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第226話 誰も殺したくなんてなかった

 耳元で銃声を聞きながら、因果応報という言葉が頭に浮かぶ。


 栄介が銃火器を好きになったのは、ただの反骨心だったと思う。

 江野剣道場の跡取りとして連れて来られて、好むと好まざるとに関わらず剣道を強いた父に対する、ささやかな抵抗だった。

 父はそれを咎めることもせずに、ただただ黙認した。

 それが栄介にとっては余計に悲しくて、さらに銃にのめり込むきっかけになった。


 リオにも言った通り、別に剣道が嫌いではなかった。

 だけど、父は栄介のことを見てくれなかった。

 必死に努力して、どんな試合にも勝って、誰よりも強くなろうとしてきた栄介ではなく、父は宮本武蔵というただの一度も勝利できない少年を気にかけていた。


 悔しかった。

 どれだけ努力しても、勝ち取れないものがあるのだと知った。


 だから――ただ一つぐらい、自分で選んだ好きを勝ち取りたかった。


 その結果、栄介は人を殺した。


 どうして――

 ただ、栄介は認め欲しかっただけなのに――


 その結果、栄介は銃で殺される。


 ――それでもいいとさえ思ってしまった。


 女性騎士には栄介を殺すだけの道理がある。

 彼女が栄介に銃を向けるのは、至極、当然のことである。


 だけど――自分はどうして彼女に銃を向けた?


 ――自分でもわからない。


 彼女の息子を殺してしまったときだってそうだ。

 気付いたときには、手の中に銃があって、そして――


 後悔なんて言葉で括れないほど、栄介は悔いていた。


 銃なんて好きにならなければよかった。

 誰かを殺す道具なんて、好きになんてならなければよかった。

 そうすれば、誰も傷付けずに済んだのに――


 もう栄介は、誰も殺したくなんてなかった。


 だから栄介は拳銃を――投げ捨てた。




      ◇




「――……………?」


 銃声の後は、驚くほど静寂に包まれていた。


 女性騎士に撃たれて死んだと思ったのに、覚悟していた死はいつまで経っても訪れなかった。


 決心の際に瞑った目を開け、突き付けられていた銃口を目にする。

 そこには確かに煙が立っていた。

 だけど身体のどこにも銃創はなく、栄介はようやく銃弾が当たらなかったのだと理解した。


「――どうして、撃たなかった?」

「……え」

「私は……私は、貴様になら、殺されたって、よかったのに――」

「……………」


 女性騎士が何を言っているのか、理解できない。

 殺されてもよかったと彼女は言った。それは栄介の台詞である。

 彼女が栄介を殺す道理はあっても、彼女が栄介に殺されていいはずがない。

 それなのに――どうして、悲しそうな顔でそう聞くのだろう?


「私は、貴様を殺そうとしていたのだぞ?

 殺さなきゃ殺されるような状況だ。

 それなのに――貴様は、どうして、撃たなかった?」

「……………」


 それはまるで、あの状況でなら、撃って当たり前なんだとでも言いたげである。 

 それはまるで――自分の息子があの状況でなら、撃たれても仕方がなかったのだと言いたげだった。


「人間は誰だって、殴られそうになれば咄嗟に身構えるものだ。

 顔に何かが飛んでくれば、目を瞑るものだ。

 殺されそうになれば、ピストルの引き金くらい、簡単に引いてしまうものだ。

 こんなにも、人を殺すことが簡単に実現できてしまう道具なのだからな……」


 自分が持つピストルを眺めてから、それを仕舞う。

 彼女のそんな仕草に、その人にも後悔があるのだと感じた。


「あの子は……とても臆病な子だった。

 人と向き合うのが苦手で……その代わり土いじりが好きで、訓練を抜け出しては、ずっと作物の面倒を見ていた。

 剣ではなく、桑を振って体を鍛えたんじゃないかというほど、熱心に作物を育ていた……そんな子だったよ」

「――っ」


 胸が締め付けられる思いだった。

 栄介は、今まで自分が殺してしまった人が、どんな人が知らなかった。

 当たり前のように、その人にも家族があって――その死を悲しむ人がいて――そんなことを想像することがあっても、実感できなかった。


 だけど、その人がどんな人だったのか聞かされると――あまりにも重いその罪を、改めて突き付けられるようで、胸が苦しくなる。


「だから、あの子が死んだときの状況を聞かされて――容易に想像ができてしまったよ。

 あの子はきっと、戦闘が怖くて逃げ出したんだ。そうでなければ、隊から離れた場所で、一人、死んだりするはずがない」

「……………」


 その通りなのかもしれない。

 栄介が殺してしまったあの人は、一人で茂みに隠れるようにしていた。

 そこに栄介が現れたことに驚いて、咄嗟にピストルを抜いて、そして――


「逃げ出した先で機械人形と戦闘になったのならまだしも――こんな少年に驚いて、銃を向け、あまつさえ返り討ちに遭うなんて……本当に、どうしようもない……」

「……………」

「……でも、本当にどうしようもないのは、私の方だ」


 自嘲気味に、あるいは後悔を滲ませるように、女性騎士は続ける。


「あの子は、きっと畑を耕す方が向いていたんだ。

 騎士の素質など、これっぽっちもなかったんだ。

 ……私は、それを理解しながら、戦場へ送り出した。

 あの子なら死なないと、なぜか思い込んで……私が、あの子を殺したんだ。

 だから、私は……貴様にだって、殺されてもよかったんだっ」


 悲しみに耐えるでもなく、淡々と、何もかも抱え込むような、そんな罪を告白するような言葉だった。


 ――ああ。


 この人も、自分と同じだ。


 ――いいや。


 むしろ、自分よりも重いものを抱えている。


 あの人を死なせてしまった後悔を、栄介以上に強く感じている。


 ――それが、どうしても納得できなくて、


「……それは……違う」


 だけど、彼女の気持ちが痛いほど理解できてしまって――栄介は否定する。


「違う……あの人を殺したのは、ボクだ」


 その人の死が、栄介にとって耐え難いほどに重かった。

 それで許してもらえるのなら、命を投げ出してもいいと思うほどに、辛かった。


 だけど、同時に背負っていかないといけないとも思うのだ。

 そうでなければ、あの人に申し訳が立たない。だって、


「あの人は……確かに、ボクに銃を向けたけど……でも、撃たなかった。

 確かに、あの人の方が先に銃を構えたけど……でも、ボクは生きてる」

「……………」

「……きっと、あの人は……誰も、殺したくなんて、なかったんだ。

 それなのに、ボクは、あの人を殺してしまった……」

「……………」

「……あなたはボクに、どうして撃たなかったって訊いたけど……」


 答えは簡単だった。

 だけど、彼女に対して、それを口にするのは簡単ではなかった。

 納得なんてできないだろう。自分でもできないのだから。

 どうして――という疑問が付きまとう。


「――ボクも、誰も、殺したくなんて、なかった」


 それでも答えた。

 それがせめてもの、彼女に対する誠意だと思ったから。


「……そうか」


 女性騎士は、今にも泣きそうな顔で、


「……君は、優しいな」


 そう返した。


「――っ」


 だけど、実際に涙を流してしまったのは栄介の方だった。


 それは許しの言葉だ。

 パールにも同じ言葉を贈られ、栄介は救われた。

 だけど――

 彼女から贈られたその言葉は、パールから贈られたそれよりも、切なくて、胸が張り裂けそうで――


 責めて欲しかった。

 罰して欲しかった。


 お前の存在が、お前のやったことの全てが、間違っている。

 一生許さない。一生呪ってやる。

 そう言われる方が、何倍も――救いだった。

 

「……私の息子も、優しい人間だった。

 ――ああ、君の言う通りだ。きっとあの子も、誰も殺したくなんてなかったんだろうな」


 だけど、どんなに重くて、苦しくても――その罪は背負っていかないといけないのだ。

 それが自分が犯した、せめてもの、罪滅ぼしなのだ。


「……イシャナ」

「えっ……」

「それが、あの子の名前だ――どうか、君には憶えておいて欲しい」

「……はい。わかりました」


 イシャナ。

 心の中で、何度もその名前を唱える。

 自分の中に刻み付けるように――

 自分の中に戒めるように――

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