第27話 駄々
「サティさん、いくら協力するとは言いましても、これは分不相応のように思います」
「なにを言っているのかわかりませんが?」
「これのことです」
渡された刀を一振りする。
使い慣れた竹刀やここ最近の修練で握る木刀とはまた違う重量感。勢い余って自分の足に刃先が当たりそうになってヒヤリとする。この重要局面に挑むに辺り、こんな試し振りで怪我しては笑い話にもならない。
「ムサシは自分のことを卑下し過ぎではないかと思います。
殊、戦いに勝利するという意味においては誰もムサシに敵うわけがありません」
「前にカルナにもウェーブを倒したのかって言われたけど、その無茶としか思えない持ち上げ方は、この世界でのマナーなの?」
だとすれば、あまりにも形骸化の激しいマナーであると言わざるを得ない。
サティとウェーブの戦いを見ている武蔵としては、どう奇跡が味方に付けようが、即座に三枚降ろしになる己の姿しか想像ができない。それだけ力量に差がある相手も土俵に上げて、貴方が一番強いのですと言われても、士気なんて下がる一方である。
「まあ、確かに自衛のためには武器も必要だけど、せめて鞘くらい欲しいんだけど」
抜き身のまま渡された刀は研ぎ澄まされていて、見ているだけで目が斬れる錯覚を起こす。まして先ほど早速足を斬りかけた。何かの拍子で自分も、あるいはサティも傷付けかねない。
正直にゾンビだって傷付けたくないと武蔵は思っている。いや、正確には元人間を斬るのが怖いのだ。この状況で人殺しがどうとか言ってられる場合ではないことは理解していても、それでも人を殺すことを悪とする世界で生きてきた武蔵に、殺人のようなその行為は倫理観が躊躇させるのだ。
「鞘なんてありません」
サティの返答に、確かに鞘なんて一度も見ていないことに気付く。
「じゃあ、普段これはどうやって持ってるの?」
「背骨に這うように収納しています。鞘なんてあったら、咄嗟に攻撃できません」
言いながらサティは屈み込んでスカートに手を突っ込む。ひらりとスカートがひらめき、気付けばサティの手には刀身輝く刀に握られていた。
背中から転んだら一大事になりかねない話ではあるが、ロボットであるサティには関係のない話なのかもしれない。
「……サティ、破れたり」
「はい?」
「いや、言ってみたかっただけです、なんでもないです」
武蔵は刃を返して峰側で相手を斬るようなイメージで改めて素振りをしてみる。
重心に違和感を覚えるが、もともと慣れた得物でもない。そもそもあれだけ機敏に動き回れるようになったゾンビたちと大立ち回りを繰り広げることが武蔵の役割ではない。
パールと話をする。
それが今、武蔵に与えられた役割であった。
「いきますか」
「はい」
ゾンビたちの群れを掻い潜り、武蔵はパールの元に向かう。そしてパールに魂を吸われながら、必死に彼女に冷静さを取り戻すための説得を行う。
サティが言うには、武蔵がゾンビにならずに正気でいられる時間はおおよそ五分とのことだった。
その間サティが武蔵を全力で守り、五分経っても状況に変化が見られなかった場合は、武蔵を抱えて一旦引き上げる。
以上がこれからやろうとすることの概略だ。
難しいのはパールの説得に当たる部分である。
パールが今一番欲しているのは愛情だとサティは言うが、武蔵はそれを安心感と考えた。
真姫を想う。
母親を失った真姫を昼夜場所問わず抱き締めて「大丈夫」と囁いていたことを思い出す。守りたいと思い、必死に震える身体を抱えた。自分でそう考えるのは気恥ずかしさを覚えなくはないが、それでもあれは愛情あっての行為だと武蔵は思う。
そしてその効果も身を持って経験した。真姫はそうやって落ち着いたし、慰めている側の武蔵自身も、そうやっていると自然と安らぎを覚えるほどだった。
パールは武蔵のことを好きか聞いたときに「わからない」と答えていた。
だけど武蔵はパールのことを好きだと思っている。
今はその想いが少しでも伝わって、彼女の安心感に繋がってくれればと願って行動するしかない。
サティに対して、準備ができたと頷き、部屋から出る。
廊下はいくつか蛍光灯が割られて薄暗くなっていた。窓の外にも暗闇が広がっている。まだまだ日の出は遠い。
すでにゾンビの姿はどこにもない。パールのもとに集結しているのかもしれない。
「パールは移動してると思う?」
「パール自身動けるような精神状況にないと思います。恐らくはパールの部屋にいると思います」
「そうなるとまた地下まで戻らないといけないな」
パールが描いた地図を頭に浮かべながら、階段へ向かおうと足を向け移動をして、
「ムサシ、近付いてきている気がします」
サティが勘付いたときには、武蔵も心臓を撫で回されるような不快感を感じていた。
足音が響く。
そちらに引っ張られるような錯覚に、武蔵は足腰に力を入れて踏ん張る。心構えの問題なのかしれないが、それで少しは気持ち悪さも緩和した。
パールが近付いてきている。
先ほどサティが口にした推測から外れるが、それでも向こうから来てくれたことは単純に手間が省けて助かる。武蔵はそう思った。
しかし、状況はどちらかと言えば最悪に近かった。
「見つけたわ、誘拐犯。偽りの母親」
確かにパールはやってきた、ウェーブに抱きかかえられながら。
不意に、その背後からゾンビが一体、ウェーブに襲い掛かった。ウェーブはそのゾンビを見向きもせずに、手にした刀で真っ二つに切り捨てた。
「……私たちの安寧を邪魔するものは、全員殺すわ。そして、今度こそ、パールと、二人で、静かに、暮すの!」
サティは刀を構えて臨戦態勢に入る。
それを見て、ウェーブも抱えていたパールをゆっくりと降ろした。虚ろな目でウェーブを見つめるパールに対して、
「パール、いい子にして待っててね。すぐに終わらせるからね」
と微笑んでいた。
武蔵はその光景を見て、ずっと感じていた疑問が無視できないまでに湧き上がる。
背筋がぞわぞわする感覚に、なにか言葉を発すればそれと同時に胃液まで吐き出しそうになりながらも、それでもここで聞かないと後悔すると思い、口にする。
「……サティ、ウェーブと戦う必要があるのか?」
「……………」
「ウェーブが偽物だとしても、パールのことを思う気持ちは、サティと変わらないんじゃないのか? だったら、話し合いで解決できないのか?」
「……本物のウェーブは、死ぬ間際、『私たちは間違っていた』と言いました。
そして最後の命令として『パールをサラスたちの元に連れて行ってくれ』と、私に言ったのです」
「……? それってどういうこと?」
「すみません、言葉にし難いです。しかし、この一年間のパールを見ていて、私たちは確かに間違えていたのではないかと感じました。
アレは私たちが間違いに気付く前のウェーブです。間違ったままの母親を演じようとしている哀れなアンドロイドです」
「だけどっ」
だけど、それでもパールのことを思う気持ちが間違いないなら、協力できるんじゃないかと武蔵は思う。
ただそれを口にするにも、すでに両者が決定的にすれ違ってしまっていた。
「いずれにしても、すでにアレは私のことを誘拐魔としか認識していません」
ウェーブが刀を構え、肉薄する。
サティは武蔵を守るように一歩前に出て、ウェーブと鍔迫り合う。
「ムサシっ! ウェーブをパールから引き離します!」
「させないわ!」
鍔迫り合いが弾け、両者一歩距離を取り、次の剣戟に移る、その瞬間、
「――っ! パール!」
またゾンビが一体パールの傍に近付くに気付き、ウェーブは慌てて後方に跳躍、着地と同時にゾンビを斬り付ける、動く肉塊を動かないそれに返す。
サティはその隙を逃さなかった。
刀が自分に向いていない隙に、飛び上がりドロップキックをかけた。
「パールを頼みます!」
武蔵にそう告げ、サティはまるでダンプカーの衝突のような衝撃音を上げて吹き飛ぶウェーブを追う。
戦いの最中でも娘を気遣うウェーブの姿に、本当にこれでいいのか疑心暗鬼になる。
――とにかく、今はパールをどうにかするのが先か。
猜疑心を目下の課題に押し流し、武蔵はパールに向き直る。
「パールっ」
パールは母親同士の戦いには、まるで関心がないとばかりに、ただ焦点の合わない視線を虚空に投げていた。
「パールっ!!」
無反応かと思われたパールだったが、二度目の呼びかけには反応があった。
相変わらず認識しているのかしていないのかわからなかったが、それでもパールは武蔵に視線を向けた。
途端、武蔵は嘔吐した。
パールが暴走した際にも激しく嘔吐していたため、胃袋はほとんど空っぽだったが、それは口に手を突っ込まれて無理やり引っ張り出されたような感覚だった。
そして引っ張り出されるものと同時に、武蔵の中に何かが流れ込んでくる。
失敗。帰心。孤独。恐怖。嫌悪、憎悪。不快。庇護。慈愛。求愛。依存。
それらがドロドロに溶けて武蔵に流れ込んでくる。
それで武蔵は何を引っ張り出されようとしているのか理解した。
嫌悪感。不安感。孤独感。不信感。無力感。喪失感。疎外感。失望感。空虚感。危機感。悲哀感。抵抗感。寂寥感。異物感。焦燥感。
感情がパールに引っ張られていく。包み隠すことができずに曝け出されていく。
パールに嘘を付くことができない。生身の感情がすべてパールにぶつけられていく。
魂のない機械にパールは止められないとサティは言っていたが、なまじ魂があるほうが止めることができないのではないかと武蔵は思う。
パールが今、一番求めているものが愛情だと言うのなら、それは本当に本心の本心で想っていなければ、パールには届かない。ちょっとでも紛い物であれば、きっとパールにはすぐに見透かされてしまう。
現に――
――違う。
――これじゃない。
声を感じた。
自分の思いと見分けのつかないそれは、しかし自分のものでないと判別するくらいには、武蔵はまだ冷静だった。
それはパールの声だった。
――違う。これじゃない。愛して。
愛してと言うパールに一歩近付く。
パールのことを好きかと言われれば、自信を持って好きだと答える。
――違う。これじゃない。
ただ一番かと言われれば、それは自信を持って違うと答える。武蔵の一番の座にはとっくの昔にただ一人の女の子が独占している。
――愛して。
だけど、優しくされた。感謝している。その気持ちだけは間違いなく本心だった。
――これじゃない。
一歩パールに近付く毎に、感情が爆発を起こす。自分の気持ちが無理やり引っ張り出され、パールの連れて来た魂たちの感情が流れ込む。自分が何を思って、何をしようとしているのか、しっかり意識していないと他の感情に混ざりわけがわからなくなる。
なぜパールに近付くのか?
こんな苦しい思いをしてパールに近付いてなにをしたいのか?
それはパールを抱き締めようとしているからだ。
今のパールは母親を失った真姫と同じだ。
母親を失い、悲しみと絶望で自暴自棄になり、世界に興味をなくして、殻に閉じこもってしまった真姫と同じだ。サティが傷付くのを見て、悲しみと絶望で自棄を起こして、暴走している。
だから武蔵はあのとき真姫にしてあげたことと同じことをしようと思った。落ち着くまで、抱き締めて「大丈夫」と言ってあげる。それが武蔵がパールにできる精一杯の愛情だと思った。
――違う。これじゃない。
だから武蔵はありったけの感謝を込めて、一歩、またパールに近付く。
――違う。これじゃない。
本心が届かなければ、武蔵にはもう成す術がない。
――違う。これじゃない。
――違う?
足が止まる。
ずっと感じている蟻走感とはまた違う、猜疑心が武蔵の心に沸き立つ。パールからもたらされた感情ではない。武蔵自身から発する感情だった。
パールに対して感謝していることは、間違いない。
この世界に来て、なにも言葉がわからないまま、突然カルナと決闘させられ、気絶させられた。理不尽さと不安さに打ちひしがれて、涙を流す武蔵にパールはサラスに次いで二度目の温もりをくれた。
不安感と絶望感を打ち消すそれに、どれだけ救われたか。その感謝に間違いはない。
それの何が違うと言うのだろうか?
――これじゃない。
何がこれじゃないのだろうか?
一度湧き出した疑問は止まらない。
そもそも――
――そもそも、どうしてパールは暴走しているんだ?
きっかけがサティが傷付いたことだったとしても、だってサティは無事だったのだ。
ならサティと再会を果たして落ち着きを取り戻してもいいはずだ。「よかった、無事で」と終わってもよかったはずだ。
だから、武蔵の足は止まった。
――違う。
――そう、これは違う。
「パール、君は、何、求める?」
――新しいお母さん。
「……………は?」
予想外の返事に、一瞬なにもかも考えられなくなる。まるで理解できないものを見たような気がした。
「……新しい、おかあさん?」
思わず聞き返す。
しかし、なお驚愕な感情が、武蔵に流れてくる。
――お母さん、死体になった。愛情。庇護。慈愛。見つからない。
――愛して。苦しいのは嫌だ。つらいのは嫌だ。守って。守って。守って。守って。守って。
――新しいお母さん。欲しい。
背筋が凍る。身震いがした。そして嫌悪感が続く。
これは魂を吸われている影響とはまた別のものだ。
武蔵は、初めて、パールに対して、恐怖した。
そしてそれすらもパールは武蔵から吸い上げる。
――違う。これじゃない。
「――ぐっ!」
途端、再び込み上げる嘔吐感。心臓が警笛を上げるように脈打つ。
ブチブチと、なにか武蔵の大切なものを引きちぎられるような気がした。
足が、一歩、パールから下がる。
パールの母親が生前になんと言っていたかを思い出す。
『私たちは間違っていた』
なにを間違えたのか、武蔵ははっきりと確信できた。
そしてパールがなんで暴走しているのか確信できた。
ウェーブはパールの育て方を間違えたのだ。
パールはただ、純粋に駄々をこねて暴れているのだ。
パールは無口で、大人しい子供だから、全く気付けなかった。
――この子は究極に質の悪い、ワガママ娘だ。




