第218話 だからわたしはあなたが嫌い
「――つまり、わたしがここにいる全員の想いを引き受ければいいんだね?」
サティの通訳も合わせながら、マヒメの提案を要約して伝える。
逆にマヒメには通訳の必要はないのだろう。すぐに頷き返してきた。一方的に心を読まれている事実に、多少なりとも不快感を感じなくもなかった。しかし今まで自分がエイスケたちに散々してきたことでもある。逆の立場になって文句なんて言えるはずもない。
正直、真姫の提案を吟味するような時間はない。
子供たちが土砂に埋まって、もう一時間近い時間が経過している。
シータの取り乱した姿を見ていると、もしかしたらもう……なんて考えたくもなかったが、それでも時間が経てば経つほどに可能性は少なくなっているのは間違いない。
それでもパールは、どうしても躊躇してしまう。
――この人は、こんなことで、わたしに助けを求めるような人だろうか?
「……しかしお嬢様、それはあまりにも危険です」
悩みパールを代弁するように、サティが口を挟む。
どこまでこの国の言葉を理解しているのかわからないが、それに対してマヒメは苛立ちのような表情を浮かべる。
しかしサティの言う通りでもある。
凡そ百人程度だろうか――ここには今、ロボク村の人口の半数近くが集まっている。
それだけの人の想いを、かつてパールは受けたことがない。ウェーブの研究所にいた動く死体たちでさえ、その半分程度の人数だった。
つまり、そんなことをすれば能力の暴走を引き起こす。
――その行為がどれだけ危険であるかパール自身が一番理解している。
――そして恐らく、マヒメ自身も理解している。理解した上で、パールに頼んでいるのだ。
――しかし、それでマヒメが子供たちを探し出すことができる。
きっとマヒメも試したのだ。
この辺りにいる人間全ての想いを吸い取って、子供たちの居場所を探る。
レヤックであるからこそできる捜索方法。
しかし百人程度の心の声の中から、土砂に流されてしまった子供たちだけを探すのは至難の業だった。
雑音が大き過ぎて聞き分けられないのはもちろんのこと、それらはレヤックの心を侵食する。
まして、皆が皆、子供たちを助けようと必死なのだ。想いが強ければ強いほどに、心はその人間に引っ張られる。なんの変哲もない日常の中で、ちょっとした心の揺らぎを察知するのとは訳が違う。
それはまさにレヤックの心を殺す行為でもあった。
だからマヒメが提案してきたのは、その作業の分担だった。
パールが村人たちの想いを引き受けて、その間にマヒメが子供たちの想いを探る――
それはレヤックだからこそ実感できる、子供たちの探し出す確実な方法ではあった。しかし、
「それは、ここにいる全員の気持ちを引き受ける側の負担が大きすぎます。
それは提案なさるのでしたら、貴女がそれを引き受けるべきではないでしょうか?」
サティが強く抗議する。もしかしたら、以前、パールが暴走したときの記憶が僅かながらに残っているのではないか――パールはそう思った。
実際に、パールはそれが原因で三度も暴走している。
一度目は本当の母を殺し――
二度目も二人の母を殺し――
三度目は友人を殺し掛けた――
次、同じようなことが起これば、今度こそパール自身どうなってしまうかわからない。
もしかしたら、今度こそパールの心は死に、際限なく人の心を貪り食う本物の悪魔になってしまうかもしれない。
「……………」
サティの言葉に、マヒメは沈黙を通した。
もしかしたら言葉が理解できなかったのかもしれない。
せめて何か答えがあれば、パールも少しはマヒメのことが信じられたかもしれないのに――
相手が何を考えているのか全くわからないまま、信じていいかどうか判断する。
――それはパールにとっては初めての経験だった。
意識するしないに関わらず、生まれたときからパールは人の心を理解しながら行動していた。
確かに、それを蔑ろにして我がままを通したこともあった。
しかし基本的には相手のそれが悪意なのか善意なのかわかった上で行動していた。
もちろんサティたち機械人形の気持ちは読み取ることはできないので、彼女たちは例外に当たる。
しかしパールが彼女たちを疑ったことは一度もなかった。
だから、パールは人生で初めて人の悪意を疑った。
マヒメがこれを機に、自分を始末しようとしているのではないかと疑ったのだ。
マヒメがやろうとしていることは理解できる。
だけどマヒメを信じることができない。
パールは初めて、人を信じるとは何なのかという難問に直面していた。
――サラスはどうやってわたしを信じたの?
――ムサシくんはどうやってわたしを信じたの?
わからない。わからない。わからない。
沈黙したまま時間ばかりが過ぎていた。
「ごめんなさいっ!! アタシのせいで!! アタシのせいで!!」
「――っ!」
そんなパールの耳に叫び声が届いた。
耳を塞ぎたくなるような声――本当はずっと届いていた。
シータが何度も何度謝っている。泣き叫んで謝罪している。
それが誰への、何に対してか――
周りの人たちが必死にそれを慰め、励まして――きっとこの場でその謝罪の意味を理解しているのは、パールとマヒメの二人だけなんだとわかる。
この土砂崩れはシータが引き起こしたものだ。
シータの行いのせいで、彼女の子供たちが土砂崩れに巻き込まれたのだ。
しかし彼女の叫びは支離滅裂で、その真意は誰の耳にも届かない――レヤックであるパールとマヒメの二人を覗いては。
「……わかったわ。貴女が手伝わないのなら、わたし一人でもやるわ」
「えっ……」
パールと同じように、シータを見つめていたマヒメが、そう決意した。
「……自分のせいで、家族が亡くなるなんて……そんなこと……そんなこと、絶対に、あてはいけないことなんだからっ!」
「あっ――」
思い出したのは三人の母親のこと。そしてパティのことだった。
自分のせいで死んでしまった母親たち。
母親を亡くした悲しみに向き合えなかったパティ。そして、そのあと一緒に泣いたこと。
パールはそんな光景ばかり見てきた。
死に向き合うことが、残された人たちの責務なんだと思っていた。
――でも。
『わたしは、ムサシくんと、一緒に生きたい』
首から下げた結婚指輪を握り締める。
その想いが、何よりも大切だった――そんなのマヒメに言われるまでもないことだった。
「待ってっ――わたしも、手伝う!」
一人で向かおうとするマヒメの手を掴んで、呼び止める。
「お嬢様!?」
「止めないで、サティっ!
これは、わたしたちじゃないと、できないことだからっ!」
ようやく気付いた。
マヒメを信じる信じないなんて、些末なことだった。
今は、あの家族が一緒に生きていくために、全力を尽くすこと――マヒメはただそれをしようとしていた。
「――本当に、いいのかしら? 自分が自分じゃなくなっちゃうかもしれないのよ?」
「舐めないでっ!
わたし、貴女より長くレヤックやってるんだから! こんなこと、もう何回だって経験済み!」
旧ロボク村での事件と同じだ。
あのときも魔法の杖が見つかって混乱している村人の心を、レヤックの力で落ち着かせた。
村人の想いを全て引き受ける必要はない。一人ひとり静めていけば、それで子供たちは探しやすくなるはずだ。
「マヒメこそ、本当に子供たちのこと探し出せる?」
「……それこそ舐めないでもらえるかしら?
わたしが本気を出せば、ここから村に残ってる人の心だって拾えるわ」
それが本当なら、マヒメの能力はパールよりも圧倒的に効果範囲が広い。
なるほど、パールに村人の気持ちを受ける役割を求めたのも納得できる。マヒメの方が、探し出せる範囲が圧倒的に広いのだ。もしかしたらパールが取り溢す村人も、マヒメに負担させることになるかもしれない。
「ふっ」
「ふふっ」
失敗すれば二人とも廃人になってしまうかもしれない状況で、お互いに見つめ合い、不敵に笑い合う。
こいつに負けたくないという気持ちと、こいつならできるという気持ちが互いにぶつかっている。
まだマヒメを信用できそうになかった。だけど信頼はできた。
「お嬢様……私はどうすれば?」
「サティは、そこで待ってて。
後はマヒメの指示に従って、子供たちの救助を最優先で。
いい? わたしが倒れたり、おかしな行動を取っても、子供たちの救助が最優先だから!」
「……――承知しました」
何か言いたいことはあっただろう。
だけど、それをぐっと飲みこんで、サティは厳かに頷いた。
大きく息を吸う。
最初に、ここに居る人たちの心を静めるのがパールの役割だ。
マヒメも待っている。パール次第ですぐにでも始められる。
結婚指輪をさらに強く握り締めて――パールは覚悟を決めた。
◇
人の”声”に耳を傾ける。
改めて、人って全員違うんだなって実感する。
全員が子供たちを救おうと必死になっている。
だけど、そこには色々な想いがある。
本気で子供たちを案じる人。
同情心から子供たちを助けようとする人。
同調圧力で仕方がなしに協力する人。
下心から作業に加担する人。
それら想いの違いで、誰一人として同じ色は作られない。
愛だけでなく――こんなことでも、人はそれぞれの色を見せる。
パールの愛は、ムサシのそれと違うと気付いて、泣いた日もあった。
だけど今にして思えば、違っていて当然なんだと気付いた。
パティとシュルタの愛だって、ムサシのそれとは違った。
エイスケのパールへの想いも、ムサシのそれとは違った。
だけどそれらも、日々変化して、刻々と色を変えた。
パールはそれが尊いと感じた。
――大丈夫。これなら耐えられる。
一人一人の想いに耳を傾けると、自分が消えてしまいそうな不安はある。
悲しみや、怒りや、恐怖や、保身や、見栄が――パールの心に荒れ狂う。
何が自分の気持ちかわからなくなる。
不思議と以前ほどの不快感はなかった。だけど、
――それも、よくない。
気を付けなきゃいけないのは、他人の心を奪い過ぎないこと。
レヤックの能力は、制御を失えば人の心を殺す。
人の気持ちが理解できず、我がままに人の心を屠ってきた――そんな幼い頃の自分にも戻りたくない。
尊いと感じるのなら――むしろそれらと対話して落ち着かせる。
まずはシータ。
自分の復讐心で、我が子を殺めてしまったと嘆く母親。
その悲しみと後悔と絶望は、この場にいる誰よりも強い。
――大丈夫。大丈夫。どうか自分を責めないで。あなたの憎しみは、あなた自身に向けるものじゃない。でも、どうか許して欲しい。あなたの子供たちは、きっと助かる。きっと助かるから。嘆かず、どうか落ち着いて。子供たちを信じて、抱き締めてあげることだけを考えてあげて。
彼女を支えるナクラもまた、自責の念に駆られていた。
冷静に村人に指示を飛ばしていたが、わざわざ遠い水場を利用させていたことを悔いていた。
――大丈夫。大丈夫。あなたはしたことは、村の人たちを想ってのこと。間違ってない。今だって、冷静に判断している。だからそのまま、村の人たちを引っ張っていって。
モノリが泣いている。泣きながら怒っている。
人の気も知らないで、いつも危険な目に遭うタモツに嘆き怒り――後悔してる。
何もできない自分に、嘆き怒り後悔してる。
――大丈夫。大丈夫。モノリは、いつだってタモサンのこと想ってる。助けたら、想いを伝えよう。片想い同盟はそれで解散だよ。
リオが焦っている。
親しくしてくれたタモツが、どこを見渡しても見つからないことを焦っている。
せっかく目が見えるようになっても、これでは意味がないと焦っている。
――大丈夫。大丈夫。リオの目があるから、みんな動けるんだよ。絶対に見つかるから。絶対に見つけてみせるから。だから、一緒に頑張ろう。
エイスケが――エイスケは必死だった。
色々な想いが胸の中で爆発しそうだったけど――それを無視して、今はタモツや子供たちを探すことに集中しようとしている。
とても立派だった。
想いを抑えることが、どれほど大変なことか、パールはよく理解している。
だから、パールは一言、
――ありがとう。
とだけ伝えた。
少しずつ、少しずつ――一人ずつ、一人ずつ。
パールの心の中へ呼び掛ける。
大丈夫、大丈夫。
間違ってない。間違ってない。
落ち着いて。落ち着いて。
頑張って。頑張って。
混乱は徐々に収束して、みな冷静に――ただただ、助けたいという気持ちだけで行動していた。
みんな同じ気持ちで行動していた。
調和の取れた世界。
ここに違う想いが混じれば、きっとそれはよく目立つだろう。
「――いいわ。あとは任せなさい」
「あ――」
波紋が広がる。
少なくもパールにはそう感じられた。
パールが作った世界に、マヒメを中心とした旋律が走る。
それはあっという間にパールの作った世界を飛び越えて、さらに遠くへと駆けて行く。
マヒメの表情が、苦痛に歪む。
きっとその先では、まだ混乱が広がっているのだろう。
そこまで、パールの想いは届かない。
――……悔しいな。
少しだけ……本当に、ほんの少しだけ、そう思った。
「……いいえ。パールのしたことは……わたしにはできないことよ。
だから……………あ、ありがとう……」
「―――――」
全然、見透かさせてはくれないのに――。
こっちの気持ちだけはしっかりと見通して――。
有利なところから、そんな、少しだけ恥ずかしそうな顔をして――それが、ちょっとだけ可愛いと感じてしまい――パールは「やっぱりずるい」と思った。
「……マヒメのそういうとこ、やっぱり、嫌い」
「ふ……安心しなさい。わたしも、やっぱりあなたのことは嫌いよ」
あとはマヒメに任せてしまっても大丈夫だろう。
だけど、やっぱり悔しくて――マヒメもまだまだ苦しそうな表情を浮かべているので――パールももう少しだけ頑張ろうと思った。
少しでも、能力の範囲を広げるように――
だけど、暴走だけは避けるように――
パール自身が、冷静さを欠かさないように――
マヒメの負担を減らすように――
――パールは、心と対話する。
さらに広がるように、さらに一人、さらに一人と、少しずつ増やしていく中で、
「――えっ……?」
パールはその異質な想いに気付いた。
その人物は遠い離れた場所から、村人たちをまるで子供を看取る母親のような気持ちで見つめていた。
普段は気付かなかったかもしれない。
しかし一人一人の想いと向き合っていたパールは、その人が何者で、何をしたのか、理解した。
――理解して、パールは思わず、エイスケを見た。
「……あの人のことは、放っておきなさい」
「――っ!?」
マヒメもその人に気付いてか――いや、きっと最初から気付いていて、そう言った。
――マヒメは全て知っていたのだ。
今回の事件がどうして起きたのか――。
今回の事件は誰のせいで起きたのか――。
知っていて、全部、無視していたのだ。
「……わたしたちに、あの人のためにできることなんてないのよ」
「で、でも……」
「繰り返すわ。あの人のためにできることは、なにもないわ。
大切な人を失った人は、どうあっても立ち直ることなんて、できないのよ――好きにさせるしか、ないのよ」
「――っ!」
それは違う。それだけは絶対に違う!
だって、パールやパティや――ロボク村で生きる大勢がここにいるのは、それを受け止めてきたからだ。
受け入れたり、乗り越えたり――人によって様々だけど、それでも前を向いて歩き出したから今があるのだ。
死んだ人から逃げたり、死んだ人に甘えたりする――それだけは間違っている。
そう叫ぶ代わりに、パールはその場から走り出した。
あの人に伝えないといけないと思った。
レヤックの能力ではなく、直接あの人と話がしたいと――パールは走った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――ああ、あなたはそうなのね。
――これだけ同じなのに……そこだけは徹底的に違うのね。
走り出すパール後ろ姿を、真姫は暗い気持ちで見送った。
止めようとも思わない。好きにすればいい。
それよりも今は、大切なことがある。
「――お嬢様っ!?」
「待ちなさい。わたしの指示に従って」
「しかし――」
「タモツと子供たちを見つけたわ。まだ三人とも無事よ。
でも、事態は一刻を争うわ。
あの子にも言われてたでしょう? 子供たちの救助が最優先だって」
「――承知しました」
渋々といったサティを従えて、真姫は任たちの元へ急ぐ。
そう、しょせんパールに大切な人を失った人の気持ちなんてわからない――母親を殺したパールに、わかるわけがないのだ。
――だから、わたしは、パールが嫌いなのよ。




