第17話 取引
「……降ろしなさい」
背中から声が聞こえて、武蔵は足を止める。
目が覚めたらきっと騒ぐと予想していた武蔵としては、いつ目が覚めたのかすら気付けなかったことに内心驚いていた。
言われた通り、背負っていたカルナを降ろす。
若干地に着く足がふらつくのを見て、もう少し背負っていたほうがいいんじゃないかと思ったが、それはカルナのプライドを傷付けそうだったので黙っておくことにする。
どうせもう少ししたら日暮れになる。
馬が行方不明になってしまった以上、どのみち今日はこの辺りで野宿せざるを得ない。
頭を抱えて深呼吸をするカルナは、なにが起きたかを思い出しているようだった。
「……倒したの?」
「違う」
そして開口一番にそんなことを言ってくるのは、武蔵はやや苦笑しながら答える。
――あんな化け物をどう倒すって言うんだ。
なんて言えばいいか真剣に悩んで、
「いなくなった」
「いなくなった?」
本当は「見逃してもらえた」と伝えたかったのだが、語彙力の問題でうまく伝えることができなかった。
「ありえない」
それをどう解釈したのか、カルナは訝しそうに武蔵を睨んできた。
「本当は倒したんじゃなくて?」
――いや、そっちのほうがありえないだろう。
「本当に?」
黙って首を振る武蔵に、カルナはしつこく問い詰める。
武蔵を守るためとは言え、カルナでさえ簡単に気絶させられてしまった相手を、どうして武蔵に倒せたと思うのか、武蔵は再度苦笑い。
「……嘘つき」
「……………」
笑顔が凍る。
確かに嘘はついている。
しかし言葉がうまくしゃべれない武蔵にこれ以上問い詰めても無駄と判断したのか、カルナはそれ以上は追求してこなかった。
そう、確かに武蔵は嘘をついていた。
単純に見逃されたわけではない。
武蔵はあのメイド――ウェーブと名乗った女性と取引をしたのだ。
◇
「俺が、なにをしゃべってるのかわかるのか!?」
相手が未だ日本刀を持った危険人物だということも忘れて、メイドに詰め寄った。
案の定、武蔵の剣幕にメイドは再度日本刀を構え直す。
「ちょっと待って!! 話し合おう!!」
一ヵ月前にもカルナに同じことをしたと思い出す。
そのときはやらなかった両手を挙げて、抵抗の意思がないことを示す。
それでメイドが刀を降ろしたのは、きっとそれだけが理由じゃないだろう。
「……本当に、日本語がわかるんですか?」
「ええ、わかるわ」
サラスと会話していると、ときどき武蔵が使った日本語を使ってくることはあったが、今の会話はそういったものとは全く違う。
武蔵が投げかけた言葉に対して、それに応じた言葉が返ってくる。
日本語のキャッチボールが成立している。
凡そ一ヵ月ぶりの日本語のやり取りに、武蔵は胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「日本人……じゃないですよね?」
「ええ、日本人ではないわ」
どう見ても東洋人の顔をしていなかった。
目鼻立ちがしっかりした顔は、武蔵から見て海外の人という雰囲気だった。
しかしそんなことは些細な話だ。
日本語を喋って日本人であることを否定できる。
それはつもり日本を知っていて、日本という場所を知っていて――
――行き方も知ってる可能性がある。
「どうして!?」
「えっ?」
「あ……すみません」
自分が興奮しているのがわかる。
さらには一ヵ月ぶりに使う日本語に武蔵自身も驚くほど違和感を感じていた。
たかが一ヵ月でこれだけこの世界に馴染んでいたことに驚く。
「あの、日本へ、帰る方法を知ってますか?」
落ち着いて、深呼吸をして、武蔵は聞く。
それでもようやく帰れるという思いは武蔵を逸らせて、心臓は早鐘のようだった。
「知らないわ」
しかし、それは途端に冷や水をかけられてしまう。
「むしろ知っているのなら教えてもらいたかったんだけど……お互い当てが外れたということね」
「えっ……」
言いながらメイドは再度日本刀を構えた。
今度こそ殺そうとばかりに。
「……どうして?」
「どうしても何も、方法、知らないのでしょう?
知らないんじゃしょうがないわよね」
そう言ってメイドはにじり寄ってくる。
武蔵はただただ困惑した。
胸に込み上げた熱いものは、単に日本語が通じたからというわけではない。
武蔵の周りにはサラスを始め親身になってくれる人はいても、見知らぬ世界に連れて来られた孤独や、帰りたいという目的を分かち合える存在はいなかった。
メイドは日本語を喋り、帰る方法を知りたがっている。
それはつもり孤独を埋め合える同胞であり、目的を分かち合える仲間であることに他ならない。
それを、こんな簡単に、殺す――?
――もしかして、他にもいるのか?
それでも殺される理由にはならないが、それでも武蔵とは違うメイドの冷徹とも取れる余裕っぷりには納得がいく。
『……あの服装。わかるでしょ?』
ここに連れて来られる前にカルナが口にしたことを思い出す。
「……もしかして、サティとパールもそうなのか?」
「―――――!?」
武蔵のその言葉に今までほとんど変わらなかったメイドの表情が一変する。
「あの二人を知っているの!?」
背筋が跳ねた。
殺されると思ったのだ。
メイドの声には怒気と歓喜がごちゃ混ぜになった、そんな狂気染みたものがありありと垣間見えていて、先ほどまでとまた違う緊迫感を武蔵に与えた。
「どこ!? どこにいるの!? 教えなさい!!」
刀を地面に突き立て、メイドは武蔵の肩を掴む。
その力は肩が砕けるのではないかと思えるほど強かった。
「痛いっ! 離してっ!」
「……………」
武蔵の悲鳴に素直に従うメイドの姿を見て、武蔵は形成が逆転したことを知った。
このメイドはどうやらサティとパールを探しているようだ。
それも歯噛みしながら睨みつけてくるメイドを見るに、武蔵が元の世界に帰る方法を探すのと同じくらい必死だとわかる。
向かい合う相手が余裕がなさそうに見えると、逆に落ち着いてくるのはなぜだろう。
「……あなたも、サティもパールも、この世界に連れて来られた人なんですか?」
「それよりあの二人がどこにいるか知っているの!? 知らないの!?」
三度刀を構えるメイド。
恐怖が再び武蔵の胸に飛来してくるが、なんとか押し込める。
武蔵にとってメイドが元の世界に帰る手掛かりである可能性があるように、彼女にとって武蔵は探している相手を見つけるための手掛かりのはずだ。
なにも聞き出せないうちに殺せるわけがない。
逆に言うと、それを話してしまうと即殺されてしまいかねない。
だから迂闊にサティとパールのことを話すわけにはいかない。
「先に教えて下さい。あなた達はこの世界の人ですか?」
「……………」
メイドは今にも斬りかからんばかりに身を屈める。
脅しだと、武蔵は逸る心臓に言い聞かせる。
「……いいわ、わかったわ」
メイドは刀をスカートの中にしまう。
なんてところにしまうんだと思わなくもなかったが、それ以上に命のやり取りから解放された安堵のが大きい。
「交換条件といきましょう」
「交換条件?」
「ええ、とりあえずあなた達のことは見逃してあげる。すぐに立ち去りなさい」
緊張感から解放されたことで気が緩んだ武蔵を見て、恐らくメイドも落ち着きを取り戻したのだろう。そんなことを言ってきた。
「だけど、それじゃあ……」
思わず焦る。
それじゃあせっかく現れた手掛かりをお互いに手放すことになる。
「ええ、だから交換条件よ。
パールをここへ連れて来なさい。
そうしたら私も貴方の聞きたいことを全部話してあげるわ」
「パールを?」
取引としては確かに成立する。
武蔵は情報が手に入る。メイドは探し人と会える。
もっとも武蔵としては、パールを連れて来た直後に殺されるなんて事態も考えておかなくてはいけないのだけれども、それを横に置いておいても気かがりなことがある。
――パールだけ?
そんな疑問が顔に出ていたのか、メイドはすぐにその疑問に答えをくれた。
「ええ。あの誘拐犯に復讐したい気持ちもあるけれど、だけど娘が帰ってくるのならそんなことは些細な問題よ」
「娘!?」
メイドはサティとパールのことを「誘拐犯」と「娘」と呼称した。
それはつまり――
「ええ、パールは私の娘よ。私は誘拐された娘を取り戻したいの」
「―――――」
思いがけない話に思わず言葉を失う。
確かにパールやサティによく似ていると感じたが、それでもパールの母親だとは思わなかった。
それはすでにサティがパールの母親だと思っていたからで――
――それが、誘拐犯? どこから見ても仲睦まじい親子にしか見えなかったのに?
「――本当に?」
かろうじて口にできたそんな言葉にメイドが苦悶の表情を浮かべる。
「疑いをかけられるほど、あの泥棒女は偽物の母親を演じ切っているということね」
忌々しいと吐き捨てるメイド。
俄かに信じられないことだったが、それでも彼女の態度に嘘は感じ取れなかった。
「本当に?」
「しつこいわね。なんだったらあの泥棒女に確認してみたらどう?
私はウェーブ。あの子の本当の母親よ」
「……………」
「納得できたら、あの子を私のところに連れてきてちょうだい。
そうしたら取引成立よ」
◇
「カルナ、なに、見たの?」
「……………」
「カルナ、サティとパール、なに?」
「……………」
「カルナ、教えて」
「……ごめん、ちょっと静かにしてもらえない?」
「……………はい」
「……………ぐすん」
――なんで泣いてんの、あの人?
夜も更けた。
どうにか篝火だけは準備して、大木に身を預けて休息としていた。
膝を抱えて、顔を埋めるカルナ。
泣き顔こそ見えないが、鼻を啜る音だけが聞こえる。
結局カルナがなにを見せたかったのかよくわからなかった。
だけどわかったことは多い。
武蔵以外にもこの世界に呼び出された人がいること。
サティとパールもその仲間である可能性が高いこと。
そしてもう一つ――
――サラスが俺に倒して欲しい相手が、たぶんアレだ。
ゾンビとメイド。
この世のものと思えない醜悪。
人間離れした肉体能力を持つ可憐。
全く相反するものが並び立つ違和感と嫌悪感。
間違いないと思った。
――無理だろ。
ゾンビがどれだけ脅威なのかわからないけど、メイドの恐ろしさだけはよく理解できた。
馬に匹敵する脚力と剣戟を受け止める強靭な肉体。
倒せるわけがない。
ただ、サラスの願いを叶えなくてもいいかもしれない手掛かりはできた。
パールと引き換えに――
――いや、引き換えとは違う。
本当の母親のところに帰してあげるのだ。
それは悪いことではないように思う。
ただ、そうするとサティがどうしてパールを誘拐したのかわからない。
声が出ないのもあり、サティとは一度も話をしたことがない。
だけどそれでも人となりは十分に理解できるくらいには一緒にいた。
サティが悪い人には思えない。
ではウェーブが嘘を言っているのか?
『なんだったらあの泥棒女に確認してみたらどう?』
ウェーブがそう言っていたところを考えると、サティも恐らく日本語がわかるのだろう。
思い返せば、彼女が武蔵の言っていることを理解していた節はあった。
メモ帳をプレゼントされたのもそうだ。
あれは武蔵が「筆記用具が欲しい」と口走ったのを聞いていたからだ。
サティと一度話をする必要がある。
本当は寺院に戻る前に、カルナに色々と聞いておきたかった。
どうして武蔵にアレを見せたのか?
アレはなんなのか?
サティとパールのことを本当はどこまで知っているのか?
しかし武蔵にはそれを聞き出せるほどの言葉を持ち合わせていなかったし、カルナはカルナで情緒不安定だ。
――そう言えば、もう一つだけわかったことがあるな。
カルナはここで知り合った誰よりも泣き虫だ。
感情がすぐに表に出る。
――きっと彼女と結婚する人は大変だ。
なんとも場違いなことを考えていると自覚しながら、それでも武蔵はそんなことを考えて、今日一番心が和むのを感じるのだった。




