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第211話 呪いような感謝

「くっそ……重てぇ……」

「やっぱりハヌタはおれが持つよ」

「……いい」

「だ、だったら、クンタと交換しようか? この子の方が、軽いし……」

「だーから、いいって言ってんだろ!

 ってか、タモさんは平気なのかよ、二人も抱えてんのよ……」

「さ、最近、鍛えてるからね」


 長女のビスタと三男のクンタを両腕に抱えながら、任は涼し気な表情で返事をする。

 確かに任はこの半年で、ただでさえ大きい身体を、さらに大きくさせていた。

 黙って立っていると、ちょっとした威圧感を感じる程だったが、不思議と子供たちからは絶大な人気を博している。

 ちょっとだけジェラシーを感じる。

 遥人なんて、次男のハヌタだけでも腕が痺れてきていると言うのに――。

 安定感にも差があるようで、ビスタとクンタは穏やかに眠ってると言うのに、ハヌタだけはどうにも寝苦しそうにしている。


「やっぱりおれが持つって。

 ハルト、体力ないもん。水汲みだって、ハヌタの方がちゃんとできるくらいだもん」

「あぁん? 誰が六歳児に負けるって? 昨日のはちょっと足を滑らせただけだっ」


 しかし、長男のウッタにまで馬鹿にされては、遥人としても意地を張らざるを得ない。

 彼らの家までは、もうほんの数百メートル。耐えられない距離でもない。


「……にしても、お前らの母ちゃんはどこ行ったんだよ?

 子供だけで、こんな遅くまでほったらかして……」


 間もなく日が沈み、最近取り付けた電灯が付き始める頃合いだ。

 遅いと言うには大げさかもしれないが、この世界はとにかく夜が暗い。

 最近は電灯のお陰で少しはマシになってきたが、それでも一般的な家庭では日が沈む前に夕飯を済ませてしまうのが普通である。


「子供だけじゃない。おれがちゃんと三人の面倒を見てる」

「……ああ、はいはい。そうだな、おまえは立派に兄ちゃんしてるよ」


 とは言え、ウッタだってまだ八歳の少年である。

 一生懸命に母親の代わりを務めようとしているのはわかるが、まだまだ子供であることに代わりない。


「それに、村から出てない。

 母ちゃんは、毎日の水汲み当番さえしっかりして、あとは勝手に村から出なければ、好きにしていいって言った」


 それでいいのだろうか?

 ものりから言わせれば、それはきっと文化の違いってやつで遥人たちがあまり口出すことではないと言いそうだった。

 そう思えば、確かに遥人が口を挟む問題ではない。


 思い返せば、遥人もよく親に言い付けられていた。

『学校さえちゃんと行って、夕飯まで帰って来てくれれば、あとは好きにしていい』

 夕飯まで帰らず、一晩中行方不明になってしまった自分の経歴を考えれば、人の事は言いづらい。

 それでも、この四兄妹のことが何かと心配してしまうのは、どうしようもない。


「た、たぶん、村ぐるみで子育てしてる感じなのかな?

 だから、村のどこかにいれば、きっと、大丈夫って……」

「はぁ? その割には、こいつらがさっきまでうろうろうろうろしてても、みんな無関心だったじゃねぇか」

「そ、それ……たぶん、他の誰よりも、遥人君が、真っ先に駆け付けたからだと思う……。

 最近、村の人たちが、遥人君のこと子供番長的な呼び方してたし……」

「誰が子供番長だ!」

「ぼ、僕じゃないよ、村の人たちがそう言ってたんだよ!」


 自分に呼称が付いてることは気付いていたが、リーダー的なものだと認識していた。

 的は外れていなかったが、まだまだ細かい言葉のニュアンスが汲み取れていないことがよくわかった。


「とにかくだ――シータには、たまにはちゃんと子供たちの面倒も見るように、がつんと言ってやんなきゃだな」

「あ……う、うん……いつもそう言って、結局、なんも言えないんだよね……」

「……なんか言ったか?」

「う、ううん、なんでもないよ」

「……」


 聞き返しておきながら、任の子供はしっかり遥人の耳に届いていた。

 任の言う通り、一度だってシータに強く出れた試しはない。

 わかっている。遥人は一生涯、シータに頭を上げることなんてできない。

 子供たちの面倒を一人で見なくてはいけない理由も、もちろん理解している。

 だけど少しでも強がっていないと、シータを目の前にしたときに、すぐに泣いて謝り出してしまいそうで――遥人は、それが何よりも怖かったのだ。




「ただいまー」

「おかえりなさい……あら、また三人とも眠りこけたのね。ご飯は食べたの?」

「ううん、まだ」

「そう……でも、これはまだしばらく起きないわね。

 しょうがない、三人は後回しにして、先に食べようか。

 ウッタは先に寝床の用意してきて」

「はーい」


 ウッタは母親の言うことを真面目に聞くいい長男だなと、部屋を出て行くウッタを眺めていると、シータは熟睡した子供たちの様子を確認しながら、遥人と任に声を掛けてきた。


「いつもいつも、ごめんなさい」

「お、おう……いや、こんくらい、大したことじゃねえよ」

「……………」


 任の「がつんと言うんじゃなかったの?」とでも言いたげな視線は、とりあえず無視する。


 いつもいつも――と言われるほどに、この村に泊まるときは子供たちの面倒を見ることが当たり前になりつつあった。


「今日はタモサンもご夕飯一緒でいいかしら?」

「あ、は、はい、い、頂きます」


 そしてわざわざ遥人まで確認を取られないくらいに、この家で過ごすのが当たり前になりつつあった。


「今日は豚が捕れたようで、広場で丸焼きにして配られてました」

「ああ、それオレらも見たぜ。まるまる一頭串刺しになってんの見て、リオちゃんが卒倒しかけたんだよな」

「……ぼ、僕は、その介抱してただけなんだけどな……はぁ」


 ものりに変態呼ばわりされたことを思い出して、任が項垂れていた。

 ものりの内心が推し量れるだけに、遥人としては面白いものを見れたと思わず笑みが零れた。


 ――シータが悲しそうに目を伏せているのに気付いて、途端、その笑顔が引き攣る。


「……それで、子供たちも興奮して――ってことですか。

 電灯ができてからと言うもの、夜はなかなか寝てくれなくて困ってるのに……」

「あははは、それなー」

「……………」


 シータに他意はないのだろうが、遥人としてもその一挙手一投手に意味を感じてしまい、どうしても気になって仕方がない。

 任もまた遥人に何か言いたげに視線を送っていたが、こちらには全く気付くことができないくらい、シータに意識が向けられていた。


 それでも、とてとてと覚束ない足音が耳に届き、遥人はようやくシータから意識を離す。

 そこには眠そうに目を擦りながらそれでも懸命に歩くクンタと、その手を引くウッタの姿があった。


「ウッタがどうしても、タモサンと一緒じゃなきゃ嫌だって……」

「タモシャン……おしっこ……」


 クンタはまだ三歳になったばかりだと言う。

 トイレだってまだ一人で済ますことができない年齢である。


「ちっ……しょうがねぇな、オレが連れてってやるよ」

「やぁ……タモシャンがいい……」

「なんでだよっ!?」

「うぅ……タモシャン……でる……」

「ああっ、うんうんっ、わかったっ。僕が一緒に行くから、もうちょっと我慢しててねっ」


 振られて崩れ落ちる遥人を後目に、任は慌ててクンタを抱えてトイレへダッシュ。


 落ち込む遥人を、ウッタもどうしていいかわからなくなったのか、


「……あー、おれは、ハヌタとビスタの様子でも見に行こうかな」


 踵を返して、寝室へダッシュ。


 ウッタにまで見捨てられた遥人は、ますます悲しみを募らせていく。


「くそぉ……なんでだっ……なんで、タモさんの方が人気なんだっ。

 つーか、あいつ、リオちゃんといい、ものりといい、最近なんなんだよっ。モテ期か? あいつ、モテ期なのかっ!?」

「――ふふっ」

「――っ」


 シータの笑い声が聞こえて、バネが弾けたように跳ね起きる。

 それにシータも驚いたのか、目をまん丸にして、


「あ、ごめんなさい、つい笑ってしまって。

 でも、ハルトがあまりにも大袈裟なものだから、つい……ふふ」

「ああ……いや……あはは……」


 口元を隠して上品に笑うシータに、つられて遥人も笑う。

 彼女が笑ってくれると、遥人はとてもホッとする。

 ちゃんと遥人の前でも笑ってくれることが、遥人には救いだった――。


「でも、あの子たちの気持ちもわかります。

 タモサンを見ていると……あの人を、思い出します」

「―――――」


 ――そんなことが、救いになるだなんて、おこがましいことなのに。


「あの子たちのお父さんも、とても身体が大きい人でした。

 とても身体が丈夫な人で……この人は、そう簡単に死んだりしないって、そう思って結婚しました。でも――」

「――な、なぁっ!」


 居た堪れなくて、遮るように声を掛けた。

 逃げ出したかった。

 ここで全てを曝け出して、泣いて許しを請いたかった。

 でも、それ以上に怖かった。

 シータに何もかも曝け出すのが――怖かった。


「――なぁ……恨んで、ないのかよ?」


 代わりに出た言葉は、そんな、とても惨くて情けない言葉だった。


「―――――」


 余計に心が痛んだ。

 なぜなら、シータはもっと惨めな顔をしていたからだ。


「……恨むことに、疲れてしまったんです」

「えっ……」

「ハルトは知らないかもしれませんが、この村で暮らす人のほとんどが、戦争や魔法の杖で家族や友人を亡くしています。

 あのとき亡くなったのは……ウルユだけでしたが……全員が同じ傷を負っています。

 ですから、アタシだけが、恨んだところでどうしようもありません」

「な……」


 言葉が出なかった。

 頭の中がぐつぐつ煮え滾ってしまったかのように、ぐらぐらする。

 この人が、こんな悲しそうに笑うのが、全く理解できなくて――怖い。

 恨まないと言う、この人が怖い。


 遥人はずっと勘違いをしていた。

 罪を告白して、断罪されるのが怖かった。

 怨嗟の声に曝されるのが怖かった。

 だけど、それは罰せられるだけマシだった。


 恨みさえ抱けない。

 こんなにも悲しいことがあるのか――。

 許しさえ与えない。

 こんなにも絶望的なことがあるのか――。


「それに、もう怖いゴーレムは、ここにはいません。

 ですから、ハルトには感謝しています。あれを遠くに運んでくれて、ありがとうございます。

 あのゴーレムがいると、子供たちが泣いてしまいますから」

「―――――」


 ――違う。そんなこと言わないで欲しい。

 罵って欲しい。呪って欲しい。そうでないと、あまりにも悲しいから。


「――っ、あの……」


 全て話そうと思った。

 自分があなたの夫を殺した人だと。

 恨んで構わないのだと。復讐してもいいのだと。

 シータにはその権利がある。

 そうしてくれないと、あまりにも悲しい。

 だって、それは――もう何もかも失っても構わないと言っているようなものだから。

 友達も、住むところも、家族も――何もかもいらないと言っているようなものだから。

 そんなこと、この人に言って欲しくない。


「あのっ――」

「あー、よかった、ギリギリセーフだったよ!」

「ぎりぎり、せふたよ」

「……………」


 そのとき、ちょうどクンタを肩に乗せた遥人が帰ってきた。


「お母さん、ハヌタとビスタがお腹空いたって」

「ぶたさんのおまつり」

「ごちそうなの」


 ウッタもハヌタとビスタを連れて戻って来た。

 気付けばさっきまでの重い空気は一掃されていた。


「あら。じゃあ、みんなで食べましょうか」

「「「「わーい」」」」


 少なくとも、子供たちに囲まれたシータは、とても幸せそうに見える。

 どうか、そのまま幸せに生きて欲しい。

 遥人はどうしても、そう願わずにいられなかった。

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