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第28話 コワレタ機械

『わたくしたちは皆、似たもの同士ですね。同じ人を好きになり、同じ人に頼られたいと思っているのですもの。だからほら、その性質も実にそっくりだと思いませんか? わたくしたちは皆、依存体質ですもの』


 ――これは依存なのでしょうか?

 ウェーブにはよくわからなかった。


 レヤックとして生まれたウェーブは、物心が付いた頃から他人というものが怖かった。


 皆が皆、それぞれいろいろな感情を抱えて共生している。愛情。友情。親愛。ときには憎悪や嫌悪と言った感情も抱くが、概ね共に暮らす人々というものはそういった感情を繋いで暮らしている。


 しかしウェーブに向けられたそれは違った。魂を吸う化け物だとウェーブを忌み嫌う。誰と一緒にいても、決してウェーブには愛情や友情や親愛といったものを向けることはなかった。

 ただレヤックということだけで悪意を向けてくる他人が怖い。ウェーブが何かをしたわけではない。レヤックとしてもウェーブの能力は低い。ただウェーブは他人の気持ちを汲むことに長けた、それこそ感受性が強いと言い換えられる程度の、そんな女の子だった。


 幼少から他人に疎まれて生きてきた。

 だから魔王に心を奪われるのは必然だった。


 彼は、ウェーブを強く求めた。

 例え彼が欲したのが彼女の能力だったとしても、初めて誰かに必要とされたことが純粋に嬉しかった。


 彼と共に暮らす人々も、不思議な存在で、ウェーブは決して彼女らの気持ちを読み取ることができなかった。それもまたウェーブにとっては嬉しいことだった。人の気持ちがわからないのは、当たり前のことなのだから。愛情や友情や親愛といったものは、本来勝手に盗み見てはいけない。それは態度で表すものなのだ。少なくとも彼女たちはそうしてくれていた。


 幸せな日々だった。

 

 だから、


『失敗した。これは違う』


 彼に失望された。それはこの世の終わりのような事実だった。


 ただ希望もあった。


 パール。


 ウェーブのお腹にはすでに彼との子供がいた。

 早く両親に捨てられたウェーブには、母親というものがよくわからない。

 だけど誰よりも人の感情に触れてきたウェーブは、心に決める。


 この子には、目一杯の優しさだけを与えよう。


 私が受けた数々の悪感から、この子を守ろう。




 それが間違いだったと気付いたのは、それから随分と経ってからだった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 目が覚めたら、そこは知らない場所だった。

 全身に違和感を覚える。とても重たい。それなのに不思議と身体はスムーズに動く。なぜだろう、ここのところ体調はずっと芳しくなかったはずだった。指一本動かすのも億劫だったのに、今はきびきび動く。


「……パール?」


 それよりも気かがりなのが娘の姿が見えないことだった。


 身体が思うように動かなくなったので、最近になってアンドロイド一体に子守りを手伝わせている。もしかしたら彼女が娘を連れて散歩にでも出たのかもしれない。どうせなら一緒に行きたい。せっかく体調もいいのだ。少しでも娘と一緒にいたい。

 こんなにも体調がいいのなら、しばらくはパールの訓練を休ませて一緒にいたっていいだろう。


 ――訓練?


 疑問に思う。果たしてなんの訓練なのか思い出せない。


「……まあいいでしょう」


 それよりもせっかく娘と一緒にいられる時間を一分一秒だって無駄にしたくない。


 ウェーブは娘とサティを探しに出た。

 しかし彼女たちの姿はどこにもなかった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「貴方たちは時になにをしでかすわからないっ! なにもかも論理的で、整合性が取れているように見えて、それでいて何の前触れもなく逸脱する! どうして娘を連れ去ったの!?」


「ウェーブが私に命令したのです。パールを連れて行って欲しいと」


「私はそんなこと言ってないわ!!」


 ウェーブが刀を左手に持ち替えたのを見て、サティは咄嗟に彼女から身を引いて狭い廊下のさらに端に身体を寄せる。

 フリーになったウェーブの右手のひらから鉛玉が射出される。文字通りのハンドガンによる射撃だった。

 これを受けてもサティ自体にダメージを受けることはまずないが、


「はっ!!」


 ウェーブが間髪入れずにサティに迫るのに、どうにかバックステップで距離を取る。

 鉛玉を食らっていれば、その衝撃で体勢を崩す恐れがある。仮に避けたとしても、この狭い廊下で回避行動から次の攻撃に転ずるのが難しい。サティにハンドガンの装備はない。結果的に先ほどからウェーブに戦いの主導権を握られてしまう。


「母親の真似事をして欲しいとはお願いしたわっ! だけど、母親になれとはお願いした覚えはないわっ! 裁量を見誤った欠陥品のアンドロイドっ! 度し難いわ!!」


「それはこちらの台詞です。貴方はなにも疑問に思わないのですか? 先ほどのハンドガンは何ですか? どうして私と対等に戦えているのですか? なぜムサシと会話できるのですか?」


「黙りなさい!!」


 ウェーブの猛攻は止まらない。

 サティは回避行動を取りながら、考える。


 ボディは先のダメージが残ったままで、俊敏性に欠いている。

 ハンドガンの分だけ戦術でも後れを取っている。


 ムサシがパールの暴走を止めてさえくれればいいが、それがもし失敗したときに次がない。


 ――あと三分。それまでにムサシとパールのところに戻らなければいけません。


 時間がない。


 ウェーブの斬撃を躱しながら、更に考える。


 ――少なくともアレが自分のことを人間だと思い込んでいるのであれば、撃だけでいいはずです。一撃だけ入れられれば、それで恐らくアレは止まる。


 その一撃を入れるだけの決め手に欠けている。


 だから、


「サティっ!!」


 カルナの登場で決め手が埋まる。


 ウェーブの背中に向かって、カルナはサーベルを振り下ろしていた。


 ウェーブの反応は早い。すぐさま振り返り、カルナのサーベルを刀で受ける。


「あんたがウェーブだったわけね! この前の借りは返してあげるんだから!」


「どうしてみんな邪魔ばかりっ!!」


 カルナとウェーブではどうやってもカルナに分が悪い。

 そんなことはカルナ自身もわかっていた。

 だけど、片腕を失っているサティが言っていたのだ。『苦戦する』と。

 ならば腕の修理が終わっているサティと二人がかりなら、ムサシの手を借りなくても何とかなるということだ。


「サティっ!!」


 ウェーブが受けた刃を強引に押し切り、カルナを吹き飛ばす。

 あまりにも致命的な相手に背を向けてしまった、そういう自覚がウェーブにあった。だからカルナのことは追撃せずに、迫ってきているであろうサティに対して身構える。


「―――――っ!?」


 しかし迫ってきたのはサティではなかった。


 サティもまたわかっていた。カルナが一撃を入れるための決め手を埋めるためだけに無茶な攻撃をしかけてきたことに。

 だからカルナも、すでに体勢を立て直すことよりも俯せに突っ伏すことに徹していた。


 ウェーブの足元に、スタングレネードが転がる。


「しまっ――」


 気付いたときにはすでに遅く、光と音の本流がウェーブを飲み込んだ。


 音に対しては大きな問題は起きないが、強い光に対しては目暗ましになるのは人間もアンドロイドも同じだ。ましては今は夜で、薄暗い通路の中。人間ほど長時間に渡る影響はないにしても、視覚センサーに異常が出る。


『Stop CCD automatic exposure,F-number maximum,Shutter speed maximun』


 サティは予め閃光に備えていた。

 だからサティには目をやられて狼狽えるウェーブの姿がはっきり見えていた。


 無防備で、サティの刀を防ぐ手段がない。


 サティは横一閃で、ウェーブの胴体に刀を差し込む。


 アンドロイドは動力源も、記憶領域も、マザーボードもすべて胴体に集約されている。

 胴体を真っ二つにされることは、人間で言う首を落とされるのと同じ。

 これで、


 ――これで、パールのお母さんは私だけです。


『最初はね、真似事でもいいのよ。母親の真似事。そうすればきっと貴女にもわかるようになると思う……本当はね、こんなことお願いするのは悔しいのよ? 貴女にはこの気持ちが理解できる?』


 今ならウェーブの気持ちがわかる。きっと誰よりもわかる。


 コレに、母親役を取られたくない。


 この一年間、ずっとパールはサティのことを母親のように慕ってくれていた。

 笑顔も増えた。


『私たちは間違っていた』


 そう間違っていたのだ。

 だって、ここにいたときのパールはあんなに可愛らしく笑わなかった。

 ウェーブが母親だったときには笑わなかった。

 

 あのカワイイモノを誰かに譲りたくない。

 

 ――パールは、私の娘。


 叩き切るようにウェーブの身体に食い込んでいく刀は、しかしそれは半ばで止まる。


 ――? バッテリーに当たりましたか? でも、これくらいなら――


 そこでサティは自分の腰が回らなくなったままでいたことを思い出す。

 計算が狂う。

 ウェーブを壊すのに出力が足りない。


「――捕まえたわ」


 耳元で優しい声音が聞こえた。


 ウェーブは差し込まれた刀には意に介さず、そのままサティの腰に手を回した。ちょうど両足の修復のために切り開いた場所だった。


 エプロンドレスを巻き込んで握られる押し込んだケーブル類。

 それがなにを繋いでいるケーブルか把握して、


「やめ――」


 懇願は最期まで口にできなかった。

 ケーブルを引き千切りながら、ウェーブはサティをぶん投げた。


 壁に叩きつけられながら、サティは自分の内から響くエラー音を聞いた。


 ――冷却装置停止。体温の急上昇を確認。


 アンドロイドの身体は精密機器の塊だ。身体の至るところで発熱をしており、それを放熱するための冷却液が人間の血管のように流れている。

 それを動かす装置が停止した。それは人間で言うところの心臓を壊されたに近い。

 人間のようにすぐに死ぬことはなくても、そのうち熱が集積回路を焼き切る。


 それはウェーブも勘付いたようだ。


「ああ、私の勝ちね。私が本物のお母さんよ」


 脇腹には刀が刺さったまま、腸のようにはケーブル類がはみ出して、それに一切気付かずに嗤っていた。


 これが本物の人間であれば、あまりに凄惨で、


 ――ごめんなさい、パール。貴女をまた独りにしてしまう。相打ちですね、これは。


 サティもまた、ウェーブの敗北を確信した。


「本物のお母さん、ですか? その姿で、まだ人間のつもりなのですか?」


「えっ?」


 サティの指摘に、ウェーブは初めて気付いたように、自分の横っ腹を切り裂いている刀を見下ろす。


「……なによ、これ?」


 呆然としたまま、刀に触れて、そして引き抜く。

 その拍子で刀で支えられていたケーブルが、ウェーブの中からさらに飛び出してくる。


「せめて人間なら、痛がる振りくらいしたらどうですか?」


「あっ、あああああああああぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ」


 サティの一言で、ようやく痛みを感じなきゃいけないと気付いたのか、ウェーブが切り開かれた腹部を押さえてのたうち回る。


「なによこれっ、なによこれっ、なによこれっ!! どうなってるのよっ!? なんでっ、こんなっ、こんなっ、機械の……機械っ?」


 一撃さえ与えられればよかった。

 一撃さえ与えて、彼女の身体の一部でも破損させられれば、否が応でも機械の身体が曝け出る。

 どんなに矛盾を付いても、どんなに自分を騙しても、決定的な証拠を突き付けられては誤魔化すことはできない。

 いや、仮に誤魔化すようであっても、人間であるはずの彼女が致命傷の傷を受ければ死ぬしかない。死んだことを演じるしかない。


 だからこの戦いは、一撃さえ与えればよかった。


「痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛いのに……痛くない。痛くない。痛くない。痛くない。痛くない。

 嘘よ、嘘よ、嘘よ、だって、私はウェーブで、レヤックで、パールのお母さんで……」


「もう、いいじゃないですか? RUR-U型31号、通称サテワ。貴方はアンドロイドです。認めて下さい。貴方は偽物のお母さんです」


「……偽物? 私が、偽物? そんなの……だって、どこから……いつから……そんな……偽物……」


 ウェーブだったアンドロイド――サテワは崩れ落ちる。

 アンドロイドであることを忘れてウェーブであった彼女が、アンドロイドであることに気付いてしまった。

 ディープランニングは崩壊して、ニューラルネットワークを再構築しなくてはいけない。

 しばらくは動くこともできないだろう。


「サティ、大丈夫っ!?」


 気付けば壁にもたれて動かないサティをカルナが支えて立たせようとしていた。しかし、振れたサティの身体が異様に熱いことにカルナは顔を顰めた。


「あんた、これ……」


「少し、このままにしてもらえませんか? 今、少し、どうしたらいいか、考えなくては……」


 とは言え演算回路を働かせては、それはそれで発熱してしまう。身体だって動かないわけではないが、排熱が間に合わないまま動けばそれだけで寿命を縮めるようなものだ。


 シャットダウンをして熱の放出を待って再起動を繰り返すというのも考えたが、それはそれでサティにとって死を意味していた。

 補助記憶装置に電力が通っていない。このまま本体記憶装置への通電まで切ってしまっては記憶の整合性が取れなくなり深刻な記憶障害が出る。恐らく次回起動時は初期化に近い状態であろう。


 パールとの思い出を忘れる。

 それはサティにとっては死ぬことと変わらない。 


 しかしそのパールがどうなったかわからない。


 ムサシとの約束の五分間はすでに過ぎようとしていた。


「サティっ!! ……と、カルナ!? どうしてっ?」


 希望の声が聞こえた。

 思わずまた少し体温が上昇するが、構わない。


 顔を上げるとそこにムサシとカルナが言い合いをしていた。


 ムサシが来た。

 ということはパールのことは無事に解決したということだ。


 ――よかったです。これで、安心して、逝けます。


 最期に、パールの顔が見たいと思った。

 泣いていなければいいと思った。また暴走させてしまったらどうしようと思った。笑顔が見たい。お母さんと呼んでもらいたい。抱き締めたい。


 ――?


 しかし、どこにもパールの姿は見当たらなかった。


「……ムサシ、パールは、どこにいるのですか?」


 体温はどんどん上昇していく。それも悪い考えしか浮かばないせいで。


「サティ、無理だ! 俺じゃパールのことは止められない! あの子はサティにしか止められない!」


 ムサシが口にした言葉は、その悪い考えのなかでも、極めて悪い内容だった。

 サティの活動限界は近い。

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