第183話 拳を握り締めた日
――一その少し前。
「その通り。だって、わたしは――レヤックなんだから」
拳銃を向けるシュルタに、堂々と、改めてそう名乗った。
彼に撃たれるのなら、それも構わないと思った。だけど、
「シュルタは撃てないよ。シュルタは優しいから」
「――やさ、しいっ」
否定したい気持ちが表情に出ていた。
だけど事実だった。
「わたし、行くね。わたしが行けば、全部、終わるから」
「……………」
サラスを背負い直して、シュルタの脇を抜ける。
シュルタは拳銃を向けたままだったが、最後まで引き金を引くことはなかった。
「パールっ」
怒りに震える声でパティが呼び止める。
パティは真っすぐで、その怒りが本物であることは、わざわざ彼女から感じ取らなくてもわかる。
「無視するなっ!」
あえてパールは無視を決め込む。
だって、パティと対峙して話をしたら、泣いてしまいそうだったから。
これで本当に一生のお別れかもしれない。
そう思えば、足だって止まってしまいそうだった。
「だから――」
だけど、これ以上、誰かの命を脅かしてはいけない。
これ以上、人の命を犠牲にわがままを通しては、本当にレヤックになってしまう。
それだけはパール自身が絶対に許せない。
――わたしが元凶なのだから、わたしが終わらせないといけない。
「無視すんなって言ってんでしょ!!」
「――っ!?」
頬が急に熱くなる。
体勢を崩して、サラスと一緒に転倒する。
一瞬、なにが起きたか分からず、
「ちょっ!? えっ!? えぇっ……」
顔を上げた瞬間、シュルタのどん引くような表情が目に入って、ようやく初めてパティに殴られたのだと悟る。
それも手のひらではない。全力の握り拳である。
「パ……パティ?」
誰かに殴られたなんて経験は、生まれてこの方一度も経験がなかった。
それだけに、じくじく痛みを訴える頬に手をやりつつも、呆然とパティを見上げた。
「――わたし、そうやって、甘えようとするのは、嫌い。大っ嫌い」
「えっ……」
「あんたが、パティにそう言ったのよ!」
一瞬、そんなことを言ったか思い出せなくて――すぐに思い当たる。
それはパティと初めて会ったときだった。
パティが母親を亡くしたことをサラスのせいにして当たり散らしていた。それに対してパールが怒ったのだ。
――お母さんが死んじゃったことを利用して周りに甘えるな。
確か、そんなことを言ったのだ。
「今のあんたが、それよ! 自分だけが悲しいんだ、辛いんだって顔して、勝手なことしてるわ! それが甘えてるって言ってんの!」
――意味がわからない。
何が甘えてると言っているのか。パールには本気でわからなかった。
これは決断だ。
これ以上に犠牲を出さないため。
甘えていることの対極にある。
ただパティの怒りは本物だ。
本当にそう思って、本当に怒っている。
経緯なんかは全く読み取れない。
本人の中でも理由があるのか、わからないくらいに、パティはただただ怒り、それをそのままパールにぶつけて来ている。
読み取るまでもなく、感情と行動を直結させて――。
「なにが――」
頬がじくじくと痛む。
だから、パールは――
「なにが甘えてるって言うの!?」
パールもまた本気で怒った。
なぜ殴られたのか、まるで理解できない。
向けられた怒りは理解できても、そこに至る理由まではわからない。
理解できない怒りを向けられて、パールもまた怒り返すしかなかった。
「わたしは、これ以上、誰も犠牲になって欲しくない! わたしとサラスが出て行けば、争いは終わる! それのどこが甘えてるの!?」
「甘えてるわよ!!」
「なにが!?」
「本当にわからないのかしら!? パールはレヤックなのでしょ!? なのに、あんた、全然人の気持ちなんてわかってないじゃない!」
「だから、なにが!?」
一昨日の夜も、そう語り合ったばかりだった。
しかし、そのときに感じたものとは全く違う。無性に腹の立つ言い方をされている。
レヤックであることに誇りや矜持を感じたことなんて一度もないが、それでもパールの中にある何かを否定されていると感じて、怒りが沸々と沸き上がってくる。
「シュルタが、パールのこと撃たなかったのは、優しいからじゃないわ!」
「それ、パティが言うの!? パティだって、シュルタが優しいことくらい――」
「シュルタは、パールに死んで欲しくないから、撃たなかったのよ!」
「―――――え」
沸き上がっていた怒りは、冷や水を被せられた。
「シュルタは、パールに死んで欲しくなかったから撃たなかったのに、あんたは死にに行こうとするの!?」
「べ、べつに、死にに行くなんて―ー」
「シュルタだけじゃない! エイスケや、村の人たちが、必死に戦ってる理由が、あんたにわからない!?」
「……村を、守る、ため」
「あんたとサラス様を守るためだわ!!」
「そんなこと……」
「そんなことはない」と言おうとして、うまく言葉が出なかった。
ナクラが「もうこの村を失いたくない」と語った言葉は本心だった。
だけど、その前に「貴女たちに同情したわけではありませんよ」と語った言葉は――
そこにも嘘はなかったけど、言葉以上の何かがそこにはあった。
それが感謝なのか、親愛なのか、祝福なのか――パールにはその感情がまだよくわからなかった。
それが守りたいという気持ちだったのか――?
「みんな、あんたたちを守りたいって戦ってるのに、パールは悲しいからって勝手に諦めちゃうわけ!? そんなの、甘えだわ!! パティが大好きなパールの、大っ嫌いな甘えだわ!!」
パティの言っていることは、まだパールにはよくわからない。
きっとパティにだってよくわかっていない。
彼女の気持ちはぐちゃぐちゃで――だけど真っすぐだった。
本気で怒っていて、本気でパールのことを案じている。だけど、
「でも……じゃあ、どうすればいい!? このままじゃ、みんな死んじゃう! わたしのせいで、みんな死んじゃうよ!」
それだけは覆せない真実だった。
サティはやられてしまった。
エイスケの力だけでは、あのゴーレムに対抗できるとは思えない。
どれだけこの村の人たちがパールたちのことを案じてくれたところで、想いだけではどうしようもできないことがあるのだと、パールはよく理解していた。
「あぁっ! そ、う、い、え、ば――っ!」
「ぐぇっ!?」
「えっ、えぇ……」
パールの話を聞いていないのか、パティは思い出したかのように、あらぬ行動に出た。
先ほどパールを殴り倒したのと同様、シュルタを殴り飛ばしたのだ。
この行動にはさすがのパールも開いた口が塞がらない。
「いってぇっ……なにしやがる!?」
「元はと言えば、あんたが悪いんじゃない!! パールが元凶だなんて言うから、この子がこんなにも悲観的になったんじゃない!」
そう言って、パティはパールを抱え込む。
まるでそうやってシュルタから守ろうとしているようだった。
つまりパティの考えでは、シュルタがパールに悪口を言ったから、パールは犠牲になろうとしているということなのだろう。
「え、違うよ。シュルタは全然関係ないよ」
「パールは黙ってなさいっ。
大体、あんた、なんのために騎士団に入ったのよっ? パティのことを置いてきぼりにしてまで騎士団に入ってっ……久しぶりに会えたと思えば、パールに銃なんて向けてっ! それがパティを置いてまでしたかったことなの!?」
「……………」
パティの感情が、パールに文字通り爆発しているように見えた。
一昨日の夜に語り尽くしたと思っていたが、その程度では伝え切れないものが、まだまだパティの内に眠っていたのだ。
「シュルタは、パティのこと守るために騎士団に入ったんじゃないの!? パティのこと守れるくらい、強くなりたくて騎士団に入ったんじゃないの!? なんでパティなんかに殴り倒されてるの!? パールに銃向ける前に、ゴーレムに向けなさいよ!」
「ね、ねぇ、パティ、その辺に……」
パティの気持ちもわかったが、さすがにシュルタが可哀想になってくる。
特にパティに殴り倒された下りで、シュルタも完全に俯いてしまっている。
シュルタの内に悲しみのような感情が昂ってくるの感じて、泣いてしまったのではないかと思った。
「――オレだって……」
「……?」
「オレだって、パティのこと、守りたいさ!!」
その悲しみのような感情は、怒声になって吐き出された。
その怒りは誰に向けられたものか――
「この村を守りたかったさ!! けどな、オレも!! 騎士団も!! 弱ぇんだよ!! みんなみんな弱くて立ち向かえねぇ!! オレたちは、ヨーダでも、ムサシでもねぇ!! ”勝利の加護”も持ってねぇ! なのに、あんなデカブツに立ち向かえるわけねぇんだよ!!」
不甲斐ない自分へ。不甲斐ない騎士団へ。
「……………」
それはパールと同じ気持ちだった。
他にどうしようもないからと、諦めるしかないと悔しさに唇を噛む。
――ムサシとは違う。
「……あ」
その気持ちを、パールはかつて何度となく感じ取っていた。
それはヨーダであったり、カルナであったり。
かつて多くの騎士たちが経験し、未だ騎士団という組織に根付く、絶対的な脅威への畏怖だった。
それに対して、ムサシはなんと言っていたか?
「――弱いやつが弱いわけじゃない」
「パール?」
「う、ううん」
思わず口に出た言葉は、もう口にしない。
だってそれは、パールに向けられた言葉ではなかったから。
それはカルナがとても大切にしている、カルナだけに向けられた言葉だった。
パールはそれを盗み見てしまっただけだから。
――だけど。
パールはその言葉の意味を理解していなかった。
それが今、ようやくわかったような気がする。
――ありがとう、ムサシくん。
「パティも、ありがとう。パティの言う通り、わたし、甘えてた」
「もう死にに行くような真似はしない?」
「無茶なことは、するかもしれないけど」
パティは少し考え込むような表情をしたが、
「うん、まあいっか、それで」
どこか表情の変わったパールを見て、納得してくれたようだった。
一つ深呼吸をする。
改めてレヤックの力を用いて状況把握をする。
気持ちが変わったところで、状況は変わらない。
シュルタの言う通り、ゴーレムに立ち向かえるわけがない。
何か糸口を探さないことには無茶をする前にただの無謀になってしまう。
まず強く飛び込んでくるのは、パティの気持ちだった。
それでも危ないことをしないで欲しいと願うパティに、パールはもう一度だけ感謝の気持ちを返す。
シュルタは諦めたくないと強く願っている。
この村を、パティのことを――パールのことだって守りたいと思ってくれている。
ただ方法がわからないことに苛立ちと悔しさを募らせていた。
さらに範囲を広げる。
エイスケはゴーレムに乗っている友人を止めようと決意していた。
リオも同じだった。エイスケの力になることを心に決めていた。
サティは何を思っているのかわからないが、エイスケを通じて彼女が全く諦めていないことだけはわかった。サティもまた強かった。
――ともだち……。
ゴーレムに乗っているのはエイスケの友達だった。エイスケの友達であるなら、当然、ムサシの友達でもあろう。
その友達がどうしてゴーレムなんかに乗っているのか?
もうエイスケたちの近くを離れてしまったようで、その想いはわからなかった。
「――くっ――うっ――」
無理を承知で、さらに能力の範囲を広げる。
村人の心がパールの中に入り込んでくる。
恐怖や不安、サラスに対する信頼や希望など、大勢の人の心がパールの中に入り込んできて、パールの心をぐちゃぐちゃに掻き回していく。
「ああっ……うっ……ああぁぁっ」
「パールっ? ちょっと、なにしてるの、パール!?」
これだけの人の気持ちを読み取るのは久しぶりだった。
それもムングイ王国がゴーレムに襲われたときだ。
病気のせいか、そのときよりも負担が大きく感じる。
これ以上やれば心が壊れる。暴走する。
それは承知で、さらに多くの人の心に触れていく。
これは騎士団の人たちだ。
なぜ、自分たちは戦っているのか――。
こんなところで争っている場合なのか――。
恐怖と疑問、混乱のなか、それでも出くわしてしまった機械人形たちと戦っている。
なぜ、彼女たちは戦っているのか。あれほど戦っては駄目だと話をしたのに――。
「あっ、だめっ、ちがう、ちがう、ちがうちがう!!」
ままならないことに思わず気持ちを昂らせて、繋がる人たちに気持ちを逆流させてしまった。
それは駄目だ。
無理やり気持ちを上書きさせては、心が壊れて動く死体と化す。
決してその人たちの心に侵食しないように、優しく触れ包み込み寄り添う壊さない喰わない大切に肯定して生かし個人を保ち混ざらず――
「パールっ! パールっ!」
幸いにして、今は近くで名前を呼んでくれる友人がいた。
心強い。身を案じてくれる友人がいる。それだけでどこまでも耐えられそうな気がした。
――クリシュナ、おまえ、オレたちを騙したな!?
「――っ!?」
パティと同じような気持ちをどこか遠くから響いてきた。
友人がいてくれる喜びと、騙された事実に対する混乱、怒気、不安、悲しみ。
そんな悲痛に満ちた叫びをパールは聞いた。
――見つけた、ムサシの友達……でも……。
彼の心の声に、彼が戦う理由も知る。
ただただ、友人を助けたかった。本当にただ、それだけだった。
なのに失敗してしまった。
自分のせいだと責め立て、どうか友人たちだけでも助けて欲しいと乞う。
その姿は、まるで自分のようだと、パールは思った。
「ぐっ――はぁっ――うぅぅぅ――」
「パールっ、大丈夫!?」
「はぁ……はぁ……だ、だいじょうぶ……ちょっと、無茶した、けど……」
ぐるぐるする。
視界が、思考が、どれが自分のものか明確にするまで、少しだけ時間が必要だった。
だけど、お陰で本当にしなくてはいけないことも理解できた。
「……シュルタ」
未だに項垂れているシュルタを覗き込むように話しかける。
「お願い、シュルタ、手伝って欲しい」
「オレたちに……できることなんて、なんもない……」
そう呟く言葉に、歯噛みする音が乗るのを、パールは聞き洩らさなかった。
「そんなことないっ。この村を――わたしとサラスと――パティを守って欲しい」
「できねぇよ……オレたちは、弱いんだ」
「弱くない」
「弱い」
「弱くないっ」
「弱いんだよっ! オマエも、大概にしつこいなぁっ!」
「弱くない。だって、シュルタだって、まだ諦めたくないんだよね?」
「……………レヤックが」
「そう。わたしはレヤックだから、わかるよ。
騎士団の人たちも、みんな、誰も、諦めたくないって思ってる。
みんな本当はどうしなきゃいけないかもわかってる。
みんなを守りたいって思ってる。
守るために戦いたいって思ってる。
なのに、みんなそれを口にするのを怖がってる。
それを口にしてしまうと、もっと怖い思いをしなきゃいけないから」
「……だから、弱いんだよ」
「でもっ! それでも守るために戦いたいって思ってるんだよ!
怖くても、諦めたくないんだよ!
わたしは諦めてた! これ以上は無理だって、諦めてたよ! わたしが一番弱かった!
でも、シュルタは――騎士団は違う。
今だって拳を握って震わせてるのはどうして!?
守りたいものを手放したくないから、そうやって強く握ってるんだよ!」
今更のように、シュルタはその手が血で滲むほど、強く握られていることに気付いたようだった。
「……パール、ちょっといいかしら」
おずおずと、珍しい様子で、パティはパールの前に出る。
シュルタを睨むように目の前に立つ。
「……あんた、さっき、パティのこと、守りたいって言ったわよね?
……あれは嘘だったのかしら?」
「……嘘……じゃ、ない――いってぇっ!?」
「……え………えぇ」
たどたどしい返事を返すシュルタの頭頂部に、間髪入れずにパティの拳骨が落とされる。
三度繰り返される突発的な暴力。早くも見慣れてきてしまったことも相まって、パールは最早苦笑いも出ない。
「――だったら、ちゃんと守りなさいよ」
「あっ――」
落とされた拳は、そのまま開かれて、優しくシュルタの頭を撫でていた。
それが意味するところが何か――
「あんた、パティの夫なんだから」
「―――――」
パティにはいつだって驚かれさてばかりだ。
例え心が読めたところで、一生パティがどんな行動に出るか、想像できそうにない。
それはシュルタも同じようで、ただただ呆然と頭を撫で回されていた。
「……なぁ、パール。オレ、やっぱり弱いんだよ。ムサシやヨーダのようにはなれねぇ。
だって、こいつの方が絶対に強いもん」
それを否定する余地は、確かにもうない。
さすがのパールも「弱くない」とは言えず、ただ乾いた笑いを浮かべるだけだった。
「それで――オレは、どうしたらいいんだ?」
友人たちの人生の一大事に、割って入っていいものか。
一応、パティに遠慮しつつも、パールは口を切る。
「騎士団の人たちを説得して。それでゴーレムの足止めと、ムサシの友人たちを助けて欲しい」




