第176話 ヒーローにはなれないⅠ
自分はヒーローにはなれないと気付いたのは、いつ頃だっただろうか?
あれは遥人たちが小学校四年生のときだった。
学校行事で、近所の古墳を見に行くとかで、近場の山へ遠足に出掛けた。
その途中、ものりが「ケサランパサランを見つけた」と大騒ぎを始めた。
「ケサランパサランだよ? ケサランパサラン! はる君知らないの?」
「あー、知ってる、たんぽぽの進化系みたいなやつだろ?」
「ちーがーう! なんでも願いを叶えてくれるフワフワだよ! おしろいで増えるから、無限に幸せになれるんだよ!」
「なにそれ……この前、うちに来た宗教の勧誘よりあやしいんだけど」
「怪しくないよ! ケサランパサランは実在するの! おばあちゃんのお友達のお姉さんの妹さんも、ケサランパサランで宝くじが当たったって言ってたもん。そのお金でケサランパサランの養殖に成功して、おしろいにして一財産築いたって言ってたもん」
「それ、おばあちゃんの友達じゃないんかい。あと金が先かケサランパサランが先か、なんかよくわかんねぇんだけど」
「とーにーかーくー! いたの! ケサランパサランが! いたの! 一緒に探しに行こうよ!」
「えー、オレはいいよ。どうせ、たんぽぽだろ。そしてどうせものりと一緒に行けば迷子になるのは目に見えてる」
「うー! いいもん!! 宝くじが当たって、ものりがブロッコリーパーティーやっても、はる君は招待してあげないんだから!」
「招待されても行くかどうか悩むな、そのパーティー」
突っ込んだ頃には、ものりはもうケサランパサランを探しに走り出していた。
そして、案の定、ものりはそのまま迷子になった。
正直、いつものことかとあまり気にも留めなかった。
ものりの奇行は今に始まったことではない。
それがいつものことではなくなり始めたのが、日が暮れ始めた頃だった。
いつまで経ってもものりが見つからなかったのだ。
さすがの遥人も責任を感じ始めた。
――あのとき、オレも一緒に行ってれば。
捜索は大人たちに任せて子供は帰れと言われたが、そんなものは無視して、遥人は一人山奥へと走り出した。
そして二重遭難した。
完全に日は暮れ、夜になってしまった。
それでも遥人は諦めなかった。
ものりはオレが見つけてやる、と。
しかし時間は無常にも過ぎていき、手足の擦り傷ばかりが増えていく。
焦りと恐怖で慎重さは欠き、がむしゃらに山の中を走り回るばかり。
そんな有様では当然の結果だろう。
足を踏み外し、斜面を滑り落ち、足を挫いて動けなくなってしまった。
真っ暗な森の中、寒さも相まって、ようやく頭が冴えてきて――気付く。
――オレは、なにもできねぇんだな。
ものり一人探すのなんて、訳ないと思っていた。
ちょっとしたかくれんぼの延長程度の認識しかなかった。
しかし、結果的には何もできなかった。
それどころか、このまま動けないまま、死ぬかもしれない。
そう思うと、途端に心細くなった。
込み上げてくるものを抑えることができずに、声を上げて泣いた。
――オレは、なにものにもなれねぇんだな。
そう思い知らされた瞬間だった。
◇
自分が頭の足りない人間だということはわかっている。
それでも考える。
この状況を打破するのに、どうすればいいか。
栄介とリオを、魔女の洗脳から解くのにどうすればいいのか?
しかし考えても考えても、遥人には短絡的な考えしか浮かばなかった。
すなわち、栄介とリオを傷付けないようにしながら、魔女を倒す。
できるかできないかと言われれば――できるだろう。
なにせ遥人には今、エイブル・ギアがある。
遥人以外の誰にも乗りこなすことができない、遥人だけのスーパーロボット。
栄介たちと戦闘になった場所を避けるよう回り込み、別方面から魔女を探す。
結局、栄介たちとの戦闘を避けて、一度森の奥まで撤退した遥人が思い付いたのは、それだけだった。
『ねぇ、はる君、やっぱり、もうやめようよ! こんなの、ぜったいに間違ってるよ!』
スピーカー越しに、ものりの甲高い声が響く。
ずっと無視をし続けたが、拡張された彼女の声は頭にガンガンと響いて耐え難い。
「やめるわけにはいかねぇだろ! 魔女のやろう、栄介とリオちゃんを操って戦わせてるんだぞ!
ものりだって、リオちゃんの声、聞いてただろ? 完全に魔女を妄信する信者にされちまって……」
『でもでも、りっちゃんの言う通りだよ! わたしたち、魔女さんのこと、よく知らないんだよ?
えーちゃんや、りっちゃんとも、まだちゃんと話し合ってない。だから、ちゃんと話をしようよ、ね」
話し合おう。
なにかあれば、ものりはいつだってそればっかりだ。
「話せばわかってくれるよ」「けんかはよくないよ」「話し合おうよ」
「それで、おまえまで操られたらどうするんだよ! それで、おまえまでオレの邪魔するのかよ!?」
『はる君……』
スピーカー越しに、ものりが泣きそうになっているのがわかった。
だけど、うんざりだった。
そんなことで何でも解決するなら、ヒーローなんていらない。
こんなロボットだって、いらないのだ。
『……わかった。
それなら、ボクが、守さんの代わりに、話し合いに行くよ』
「……?」
その声が、任のものだと気付くまでに、少しばかり時間がかかった。
普段の吃った声からは想像もできないくらい、そこにははっきりとした決意のようなものが感じられた。
「――ば、ばかか、おまえは! おまえが、行ったって、操られたら同じだろうが!」
『もし、そうなったら、僕のことは、思いっきり蹴飛ばしてくれたって構わない!』
「―――っ」
今、任はどんな顔付きで、その言葉を発したのか。まるで想像ができない。
ただ、遥人はその声に完全に気圧されてしまった。しかし――
『あ……あ、で、できれば、その、エイブル・ギアから、お、降りて、から、で、お、お願いします』
今更、自分が何を言ったのか気付いたのだろう。
急に、また、任はいつも通りの調子に戻っていた。
それに遥人は、一気に気を抜かれてしまった。思わず、笑みまで零れた。
「はぁ……いいよ、じゃあ、それで。
タモさんが話し合い終わるまで、待っててやるよ」
『え? ええ!? ほ、ほんとに? ……え、ぼ、僕がやるの!?』
「おまえがやるって言っただろ!」
いまいち何がしたいか判然としない任だったが、遥人だってもう引いてやるつもりはない。
だって、任にそう言い続けてきたのは、他ならぬ遥人だったから。
『言いたいことがあるなら、はっきり言え』
任は今、初めて言いたいことをはっきり言ったのだ。
「その代わり、おまえまで操られて、オレに銃を向けてきたら、容赦なくボコるからな」
『そ、それは、エイブル・ギアを降りてからだよね?』
「おまえのがんばり次第だな」
『……ぜ、善処します』
きっと遥人とものりの二人きりだったら、こうはならない。
一頻りものりと口論になり、そして痺れを切らしたものりが飛び出して行っただろう。
いつぞやの後悔のように、また同じことを繰り返しただろう。
そう思えば、本当に任がいてくれてよかったと思えた。
色々な意味で、遥人はホッとしていた。
『タモさん……』
『だ、大丈夫だよ、僕は、守さんほど、うまく喋れないし、ひ、人前に立つと、緊張して、頭真っ白になるし、すぐ逃げだしたくなる弱虫だけど……だけど……だ、大丈夫かな?』
『や、やっぱり、ものりも着いて行くよ!』
「いや、おまえ、ほんとに、さっきの覚醒、一瞬だったな! いいから早く行けよ! オレの気も変わんぞ!」
『うう、ほんとうに、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう……』
なんとも締りが悪い。
それでも、後ろ髪引かれながら、任が出て行く様子がスピーカー越しに感じられた。
しかし――
『――させないっすよ?』
スピーカーから大反響で響いた銃声に、遥人は心臓が止まるかと思うほど驚いた。
何が起こったのか? 冷汗が止まらない。
『――タモさん!? タモさん!! い、いやっ、タモさんっ!!』
「おい、ものり!? なにがあった!? ものり!!」
悲鳴を上げるものりに呼び掛けても、半狂乱のようなものりは答えてくれない。
その代わりにスピーカーから返ってきたのが、
『ハルクン? What's wrong? ウチ、stop 言ってないっすよ?
Let's go to the ロボク』
日本語と英語の混じった、気持ちの悪い言葉だった。
「クリシュナ、てめぇ!! ものりとタモさんになにしやがった!?」
『I don't know。ウチ、そこに、いませーん。but、ウチ言ったっす。ハルクン is stop、kill them』
「……はぁ!?」
本当に気持ち悪い。
なにが気持ち悪いって、全くもって理解し辛いのに、どうしてか「止まったら、殺せ」だけは理解できてしまったことだ。
「クリシュナ、おまえ、オレたちを騙したな!?」
『んー? ニホンゴ、ムズカシクテ、ワカリマセーン。
でも、ハルクンはもう理解したんじゃないっすか? Do you understand?』
『や、やめて!!』
「――!!」
おちょくるようなクリシュナ声に、ものりの叫び声が反響する。
映像はない。だけど、イメージできてしまう。
銃口を向ける騎士の姿と、倒れ伏した任、そしてそれを庇おうとするものり。
『さて、ハルクン。ウチはキミがよく見えてるっすよ。キミがどう動くか、全て。
No Problem! You kill バリアン! それで、キミたち、Can Go Homeっすよ。ダイジョーブ、ウチ、ウソ、ツカナーイ』
「―――――」
ギシギシと不愉快な音が聞こえた。
それが自分が奥歯を噛み締める音だと気付くのに、時間がかかった。
遥人は歯を食いしばって、泣いていた。
何度も、ものりも任も言っていた。
クリシュナを信じていいのか?
魔女と話をしたい。
それを無視し続けて来たのが、遥人だ。
今ならまだ、どうにかなると思っていた。
だけど、すでに手遅れだったのだ。
遥人がエイブル・ギアに乗り込んだ時点で、きっと手遅れだったのだ。
だって遥人は、ロボットに乗れた喜びで、ただただ有頂天になっていたのだから。
いつだって、間違えて、後悔するのが遥人だ。
遥人は、ヒーローになんて、なれないのだ。




