第187話 最強剣士は夢の中
栄介は呆然と立ち尽くしていた。
武蔵が一瞬のうちに、ロボットを細切れにした瞬間も。
それに合わせたかのように、真姫や倉知、ものりや任までも合流した瞬間も。
倉知がコックピットのハッチを開け、真姫が遥人の無事を確認すると、溜まらずにものりと任がそこに飛び込んだ瞬間も。
栄介だけが、ただその光景を、呆然と見つめていた。
「――ムサシくん」
首からぶら下げたネックレスを握り締めて、パールは泣いていた。
言葉がなくても、止め処なく溢れてくる想いは、今やこの場にいる全員に届いてしまっている。
会いたかった。淋しかった。よかった。また会うた。また会えて、嬉しい。愛してる。
「……パール……」
武蔵も戸惑った様子で、胸元を強く掴んでいた。
彼の心の声が聞こえるわけではない。
だけど、その心は強く揺さぶられているのだと、手に取るようにわかる。
過去に、武蔵が一度だけ、そんな顔をしていたのを、栄介は覚えている。
それは真姫が震災に巻き込まれた後のことだ。
連絡が取れずに安否も分からず、一晩明けてようやく消息がわかったときと同じ表情だった。
そこにどういう類の感情が含まれているのか、仲間内でわからない人はいない。
「――パールっ」
ゆっくりと、パールへと近付いていく。
「ムサシくん……―――……―――っ!!」
栄介にその言葉がわからない。
だけど、気持ちは届く。
わたし、がんばったんだよ。また会えるって、信じて、がんばったんだよ。
もしかしたらニッポンに行けたら、ムサシくんに会えるんじゃないかって思ったこともあったよ。
でも、一緒に生きるって、約束したから、がんばったんだよ。
病気を治して、ムサシくんとサラスと、三人でムングイに帰るって、約束したから、がんばったんだよ。
苦しくて、死にそうで、負けそうだったけど、絶対に病気に勝つんだって、がんばったんだよ。
だってわたしは、ムサシくんの奥さんだから。無敗の剣士の奥さんだから。
だから、わたしも負けちゃ駄目だって、がんばったんだよ。
髪の毛だって、また生えてきたよ。
ニッポンゴも、前よりも覚えたんだよ。
身体だって、少し、大きくなったんだよ。
少しだけ、大人になったんだよ。
ねえ、ムサシくん。ムサシくんは、ちゃんと帰ってくるって言ったから、待ってたよ。
ムサシくんが帰ってくるのを、ずっと待ってた。
また会えた。嬉しい。また会えた。よかった。
大好き。愛してる。ムサシくん。
心を締め付けられるのは、どうしてか。
その気持があまりにも悲痛で、報われたことによる歓喜からか。
それともその絆に一点も曇りがないからか。
あまりにも真っすぐ過ぎる気持ちに、栄介は悟った。
これには勝てない、と。
「――パール」
二人でどれだけの苦難を歩んできたのか、栄介は全てを知ることはできない。
だけどパールから漏れてくる声には、そこに誰も割って入ることはできない、そう思えるだけの重みを感じた。
だけど――それを――
「武蔵」
その呼び声だけで、真姫は簡単に断ち切った。
「その子は、誰かしら?」
「―――――」
その声だけで、武蔵の足は止まる。
まるで鎖で縛り付けられたように、微動だにしない。
「――ムサシ……くん?」
例え、パールが呼び掛けたとしても、
「――ううん、なんでもないよ、真姫」
「―――――」
武蔵は、パールに背中を向けたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
武蔵の登場は、山の中腹からでも見えていた。
颯爽とパールを助け出す主人の姿に、胸をすく思いだった。
さすが私のご主人様。
クリシュナはその展開は気に入らなかったのか、それとも縛られて連行されているのが単に悔しいのか、殊更ゆっくり歩いていたが、サティとしても別段急ぐ必要もなかったので、定期的にクリシュナをわざと引っ張る程度で、村への帰還を急ごうとはしなかった。
今頃、パールと武蔵は感動の再会をしている。
そう思えば、急ぎ帰り着いて邪魔するのも野暮だと思った。
武蔵へ報告しなければいけないことは多い。
クリシュナが起爆装置を持っていなかったとは言え、ゴーレムに魔法の杖が積まれていることにも変わりはない。急ぎ、撤去する必要だってあった。
だからこそ、この時間くらいは、パールに独占させてあげるべきだと考えていた。
――しかしロボク村に帰り着いたサティが目にしたのは、彼女が想像していたような再会とは程遠かった。
そこにあったのはパールとではなく、サティの知らない少年少女に揉みくちゃなにされている武蔵の姿だった。
いや――感動の再会には違いないのだろうけれども、相手が違う。
状況を考察するに、恐らく栄介と一緒にいたという友達たちなのだろう。
ゴーレムに乗っていたであろう遥人と呼ばれた少年も、もしかしたらその中にいるのかもしれない。
珍しく「しまった」と自分の過ちに気付くサティ。
彼らとて、知らない世界に突然連れて来られたのだ。
友達とも離れ離れになって、どれだけ心細かったことだろう。
それを思えば、こちらはこちらで知った面々と再会できた喜びに沸くのは当然だろう。
それにしては栄介の顔が浮かないのが気になるが――。
パールの姿を探せば、遠く離れた場所で、ぽつんと立っていた。
あまりにも空気が読め過ぎるパールのことだ、きっと遠慮してしまったのだろう。
可哀想なことをしてしまった。
これならいち早く戻ってやり、武蔵を他の友達から引き剥がして、パールと二人きりにさせてあげた方がよかった。
――しかしご主人様も、ちょっと冷たすぎるのではないでしょうか? パールがどれだけ貴方との再会を望んでいたか、わからないはずがないでしょう。それに貴方だって、それは同じではないのですか?
サティとて、武蔵との再会は実に三年振り。
否が応にも、ついつい笑顔を浮かべてしまいそうになるくらいには喜ばしいのだが、ここは少しきつく言わなくてはいけない。
「――ご主人様」
「サティっ――!」
呼び掛ければ、弾かれたように友達の輪から飛び出てくる武蔵。
その様子に、サティの集積回路も思わず熱くなる――が、その姿を見たからこそ、余計に違和感が浮き彫りになる。
「ああっ、よかったっ……本当に、また、会えて……よかった」
「……ええ、私も……お会いできて嬉しく思います」
どうして――
自分に嬉しそうに近寄るのなら、どうしてパールを独りにしているのか?
あえて無視しているとしか、思えない。
「はい、貴方の夜のお供、今から私はダッチワイフのサティです」そんなお決まりの言葉も出ないくらいに、その武蔵の様子は異質だった。
そして異質さの正体に、サティもすぐに気付く。
「―――――」
武蔵のすぐ後ろ、ぴったりと寄り添うように一人の少女が付き従っている。
線が細く、それでいて鋭い、長く伸びた黒髪も相まって、まるで幽鬼のような少女だった。
――いや、本当に死霊なのかもしれない。
その少女は、実に恨めしそうにサティのことを見つめていた。
「あの……ご主人様、そちらの方は……どなたでしょうか?」
アンドロイドにしか見えない幽霊なんておかしな存在であるが、武蔵が気付いていないようであれば、間違いなく憑りつかれている。
しかし武蔵は、なんてことはなさそうに、少女をサティに紹介した。
――幽霊だった方が、どれだけよかったことでしょう。
「ああ、彼女は樹真姫――俺の恋人だよ」
「―――――え」
聞き間違えた。
一瞬でそう思うほどに、その答えはサティには受け入れられないものだった。
「くっ、あはっ、あははははははははははははっ」
聞き返すよりも早く、笑い声が響いた。
「あは、あははは、あーははははははははははっ……三年も、行方知れずの英雄が……くくっ……愛人こさえて帰ってきたってわけっすか……くっくっ、傑作っすね」
「――クリシュナっ!?」
心底人を馬鹿にしたような、そんな底意地の悪い笑い声は、先ほどまでサティの背後に隠れるようにしていたクリシュナのものだった。
こちらの様子を伺っていた武蔵の友人のうち数人が、怒りの形相で身構えていた。
「あはっ、ハルクンに、モノリサンに、タモサンもっ――三人とも、無事でよかったすっ」
「てめぇ、どの面下げて――っ!?」
「は、はる君っ、落ち着いて」
「……どうせあの状態じゃ、なにもできないよ」
ハルクンと呼ばれた少年は、きっとゴーレムに乗っていた少年だ。
納得はしてない様子だったが、あちこちが痛むのか、二人の少年少女に止められても無理に引き剥がすようなことはしなかった。
しかし、代わりにクリシュナの前に、武蔵が出た。
「……………」
「――なんすか、色男?」
「……なんで、師匠は――ヨーダは、サラスを追い出した?」
「――……はぁっ?」
「――っ」
それを聞いては駄目なことを、サティは十分理解していた。それはクリシュナにとっての虎の尾だった。
しかし、武蔵が知る術のない話だった。止めなくてはいけない。
しかし、そう思ったときには、手遅れだった。
「ヨーダが、サラスを追い出さなき、こんなことにならなかった!
あいつは、何を考えて、こんなこと――」
「アンタが、それを言うんすか!? 三年間、そこの女と乳繰り合ってただけのアンタが! 陛下が――カルナが――どんな想いでいたのかも、知らないで!!」
「……今回の件は、ヨーダとカルナも知ってるのか?」
「知るわけがないっすよ! うちの王様に、これだけのことやらかす度胸はないですし、カルナは地下牢に閉じ込めてやったすからっ!」
肩で息をしながら、クリシュナが噛み付く。
彼女がここまで感情的になるのは、珍しい。
ただそれも無理からぬことだとも、サティにはわかる。
どれだけ武蔵のことを待ち侘びたことは――。
殊、それに関してだけは、サティも同じ気持ちだった。ここに残された全員が同じ気持ちだった。
しかし武蔵には、その気持ちはわかるはずがない。
はっきりとした嫌悪が武蔵の顔に滲んでいた。
武蔵からすれば、クリシュナは、最初からずっと敵だったのかだから。
「そうか……なら、あとはヨーダに聞く。今度は、お前が、人質だ」
「かはっ――」
日本刀の柄で、クリシュナの鳩尾を一突き。
目に止まらぬ速さで撃ち出されたそれは、クリシュナは一撃で失神させた。
「サティ……みんなを頼む。
俺はこいつを連れて、ヨーダと話をする」
クリシュナを抱え上げて、すぐにでも出発しようとする武蔵。
どうしてこうなるのか、納得がいかない。
クリシュナの行いは許されるものではない。
しかし、彼女たちの行動目的を知ってるからこそ、クリシュナがあまりにも不憫でならなかった。
「ご主人様っ――お待ち下さい!」
しかし、クリシュナよりも納得いかないことがあった。
もっと不憫でならない彼女を――娘のことを、サティは一番に優先した。
「パールは……パールはどうするのですか!?」
――そのとき、ようやくサティは理解した。
目の前にいる人間が、決して彼女の知る宮本武蔵でないことを――
「……パールが、なんだって、言うんだ?」
「――っ」
サティは、生まれて初めて、怯えてしまった。
そのときの武蔵の目は、生きた人間の目ではなかった。
まるで虚空が埋め込まれたようだ。
暗い、昏い、海の底のような目――死者の目だった。
「……………」
武蔵は、それ以上もう話をすることをないと、サティに背を向けて歩き出す。
サティは、もう、武蔵を呼び止めることはできなかった。
誰だって、あんな死んだ目で見つめられては、話しかけようなど思うまい。
しかし――
「――……サラス」
その進路を、サラスが遮った。
同じような昏い目で、じーっと武蔵を見つめていた。
「……………まぁ……………ムゥ………………」
相変わらず、まるで夢でも見ているかのような、そんな惚けた顔だった。
だけど、それでも――いつもどこを捉えるでもなかった――その眼だけは、しっかりと武蔵を捉えていた。
「……………あぁ……………えぇ………………」
意味をなさない、ただのうめき声。
それでも何かを必死に訴えようとしていた。
しかし武蔵の心にまで、その訴えは届くことはなかった。
相変わらず死んだような目で、サラスのことを見つめ返していた。
「サラス……これ以上は、もう……」
そんなサラスを、パールが優しく抱き留めていた。
もし涙を流す機能があれば、このときサティは絶対に涙していた。
抱き合う二人の姿が、あまりにも不憫で、痛々しかった。
二人がどれだけ武蔵のことを待っていたか。
それを一番近くで見ていたサティだけに、神様にだって祈りたい気分だった。
どうか、この二人の想いを、聞き届けて下さい。
しかし、それで想いが通じれば、どれだけよかったか――
「――真姫」
武蔵は別の少女の名前を呼んだ。
「行こう」
「ええ」
そして二人を無視し、真姫を引き連れて行ってしまった。
後に残されたパールは、決して振り返ることのない武蔵の後ろ姿を、ずっと見つめ続けていた。
◇
「……お嬢様」
「……………」
武蔵の姿が完全に見えなくなった頃、ようやくパールに呼び掛けた。
「申し訳ございません」
なんと声を掛けていいかわからず、気付けばサティは謝っていた。
どうして謝ったのかも理解できない。
ただ、一つ、もし謝るべきことがあるのなら、
「あのクズ男はとんだロリコン野郎でした、いいえ、あの泥棒猫を捕まえてロリコンと呼ぶには、今のお嬢様とどっこいどっこいでしたが、いずれにしても――」
「……サティ」
「――然るべき処置を行うと請け負いましたが、どうすることもできませんでした、最早、弁明の――」
「サティ……大丈夫」
「――余地もありません、この落とし前は、例え刺し違えたとしても、あのロリコン野郎を駆除することで――」
「サティっ、大丈夫だからっ、わかってるからっ!」
「――果たしてみせますので、どうかお嬢様に置かれましては――……はい?」
「大丈夫……ムサシくんは、あんな人じゃないって、わかってるから……」
「……………」
恋は盲目と言うが、パールの言葉はどう受け取るべきか。
確かに、サティからしても、パールとサラスに対するムサシの態度は明らかに異常だった。まるで別人のようだった。
しかし、それでもあれは間違いなく宮本武蔵だった。
パールには申し訳ない気持ちになるが、サティに走り寄って来た武蔵の姿はとても別人だとは思えなかったのだ。
「ムサシくんね……ただいま、パールって、そう言ったんだよ……」
「……………」
「それでね……頭に触ってくれたんだよ……ちゃんと、わかってて、触れてくれたの……」
「……………」
「結婚指輪も……持っててくれた……服の下に隠してたけど……でも、ちゃんと大切にしてて……わたしが握り締めたら……ムサシくんも、同じように握り締めてくれた……」
ポロポロと涙を流しながら、パールが語る。
その姿は、確かに、サティの知る宮本武蔵そのものだった。
しかしパールとの再会がそのように果たされたのであれば、疑問は増すばかりだ。
「……では、先ほどのご主人様は、いったい……」
「……わたしには、見えたよ」
続きを促すのに躊躇する。
ギリギリと、歯軋りが聞こえそうなほど、パールは怒りを湛えていた。
パールがそれほどまでに怒っているのは、初めてだった。
「……見えた、とは?」
「ムサシくんの心を縛る鎖」
「鎖?」
「うん――ムサシくんと初めて会ったときから、ずっとあったけど……今はもっと強く、強く、結び付いてた。
……ムサシくんの心を、殺してしまいそうなぐらい、強く縛り上げてて……わたしでも、どうしようもできなかった」
抽象的な表現だったが、サティにも理解はできた。
しかし、それは――信じられない。
だって、そんなことできる人間は、この世界にただ一人しかいないのだから。
「お嬢様……それは、まさかっ」
「うん――イツキ、マヒメ……あの人は、レヤックだよ」
「……………」
ありえません――そう否定しようとして、思い至る。
武蔵の”勝利の加護”に、魔王アルクの”不老不死の加護”、さらには栄介の”鍛冶の加護”や、リオの”眺望の加護”。
異世界から来た彼ら全員には、必ず”ギフト”が授けられている。
レヤックと呼ばれる能力も、また”ギフト”によるものだとすれば――。
樹真姫に授けられた”ギフト”が、それと同様のものであるとすれば――。
「悔しい……そんな方法で……わたし、ムサシくんを取られたくない……」
「パール……」
抑えていても、漏れ聞こえてしまう。
だからこそ、それらを大切にしてきた。
パールは誰よりも人の心を大切にしてきたのだ。
だから、それはパールからすれば禁忌だっただろう。
何よりもその大切さを教えてくれたのは、他ならぬ武蔵からだった。
誰よりも人の心を大切にしてきたパールが、それを侮辱する力で、誰よりも大切な人の心を奪われてしまった。
そんなもの、彼女が認められるわけがなかった。
「イツキマヒメ――わたしは、あの人を、絶対に許さないっ」




