第34話 チートⅠ 勝利の加護
目の前で繰り広げられる惨殺劇に、カルナは途中から自らの剣を振うことを忘れた。
ムサシは人間離れをした挙動でもって、そして眉一つ動かさない冷徹さでもって、次々にやってくる動く死体を一刀のもとに断ち切っていった。
その姿はアンドロイドを訪仏させるものであり、そしてカルナにとっても絶対的な力の象徴であったヨーダをも軽く凌駕していることを、容易に察せられた。
彼が現れた日、サラスが言っていたことを思い出す。
◇
「ムサシには絶対的な勝利の加護が授けられてるわ。そしてあの黄色の肌……言い伝えの"黄色い人"じゃないかと思うの。彼が私たちの味方をしてくれれば、もしかしたら"魔王"にも勝てると思うの」
そう口にするサラスに、ヨーダが浮足立つ。
それがカルナにはひどく気に入らなかったし、そもそも呆気なく気絶して牢で伸びている少年の姿を見た彼女には、それがあまりにも荒唐無稽な話に思えた。
「待って。サラスを疑うわけじゃないけど、あんな小さな少年に、そんな力があるなんて思えないわ」
「小さいって、彼、たぶん私たちと同じくらいじゃないかな? それを言ったら、私たちだって十分にまだ幼いんじゃないかしら?」
「そういうことを言ってんじゃないの! あろうことかサラスの浴室に闖入してきた不審者よ! 今すぐにだって処刑にするべきなのに、そんな男に助けを乞うってことっ?」
「永く続いた恐怖が終わるのなら、私の裸なんていくらでも見てくれればいいと思うの」
「――っ!! あ、あたしにだって簡単にやられちゃうような子供なのよ!?」
「ムサシが勝負事だと思わなければ、あの加護は発現しないと思うのよ」
「だったら意味がないじゃない! 奴らはこちらが身構える前に、根こそぎ何もかも奪ってくわ!」
「だけど、ムサシが先陣を切って戦ってくれれば、初めて勝機が見えるのよ。いつあの光に飲み込まれて何もかも奪われるかわからない恐怖に怯えるだけの日々が、これで終わるの。みんなに希望を与えられるの!」
「あのガキ、戦ってくれっかね?」
それまで面白そうにサラスとカルナのやり取りを見ていたヨーダが、初めて口を挟んだ。それすらも面白がってサラスを試すような問いではあったが。
「説得するにしたって、言葉すら通じてなさそうじゃん?」
「それってあいつらの仲間ってこともあるんじゃないの!?」
「そりゃないな。ヤツらが使う言葉とも違う気がしたな。
だけど、あいつらの仲間じゃなくても、オレたちの味方とは限らないぜ?」
「ムサシと会話ができるように、私が彼の面倒を見るわ!」
「だけどっ!」
「カルナ、もう諦めなって。うちの巫女様が頑固なのは、もうサティとパールのときで十分理解したろ?」
「それでもっ……」
「カルナも、ムサシが本気で戦うところを見たら、きっとわかると思うの。彼が私たちの希望なのよ」
「……………」
◇
――ええ、確かに、わかったわ。だけど、これが希望って言っていいのかしら?
戦いは――一方的な虐殺は終わっていた。
ムサシは膝を着き、刀を杖にしてどうにか倒れるのを堪えながら、肩で息をしていた。全身は血濡れ。辺りも血煙が舞う。鮮血の水たまりは通路中に広がっている。
魔王は永くこの国の恐怖をもたらした。
しかし目の前で蹲り肩を大きく上下させる少年も、いずれこの国に恐怖を振りまく悪魔が胎動しているようにしか見えなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
何キロも全力疾走したように心臓の鼓動が止まらない。
自分が何をしたのかわからない。いや、覚えてはいる。しかしその内容があまりにも現実離れをしていて武蔵には自分がしたことのように思えなかった。
――なんなんだ、これ?
明らかに今までの自分とは違う感覚に、手が震える。
きっとこれは恐怖だ。
自分が自分でなくなってまったような感覚に身の毛がよだつ。
『殊、戦いに勝利するという意味においては誰もムサシに敵うわけがありません』
サティが言っていたことを思い出す。
確かにこれだけのことをやってのけてしまえるのであれば、きっと誰も自分には敵うわけがない。
「これだけのこと……」
人の肉を断つ感触を、鼻孔に入り込む血と腐った肉の臭いを、網膜に焼き付く臓器が乱れ飛ぶ光景を、まるでテレビ越しのフィクションを見ていたような感覚だった。それが事が過ぎてから、今更ながら、それらを認識して胃が痙攣する。
すでに今日一日で何度と嘔吐を繰り返して空っぽだった胃袋が、それでも吐き出すものを求めて胃液だけを逆流させる。
かつて一度も勝つことのなかった剣士の、初めての白星であることに違いない。
宮本武蔵の初めての勝利は、実に気持ちの悪い、最悪なものだった。
パールの容態は落ち着いていた。もう取り乱すこともない。
ウェーブが言うようにゾンビを全部倒すことで、パールに流れていた魂の本流が収まったということだろう。目に見えないところで起きていたことだけに、武蔵には実感の沸くことではなかったけれども。
ただ肉体を失って魂が消えたというのなら、その肉体を斬り殺した武蔵は人殺しをしたということだ。
「……いや」
もう考えるのは止めようと武蔵は思う。
元は人間だったかもしれないが、それでもあれはもう同じ人間ではなかった。
ゾンビに意思なんてなかっただろうし、パールを守るためには仕方のないことだった。
今はそう思って自分を納得させる他なかった。
それでもなかなか手の震えだけは治まらなかった。




