第230話 真姫
――震災から数日後。
避難所で心身ともにボロボロだった真姫を、父が見つけ出した。
娘の無事に父は泣いて喜んでくれたけど「お母さんは?」の問いに真姫は答えられなかった。
執拗に母の無事を聞く父に、真姫は拒絶した。
その場でひきつけを起こした真姫を見て以来、父は母がどうなったか聞くことはなかったが、そのときから父親と真面な会話ができなくなった。
母がどうなったか――それを聞かれるのが、とてもとても怖かった。
母がいなくなった後、父は無理して頑張ろうとしているのはわかった。
だけど、母がいなくなってしまった家庭は、まるで大切な歯車が抜け落ちてしまったように、日常をうまく回せない。
どうしてお母さんはここにいないんだろう?
決して口には出さなかったが、父からそんな想いが伝わった。
何をするにしても、母の面影はどうしても家の中に溢れていた。
そんな父の様子が目に入るたびに、真姫はどうしても父から責められているように感じてしまった。
――なんで、お前だけここにいるんだ?
なんでお母さんだけがここにいなんだ?
毎日、涙が止まらない。
毎日、涙の海に溺れてしまったように、息苦しかった。
中学の入学式にだけは出席したのは、そんな息苦しさから少しでも逃げ出したかったからだ。
みんながいる――
みんなとなら、きっと以前のように一緒にいられる。
子供っぽい遊びは少しだけ照れくさく感じるけど、それでも昔のように何の憂いもなく遊べる――そう思っていた。
だけど真姫を待っていたのは、腫物に触るようにぎこちない笑顔を浮かべる仲間たち。
腫物に触れる程度なら、まだいい。
人によっては真姫のことを、まるでばい菌のように遠ざけた。
原発事故のせいだ。
世間では連日のように放射線漏れのニュースが流されていた。「放射線がうつる」と真姫に直接的な言葉を投げて拒絶した元クラスメイトもいた。
小学校に通っていた頃は、そこそこ人気者だったという自意識もあった真姫には、それはあまりにもショックな出来事だった。
新しい制服に着替えたことで、みんなまるで別人になってしまったみたいだ。
――気付けば、武蔵に手を引かれて帰っていた。
真姫は声を上げて泣いた。
「お母さんっ、いなくなった!!」
「……うん」
「おばあちゃんも、どこかへいった!!」
「……うん」
「お父さんも、わたしを責める!!」
「……うん」
「みんなっ――みんな、わたしを嫌うっ!!」
「……うん」
「――っ!」
ただ頷き返すだけの武蔵の態度が気に入らなくて、強引に彼の手を引き剥がした。
「武蔵もっ――どこかへ行ってよ!!
わたしと、一緒だと、放射線がうつるんだからっ!!
もう、どこかへ行ってよ!!」
自暴自棄だった。
きっとそれが武蔵のためだとも思った。
だけど、武蔵は――
「――っ」
「俺はっ――俺はどこかにもいかない。どこにもいなくならない。大丈夫だから。大丈夫だから」
強引に引き剥がした手は、もっと強引に引っ張られ――そして真姫を抱きしめられていた。
「――本当に? 武蔵は、変わらずにいてくれる?」
「ああ……本当に、俺は変わらない」
そのとき真姫は思い出した。
――わたしは、大人になったら、武蔵と結婚する。
それは不変的なことであり、ごくごく当たり前のことだった。
「……嘘つかない?」
「ああ、嘘つかない」
「――そう」
真姫の当たり前は、呆気なく壊れてしまった。
お母さんは死んだ。
お父さんは変わった。
クラスメイトには嫌われて。
友達には遠ざけられた。
だけど、武蔵だけは変わらない。
変わらずに真姫のことを支えてくれる。
それだけが変わらないでいてくれたら、大丈夫だって思えた。
――だけど
◇
「なんで……なんで、ここにいるんだよ?」
この世界から帰ってきた武蔵と病室で再会したとき、彼は真姫にそう言った。
ありありとした、悲しみと拒絶の意志。
彼が本当に帰りたい場所は真姫のいる場所でないことはわかってしまった。
悲しかった。裏切られた気分だった。
震災からの一年、真姫にとっては武蔵だけが全てだった。
武蔵だけは変わらないでいてくれる。武蔵だけが真姫を嫌わないでくれる。武蔵だけが真姫を甘やかしてくれる。
当たり前は呆気なく壊れるものだと、真姫は知っている。
また――呆気なく壊れてしまった。
だけど、それは震災なんかよりもあまりにも唐突で――なにが武蔵をそこまで変えてしまったのかわからなかった。
教えて欲しい。なにがあなたを変えてしまったの?
わからなければ、納得することも、諦めてしまうことさえもできない。
外に出るのは今でも怖かったけど――真姫は今まで以上に武蔵と一緒にいることにした。
どれだけ無視をされても。
どれだけ邪険にされても。
武蔵にはだけは、捨てられたくなかった。
そして何があったのか知りたかった。
武蔵の心にどんな変化があったのか知りたかった。
――その願いは、この世界に武蔵と一緒に来たことで叶った。
展示場近くの広場から、突然、鬱蒼とした森の中に飛ばされた。
恐怖と混乱が真姫の心に広がる中、咄嗟に拾い上げた一番近い心の声は歓喜だった。
――やったっ! 帰ってきた!! 帰ってきたんだ!! パールっ!! サラスっ!!
一瞬のうちに、この世界で武蔵が経験してきたこと、武蔵が感じた想い、武蔵の本心を感じ取った真姫は――
「――パール?」
武蔵が自分を遠ざけようとしている原因を理解してしまった真姫は――
それが真姫にとっては到底、許されない原因であると理解してしまった真姫は――
「ねえっ、武蔵!! お願い!! 見捨てないでよ!!」
その焦りと怒りで武蔵を縛り上げた。
武蔵の変わってしまった想いを、真姫の想いで上書きした。
初めのうちはそれでもよかった。
変わらなかった武蔵を取り戻せたと安堵した。
だけど、すでに武蔵の本心を知ってしまっている真姫には――それが自分にとってのまやかしでしかないと知っている真姫には、ただただ苦しいだけの日々だった。
自分の思い通りに変わらない武蔵は、本当の武蔵なのか――。
真姫は、またそこで怖くなった。
自分はなにか取り返しがつかないことをしてしまったのではないか――。
一刻も早く武蔵を連れて元の世界に帰りたい。
一刻も早くパールのそばから武蔵を離したかった。
なのに、真姫にとって都合のいい武蔵は、元の世界に帰ることはだけは頑なに消極的で――
だから真姫は、独断でその手段に打って出ることにしたのだ。
◇
――地球破壊爆弾を、わたしのところまで運んで来てはもらえないかしら?
ひたすらにロボク村で待ち続けたムングイ王国の使者と、森の中で対面する。
武蔵の――ニューシティ・ビレッジの管理下にない、誰にも気付かれずに使える唯一の核爆弾を持ち出せる可能性がある人物と、真姫は接触した。
クリシュナという名前の少女は、真姫の”ギフト”で知る限りでも複雑な立場にあった。
裏切者であり、誰からも信用を受けられず、それになのに自由を与えられた、ニューシティ・ビレッジの稀有な存在。
だからこそ、真姫は利用できると考えた。しかし、
――……なんのためっすか?
驚いた。
真姫は頼みごとのていで話しかけはしたが、本心では会話するつもりなどなかった。
ただ、真姫の乞う通りに核爆弾を持ってきてくれればよかったし、事実そうなるように”ギフト”を使ったつもりだった。
テレパシーのような会話に、返答を差し挟まれる余地などなかったはずなのに、クリシュナは強い意志でそこに疑問を投げかけた。
――わたしたちはただ、元の世界に帰りたいだけよ。そのために、どうしても魔法の杖が必要なの。
――ソレは嘘っすね。アレでアンタらの世界には帰れないってこと、とっくにみんな知ってるっすよ。
――……そうかもしれない。でも、諦められないの。試してみたいの。
――そのせいで、また陛下やカルナに――大勢に迷惑をかけるんすか?
――あなたたちに迷惑をかけないわ。ただ、わたしたちはあなたたちが望む通りに、この世界からいなくなりたいだけよ。
――騙されないっす。アンタらは――アンタみたいな女は、コッチに歩み寄るように見せかけて、自分のわがままを通したいだけっす。
段々と苛立ちが募ってくる。
――わがままじゃないわ。みんなだって、帰りたがってる。あなたたちだって、本当にわたしたちに、早くいなくなって欲しいって願ってるでしょ?
――アンタの言うみんなは、本当に大勢を犠牲にする魔法の杖を使ってまで帰りたいって思ってるんすか?
――……犠牲は、出したくないかもしれないけど、でも、犠牲が出ないやり方だったら――
――……アンタの想い人は、ホントに帰りたいって思ってるんすか?
「――っ!?」
思わず狼狽えてしまう。
――む、武蔵だって……帰りたいって、言ってたわ。
だ、だけど、武蔵は優しいから、魔法の杖なんて使えなくて……だから、わたしが、武蔵のために、武蔵の代わりに、その方法は試すの……。
だけど図星を指されて、思わず表情に出ていたのだろう。
クリシュナは真姫のことを心底馬鹿にするように鼻で笑った。
――ああ、お兄さんの様子がおかしかったのは、やっぱりアンタが操ってたからっすね。
ウチはお兄さんのこと嫌いっすけど――わざわざカルナのためにお膳立てしてあげたっすよ。
なのに、そのカルナがお兄さんに付いて行けなかったってのは……まあ、そういうことっすよね。
「……………」
そもそもどうして自分がこんな説得のような真似をしているのか、わからなくなってくる。
真姫の”ギフト”であれば、相手の理解や納得に関わらず、何だって思い通りに動かせるはずである。
それこそ、今の武蔵のように――
――じゃあ、どうして、ウチのことは操らないか? 当ててやりますか?
逆に見透かされているかのように、クリシュナは続ける。
――アンタ、魔法の杖が必要だとか言っておきながら、本当は魔法の杖なんて使いたくないんす。
なぜなら、アンタにとって帰ることが目的じゃないんすよ。
アンタはただ、お兄さんに集る他の女を排除したいだけっすね。
「―――――」
姉への愛情と劣等感から、ムングイ王国――果てはこの世界を滅ぼそうとしていたクリシュナ。
同じような目的を、同じような手段で試みたクリシュナにだからこそ、感付かれてしまった。
――ああ、お兄さんを独占したいだけなら、魔法の杖なんて過剰っすよね。
だって、レヤックの力を使って、ただ「死ね」と念じれば事が済む。
自分がやったことを棚に上げて、クリシュナは見下したような態度を取る。
「――……いい」
――結局、アンタは中途半端なんすよ。お兄さんのことを独り占めしたいなら、とっとと他の泥棒猫なんて殺せばいい。
少なくとも、ウチの知ってる本気で愛に生きたやつらは、みんな鮮烈なまでにそうしてたっすよっ。
「……もういい」
――きっとあの魔王の娘は躊躇わないっす。本当に独占したいって思ったなら、躊躇わずにアンタのことを殺すっすね。
ああ、でも、あのお嬢ちゃんなら、アンタとは違って、それをお兄さんが望まないって気付いたら止めると思うっすけどね。
きっとアンタとだって友達になろうと――
「――っ、もういいっ!! あんたなんて、どこかへ行って!!」
そこで真姫はようやくクリシュナの心を支配した。
「……………」
先ほどまでうるさいほど心に響いて来たこと声は突然静まり返り、クリシュナはここまで連れて来たときと同じように無心のまま踵を返して森の奥へと消えてしまった。
クリシュナはいなくなった。だけど、彼女が残した言葉は、いつまでも真姫の心からいなくならない。
敗北感でいっぱいだった――クリシュナに対してではない。
『ああ、でも、あのお嬢ちゃんなら、アンタとは違って、それをお兄さんが望まないって気付いたら止めると思うっすけどね』
もし本当にパールがそうするのだとするのなら――そっちの方が美しいと感じてしまった。
それが何よりも敗北だった。
――そもそも、勝ち負けで言えば、とっくに負けている。
武蔵はもう自分を一番には考えてくれない。
真姫と武蔵が積み上げてきた十四年間の当たり前をと日々超えて、武蔵にとってはパールが大切な存在になっていることを、真姫は知っている。
――武蔵にとって、帰りたい場所がこの世界になっていることを、真姫は知っている。
武蔵の気持ちを留めさせたのは、真姫のチートでしかない。
同じ力を持っていながら、パールはそうしなかったことも知っている。
――逃げ出したくなった。
何も変わらずにはいられず、当たり前は呆気なく壊され、みんなに嫌われていくのなら、真姫はこのまま消えていなくなりたいと思った。
「――なあ、どこに行くんだよ?」
「―――――」
――どうして、こんなときに――
漏れる声は全て嗚咽が混じりそうで、涙と一緒に全て飲み込んだ。
胸が苦しい。
嬉しいという気持ちと、せつない気持ち。
その全てがごちゃごちゃになって息をするのも苦しい。
「……先に、どこかへ行ったの、そっちじゃない」
「……なんだって?」
どうにか口から零れた言葉は、届かなかった。
だけど、それももういい。
だって、ちゃんと迎えに来て――
「――ねえ、どうして、ここにいるってわかったの?」
「……? さあ、なんでだろう? 偶然だよ」
「……………」
――それもまた”ギフト”の力だ。
今でも武蔵は真姫に操られている。
真姫を一番に想うように、本当は武蔵が誰かを想う気持ちごと、真姫の想いで上書きしてしまった。
ここに武蔵を呼び寄せたのは真姫だ。
真姫の想いでここに来て欲しいと呼び付けたのだ。
消えていなくなるのは寂しい、誰か迎えに来て欲しい。
そんな想いに武蔵が呼び寄せられたのだ。
『なんで……なんで、ここにいるんだよ?』
武蔵の本当の想いは知っている。
本当の武蔵なら、きっと真姫を迎えになんて来なかった。
その事実に気付いて、ますます悲しい気持ちになる。
「――っ、離しなさい! 離してっ!」
「ちょっと待ってよっ」
だけど武蔵は真姫の腕を掴んで逃がさなかった。
真姫の身勝手な想いは、真姫自身を手放したりしなかった。
どこまでも情けなく、身勝手な想いに、真姫の心は悲鳴を上げる。
「どうせっ――どうせっ、武蔵だって、最後にはわたしのことを見捨てるのよ!!
一緒になんて、帰ってはくれない!! わたしを置いてどこかへ行ってしまう!!
わたしをどこか遠くへ追いやってよ!!」
「なんだよ、それっ! 意味わかんねぇっ!」
そうだろう。自分でも理解できない。
見捨てて欲しくないと願い、彼自身をそう縛り付けながら、見捨てろと無理を言う。
面倒だって自分でも思う。だけど、止まらない。
「なら、今すぐにわたしと一緒に日本に帰ってよ!!
核兵器でもなんでも使ってよ!! こんな世界は壊して、当たり前の生活に帰ってきてよ!!」
「それは……」
「できないでしょっ!? だったら、もう、放っておいてよ!!」
――クリシュナの言う通りだった。
真姫の想いは、中途半端だ。
結局、みんなを遠ざけていたのは真姫の方だ。
当たり前を呆気なく壊してしまっていたのは真姫の方だった。
「――わかった」
「……えっ」
「――核兵器、使うよ。それで、一緒に日本に帰ろう」
「―――――」
――本当に。本当に、わたしは身勝手だ。
全部わかっていたはずだ。
武蔵は真姫の操り人形だ。
なら真姫が本当に望むのなら、武蔵がそう言うのは当然のはずだ。
それなのに真姫は、武蔵のその返事にショックを受けていた。
――どうしようもなく、愚かで、劣悪で、最低で、最悪だ。
すぐにでも、本当にそうしてしまいそうな武蔵を止めるように、武蔵を抱きしめる。
この腕に何度も抱きしめてもらった。
温かくて、優しくて、安心する場所。
その全ては今も変わらないはずなのに――どうしようもなく、涙が溢れてくる。
「……ねぇ、武蔵……わたしが……わたしがねっ……何もかも捨てて二人で逃げたいって言ったら――武蔵は付いて来てくれるかしら?」
武蔵はぽかんとした表情で、一瞬だけ困った顔をする。
だけど、武蔵は即答する。
「何言ってんだよ。当たり前だろ。
俺はどこにもいかないよ。どこにもいなくならない」
「――っ」
――ああっ。
その言葉に、諦めが付いた。
それは偽りだ。
だけど、もう偽りだって構わない。
武蔵への想いが中途半端であるはずがないのだから。
「ええ、武蔵。約束よ。どこにもいかないで。どこにもいなくならないで」
◇
「……嘘つき」
武蔵が立ち去った部屋で、真姫はぽつりと独り言ちる。
どこにもいかないって約束したのに、置いてかれてしまった。
その寂寥感に、涙が止まらなかった。
『……ああ。大丈夫。俺が必ず、みんなを日本に帰す』
――ねえ、武蔵。みんなって、誰のこと? そこにあなたは入ってる?
わたしは、あなたと帰りたい。
だけど武蔵はとっくに変わってしまった。
武蔵にとっての大切なものは、真姫たちだけじゃない。
この世界で出会ったたくさんの人たちも、武蔵にとっては大切な人たちになっていた。
武蔵は、その大切な人たちと一緒に、どこかへ行ってしまう。
――わかっていた。
わかっていた。
だけど――
「嘘つき……嘘つき……嘘つき……」
滲む眼前に見える天井が、震災後に入院していた病院の天井とよく似ていて、ますます寂しくなる。
「嘘つき……嘘っ――」
呪詛のように続けた言葉も空しくなって、真姫は唇を噛みしめた。
――当たり前って、なんでしょうね?
母親が亡くなってから、そんなことばかり考えてきた。
日常。
朝。母に起こされて、父と一緒に朝食を食べる。
宮本家に出向き、武蔵の支度が終わるのを、武蔵の母親と会話しながら待つ。
学校に行けば、どうしてみんなと同じクラスじゃないんだろうと嘆きながら、栄介と馬鹿話をする。
放課後になれば、ようやくいつもの腐れ縁仲間で集まって、小さい頃から変わらない子供っぽい遊びに興じる。
時々ものりや遥人がトラブルを起こして、その度に有多子や任がフォローに回る。
そのときはリオも一緒だ。あまりお兄ちゃんの友達ばかりと遊んでると、同年代の友達に置いてかれるとからかいながら。
日が暮れる頃にようやく武蔵と一緒に家路に着く。
父に遅いのを心配されるが、それでも武蔵が一緒だからと甘やかされるのだ。
夕飯は、宮本家と合同のことも多い。
母親同士が仲良しで、父親同士も飲み友達だから、なんだか父母が二人ずついるみたい。
そんな日の夜は武蔵と一緒に眠るのだ。武蔵に添い寝されて眠ると、とても安心する。
思春期特有の異性を避けるような気持ちは、幸い武蔵に対してはなかった。
武蔵は多少あったようだけど、諦めたようだ。とても良い心掛けです。
ご褒美にお休みのキスをする。父にはそういうことはまだないと言っているけど、内緒です。
おやすみ、武蔵。また明日も、今日と同じような、当たり前の日々でありますように――。
そんな日常には、もう二度と帰れない。
母は祖母と一緒に津波で流されて行方不明。
父はそのショックから生きる気力を失って、ただ会社と家を往復する日々。
クラスメイト達は腫物に障るように扱うので、子供っぽい遊びにももう興味はなくなった。
『俺はどこにもいかないよ。どこにもいなくならない。大丈夫だから。大丈夫だから』
唯一、武蔵だけが変わらずに近くに居てくれた。
なのに、
『なんで……なんで、ここにいるんだよ?』
武蔵もまた変わってしまった。
彼だけが、真姫にとっての日常だったのに――。
ベッドから身体を起こし、両目を塞ぐ。
暗闇の中で、鮮明に思い出されるのは、クリシュナとの会話だった。
『結局、アンタは中途半端なんすよ。お兄さんのことを独り占めしたいなら、とっとと他の泥棒猫なんて殺せばいい』
――ええ、その通りよ。
『レヤックの力を使って、ただ「死ね」と念じれば事が済む』
――ええ、本当に。全くもって、その通りね。
すでにズルはたくさんしている。
躊躇う必要なんてない。
だって――
「――あの子だって、もう、殺してるじゃない」




