第166話 扱うにはあまりに簡単な力
村の朝は早い。ほとんどの村人が日の出と共に起き出して活動を始める。
「――あれ、パールは?」
「まだ寝ているそうです。
パールってば、朝が弱いのね。いくら起こしても、あと五分、とか言うのよ――とおっしゃいますが、明け方まで騒がしくされていたのに、平然としているパティ様の方が体力お化けでないかと思います」
確かに、昨晩はパールの寝室が騒がしかった。
それが明け方まで続いていた割には、パティの肌艶はとてもよかった。
サティの言い分に、なによこれくらいと言うかの如く首を竦めて、パティは朝食の支度にとっとと向かってしまった。
「――そういうわけで、栄介様。あまり不肖のずぼら娘のことは気になさらずに、どうぞ始めて下さい」
どうぞとかしこまるようなことでもないのだが。
「う、うん……じゃあリオ、目隠し取るけど、気持ち悪くなったら無理せずに目を瞑るんだよ」
神妙に頷くリオの視線を空の方に向けさせると、栄介はリオの目を覆うハンカチを外す。
サティ曰く、コントロール可能だと言う”ギフト”と呼ばれる能力。
今は、リオに少しでもまともな視覚を取り戻してもらおうと、とにかく遠いところを見る練習から始めている。
昨晩、星を見るところから始めたのだが、これがうまくいかなった。
「星……? だと思うけど……なんか、とてもピンポケして見えます。
写真に撮った夜空を、無理やり拡大させたような……大きな光が、くるくる回転してるような……? そんな風にしか見えないです……」
今のリオの目なら、月の地表だって捉えることができるだろう。
そう予想していただけに、その回答は謎だった。
リオから見える世界がどうなっているのか。より疑問を深くさせた。
結局暗すぎるというのもあり、時間を昼間に移して再開させたわけだが、果たして――。
「……昨日の夜よりは、空っぽく見えます。
でも、空ってよりは、海みたい? なんか波打ってて……今にも零れてきそうで怖い……」
「……なるほど……やっぱりこれって、目が良くなってるというよりも、全く違うものが見えてるんじゃないかな?」
栄介がどれだけ目を凝らして見ても、空は空である。
異世界であっても変わりはない。
空が波打っているだなんて。
少なくとも空を見ている分には気持ちが悪くなって吐いてしまうようなことはないようだが、それでも同じものを見ている説明とは思えない。
「お嬢様が言っていたので、間違いはないと思うのですが……。
今すぐお嬢様を叩き起こして、もう一度、鑑定してもらいましょうか?」
「いやいや、ちょっと待て! リオ、今度はゆっくり視線を下に向けられる?」
「うん……あっ」
栄介の指示に従うリオは、すぐに何かを発見した。
「あれって……岩? 地面? あっ、あっ、待って、待って! えっ、えっ、地面……地面は?――ううっ、うげぇ」
そしてすぐに餌付き始める。
そんな光景もすっかり慣れてしまった。冷静にリオの目を手で塞いであげる。
「たぶん最後に見えたのが、あの山のことじゃないかな。
なら、パールが言う通り、目が良くなったってのは間違いないかもしれない」
「となると、やはり視界の調整機能が問題でしょうか。
リオ様の見えている景色というのは、両目に天体望遠鏡を着けているようなものなのでしょう。
望遠鏡と同じと考えれば、視界の拡大や縮小も付きやすいのではないでしょうか?」
もの凄い度の強い眼鏡を常時着けている状態だから、めまいや吐き気に襲われている、ということなのだろう。
症状のイメージが湧けば、ようやく対処方法もイメージできてくるが、
「ううっ……もう、嫌……」
イメージが湧くだけに、リオの辛さもようやくわかってくるものだ。
「……一度、休憩させてもらってもいいですか?」
「ええ、それはもちろんです」
ちょうどパティが朝食を持ってきてくれたので、座って休ませてもらうことにする。
「リオ、ご飯食べれそう?」
「……ごめんなさい。今日も、無理です……」
いつまでもこの調子では、目だけの問題ではなくなってしまう。
だだでさえ、異世界なのである。ストレスも相当だろう。
いつ倒れたって不思議ではないのだ。
――かと言っても、焦ると返ってリオの負担になるか。
できることと言えば、もう少し見晴らしのいい場所で慣れてもらうくらいしかない。
山に登るか。それが難しいなら、せめて村の見晴台を使わせてもらうしかない。
「……ん?」
朝食のスープを頂きながら、そんなことを漠然と考えていると、村の出入り口付近で体格の良さそうな男たちが集まっているのが見えた。
全員が斧や鍬を装備して、何やら物々しい雰囲気だった。
「――もしかして、騎士団の人たちが攻めてきたの!?」
すわ一大事と身構える。
しかしサティは冷静に聞き耳を立てて答えた。
「いいえ。あれは狩りに出るようです。
それに、もし騎士団が攻めて来るとしても、村の方々と争いになるようなことはしないでしょう。
彼らも国民を守る立場にありますからね。あるとすれば奇襲だけです」
「あっ……そ、そう……」
大声出してしまったことに恥ずかしさを感じながら、少しだけほっとする。
騎士団の人たちは銃を装備していたのに対して、この村で銃火器の類を見ない。
もし銃器を持った騎士団に攻めて来られたら、あっという間に制圧されてしまうだろう。
この村と国の関係がどうなっているのか栄介にはわからないが、少なくとも騎士団が強行に来ることはないのだろう。
しかし――
「……斧に、鍬か……」
狩りに出るという人たちの装備を見て思う。
騎士団の装備に比べて、それはあまりにもお粗末だった。
剣や弓を持つものも一人、二人いるにはいるが、ほとんどが農具を手にしている。
――もしかしたら、ここの人たち、元々は農耕民族なのかな。
ロボク村はまだ出来て日の浅い村だと言う。
そのため食料の備蓄が少ないのだろう。
昨日から頂く食事も、それを物語るように山菜を煮詰めたスープばかりである。
贅沢を言うつもりは当然ない。
むしろ、見るからに慣れない装備で集まる男衆を見てしまうと、質素な食事でも頂くのが心苦しくなる。
なにか自分でも手伝えることがあればいいのだけれども――。
――せめて猟銃でもあれば、きっと狩りの効率も上がるんだろうけど。きっと全く見かけないってことは、国民が銃を持つのを禁止されてるんだろうな。
そんなことを考えて、感謝の気持ちを持ってスープを啜っていると、急に視線を感じた。
それは正面に座るサティやパティだけでなく、集まっていた男衆からも――一斉に注文を浴びていた。
「……えーと、あの、急にどうしたんですか?」
「……え、まさか、お気付きでないのですか?」
唯一、言葉の通じるサティに尋ねると、疑問は疑問で返された。
何を言っているのか分からないと、顔に出ていたのだろう。
サティの「お手元を」という指示に従って、顔を下げれば――
「――うわっ!?」
驚きのあまり、思わずそれを手放した。
地面に転がる音が思ったより派手に感じたのは、きっと栄介の知るそれはプラスチック製だったからだろう。
目の前に落ちたものは違う。
「さ、散弾銃――っ!?」
正式名称はレミントンM870。
ポンプアクション式散弾銃の定番中の定番。散弾銃と言えばこれって言うほど、映画やドラマでよく見かける銃が、今、現実の目の前に転がっていた。
「え――えっ!? な、なんで? い、いつから!?」
いつから自分は、こんなものを抱えていたのか?
少なくともさっきまで、この手にあったのは温かいスープが入ったお椀だけだった。
そのお椀も、今や散弾銃と一緒に地面に転がっているわけだが――。
「たった今です」
「え!?」
「たった今、突然、その銃は、栄介様の手の中に現れたのです。間違いありません。この目で見てましたから」
「え……そんな……えぇ!?」
それはつまり――”ギフト”を使ったということである。
そんなつもりはなかった。
今後、二度と使わないと決めた力を――こんなにも簡単に――。
「そのような力であることは知っていましたが、何もないところから突然現れると、さすがに驚きますね。
その……できれば、もう少し一目に付かないところで使われた方がいいかと思います。要らぬごたごたが、起こるかもしれませんから」
サティの強張った顔を始めて見た。
彼女は周りを警戒しているようだった。
村人が皆、栄介を見ている。
「ボ、ボクだって! 使おうと思ったわけじゃない! ちょっとだけ――本当に、ちょっとだけ、考えただけで!!」
「――なるほど。リオ様が制御に苦しめられているのも、当然というわけですか」
「――っ」
隣に座るリオを見る。
目が見えないリオには、何が起きたのかわからないのだろう。
ただただ不安そうな顔をしながら、身を縮めていた。
リオの苦しみがようやくわかった。
こんなにも些細なことで発動する力なんて、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているのに等しい。
「しかし……これは、困りましたね」
「……っ」
気付けば、狩りに出ようとしていた男たちが、こちらににじり寄って来ていた。
その手には斧や鍬が握られている。
「お……お兄ちゃん……」
目は見えなくても雰囲気は感じ取れるのだろう。
リオは栄介の服を掴んでいた。
パティもまだ目を白黒させている。
「サティさん……ど、どうしましょう……?」
「…………」
「サ……サティさん?」
無言のサティ。何かを思慮しているようだったが、その眼はどこか冷たい。
そしてその冷たい眼差しのまま、サティは何かを決意した。
「こうなっては仕方ありませんね」
言うが早いか、サティは散弾銃を拾うと、無造作にそれを栄介に手渡した。
「えっ――仕方ないって、なに!? これで、どうするって言うの!?」
「栄介様の本意に背くかもしれませんが、どうか頑張って下さい」
「が、頑張るって!?」
しかしサティは栄介の疑問には答えてくれず、変わりに近付いてきた男たちに、声を張り上げて何かを告げていた。
栄介の知らない言葉だ。
「おおっ!! ――!」
すると男たちは興奮したような声をあげ、
「えっ!? あ、あの!? ちょっと!?」
栄介を強引に連れ去ってしまったのだった。
「なに!? なに!? サティさん!! えっ、これ、どうするの!?」
「心配いりませんっ。どうか、栄介様は彼らに従ってくださいっ」
助けを求めるように、遠ざかるサティに手を伸ばすが、彼女はどこ吹く風という感じで、手を振っていた。
「従ってくださいって、ボク、この人たちの言葉わかんないよ!!」
「――あ……。そう言えば、そうでしたね」
「―――――」
――……え。それ本気で忘れてたの?
「――お、お兄ちゃん!? ――どこ!? どこに行くの!?」
「ボクが知りたいよ!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「へー……エイスケって、猟師だったのね。そんなに村のみんなと狩りに行きたかったのかしら。
突然、ピストルなんて取り出したから、びっくりしちゃったわ」
「パティ様、栄介様が猟師だと言うことは、お嬢様には内緒にして下さいね」
「どうして? パールだって、知っているのでしょ?」
「お嬢様、嘘に厳しいですから。私が嘘付いたって知ったら、きっと怒ります」
「へ? ……うそ?」




