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第189話 もう泣いてなんていられない

 地面に転ばされて着いた埃をゆっくりと払う。


「……………」


 その間、ずっと無言のまま、ヨーダを睨み付ける。


 この男はありえないことをやらかした。

 クリシュナが用意した、唯一、最小限の犠牲でみんなが幸せになれる選択肢を不意にした。

 それもクリシュナの意図を理解した上で、だ。

 減らず口で回る舌も、今はただ沈黙で以て訴える。


 ――なにしてんすか?


「な、言っただろ。どんだけ準備して、どんだけ考えたって、うまくいかないときは、ホントうまくいかないもんなんだぜ」

「――っ!?」


 お前が言うなと、殴り付けてやろうと思った。

 寸でのところで思い留まったのは、ムサシと同じようなことはしたくなかったという想いからだ。


「――なんで」


 代わりに問う。


「――なんで、うちを見捨てなかったんすか!?」


 姉ちゃんは見捨てたくせに。

 その言葉もまた、理性で噛み殺す。

 それを口にしては負けてしまうと思ったのだ。


 ヨーダは悲しむとも呆れたとも取れる表情で、どっしりと石段に腰を落としてから、ため息交じりに答える。


「……弱いヤツにはなりたくねぇんだよ」

「……はぁ?」


 ヨーダが何を言いたいのか理解できない。

 心底呆れ果てたと、ますますクリシュナは睨む。

 そんなクリシュナに、ヨーダもまたじっとクリシュナを見つめ返してきた。

 悲しい目だけど、同時に優しい目だった。


「……いいだろう。確かに、オマエを見捨てるのは簡単さ。

 オマエは、ゴーレムを使ってこの国を滅ぼそうとした。未だオマエを恨んでる連中はたくさんいる。

 そんなオマエが、また、ゴーレムを使ってロボク村を滅ぼそうとしたんだ。

 大罪人として処刑されても、反対する人間は誰もいねぇよな」

「……………」

「当然、反バリアン派の急先鋒だったオマエが処刑されれば、親バリアン派の連中は勢いを取り戻すだろうな。

 加えて、今回の騒動を解決したのが、ニューシティ・ビレッジの連中だ。

 ああ、みんなちったぁ思い直すだろ。本当に魔王アルクが死んだんなら、機械人形たちとだって仲良くなれんじゃねぇかって、な」

「……………」

「もうそうなりゃ、サラスを迫害する理由はなくなる。

 それどころかアイツは魔王を倒してニューシティ・ビレッジとの仲を取り持った英雄だ。

 晴れてアイツはムングイ王国のお姫様として、大手を振って戻って来れんだろうよ」

「……………」

「サラスも、パールも、ムサシも帰ってくる。

 みんなみんな昔みたいに一緒に暮らせて幸せだ。ああ、確かに幸せだ。

 オマエ一人の犠牲で、みんなみんな幸せになれるよなぁ」

「……そこまで、わかってて、なんで……?」

「オレは、そういう考えは嫌いだ」


 ぴしゃりと、クリシュナを断ずるかのごとく、ヨーダははっきりと告げる。

 悲しい目で、優しい目で――真っすぐな目だった。


「……じゃあ、なんで」


 クリシュナはそんな眼差しに負けたのだ。


「……なんで、姉ちゃんを、見捨てたんだよぉ……」


 ボロボロと涙が零れる。

 悔しかった。

 この人なら、守れたはずだ。助けられたはずだ。

 そう信じてしまえるからこそ、クリシュナは泣いて責めるしかなかった。

 少しでも、この眼差しが曇ってしまえばいいと、クリシュナは初めて子供のように泣いた。


 だけど、やっぱりヨーダは、いつまでも悲しむような優しい目を、クリシュナに向けていた。


「そうだな……だから……やっぱり、オマエも幸せにならなきゃダメだ。

 オマエが犠牲になっていいわけがねぇ」


 傲慢な考えだった。


 だからこそ、クリシュナは思うのだ。


 やっぱり王様はこの人がいい、と。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ぐずぐすと泣くクリシュナを見ながら――そしてまたヨーダも思う。


『みんなみんな昔みたいに一緒に暮らせて幸せだ。ああ、確かに幸せだ』


 ――ホントにそうか?


 脳裏に浮かぶのは、ムサシの後ろに佇む少女の姿。


 以前からムサシには女たらしの気があった。

 パール、サラスに続き、カルナまでと――そこは羨ましいを通り越して、怒りにも似た淋しさがあるわけだが――個人的な感情を抜きすれば、そこまではいい。三人が三人とも、それぞれの感情に対して何かしらの折り合いを付けていた。


 みんなみんな昔みたいに一緒に暮らせて幸せだ。

 ああ、真に恨めしい話だが、きっと三人ならうまくやるだろう。


 しかし、ムサシが連れて来た少女は、きっとそうじゃない。

 人が人の首に刀を突き付けている現場に無言で佇み、事が済めば何事もなかったかのように、やはりムサシの後を付いて回る。


 ヨーダには、そんな周りが見えていない盲目的な女に心当たりがあった。


 心安い様子で近付きながら、その裏では島中で破壊活動に勤しんでいた女。 

 己の夫にしか執心がなく、彼と過ごすためなら手段を選ばない女。


 ムサシの連れていた少女は、今は行方不明となった魔王の嫁にそっくりだとヨーダは感じていた。


 サラスは、ムサシとパールが一緒にいればきっと幸せだろう。

 そう信じていた想いに、何か一石を投じられたようで、落ち着きなくさざ波が立ち始めていた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「誰かっ!! ここから出しなさい!! クリショナっ!! お父さん!!」


 カルナが牢屋に入れられてから、一日半ほど経過していた。

 使われることのほとんどない牢屋は、見張りさえいない。

 ただでさえ、今はニューシティ・ビレッジへの警戒や、サラスの捕獲に、騎士団も出払っている。

 いつになく人気の少ない城内に、カルナの声を聞き届ける者はいない。


 何度目かになる鉄格子の破壊を試みるが、そう簡単にはいかない。

 時間さえあれば、いつか壊すこともできるだろうが、いつロボク村で魔法の杖が使われるとわからないと思っているカルナには、悠長にしている時間などなかった。

 幸いなのは未だ魔法の杖が使われた様子がないことだ。牢獄の中とは言え、衝撃は嫌でも感じられるだろう。


「ちょっとは大人しくなったと思ってたのに……クリシュナのやつっ!」


 恨みを込めて、格子扉に蹴りを入れる。

 ちょっとずつ変形してはいるが、それでもまだまだ折れる様子もない。


「あっ……やば……」


 それどころかその反動に負け、ついにカルナはその場に倒れてしまった。

 水分さえ差し入れるものもいなかったのだ。

 クリシュナがいつまで監禁しておくつもりでいたかわからないが、カルナの体力もさすがに限界に近かった。


「もうっ……あいつ……ほんとに、なんだって、今更……」


 クリシュナとは、この三年間、団長、副団長の間柄としてやってきた。

 彼女がやらかしたことを忘れるつもりはなかったが、それでもどうしたって情は湧いていた。

 クリシュナの「唯一の友人」という発言だって、真に受けたことは一度もなかったけれども、今、この状況に陥って初めてカルナ自身もそう感じていたのだと理解した。


 ――また、裏切られたのだ。


「……ほんと、なんだって……」


 目頭に涙が溜まるのを感じて、それを両腕で覆い隠す。

 思い出されるのは、ムサシの言葉だった。


『弱いやつが弱いわけじゃない』


 ムサシのことを思い出せば未だに複雑な気分だが、それでもその言葉を胸にカルナは頑張ってきた。


 ――だけど、いつになれば、あたしは強くなれるの?


 サラスたちと訣別したときに、もう泣かないと決めた。

 泣くのは誰かに甘えているからだ。

 サラスやムサシと別れた以上、もう誰かに甘えるのは止めようと決めたのだ。


 だけど、結局、自分はいつまでも泣き虫で――めそめそと誰かに甘えている。


 今だって、きっと誰かが助けてくれると期待してしまっている。

 いつまでも弱い、弱い自分。

 もうムサシはいないのに――


「……相変わらずカルナは泣き虫だな」

「……――っ!?」


 初めはありもしない幻聴を聞いたと、無視しようとした。

 だけど、そんなわけがないと飛び起きた。


「――っ」


 息が詰まる。

 心臓が止まるのではないかと思うほど、苦しい。

 涙の気配が強くなり、これは泣いてしまうと自覚して――だけどそれを指摘されたばかりだと思い至って、どうにか堪える。そんなことできるわけないと、自分も、相手だってよくわかっているはずなのに――


「――ム、サシっ」


 モノリたち三人から、彼の名前を聞いたときに――ちょっとだけ期待してしまった。

 もしかしたら、彼はムングイに帰って来てくれるのではないか、と。

 だけど、そんなはずがないとカルナは自分に言い聞かせた。


 もしムサシが本当に、この島に戻って来たとしても、絶対にムングイへは帰らない。

 なぜなら、ここにはパールも、サラスもいないのだから。

 ムサシがここに来る理由なんかない。

 そう思っていた。


 目の前にいる彼は幻だ。

 そう思いたかった。

 どうしてか、無性に彼と会うことが恥ずかしくて、会いたくないと思った。


 だけど、鉄格子の向こうにいるムサシは、カルナの呼び掛けに対して


「……うん」


 とだけ、返した。


「あっ……」


 幻なんかではなかった。

 確かに、ムサシが目の前にいる。

 その事実に、カルナの目端に溜まった涙はあっという間に決壊した。


「……………―――――」


 いろいろと聞きたいことがあった。

 だけど、いろいろと話をしたくないことも多かった。


 頭がおかしくなりそうなほど荒ぶる感情の中で――ふとすれば勝手に飛び出してしまいそうな言葉たちを必死に押し止めながら、カルナはどうにか冷静に、冷静に、ゆっくりと、今、必要な言葉だけを紡いだ。


「……ムサシ……ロボク村に……ゴーレムが……お願い……クリシュナを、止めて」

「うん……大丈夫。それは、もう、終わったから」

「……………あぁ」


 ――……ほんとに、あんたってやつは……。


 ムサシの言葉を理解するのに数秒。

 自分に括りついていた糸が切れたかのように、カルナはその場に座り込んでしまった。


「ちょっと待ってて。今、そこから出すから」


 カルナが牢屋から必死に抜け出そうとしていた痕跡を見つけたのだろう。

 言うが早いか、ムサシは腰に携えていた刀で、牢の鍵を一撃で壊してみせた。

 カルナが一日半かけて必死に壊そうとしていた牢を、意図も簡単に解いてみせたのだ。


「……………」


 ――……あぁ、もう……ほんとに、あんたってやつはっ……。


「ほら……カルナだって、もうわかっただろ。

 今のムングイにいたら駄目だ。サラスのところに戻ろう。

 カルナだって、言ってただろ。サラスの頼りになるんだって。今のサラスには、カルナが必要だ」


 扉を開けて、ムサシが手を差し伸べてきた。

 その光景をいつか見たことがあった。

 それはムサシが初めてこの国に来たとき――サラスが彼にそう差し伸べていたのだ。


「……………」


 ――あぁ、ほんと、あんたってやつはっ!


 それはずっとカルナが欲しかったものだ。

 甘えているんだってわかっている。

 だけど、ずっと誰かに手を差し伸べてもらいたかった。

 こんな状況から助けて欲しいと願っていた。


 ――今なら……。


 今なら許されるのではないか?

 サラスは、バリアンの力を使い果たしてしまった。

 今のサラスなら、何もわからない。


 今ならきっと上手くいく。

 ムサシとサラスとパールの四人で。

 昔のように、うまくいられる。


 ――今なら……ムサシの手を取っても、いいのよね?


 縋るように。その手を。

 ムサシから差し出された手に、カルナは手を伸ばし――


 ――あなたは駄目よ。あなたは許されない。

   だって、あなたもパールという子と同じだもの。


「―――――」


 カルナはゆっくりと、ムサシが開けた格子扉を閉めたのだった。


「……カルナ?」


 ムサシは怪訝な表情を浮かべていた。

 鉄格子越しに、カルナの表情を覗き込もうとしていた。

 きっと、とても青ざめた顔をしているのだと、カルナは自分でもわかった。

 それほどまでに、今、カルナは恐怖していた。


「……ムサシ、そこの女は……なに……?」


 今の今まで気付かなかった。

 さも当たり前のように、ムサシの横に幽鬼のように寄り添う少女に、カルナはようやく気付いた。


 武器があれば、襲い掛かりたい。

 パールが魔王の娘だと知ったときと同じように、カルナは今すぐにでもその少女に斬りかかりたかった。

 その結果が、あのときと同じになるとわかっていなければ、きっと素手でも襲い掛かってただろう。


「ああ、彼女は真姫。俺の……恋人だよ」

「……恋……人……?」


 思い浮かべるのは、パールの姿だった。

 その立ち振る舞い、その存在。

 その少女は、色々な意味で、パールに酷似していた。


「……ねえ、ムサシ……あんた、わかってるの……?

 その女は……その女は……」


 言葉はそこから続かなかった。

 どれだけ口を動かそうとも、それ以上はどうしても自分の身体じゃないかのように動いてくれない。


 ――駄目よ、それ以上は。

   それ以上しゃべるのなら、わたしもあなたのことを、うっかりしゃべってしまうかもしれないわ。


「―――――」


 確信する。

 それはパールと酷似しながら、パールとは全く違うものだった。


 この国の人たち全員から恐れられている、本来の姿そのもの。

 人の心を誑かし、喰らい、操る。

 この国の人たち全員が子供のときから聞かされる、悪魔レヤックそのものだった。


「……ムサシ……帰って」

「カルナ……?」

「あんたは……帰りなさい!」

「だけど、サラスは……」

「いいから!!

 ……お願い……帰ってよ……」

「……………」


 再び扉を開けようとするムサシだったが、それを強硬にカルナが防ぐ。

 やがてムサシは観念したかのように、伏し目がちでその場を後にした。


 ――安心して。あなたはパールという子と違って、武蔵の中から消さないわ。

   だって、その方が、あなたは怖いでしょ?


 レヤックもそんな脅迫を残して、ムサシの後ろを付いて行った。


「……………」


 カルナは、ムサシたちがいなくなっても、しばらくその場から動けなかった。


 恐怖。悲しみ。悔しさ。

 それらの感情だけは、いつまでも残り続けて、カルナの目頭を熱くさせた。

 だけど、もうカルナは泣かなかった。

 もう、絶対に泣くもんかと、今度こそ心に決めたのだ。


 もう誰も助けになど来ない。

 もう誰にも甘えることなどできない。

 もう泣いてなんていられない。

 絶対に強くならなくてはいけない。


 だって、カルナの好きだったムサシは、もうどこにもいないのだから――

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