第169話 帰る場所を失った人たちの決断Ⅰ
仲間が死んだ。
アンドロイドと戦う以上、そのようなこともあるだろうと漠然と考えてはいた。
しかしこの三年間の戦闘において、死者はいなかった。
どこかで楽観していたところはあった。
自分たちが死ぬことはないだろう、と。
それをまざまざと見せつけられて早三日。
どこか陰鬱とした雰囲気が漂う中、その怒りや悲しみはロボク村に潜伏する魔女たちに向けられていた。
彼らに下った命令は待機だった。
理由はわかる。
敵がレヤックである以上、奇襲は不可能であり、混戦は魔女の誘惑の餌食となる。
彼らにできることは獲物を狙う獣のように、身を伏せ、相手が動き出すそのときを虎視眈々と伺うだけだった。
この状況に陥って、さらにシュルタは迷う。
――レヤックとは――パールとはなんなのか?
――パールが仲間を殺したのか?
――彼女は本当に、忌むべき魔女になったのか。
パールがロボク村にいるという事実が、またシュルタにとっては気掛かりだった。
パティと再会を果たしていることは、想像に難くない。
シュルタの知るパールとパティであれば、きっとその再会を喜び会っただろう。
しかし、それが人に謂れる魔女パールが本当の姿であったとすれば、今頃パティは――。
「また気が散ってんな、新入り」
部隊長に声を掛けられて、ようやく彼が近付いてきていたことに気が付いた。
「あ、すみません」
「まっ、いいさ。どんだけ警戒したって、レヤックに魂を持ってかれたら関係ないからな。
まったくさ、村を囲ったまま待機なんて、あの小娘はいつもいつも何考えてんだか分かんないよな」
そう愚痴りながら、部隊長はシュルタが隠れている茂みに「よっこらしょ」と腰を下ろした。
シュルタの父親よりも年配の部隊長は、先々代の国王が魔王と戦争を始めるよりも前から騎士団に所属しているらしく、隊の中でも割と高齢の部類に入る。
身体のあちこちに痛々しい古傷が残っている。今の若い騎士たちの綺麗な肌と比べれば、その戦歴の過酷さがよくわかる。
あの小娘とは、副団長のクリシュナのことだ。
古くから騎士団にいる人間は、ほとんどが裏でそう呼んでいる。
ちなみに団長のことはお嬢ちゃん呼びだ。
「このままじゃサラス様がもう逃げてるかどうかもわかんないよな」
それでもサラスのことは敬称を付けて呼ぶ。
この部隊の中には、蔑んで「魔女」や「裏切り者」と呼ぶ人も多いのに。
隊長だって、志願してサラス討伐部隊の隊長をしているはずなのに。
「なあ、新入り。ちょっと、村に入って様子見て来いよ」
「えっ――」
「お前、あの村の出身だろ。ちょっと潜入して知り合いから情報聞き出して帰ってくるくらい簡単だろ?」
突然の申し出に、すぐに思い浮かんだのはパティの顔だった。しかし、
「駄目です、隊長。俺はパー……レヤックに顔を見られてます。あんな小さな村じゃ、俺が帰って来たってわかればすぐに騒ぎになりますから、絶対にバレますって」
なぜか急に怖くなった。
口に出たのは言い訳染みた言葉だった。
そんな様子に隊長はため息を付いた。
「バレるバレないじゃ、誰が行ってもバレるっての。レヤック相手なんだからさ。
お前、鈍感な奴だな。せっかく生まれ故郷に帰って来てんだから、ちょっと顔出して来たらどうだって言ってんだよ。両親だとか、恋人だとか、いないのかよ?」
「恋っ! ――人は……いませんけど」
「なんだよ、ずっと気が散ってんのは、帰りたかったからじゃないのか?」
その通りだった。
パティがどうなってしまったか。
それを考えると居ても立っても居られない。
しかしそれでもパティと会うのが怖いと感じてしまった。
「帰れる場所があるうちに、なるべく帰った方がいいと俺は思うぞ。
ロボク村の出なら、よくわかるだろ?
俺はもう帰る場所なんてなくなっちまったからな」
「……………」
隊長に何があったのか、シュルタは知らない。
全身に刻まれた古傷の中には、爛れたものもあった。
シュルタはその傷がどういう経緯でできる傷か知っている。
重たい言葉だった。
「――隊長!」
シュルタが何かを返すより先に、騎士の一人が慌てて駆け寄ってきた。
ただならぬ気配に隊長はすっと立ち上がった。
座り込んだときのような緩慢な動きはどこにもない。
「どうした? 緊急事態か?」
「――アンドロイドが! アンドロイドの集団が西の方からやってきまして――!」
「それくらいどうしたってんだ? サラス様が仲間を呼ぶなんか、想定の範囲だったろ」
「い――いいえ! それだけじゃないんです!!
ひ、東側からも、こ、こっちは、ゴ、ゴ、ゴーレムが攻めて来ました!!」
「なにっ……ゴーレム?」
ゴーレム。
その単語にさすがの隊長も凍り付いた。
シュルタだってよく覚えている。
ムングイの街を破壊して回る巨大人形の姿は、この部隊に志願したほぼ全員が記憶の底にこびり付いている。
それが今また、ロボク村を破壊しようとしているのか――。
「お前は他の連中に騎士団全員でアンドロイドの対処に当たれって伝えろ!! いいか、全員だぞ!!
親入れ、お前は村に走って、今すぐ非難するように伝えるんだ!!」
隊長の指示に従い、やってきた騎士は無言のまま頷き、すぐさま走り出した。
しかしシュルタは思った。
「ぜ、全員……アンドロイドの相手って……じゃ、じゃあ、ゴーレムは!?」
「馬鹿か、お前は! 三年前、騎士団の全員がアレを前に、足が竦んで動けなかったんだぞ!
あんなんと戦うなんか”勝利の加護”持ちでもなきゃできるわけないだろ!」
事実だった。
シュルタだってゴーレムは見た。
まるで蟻と像ほどの差が、そこにはあった。
だけど――でも――そこには納得し難いものがあった。
「いいから! お前は一刻も早く村の連中を非難させろ!!」
「――っ!!」
でも、事実だった。
三年前、あれと戦えたのは、ヨーダとムサシの二人だけだったのだ。
”勝利の加護”を持った二人でしか、対処できなかった。
シュルタは悔しさに歯を食いしばりながら、村へ向かって走るしかなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「なるほど――そういう狙いですか」
青褪めたパールからの報告にサティは冷静に返した。
視線は知らず知らずのうちにゴーレムが来ている森の方へと向くが、当然、そこにはまだ何の姿もなかった。
しかしパールが嘘を吐くわけがない。
もう間もなく、この村にゴーレムが襲来する。
表情こそはいつもの無表情ではあったが、内心では事態の困惑さに集積回路がオーバーシュート寸前だった。
動いているゴーレムをサティは見たことなかったが、廃棄されているそれの査察を行ったことはあった。
コンセプトとしては巨大なアンドロイド。主に悪路での資材運搬や建設用途として稼働させるつもりだったようだ。
しかし巨体過ぎる故に、通常の人工頭脳ではバランス制御が上手くいかず、それらを補うために全身のあちこちにスタピライザーとしての重しを取り付けさらに巨体化。最終的には安全面において集積回路のイニシャライズが困難と判断してセミオートで妥協したという、サティからすれば無駄な足掻きの集大成のようなロボットであった。
そんな動かすだけでも無駄なロボットであり、サキが管理者権限で強制停止させたままの状態であったことからムングイ王国側に再起動させるのは不可能と判断して実質放置していた。
まさかそれを動かすとは――。
ロボク村の人たちも、まさかゴーレムを動かしているのがムングイ王国側とは思うまい。
加えて、パールの報告とほとんど同時に、騎士団とアンドロイドが接触したとの連絡もあった。
周囲でアンドロイドと騎士団が戦闘していれば、誰だって思うだろう。
アンドロイド陣営がゴーレムを引き連れて攻めて来た、と――。
「――破壊されるのは、これで三度目ですか。”仏の顔も三度まで”と言いますから、さすがに次はないでしょうね」
「え――?」
「お嬢様。ナクラ様にこの事態をお伝えして、直ちに村の方々と一緒に逃げて下さい」
「……逃げる?」
「そうです。恐らく北側であれば手薄でしょう。旧ロボク村へ向かうような道順でお願いします。
時間さえ稼げれば、スラたちと合流できるようにしておきますので」
「――サティは?」
「はい」
「サティは……一緒に、逃げる、よね?」
――これもまたクリシュナの策略のうちであるのなら、彼女はどれだけ残酷なことか。
「いいえ。私はあのゴーレムと戦います」
「――っ」
逃げることは許されない。
誰かが、ゴーレムと明確に対峙しなくてはならない。
「か――勝ち目が、あるんだよね?」
相手は全長十五メートルと凡そ十倍。重量に至っては六十トンを超える。プライバシー権を行使してあえて重量比較はしないが、比べるまでもないことだけは事実であった。
クリシュナのことだ。仮に、もし、負けそうな事態になったとしてら、最終手段も辞さない覚悟だろう。
あのゴーレムには、ソレがあるのだから。
「……………」
「――だめっ! サティも一緒に逃げるの!」
「それは出来ません」
「どうして!? 勝てないなら、逃げるしかない!!」
「それをすれば、ムングイ王国と全面戦争になるからです」
「――え……なに、それ? なんで?」
人の心が分かってしまうパールには理解できないだろう。
――いや、分かっているからこそ、人の心がどのように移り変わっていくのかに疎いのだ。
「ムングイ王国側に、あのゴーレムを動かせるような技術はないはずです。
実際に私たちも、ゴーレムをどう動かしているのか――推測できるものはありますが、断定できるものはありません。
それは、あのゴーレムの破棄に携わったムングイ国民の多くが理解しています」
山を切り開き、道を作り、時間を掛けて運び、再び道を塞ぐ。
そうまでして廃棄したゴーレムを、実は動かせるとは誰も思うまい。
「なら、あれを動かしているのは、私たち魔王の手の者です。
今まさに、魔王陣営がゴーレムを動かして、このロボク村へ攻めて来ているのです」
「……なんで? なんで、そんなことになるの? だって……そんなの、嘘なのに」
嘘を見抜けてしまうパールには理解できないだろう。
「嘘も、みんなが信じてしまえば、真実になってしまうのです」
「そんなのって――っ!」
これほどの理不尽があるのかと、今まで様々な理不尽に曝されてきたパールであっても、これは許せないとばかりに奥歯を噛む。
「――でもっ! なんでそれが全面戦争になるのっ?」
「分かりませんか?
今まで、ムングイ王国とニューシティ・ビレッジで、小競り合いこそあれ、大きな争いにならなかったのは――お嬢様が、私たちに殺人を禁止したからです」
「――っ」
「ムングイ王国とて具体的な名目もなく大々的に攻めてくることはできません。
しかしそこに大義名分が生まれてしまえば、どうでしょう?
ロボク村にゴーレムが攻めて来たというのは、騎士の一人が亡くなったのとは訳が違います。
九年前、圧倒的に不利な状況でもムングイ王国が戦争に向かってしまったのは、魔王が”魔法の杖”なんて脅威を用いていたからです」
「……だったら、なおさらサティが戦ったら、だめ……」
パールが言うのもわかる。
サティだってアンドロイドだ。
その力はそのままムングイ王国の脅威になる。
「違いますよ、お嬢様。もうお分かりですよね?
私が戦うのは、ロボク村のためです」
「……………」
そしてゴーレムがサラスと無関係であると証明するにも、それしか方法がなかった。
ロボク村を囲う騎士団は、恐らくあのゴーレムとサラスが無関係だとは思わない。
なら、せめてロボク村の人たちには、あのゴーレムがサラスとは無関係だと思わせないといけない。
生きて、あのゴーレムとサラスが無関係であることを証言してもらう人が必要なのだ。
そのためには誰かがロボク村に残ってゴーレムと戦う必要があるのだ。
「……だったら、わたしも戦う」
「いけません、お嬢様。
お嬢様はロボク村の人たちと一緒に逃げるのです」
「……嫌」
「お嬢様がここに残られては、いったい誰がサラス様はお守りするのですか?」
「……嫌」
「こんなときに、我がままを言うものではありませんよ。
お嬢様は、聞き分けのいい子だったじゃないですか?」
「――嫌なものは嫌なの!!
わたしは、もう、お母さんを失いたくない!!」
「―――――」
エプロンドレスを掴み、もう離さないとばかりにそのまましがみ付かれる。
「……ムサシくんがいなくなって……サラスもあんなことになって……お母さんまで、またいなくなったら、わたし……わたしは……」
「――……パール」
パールがもっと小さかった頃、こんなことがあったような気がした。
サティはもう覚えていないけれども、それでもこれが引き裂かれるほど嫌だったと、サティの奥底に焼き付いている。
以前のサティは、それでもそれを決意した。
だったら、今のサティだって――。
「話は聞かせて頂きました」
「……ナクラ様」
いつの間にか、村長のナクラがやって来ていた。
そこには栄介とリオの姿もあった。二人とも会話の内容までは分からなくとも雰囲気は伝わっている様子で神妙な面持ちだった。
「サティ様、お気持ちはありがたいのですが、私たちは決してこの村から逃げたりしません」
「――ナクラ様、しかし!」
「貴女たちに同情したわけではありませんよ。勘違いしないで頂きたい。
私たちは誰よりも失う悲しみを分かっています。
だからこそ、この村を再建するときに村人たち全員で決めたのですよ。
また、この村に危機が訪れた場合は、村人全員でこの村を守ると」
気持ちはサティにだってわかる。
ロボク村は一度、”魔法の杖”によって滅んでいる。
だからこそ、その脅威を理解しているはずである。
「あのゴーレムは”魔法の杖”を持っているのですよ? 今、あそこで爆発されても、私たちは負けるのです」
「それでも私たちは、もうこの村を失いたくないのです」
「……愚かです」
「そうかもしれませんね。
ですが、もう以前のような失敗はしたくないですから」
以前のような失敗――。
きっと先代の村長のことを言っているのだと、サティは理解する。
先代の村長は、失うことの悲しみに耐えられず、自らの手で全てを失う決断をした。
ナクラにはそれが許せなかったのだろう。
サティは必死で考える。
元々、指揮官として、そして子守用としても、人の心を考えて常に行動することを宿命されたアンドロイドである。
なら、ここから彼らを説得する言葉を見つけられると必死に集積回路を働かせる。しかし――
「それに私たちは諦めたわけではありません。
貴女が言ったのです。愛は世界を救うのでしょ?」
「……………」
しがみ付くパールを見下ろす。
今日、初めて「お母さん」と呼ばれた。
ずいぶんと大人らしくなったような気がしていたが、そう泣きじゃくって抱き着いてくる姿は、まだまだ子供のようで――とてもとても愛おしかった。
――この子と離れ離れになるなんて、嫌だと思った。
「……まったく。まだまだ手の掛かる。
本当にしょうがないですね」
これは我がままだ。
確実な手段ではなく、全てを犠牲にしてしまうかもしれない、最悪な我がままだ。
それでも我がままを押し通すのなら、一つだけ対抗する手段はあった。
この場に一番無関係で、何一つの非もない人物を利用する。
――本当は巻き込むべきではないのですが。
「――栄介様、折り入ってお願いがございます。
どうか、私たちを救っては頂けないでしょうか?」
「……は、え――ボ、ボクっ!?」
理解できない言語で進む話に仲間外れにしながら、急に日本語で話しかけて当事者に引きずり込む。
あのゴーレムに唯一対抗できる能力を持つ栄介に縋る他ない。
思えば、三年前のサラスもこんな気分だったのかもしれない。
サティは心を失った王様のことを思った。




