第234話 嘘がつけない彼女の嘘
ベッドに横たわる真姫の横顔を、武蔵はその傍らの椅子に座り、じっと眺めていた。
昔から知っている寝顔と何ら変わらない表情。
ただ無言で見つめていれば、いつかは目を開け、武蔵にいつもと変わらぬ微笑みを浮かべて「あら、おはよう、武蔵」なんて返してくれる。
そう信じられるほどに、真姫の表情は穏やかだった。
「――彼女の死因は窒息死です。右胸部に弾倉が見られました。弾丸は至近距離から発砲されたものと思われ、背中に――」
「ヘレナっ!!」
しかしヘレナは容赦なく、武蔵に彼女が死んでいるのだと告げる。
あまりにも淡々と告げられる死因に、思わず同席していたサティが諫めた。
それは武蔵を慮っての叱責だ。だけど、
「――構わない。続けて」
「ご主人様っ、しかし――」
「……俺は、大丈夫だから……だからヘレナ、続けて」
もとより、それは聞かないといけないことだ。
何のため友人たちにはこの場を遠慮してもらったのか。
全部、受け入れるためだ。
「では、続けます。
弾丸は右胸部から背中へ貫通。その際に右肺が大量出血を起こし、血液が気管支に溢れ窒息死したものと考えられます。
直接の死因となった弾丸ですが、極至近距離から発砲されたものと思われます。弾丸が体内に残られなかったのはそのためです。
銃創はおよそ一センチ。我々アンドロイドにも搭載されている小口径弾と同等と考えられます」
「――じゃあ……犯人はアンドロイドの誰か?」
暗い声音で、武蔵は問う。
「ありえませんっ」
「どうして?」
「――っ」
武蔵は視線だけを動かして、サティを睨みつける。
かつて感じたことがない主人の凄みに、サティは一瞬だけ怯んだ。
冷静に、一言一句間違えないよう、丁寧に告げないと、今の武蔵は誰だって壊すのだろう。サティは慎重に言葉を選びながら続ける。
「……現在、全アンドロイドの命令権をご主人様とサラス様が掌握されています」
「なるほど。
サティ。真姫を殺したのは誰か、教えろ」
「――分かりません」
「……なるほど」
命令である以上、それを拒否することはできない。
悲しいかな、それが彼女たち機械の宿命。
彼女たちは決して武蔵にだけは嘘をつけないのだ。
「……あの、ご主人様……」
「……悪いけど、少しだけ、二人きりにして欲しい……」
「……はい。承知しました」
何か声を掛けるべきだとサティは思った。
だけど、掛けるべき言葉など見つからず、結局は武蔵の言う通り、ヘレナを連れて外に出た。
真姫と二人っきりになる。
もう一度、真姫の顔を覗き込む。
本当に、穏やかに眠っているようで、武蔵は彼女の頬に触れ――
「――っ」
その冷たさに愕然とする。
生き物としての温もりを失った肌。
朝日はとっくに上がっているのに、彼女は二度と目覚めることはない。
例えば夏。涼しいところを奪い合いながら眠った。
例えば秋。暑さと寒さに翻弄されながら、温もりを求めて手を繋いで眠った。
例えば冬。暖房代わりに抱かれながら眠った。
例えば春。少しだけ成長したまつ毛に気付いてドキッとして眠れなかった。
ああ――変わらない表情の中だけでも、こんなにも思い出は溢れてくるのに。それ以外はもう全て思い出の中にしかない。
武蔵は何を失った? こんなにも人生は真姫で溢れていたのに、これではまるで自分が無くなったみたいで――
「うっ――」
残ってしまった部分の自分が、決して許せないと叫んでいる。
愚かで、浅はかで、楽観的だった自分自身が何よりも許せなかった。
この世界が恨んだり憎んだりするしかない絶望的な世界だと、武蔵は十二分に理解していたはずだった。
核爆発に巻き込まれた旧ロボク村の人たち。母親を失ったパティ。母親を殺されたカルナ。無謀な戦いに挑んだサラスの父にして先々代のムングイ国王。それに巻き込まれたヨーダを始めとするムングイ王国の騎士たち。帰れないまま不死となったロースム。そんなロースムを帰したくないと策謀を繰り返したサキ。
それら全てを見ておきながら、なお、武蔵はこの世界で生きようとしていた。
どうかしている。
本当にどうかしている。
きっと真姫は――わかっていたのだ。
唯一、大切なものを失ったことがある真姫だけが、この世界の絶望を知って、元の世界に帰りたいと願った。
「ああっ――」
今更後悔しても遅い。泣いても遅い。嘆いても遅い。
だって真姫は死んだのだ。
それらを知っていながら、なおこの世界で生きようとした武蔵が――真姫を殺したのだ。
『自分の大切な人を殺したものが、そこにある。それだけで、他の全てを巻き込んで、何もかも壊してしまいたくなるものよ』
真姫の言う通りだった。
武蔵はもう何もかも巻き込んで壊してしまいたかった。
今更のようにポロポロと涙が止められない自分を壊してしまいたかった。
腰に携えた刀に手を伸ばす。
人の命を絶つために作られた道具。
それで、何もかも終わりにしようと思い――途中、ポケットに入った固い感触に気付いた。
「――ねえ……ムサシくん」
「―――――」
いつの間にか部屋に入ってきたパールに――
――心が。
ココロがグチャグチャになりそうだった。
「……あ……あのね……ム、ムサシくん……わたし……わたし……お……おはなし、しないと、いけないことが――」
本来、それをパールに向けるのは間違っている。
本当にみっともない、ただの八つ当たりだ。
だけど――今だけは――どうしてもそれを思わずにいられなかった。
――パールと一緒に生きようなんて思わなければ、真姫は死なずに済んだんじゃないか?
「―――――っ」
パールの声に振り返る。
彼女は息を呑み、怯えた表情を浮かべていた。こんな顔を見たのは、初めてで――ああ、と今更ながら思い当たる。
彼女は人の心が読めるのだ。
「……なあ、パール」
「あ……は、はい……」
悪いことをしてしまったと、そんな気持ちも心のどこかで感じながら。
武蔵は椅子から立ち上がって彼女に近付き、パールの肩を掴む。
「――っ」
ますます怯えた表情を浮かべるパールだったが、武蔵はそんなことを気にする余裕なんてなかった。
ただ、彼女に尋ねないといけない。
「なあ、お前なら、真姫をこんな目に遭わせた奴のこと、わかるんだろ?」
「えっ……え……」
一つだけ。
武蔵には確信が欲しかった。
真姫を殺したのはアンドロイドではない。
それはサティとの会話からほぼ間違いないと言える。
では、その他に考えられるのは誰か?
大きく分けると二択だ。身内か。そうでないか。
まさか、友達を殺すような奴が、武蔵の仲間内にいるとは思えない。
だけど――万万が一――そうだとするなら――武蔵は、まだ――
「なあ……頼む、教えてくれ……」
「わた、わたし……その……わたしは……」
こんなにもパールを怯えさせてしまったことは、今まで――そしてきっとこれからも――ない。
涙目になりながら、過呼吸のようになってしまっているパールに――しかし武蔵はどうしても配慮できるだけの余裕なんてなかった。
「なあっ! パールっ!」
「――っ! わ、わからない!!」
「―――――」
「――わ、わたしは、知らないっ」
はっきりと、パールはそう口にした。
この世界はどうやっても絶望的だった。
「――そうか。ありがとう、パール」
「――えっ」
パールがわからないのなら、それが答えだった。
だって、パールはレヤックなのだ。
「パールに嘘はつけないもんな」
「―――――」
「パールがわからないってことは……――つまり、ここにいない誰か……真姫を殺した奴は――ムングイ王国の、誰かっ――!!」
「―――――」
武蔵は再び、腰に手を当てる。
だけど、そこにあったのはもう刀ではない。
未だ武蔵のポケットにある固い感触。
真姫にあげるはずだったもの、彼女にとって必要だったもの。それがまだ武蔵のポケットにはあった。
「……――っ、――ム、ムサシくん、ち、ちがう……わ、わたし――っ」
「ご主人様、大変ですぅ!! ムングイ王国がぁ、ムングイ王国がぁ、ロボク村に向けて侵攻を開始しましたぁっ!!」
「――えっ!?」
スラが部屋の扉をぶち壊す勢いで入ってくる。
その報告は、なぜという疑問さえ差し挟む余地がないくらい実におあつらえ向きで、武蔵はいよいよもって確信した。
この世界は恨み憎しみしかない世界だ。
「――ああ。すぐに行く」
だけど、こんな世界でも、まだやることがあった。
『ふふ……約束よ。そしたら……今度はわたしが、武蔵に……ご褒美をあげるんだから……』
大切な、約束なのだ。
せめて、彼女を元の世界に帰してあげないといけない。
大丈夫。きっと上手くいく。
方法も手段も、武蔵の中にちゃんとあるのだから――




