第197話 外交の始まり
キャンピングカーに揺られ始めて一時間。
出発前から不安いっぱいではあったが、今では後悔しかない。
「……りっちゃん……そろそろ、限界……イエローカード三枚……退場を要求……退場……」
「ごめんなさい……のり姉……わたし……わたし……オロロロロロロロロロ」
リオはこの世界に来てから嘔吐ばかりしている。
変なイメージが付いて虐められないか、我が妹ながら心配してしまう。
もっとも、彼女の名誉のために言えば、今回ばかりは仕方がない。
トイレのドアにへばりついているものりも青い顔をしている。
栄介だってかつて経験のない揺れに、吐くまでいかずとも気分は悪くなっていた。
「あの、スラさん? もう少し、ゆっくり走れませんか?」
「んんー? 大丈夫ですよぉ。安全運転してますからぁ」
とてもそうは思えない。
エンジンは唸りを上げていて、ずっとアクセルをベタ踏みしているのが音だけでわかる。
ただでさえ舗装されてない道を走っているのだ。
車内はさながら、洗濯機にでも乗り込んでしまったような惨状だった。
もっとも散乱しているのは有多子が持ち込んで書類ばかりで、どちらかと言えば強盗に入られた図書館という方が正しいが。
「というか、倉知さんはどうしてこんな状況でも書類なんて読んでられるの?」
「時間がもったいない」
そういう問題ではなく、気持ち悪くならないのか、という話しなのだが。
そもそもまともに読んでいるのか怪しい。ページを捲る速度があまりにも早すぎる。辞書で単語を探すときだって、もう少し時間がかかりそうなものだった。
――これが倉知さんのギフトの力なのか……。
有多子は一度見聞きしたものを絶対に忘れなくなったらしい。
実にシンプルで分かりやすく、使い勝手のいい能力だった。
ものりや遥人なんかは、大層羨ましがっていた。それがあれば熱心に勉強する必要もないじゃん、と。
しかし有多子の様子はものりたちの感想とは真逆で、むしろ憑りつかれたかのようにニューシティ・ビレッジにあるありとあらゆる書物を吸収していった。
昔から、何かに没頭すると周りが見えなくなる有多子だった。
自分の興味の対象であるロボットが闊歩する世界に、有多子の好奇心が止まらないのは無理もないことかもしれない。
「……うぷっ」
有多子の放り投げた書類――ちなみに英語である――を目で追っていたら、栄介も気持ちが悪くなってしまった。
トイレはたった今、這い出るように出てきたリオに代わり、ものりが飛び込んだばかりである。
栄介は少しでも気分が良くなるように、窓の奥に見える景色に目を向けながら、どうしてこんな動くミキサー車で移動しなくはいけなくなったのか、その発端を思い返した。
◇
「関与政策だよ!!」
真姫の後ろ盾を受けた外交官の娘が、いの一番に掲げた言葉に、一同、思いは同じだった。
また、ものりが変なことを言い出したよ。
「なるほど。つまり、ものり様は、ムングイ王国を新しい思想で取り込もうということですね」
「ビンゴだよーんっ!」
「――っ!?」
まさかサティから同調が得られるとは、誰も思わなかった。
「ですが反バリアン派は我々に対して敵対的です。親バリアン派にしても、むしろ古い価値観に囚われているからこそ、バリアン信仰を残しているわけです」
「でもでもでもでも、サンドイッチになってる人たちは、いつだっているわけだーよ」
「まさか、ロボク村を?」
「ビンゴだよーんっ!!」
「待て待て待て待て待て!! なんで会話が成立してんだよ!? なにがサンドイッチなんだ!? 意味がわからん!! 全然わかんねぇんだけど!?」
一足飛びで進むサティとものりの会話に、遥人が待ったをかける。
「えっ? わかんない? ほんとーに? ふふふ、はる君ってば、勉強不足だなー」
「うっわ、ものりにだけは絶対に言われたくない台詞っ!」
ものりは勝ち誇った顔で不適に笑うので、遥人は地団駄を踏んだ。
だけど、頭にクエッションマークを浮かべているのは、何も遥人だけじゃない。
「大丈夫だよ、遥人。勉強不足なのは、ボクも一緒だから」
「うっ……栄介にそう言われるのは、それはそれで複雑な気分なんだが」
「え?」
「え?」
噛み合わない会話に、顔を見合わせる。見つめ合ったところで、一生解消などされないわけだが。
「えーちゃんもわからない?」
「うん。関与政策って言うのは、外交政策の一つなんだろうけど、具体的にどういう手段を考えているのか、まるでわからないよ」
「ふふふ。では、教えて進ぜよう」
腕を組み、ふんぞり返りながら、ものりは得意げに解説を始める。
……そのポーズ、中学生離れした胸を必要以上に強調させるので、目のやり場に困るのだが。
「……………」
「関与政策とは、すばり、こっちの文化や価値観を相手に教えることで、仲良くなることだよ。
はい、ここ、テストに出るから! ちゃんと黒板を見て!」
目を逸らす男の子たちに対して、ものりはありもしない黒板をバンバンと叩く。
咳払い一つ。
とりあえず、話はちゃんと聞いているとアピールする意味も込めて、質問する。
「ええっと……つまり、ものりさんは、ムングイ王国と文化交流会をしようとしてるの?」
「おおーっ。えーちゃん、イイネ。その案、はなまるだよ。早速、一つ、候補にしよーっ」
「???」
おでこにはなまるをもらう。
案を出したつもりはなく、ものりが考えそうなことを口にしただけだったのだが。
人類皆兄弟。ものりのモットーである。
「ちょっと待てよ!
ムングイとは、険悪ムードなんだろ! そこに乗り込んでってお遊戯会なんざしたって、追い返されるのが関の山だろ!」
「はいっ、はる君、バッテン! 最初から人を疑うの、いくないよ?」
頭の上に大きくバツ印を作るものり。
遥人は小声で「いや、疑うも何も、事実だろうし……」なんて反論するも、ものりの耳には届かない。
「それに、文化交流をお遊戯会なんて言うのも、ノーセンスだよ。
文化交流は、自分たちと、他の人の違いを認識し合う、大切な場面なんだよ」
「……………」
ものりからあまりにも真っ当なことをどストレートにぶつけられて、遥人はショックを受けていた。
「で、でも、守さん? 遥人君の言うことだって、その、一理ある、と思うんだよ。
だ、だって、誰だって、その、危ない場所には、近付くなって、教わるじゃない?」
「……う、うん、タモさんの言う通りだね」
「えー、なんでー、なんでー、タモさんだけー、なんかー優しくないですかー?」
「は、はる君っ、ちょっと黙って! 次から発言は手を挙げるようにっ!」
「へーい」
しかし、それで多少の仕返しができたと考えたのか、遥人の機嫌は瞬間で元に戻っていた。
「あー、うー、うん……タモさんの言う通りで、関与政策は敵対的じゃないとこにするもの。
だから、今のムングイ王国には、あんまり向かない、かな」
「あっ……だから、ロボク村?
ロボク村なら、バリアン派の人が多いから、文化交流しても険悪になったりしない、です」
「あっ、そ、そうか。あそこの人たちって、あの、メイドさんたちに対しても、全然、平気そうだった、気がする」
「はい、先輩。サティさんたちも、最初からあの村に逃げ込もうとしてたから、昔からある程度の交流はあった、じゃないですか?」
「ええ、リオ様の言う通りです。あの村の方たちは、昔から知っている方ばかりです」
リオの言葉に、サティが同意する。
思い返せば、確かに、ロボク村に集まった騎士団は、サティたちメイド集団に対して警戒心を抱いていた。
それに対して村の人たちは、サティに対して友好的とは言えなくても、少なくとも敵愾心を持っている雰囲気はなかった。
「だ、だったら、ロボク村の人たちとだったら、仲良く、できる、かも、しれないね」
「はい、先輩。わたしも、あの村の人たちには、助けてもらいました。なので、できれば、仲良くしたい、です」
「あーっ、あーっ、私語っ! 禁止っ!!」
ものりの突然の癇癪を起すので、任とリオは二人して身体をビクつかせた。
「……特に、りっちゃんの、その、『はい、先輩』は、駄目……なんかもう、すっごいずっこくて、駄目ぇ……可愛いもんっ、絶対に可愛いもん……」
「えっ? えっ?」
本人に自覚もない理由で責められて、目を白黒させるリオ。
そんなリオを助ける意味でも、さもすればすぐに脱線する話を元に戻す意味でも、栄介は確認する。
「つまりロボク村をムングイ王国との交渉の足掛かりにしようってことだね」
「うーん……交渉っていうより、EPA……経済連携……だから、関与政策だけど、実体は封じ込め政策的な……?」
「?」
ものりもうまく説明できない様子で、腕を組んだまま唸っている。
恐らく彼女の内から純粋に浮かんだ考えではなく、誰かの真似事をしようとしているのかもしれない。
「……別にこれが授業でもなけりゃ、ものりはせんせーでもねぇんだから、んな堅っ苦しい言い方じゃなくて、おまえがやってみたいことそのまま言えよ」
「あっ……うんっ」
見かねた遥人がフォローを出していた。
茶化したりすることも多いが、なんだかんだで人を立てようとするのが遥人の良いところだと、改めて思った。
「えっとね、ものりは、この国の開発支援をしたいんだよ」
「開発支援って……その……途上国の、ボランティア……みたいな?」
「そっ。
だって、ロボク村も、ムングイ王国も、どっちも見たけど、電気も水道も整備されてないんだもん。
それなのに、この街はすっごい発展してて、そんなの変でしょ?」
ああ、なるほど。一同、それだけで、ものりが考える”関与”が何なのか理解した。
ものりはどこに居ても、ものりなのだ。
「生活が豊かになれば、みんながハッピーでしょ? ハッピーなら、争いも自然となくなると思うの。
もちろん最初から、ムングイ王国とは難しいってわかってる。だから、最初は、ロボク村から、ハッピーにしていこうよ。
それができたら、きっとムングイ王国の人たちも、ものりたちのこと、受け入れてくれると思うんだ。
それがものりの考える、和平への道だよ」
そう言い切ってから、自分でもらしくない真面目な力説に、照れてしまったのだろう。
ものりは顔を真っ赤にして、誤魔化すように「えへへ」と笑った。
みんなと顔を見合わせる。
いつものものりの綺麗ごとだと、そこで一緒に一笑するのは簡単だった。
だけど、ものりの真剣さを、笑うメンバーなんてここにはいなかった。
「ま、いいんじゃね。他にやれることなんて、思い使えねぇんだし」
「ぼ、僕は、賛成だよ! すごく、いい考えだと思う」
「まだ何ができるか、わからないけど、でも、さっきも言った通り、ロボク村の人たちに恩返ししたい、です」
もちろん栄介も賛成だった。
ただ、それを前提に確認しておきたいことがあった。
「……サティさんは、どう思いますか?」
「私ですか?」
やろうとしていることはわかったが、実現するにはニューシティ・ビレッジの協力が不可欠だった。
ここの実権を握っているのが誰なのか、未だにわからないので、あくまで参考程度ではあったのだけれども、それでも聞かないわけにはいかなかった。
「ええ、ご主人様が賛成でしたら、私たちが反対することはありません」
「……あはは……そっか」
結局は、いつも、いつまでも、武蔵が自分たちの中心なんだと、改めて実感するだけだった。
それが悔しいと感じてしまうのは、自分の至らぬ点なのだろう。




