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第204話 片想い同盟結成

 雲が流されていくのを、ただ、ぼんやりと眺めている。

 厚くなった白いふわふわを見ながら、そろそろ雨季も終わりなのだと、ぼんやり考えながら。

 施設内で一番空に近い場所。最近のパールにとって、そこが一番のお気に入りの場所だ。

 

 馬鹿みたいに口をあんぐりと開けて、ときどきサラスが屋上の縁から落ちそうな場所にいないかだけ確認しながら、あとは空ばかり眺めている。


 魔法の杖の毒の治療中だって、こんなに惚けていたことはない。

 それほどまでにパールは、漫然と過ごしていた。


 ムサシのことも、エイスケのことも、もうあまり考えたくなかった。


『――パールは、俺と一緒に、死にたい?』


 でもなぜか、病魔に侵されてムサシと一緒に心中しようとしたときのことばかり考えている。


 遠くから誰かの激励が届く。今日もロボク村への支援の準備が進められているのだろう。

 なのに、パールはそれを手伝おうともせずに、ただひたすら惰眠を貪っていた。


 この時期特有の湿気をはらんだ突風が吹いて、そこそこ伸びた髪をはためかせる。

 どうせなら、このまま風に吹かれて、どこかに運んでくれたらいいのにと思う。


「はぁ……」

「――っ!?」


 そんなパールの元、突然、聞き馴染みのない声が届き、慌てて飛び起きる。

 どうせサラスしかいないからと、服がはだけるのも抑えずに寝転んでいた。

 慌てて洋服が整えながら、見知らぬ闖入者を睨み付ける。


 しかし相手はパールに気付いた様子がなく、物憂げな表情で屋上の柵にもたれ掛かっていた。

 今までのパールの人生経験において関わりのなかった部類の、ふわふわして掴みどころのない女の子。

 ムサシやエイスケの友達の一人なのはわかる。だけど、パールはまだ自己紹介さえしていない。


 ――なに、してるんだろう?


 そう気になったのは、彼女もまた、エイスケやカルナと同じような想いを漂わせていたからだ。

 ――いや、どちらかと言えば、シュルタがパティに向けていた感情に近い。

 霧がひどいときに見たニューシティ・ビレッジの夜景みたいで、どこかぼやけてはっきりしないけど、でも確かにキラキラと輝いて見える感じ。


 ――この子も、誰かが好きなのかな?


 こっそりと近付いて、彼女の視線を追ってみる。


 ニューシティ・ビレッジとニュープリズムを繋ぐ直線道路。

 そこに三人の人影が見えた。

 一人は息も絶え絶えという雰囲気の男の子で、あとの二人はその男の子に歩調を合わせながら走っていた。


「……あ、エイスケ……」

「――ひゃあっ!?」


 その二人が見知った顔で――それも一人がエイスケだったために、思わず声が出てしまった。

 女の子がとても驚いて、下手をすれば屋上から落ちてしまうのではないかという勢いで、飛び退いていた。


「あっ……ごめん、おどろく、おもわない、とても、とても、おどろく、して……うー……ごめん、する」


 慌てて日本語で謝罪する。

 しかし、相変わらず、上手く口にできない日本語に、ちゃんと伝わったか不安になる。

 誰が好きなのか盗み見ようとしていた罪悪感も相まって、余計にしどろもどろになっていた。


「あ……ううん、こっちこそ、ごめんなさい。こんなとこ、誰もいないと思ってたから、ちょっと、大袈裟だったよね、うん……あはは」

「えっ」


 その言葉は、パールでもはっきり理解できた。

 だけど違和感があった。

 耳に届いているのは知らない言葉のような気もするが、それでも理解できた。

 まるで心で会話するような、そんなとても馴染み深い感覚。

 そしてその感覚に、パールは警戒感を持った。


「ま、まさか……あなたも、レヤック?」

「へっ? レヤックって? ものりは、ものりだよ」

「モノリ?」

「イエス、マイネームイズモノリ」


 ――はい、わたしの名前はものりです。


 すんなりとパールの中に、その自己紹介は入ってくる。

 それは間違いなくレヤックの共感覚に近いものではあったが、マヒメから受ける、心を舐るような不快感は感じない。

 口にした言葉だけを優しく相手に注ぎ込む、そんな限定的な能力だった。


 ――羨ましい。


 自分が今、何をしていたのか。

 それを思い出して、パールは自分がとても恥ずかしい存在のように感じた。


「……わたしの、名前は、パール、です」


 そんな自己嫌悪を押し殺すように、パールはモノリに対して、そうとてもささやかな自己紹介を返した。




「ここ、風が気持ちいいよね。

 この国って、セミが鳴き止まない夏の夜みたいにあっちいから、ついつい風通しのいいところを探してしまうのですよ」

「今は雨季の終盤だから」

「えー、これでまだ梅雨なら、真夏はもっとあっついじゃん」

「もう少しで、乾季だから、過ごしやすくなると思う」

「梅雨が終わったら、冬になっちゃうの? この国って、すっごい過酷環境だね」

「……………」


 言葉が通じても、会話にならないこともあるのだと、初めて知る。

 ナツとか、フユとか、概念も知らない言葉が自然と頭に入り込んでくるので、なおのこと混乱が激しい。

 思わず目頭を抑える。


「……あ、もしかして、迷惑?」

「そんなこと、ない……でも、知らない言葉が多いと、ちょっと、よくわからなくなる」

「あー、ものりも、わんちゃんとねこちゃんが雨降らせたら土砂降りになるの、意味わかんなかった」

「……………」


 これ、本当に会話が成立しているのか――本気で疑ってしまう。


「パールちゃんは、ここでなにしてたの?」

「パ、パールちゃん? や、と、とくになにもしてなかった……」

「そっかぁ、ここ、風が気持ちいいもんね」


 その上、会話が繰り返しになっている。

 いよいよ、この不思議な女の子からは逃げ出した方がいいのではないかと本気で考える。


「―――――」


 しかし、そう考え始めた矢先、ものりはパタリと会話を途切れさせた。

 気付けば、また、階下を見下ろして、気配を曇らせていた。


 ものりを視線を追いかければ、エイスケとリオが息も絶え絶えで走っていた男の子を介抱していた。

 きっと無理をして走ったのだろう。パールも身に覚えがある。まだ、病み上がりに近い状態で、早くムサシを探しに行きたいと、この施設を飛び出して倒れたのだ。

 あれほど狼狽したサティを見たのは、初めてのことだった。

 以降は、ヘレナ考案のりはびりめにゅーなるものを全て熟せるまでは、この施設から勝手に出てはいけないことになったのだが、これがまたパールを殺す意図で考案したのではないかと言う内容で、頻繁にぶっ倒れることになった。お陰で体力だけは病気前と比べても桁違いに増えた。


「あの男の子も、りはびりしてるの?」

「えっ? あー……ある意味、そうかも。タモさん、去年まで、入院してたから」

「そう。わたしと同じだ」

「パールちゃんも、病気だったの?」

「うん。魔法の杖の毒にかかってた」

「うわ、なに、そのファンタジーな病気っ?」

「髪の毛が全部抜けちゃう病気」

「マジかっ! それ、乙女の一大事じゃん!

 よかったね! 治ったみたいで!」

「うん……よかった」


 首筋にかかる程度に伸びた髪をいじりながら、パールはしみじみ答えた。

 他にも辛かったことは多かったけど、病気で一番に辛かったことがそれだった。

 昔の長さに戻るには、まだまだ時間が掛かりそうだけど、それでも髪の毛が生えてきたときは、泣くほど安堵した。それなのに――


「あっ――」


 辛い現実に胸が締め付けられそうになったが、隣からもっと逼迫した切ない感嘆に聞こえて、パールはすぐに現実に引き戻された。


 ものりを見れば、それこそ先ほどまでの明るい雰囲気はどこへやら、今にも泣きそうな顔をしていた。

 原因はパールでもすぐにわかった。


 エイスケは誰かを呼びに行ったのか、それとも水分でも取りに行ったのか、いずれにしてももう姿が見えなかった。

 なので、リオと男の子の二人きりで、木陰で休んでいた。

 傍から見れば、とても仲睦まじそうな様子で、楽しそうに笑い合っていた。


 パールはそのとき、先日見たムサシとマヒメの姿を思い出した。


 レヤックの能力で、ものりの心を盗み見ようとしたわけではなかった。

 だけど、自然と、彼女の考えていることがわかったような気がして、


「モノリは、あの男の子のことが、好きなの?」

「――っ!?」

「ち、違った?」


 思わず口に出た言葉に、ものりは怒ったかのように顔を真っ赤にして振り返った。

 しばらく口をパクパクと、声にならない想いを紡ぎながら、次第に観念したかのように、小さい声で答えた。


「……違わない……です」

「そうなんだ」

「で、でもでもでも、でもね、好きって言っても、他の男の子より、ちょっとっ、ほんのちょっとだけ、好きってだけで、今日の晩ごはんはハンバーグとカレーどっちがいいか聞かれたら悩んで悩んでハンバーグカレーの定番が却下されたらじゃあハンバーグって選ぶくらいの、そういう好きだからね!」

「う、うん……わかった」


 相変わらず何を言ってるかわからないけど、とりあえずサティの言うところの子作りしたい想いをがんがんに発露するくらいに好きなのは理解した。


「だけど……」

「――?」


 そう解釈したのだが、一瞬のうちにモノリから漂う気配は、スコール後の森の中のようになってしまった。


「やっぱり、はんばーぐかれいじゃなきゃ、だめ?」

「いや、それは、違くて……タモさんは、大人しくて健気な女の子の方が好きみたいで……も、ものりは、どっちかと言えば、真逆で……」

「健気?」

「……パールちゃんも、もしかして、強力なライバル……?」

「はあ……」


 つまり、ものりが好きなタモサンは、別の人――たぶん今、タモサンと一緒に楽しそうにおしゃべりしているリオのことが好きなのだ。

 ――どうなんだろう?

 二人から距離が離れてしまっているので、タモサンがどう思っているのかはパールのところまで伝わってこない。

 無理して覗くこともできる距離ではあったが、気力の消耗が激しい。

 そこまでして人の心を覗きたいとも思わない。


 それにタモサンについてはわからなくても、リオの方は知っている。


「でも、リオは、タモサンって男の子のことは、好きじゃない」

「――え、マジ?」

「……あ、う、うん」


 口にしてから、あまり他人の内心を暴露するのは良くないこととと思い返す。


「それっ、りっちゃんから聞いたの!?」

「聞いたと言うか……う、うーん……」


 リオがエイスケのことを好きなのは、パールにとっては既知の情報だった。

 しかし、それを伝えてしまうのは、きっとリオにとっても不本意なはずだ。

 何よりエイスケから好きだと言われたパールがそれを口にしてしまうのは、物凄く罪悪感があった。


「え、りっちゃん、じゃあ、好きでもない男子と、あの距離感いけるの!? りっちゃん、怖い子っ!」

「ち、違う。そ、そうじゃなくてっ――」


 そんなことを言うモノリも、タモサンとは違う男の子とべたべたしている場面を見たような気がしたが。

 別に親しい間柄というわけでもないので、突っ込んでいいかもパールにはわからなかった。


 不用意な言葉を口にしたものだから、リオの印象がどんどん悪くなっている。

 それこそ、とてもとてもリオに対して悪いことをしている気になる。

 リオがパールのことを慕ってくれているのもわかっているだけに、余計に弁明しなくてはと、パールは本当のことを口にする。


「わ、わたし……レヤックで……人の心が読めるから……」

「ひ、人の心が読める……?」

「う、うん、だからモノリがタモサンと子作りしたいって思ってたのも、わかってたから」

「そっ――!? そこまではまだ思ってないよーっ!?」

「あ、あれ? ――じ、じゃあっ、タモサンが、誰が好きなのか、確認してくるから――」

「まっ!? 待って、お願いっ! 待てーっ!! そんなことしないでーっ!!」


 屋上から駆け出そうとしたものの、必死の形相のものりに止められ、くんずほぐれつバタバタバタバタ。

 気付けばパールもものりも肩で息をしながら、その場に座り込んでいた。


「パ、パールちゃんってっ、大人しそうに見えてっ、かなりヤバイ子だったーっ!」

「そ、それは、わたしが、レヤックだから……?」

「ちっがーう! そうじゃない! あー、もー、ものりの周りってどうしてこんな子ばっかりなの!?」

「――っ!?」


 突然、モノリが肩を組んできた。

 そんなことパティにもされたことがなかったので、驚きのあまり硬直してしまう。


「ね、ねえ、ほんとに人の心が読めるの?」

「え? う、うん……」

「そ、そしたら、ものりが、今、なに考えてるかも、わかるの?」


 わかる――と断言してしまうには、複雑なくらいものりの心には色々なものが駆け巡っている。

 心配と期待、混乱と決意、不安と興味。

 ただ、それらを総じて考えると――


「な、悩んでる?」

「はい、悩んでます。タモさんが誰が好きなのか、そもそも好きな人がいるのか、聞きたいような、聞きたくないような。でも、好きな人の好きな人のことなんて、乙女にとって一番の関心事項なのですよ」

「はあ……」


 本当にこの人は、ふわふわしていて掴みどころがなく、心の中が読めていても、何をして何を言うのか、よくわからない。

 だから、次の言葉は、パールとっては本当に予想外だった。


「だから、ものりが、聞く決心ができるまで、同盟を組もう」

「……同盟?」

「そう、片想い同盟!」

「片想い同盟!? ……なに、それ?」

「片想いしている者同士、時に恋の悩みを打ち明けたり、時に慰め合ったりするグループ。

 ちなみに抜け駆けは厳禁! コクるときは、いっせーのせい! で!」

「……わたし、片想いと違う」

「またまたー。ネタは割れてるんですよ、旦那。

 パールちゃん、みやむーのこと好きなんでしょ?」

「みや……? ムサシくんは、わたしの夫ですっ」

「……ごめん、そこまでいくと、ヤバイの通り越してちょっと可哀想に感じちゃう」

「本当に、わたしはムサシくんの奥さんですっ!」

「はいはい、そういうのひっくるめて、聞いちゃうよー、聞いちゃうよー。

 ――だから、ものりがタモさん好きなのはナイショだからね!」


 本心はそこか。

 何度でも反論するつもりでいるが、パールの中では片想いだとは思っていない。

 少なくとも、ムサシがマヒメに操られている限りは、ムサシが本心でどう考えているかなんてわからない。


「そんなの、わたしが守る、理由がない」


 ムサシとのことを信じた様子もなく、勝手を言うモノリに付き合う理由なんてない。そう思ってもいたが、


「なんで? 友達でしょっ?」


 不思議なことを言われた。


「……誰と、誰が?」

「ものりと、パールちゃんが」

「わたしと、モノリが……友達?」


 パールにとって、友達とはパティとシュルタしかいない。

 ムサシは夫で、サティとサラスは家族のようなものである。


 だから、モノリの言葉には疑問しかない。


「え? えぇっ!? い、いつから、友達に!?」

「え、いつからも何も、さっき自己紹介したでしょ? マイネームイズモノリ」

「名前を教え合っただけだよ?」

「名乗りあったらそれが友達の始まりでしょ。これ、世界の常識。知らないの?」

「し、知らない……」

「じゃあよかったね、今日から覚えられて」


 そういうものなのだろうか?

 でも確かにサラスも、ムサシと初めて会ったときにしつこく名前の名乗らせようとしていた。

 あれはもしかしたら、ムサシと友達にさせようとしていたのかもしれない。


 そう考えると名乗りあったことが、とても重大なことだったように思えて、今更ながらに気恥ずかしく思えた。


「ということで、ここに、片想い同盟結成! よろしくね、パールちゃん!」

「ぅあ? え、えー……はい……よろしく」


 三人目の友達。

 それもパティやシュルタとはしばらく疎遠になってしまったので、久しぶりの友達である。

 不思議と胸が高鳴り、そして、よくよく考えたら片想い同盟というのも、悪くないように思えて来た。


 ――時に恋の悩みを打ち明けたり。


 それは今のパールには必要なことだった。


「あ、あの……! 早速、恋の……悩みをしても、いい?」

「急に積極的にっ?

 でも、いいよ! ものりもある意味、パールちゃんに悩み打ち明けちゃったみたいなもんだし!

 次はパールちゃんの番だよ。このラブ探偵ものりに任せなさい!」

「あ、あの、す、好きでもない人に、好きって言われたら、どうしたらいい?」

「……………――あー」


 ものりは長い沈黙と、ため息の後――


「――ひゃんっ」


 突然、パールの頬を両手で挟むと、


「ぬ、抜け駆けは厳禁だから、ねっ」


 額と額が引っ付くそうな距離で、真剣なまなざしでそう告げた。

 このときパールは、なんとなく泥沼同盟に属してしまったのではないかと、そんな予感でいっぱいだった。

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