が、だから魂を移すこともできると言いたかったのか、それとも機械にも魂が宿ると言いたかったのか、武蔵にはわからなかった。
ただその力強い言葉に、武蔵は「わかった」と頷くしかできなかった。
「パール、私は少し休むわ。次に目を覚ましたときは、きっと別の私になっていると思うけど、そのときもまた、お母さんって呼んでもらえる?」
「うんっ、もちろんっ。待ってる、お母さん」
そうして、ウェーブもまた、眠るように動かなくなってしまった。
その様子を見てパールは、
「……バイバイ、おかあさん」
少しだけ淋しそうに顔を伏せて、そして少しだけ泣いた。
慰めるつもりで、武蔵はその後頭部に手を伸ばして――止めた。
再会を約束した別れであったけれども、それでもそのとき再会したウェーブはもうウェーブじゃない。
それを理解して、受け止めて、パールは泣いているのだ。
命を尊み、泣いているのだ。
だから、きっと、今はまだ、慰めるのは止めようと思った。
窓の向こうが薄らと明るくなってきた。
長かった夜が明けようとしている。
「パール、帰ろう」
「……うん」
涙を拭いて、顔を上げた少女の表情は、少しだけ大人びて見えた。
「おーいっ、カルナっ、行くっ」
妙に離れた場所に突っ立っていたカルナに声をかける。
――さっきからなにしてるんだ?
ゾンビを撃退してからカルナの様子がおかしかった。
ヨーダと鍛錬をしている武蔵を見るときと同じ、眉間に皺を寄せて睨むような表情をしていたかと思えば、こちらを見たくないような、それでいてどうしても目が離せないでいるような、そんな怯えたような表情を浮かべていた。
武蔵の見かけ通り、カルナは怯えていた。
「……魔王の、娘ですって?」
彼女の口から囁かれた驚愕の声は、誰にも届くことはなかった。




