第177話 お兄ちゃんの代わりに
櫓が倒壊してしまったので、少しでも見晴らしのいい場所ということで、栄介とリオは村で一番高い家の二階で待機していた。
保管庫として使用されているのだろう。風通しが良いように四方に窓が開いているのも都合が良かった。
その一つをリオが陣取って、対物ライフルを構えている。
リオには木々に隠れるロボットの姿が見えているようで、絶えずそちらを注視していた。栄介には全く見えない。
「ねえ、リオ。無理して、リオがそんな銃を使う必要なんてないんだよ?
なんだったら、ボクが代わるから、リオはパールたちと一緒に隠れてたっていいんだよ」
栄介たちが任されたのは、時間稼ぎである。ロボットが動き出さなければ何もしない。
だけど、もし遥人がまた攻めてくるようであれば、これをけん制する必要がある。
しかし、そう、それはあくまでけん制である。リオのように正確無比な射撃能力が必要というわけではないのだ。
リオは少し考える素振りを見せてから、神妙な顔で栄介に向き直る。
「お兄ちゃん、撃ちたいの?」
「まさか! ボクはただ、リオに無理強いをさせたくないだけだ」
「……心配してくれるのは嬉しいけど、でも、無理をしてるわけじゃないよ」
「そうなの?」
銃を撃つのが楽しくなったというわけではないだろう。
栄介がよく銃の試射動画を見ていたとき、リオは横でうんざりした顔をしていたからだ。
「ようやく、私にもできることが見つかったから。だから、これはお兄ちゃんには譲らない」
「譲らない?」
「お兄ちゃん、うちの道場なんて継ぎたくないでしょ?
でも、わたしに気を遣って、ずっと黙ってた。
本当はわたしが継がなきゃいけなかったのに……」
「……やっぱり、気付いてたんだ」
「去年、叔母さんから聞きました」
「あの人は……」
叔母さんとは、リオの父親の妹で、栄介の本当の母親だ。
つまりリオとは兄妹なんかではない。正確には従妹なのだ。
栄介が江野剣道場に引き取られたのは、とても簡単な理由だ。
江野剣道場の跡取りが欲しかったからだ。
リオに剣道場を継がせることが難しいとわかった父が、シングルマザーだった妹から、栄介を引き取ったのだ。
「わたしのせいでお兄ちゃんは、剣道をやらされてきた。
本当は剣道なんて、好きでもないのに」
「……………」
栄介が物心着く頃には、すでに江野剣道場を継ぐことが決められていた。
栄介はそれが堪らなく窮屈に感じていた。
銃が好きになったのも、きっとその反抗心がきっかけだろう。
「だから、ずっとお兄ちゃんの代わりにできることがないかって考えてました」
「それが……それ?」
栄介が対物ライフルに目をやると、リオはより一層それを強く握り締めた。
「お兄ちゃん……なんだか、銃を怖がってるように見えました。あれだけ、好きだったのに、なるべく遠ざけようとしてるんじゃないかって……」
気絶していたリオは、栄介が人を殺してしまったことを知らない。
あえてそれをリオの前で告白するのは、まだ今の栄介には難しかった。
それでもリオは、栄介の心の変化を敏感に感じ取っていた。
「今のわたしなら、お兄ちゃんの代わりに、撃てるから。
ううん。きっと、この目なら、お兄ちゃん以上に、うまく岸先輩のこと止めてみせます」
考える。
中学に上がった辺りから、リオの態度が妙に余所余所しくなっていたことは感じていた。
どこか遠慮しているリオの様子は、それこそ無理をしているように思えた。
だから――
「わっ? わわ!? お、お兄ちゃん!?」
栄介はリオの頭を鷲掴みにするようにして、わしゃわしゃと強引に撫でた。
「ボクがリオの代わりだとか、そんなこと考える必要なんてないよ。
本当の兄妹じゃなかったとしても、それでもボクはリオのお兄ちゃんなんだ。
だから、リオはリオのしたいようにしたらいいんだよ」
「―――――」
「……?」
困ったような、それでいて照れたような表情を浮かべていたリオが、一変して物凄い怖い顔で睨んでくる。
とても大切なことを間違えたと言わんばかりに、何かを視線で訴えてくる。
しかしそれも長くは続かず、リオは大きくため息を吐いて、一言
「……お兄ちゃん、パールさんのこと、好きですよね?」
「……………は?」
突然、突拍子もないことを突き付けてくる。
「な、な、な、なに言ってるのさ!? べ、べつに、好きとか、そんなんじゃなくて! た、確かに、可愛いと思うし、ほ、包容力って言うのか、なんか、なんでも打ち明けられるような、安心感があるし、可憐で、守ってあげたいって言うか……そう! 守ってあげなきゃって、思ったんだよ!」
「……それ、好きだから、守りたいって思ったんじゃないんですか?」
「え、えー、そ、そうかな? そ、そうなの?」
正直、意識していなかった。
確かにパールにすっかり甘えている。
パールのたどたどしい『大丈夫』『優しい』という言葉に、栄介がどれだけ救われたのか、自分でも計り知れない。
しかし、まだ出会って三日しか経っていない。
一目惚れを信じない栄介からすれば、まだ早いという気持ちが強かった。
ただ、まだ早いと思っている時点で、相当意識しているのではないかという気持ちも沸き上がり、赤面してしまう。
リオの呆れ果てた表情を見ていると、ますますそうなのではないかという気になってくる。
「……わたしも、パールさんのこと、好き。
うまく説明できないけど、パールさんは、すごい、です。
……この人には、勝てないって思いました。
だから、この人なら、いいかなって……」
「い、いいかなって……なにを?」
「だから! わたしもパールさんのこと守りたいって思ったの!!」
「リ、リオも、パールのこと、好きなの?」
「……だから、そう言ってるじゃん………ばか」
「へ、へー……ふーん……そ、そう……」
どう反応していいかわからない。
妹がパールのことを好きだと告白してきたことも含めて、栄介の理解の許容量を軽く超えてしまっている。
妹が恋のライバルになるとか、異世界転生した事実よりも衝撃である。
精一杯、落ち着きを取り戻そうと、深呼吸を繰り返す。
「じゃ、じゃあ、今は、二人でパールのことを、守ろう……か?」
そして出た結論がそれである。
なにか議論からズレた答えような気もする。
リオも思わずキョトンとした顔で、栄介の顔を見上げていた。
しかし、それでもリオには納得のいく答えだったようだ。
「――はい」
リオはそう微笑み返し、対物ライフルを握り直していた。
その笑顔が見れただけで、栄介も少しばかり気持ちの余裕を取り戻せた。
「あ、あと、一つだけ訂正。ボクは別に剣道が嫌いなわけじゃないよ」
それはリオの勘違いだ。
確かに、勝手に剣道場を継ぐことが決められてしまい腹を立てていたが、それとこれとは話は別だ。
「本当に嫌いだったら、きっと、本気で止めてたと思う。
それでも剣道を続けてきたのは――」
――武蔵に負けたくなかったからだ。
皆が皆、宮本武蔵に一目を置いていた。好意を抱いていた。
父も、真姫も――。
そんな武蔵に負けたくなかったし、そのために努力することは苦ではなかった。
だからこそ、武蔵が剣道を止めると言ったとき、栄介は――。
「お兄ちゃん……あれ」
思考はそこで一旦中止する。
リオの示すそれは、栄介の視力でも十分に認識できた。
「……うん、見えてる。できれば、遥人には、最後まで我慢しててもらいたかったけど……」
村からやや離れた場所で、木々を薙ぎ倒しながらも、ゆっくり立ち上がるロボットの姿が見えた。




