第167話 すごい
「すごい! お肉なんて久しぶりに食べるわ!
さすがピストルを持った猟師! エイスケはずっとここに住んだらいいわ! ここの村の男衆は、みんな見せかけばかりで、ずっと成果ゼロだったもの!
ほらパール!、やっぱりムサシよりもずっといい男じゃない――とパティ様始め、村の方々が皆興奮して栄介様に感謝を示しています」
「は、はぁ……」
サティに翻訳されるまでもなく、村の人々が栄介に感謝しているのはわかる。
本日の獲物である猪を前に、老若男女、皆、大興奮だった。
正直、栄介は気まずい気分だった。
なぜなら、それは栄介が仕留めたものではないからだ。
村の狩人たち(仮)に森の奥へ強制連行されたときは、森の奥で闇の儀式を行うヤバイ組織みたいなものを想像していたが、野生動物の登場に彼らが浮足立つのを見て、ようやく狩りに連れ出されたのだとわかった。
狩人たちの熱い視線が栄介の握る散弾銃に注がれていた。
嫌だなと思う気持ちは目的が分かる前とそう変わらなかった。
栄介は銃を使いたくなかった。
使えば否が応でも、自分が殺してしまった騎士団の顔を思い出すから。
ただ、それを伝える言葉もなく、また、期待されるような眼差しに耐えられず、栄介は抱えた散弾銃を撃った。
――否。
結局のところ、栄介はやはり銃が好きなのだ。
引き金の重さ、全身を貫くような反動、広がる火薬の臭い。
人を殺してしまった罪悪感はあるものの、そういったものに惹き付けられる自分を確かに感じた。
果たして、そうして撃った散弾は、しかし目の前を往く鹿に当たることはなかった。
散弾銃とは、本来、貫通力がない代わりにカバー範囲を広くした銃である。
射程も五十メートルはある。
「……あれ?」
慣れない手の痺れ、耳鳴りは、確かに銃弾が発射されたことを示していたが、結果起こったこととしてはびっくりした鹿が逃亡した程度であった。
びっくりしたのは栄介を連れて来た狩人たちも同様だった。
最初は、まあ一発じゃうまくいかねぇもんだろうなぁ、という雰囲気であったが、それが二度、三度と繰り返されるうちに、おや、これはおかしいぞと気付く。
栄介もまたムキになってくる。
最初は生き物を殺すことに抵抗もあったが、二度、三度と当たらないと、何が何でも当ててやろうという気にもなる。
しかし一向に当たらない。
そこで栄介はようやく気付いた。
自分に与えられた”ギフト”は、ただ銃を作り出せる能力なだけであり、それを扱える扱えないは全く関係がないものだった。
なまじモデルガンで射撃の真似事をして遊んでいた栄介である。
本物の重さ。本物の反動。
それらが栄介の知っているものとズレる。
狙いが定まらない。
どこを狙って撃つのが正解かわからない。
そうこうしているうちに誰がか言い始める。「俺にも使わせろよ」と。
そこからはもう、まるで幼子が玩具を取り合うような様相であった。
そのうち一人一発ずつ順番という暗黙のルールが生まれ、言葉もわからないはずの栄介までもそのルールに従って、最終的には猪を仕留めたのは元木こりのウルユさん――と後々で自己紹介された。ちなみに齢二十四、四児のパパらしい――だった。
そんなわけで、栄介一人の手柄のように扱われると非常に心苦しい。
ただ、ウルユは特に気にした様子もなく、栄介を湛えるように背中をバンバンと叩いてから、四人の子供たちを見つけては猪を囲って一緒に大はしゃぎしていた。
――気にしなくてもいいのか?
なら栄介としても「ムサシよりずっといい男」なんて言われて、浮かれてもいいのではないかと思った矢先、
「ちなみに私個人の意見としましては、ご主人様ならこのくらい朝飯前ですので、これで男性の優劣を付けるのは尚早と思われます」
「あ……はい、そうですね……」
サティがどれだけ武蔵を好きなのか、よくわかる。
――サティさんは、真姫のこと知ってるのかな……?
下世話な話ではあるが、ちょっと気になってしまった。
「うん、ムサシくん、エイスケ、みんな、すごい、おもう」
パールにそう言われ、とりあえず武蔵の三角関係は頭の隅に追いやり、今度は自分の手で仕留めてやろうと心に決めた。
そう――銃とは、命を奪うものだ。
だけど、それだけじゃない。
危険で、怖いものだけれども、それでもそうじゃない魅了されるものがあるのだと、栄介は自分が好きだったものを再認識した。
「――ん?」
ふと背中に何かが触れた。
振り返れば、そこにはリオの姿があった。
未だにまともに目が見えないから、距離感が掴めずにぶつかったのだろう。
「だいじょうぶか、リオ? 今日はご飯食べれそう?」
「……うん。たぶん。少し、慣れました」
今日一日、リオのことを放置してしまった。
目も見えず、言葉もまともに通じる相手はサティ以外にいない。
さぞ不安にさせてしまったのではないか。
そんな風に急に申し訳なく思っていると、
「うん。リオ、とっくん、がんばるを、した。わたし、いっしょ」
「……ん? 特訓をパールに手伝ってもらったの?」
「あ……はい。ちょっとだけ――見えるようになりました」
喜ばしい話だった。
それは少しでもパールとお近付きに慣れた点も含めてである。
リオは若干、人見知りする傾向があるので、パールと仲良くなれたことは尚のこと嬉しい。
「そう、なんだ。パール、ありがとう」
「ううんっ。リオ、がんばるが、あった!」
「……………」
嬉しいことなのだが――リオの表情はどこか浮かない。
「……まだ、ちょっと気持ち悪い?」
「う、ううん! そんなことない、です!
まだ、見えないときの方が多いけど……なんとなくコツは掴んだから、もう少しだと思う」
そうは言いつつも、リオは強がって無理をするタイプである。
今もまたそうなのだろうと、栄介は感じた。
もう少し、兄として気を遣ってあげないといけないと、栄介はやや反省するのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目が見えないと他の感覚が鋭くなると言う。
数日ばかりのことで、本当にそうなったのかわからない。
もしかしたら別の理由があるのではないかとも思う。
ただ、いずれにしてもリオは気付いた。
兄は今、恋をしている。
話す言葉の節々に照れや気遣いのようなものを感じ取れた。
もう何年も前のことではあるが、兄は一時期、樹先輩にも似たような声音を使っていたから間違いないだろう。
兄は一目惚れをするようなタイプではない。
樹先輩のときでさえ、何周遅れで宮本先輩に先を越された結果、誰にも想いを告げずに諦めて終わるという結末を迎えたくらいである。
リオが気を失っている間に何かあったのは明白である。
それを聞き出したいとは思わない。
そもそも兄が誰を好きになって、誰と付き合おうと、リオには関係のない話だった。
これ以上、自分が理由で、兄を縛り付けてはいけない。
ただでさえ、今でも、この目を理由に、兄に迷惑をかけている。
まともに見えない両目。
うねうねぶにょぶにょしたものしか映さなくなった瞳は、あまりの悍ましさに吐き気を催す。
このままではいけないと思う。
兄は誰かに連れ去られてしまった。
サティが心配している様子がないというのもあったが、リオも特に心配はしなかった。
兄は昔からよく色々な人に連れ去られる。樹先輩だったり、宮本先輩だったり。
昔はそんな連れ去られる兄に強引に付いて行った。
今は違う。
まともに映さなくなった両目ではあったが、どうにか村外れまでやってきて朝の続きを一人で行った。
遠くを見つめて、ピントを調整するように、その度に気持ち悪くなっても、何度も何度も繰り返した。
せめて兄の足手まといになりたくない。
せめて一人で歩けるようにならないと。
そう思った。
「おはよう」
「――っ」
誰かが近付いてきているなんて、全く気付かず、思わず肩を震わせる。
もう昼過ぎだというのに、呑気に朝の挨拶をして来たのは、兄の想い人だった。
「お……おはよう、ございます」
怖かった。
正直、今、何が起きているかわからない。
異世界転移したとか、非現実的な説明を受けたが、何一つ信じられない。
当然、兄以外の誰も信じることができず、当然、気軽に声を掛けられても、ただただ恐怖心しかない。
「……………」
「……………」
沈黙の時間が続く。
だと言うのに、パールは立ち去ろうとしない。
なにか用事があるのだろうかと考えるが、なにも思い浮かばない。
正直、目が見えていれば逃げ出していた。
兄はどうしてこの人を好きになったのか、わからない。
「あ、あの……?」
「あ、いるの、だめ?」
「……………」
駄目。緊張するし、怖いし。
でも、そうは言えない。
「こわいは、よく、ない。
うん。はなれるを、する」
「え……ええ?」
まだ何も言っていないのに、パールは退散とばかりにどこかへ行ってしまった。
そんなに怖がっているように見えたのだろうか?
しかし、しばらくすると、またしても近付いてくる気配を感じた。
「……あの、なにか用でしょうか?」
さすがに声を掛けた。
「んー……やすむは、たいせつ。あるく、ひとり、むずかしい。いっしょに、あるくは、だめ?」
驚いた。
確かにそろそろ休みたかったし、でも目が見えない中で、ここまで来るのも大変だったのに、きっと戻るのも、もっと大変だろうと感じていたところだった。
「あ、ありがとう、ございます」
この人に誤魔化しや見栄は通用しないのだろう。
不思議とそう思い、リオはそのとき素直にお礼を返した。
「あの……やさしいんですね」
手を繋いで歩く道すがら、怖いと感じていた気持ちは少しだけ薄れていた。
自然とそんな風に話もできた。
「んー……わたし、やさしい、ちがう。みんな、やさしい。リオも、やさしい」
単純な言葉ではあったが、その分ストレートで、同姓ながらドキっとした。
片言も相まって、この凄く可愛く感じた。
ただ、兄もこの雰囲気に篭絡されたのだろうと思うと、どこか納得のできない気持ちも生まれ、ついつい言い返したくなった。
「別に……わたしは、やさしくない。わたしは、我がままだから」
だから兄を家に縛り付けてしまった。
本当は、道場を継ぐのは自分のはずだったのに。
「リオ、わがまま? んー……。
リオ、ひとりで、がんばるを、する。エイスケ、めいわくを、する、を、いや。
それ、わがまま? わたし、ちがう、おもう」
「なっ――」
思わず絶句する。
どこまで知っててその発言が出たかわからないが、まるで心を読まれたような気分だった。
「あっ……ごめん、なさい」
「……………」
何に対してのごめんなさいなのか、わからない。
ただ、これ以上、なにかをしゃべるとその分だけ、心の内側を覗かれそうで、リオは再び押し黙るしかできなくなった。
「うー……ただ、わたし、おなじ、わがまま。
おおい、ひとが、めいわくを、した」
リオが黙ってしまったからだろう。
パールが焦って、さらに何かを伝えようとしている。
ただ、日本語が不得手なのだ。リオには断片的にしかわからない。
「めいわくを、する、いや。
リオ、おなじ、きもち。だから……おうえんを、するが、したい」
「……応援?」
不思議な言葉だった。
一体、なにを応援したいというのか。
「ひとに、めいわくを、ない、をねがう。
だから、がんばる、リオ、すごい。だから、おうえんを、するが、したい」
「―――――」
パールが伝えようとしていることを、リオは正しく理解できた自信はない。
片言で、言葉足らずで、きっと勘違いもあるだろう。
でも、パールの凄さだけは、ひしひしと感じた。
入り込まれたという怖さもあった。
だけど、それを認められたという嬉しさもあった。
兄が、彼女に惚れた理由もわかる。
「――あなたのほうが、すごい、です」
「……わたしは、すごい、ない。もっと、すごい、を、しってる」
淋しそうな声だった。
リオは不思議と彼女の顔が見てみたいと思った。
今、彼女はどんな顔をしているのか。
兄が惚れた女性が、どんな人なのか。
リオは目を開いて彼女を見た。
「あ――」
今まで、ぶよぶよで、気持ちの悪いものしか映さなかった瞳。
しかしその瞬間、瞳に映し出されたのは、形容できないほど美しいものだった。
そしてリオは、悟った。
これには勝てない、と。




