第16話 戦うメイドさん
見慣れないものが多いにしても、それは武蔵の住んでいた世界でも実際にあるものばかりだった。
しかしゾンビはそうじゃない。
映画やゲームのなかのフィクションでしかないものだ。
それが実体を持って武蔵の眼前にいる。
空想上でしか存在しないものを現実で見ることは、自分の足元が崩壊するような感覚だった。
この世界がファンタジーな世界なんだと、武蔵は初めて認識した。
ここが異世界なんだと、武蔵は初めて認識した。
――せめて魔法とか、そんな夢のあるものでファンタジーを感じたかった。
遠目からではただの人影にしか見えないが、それでももう一度望遠鏡で見ようなんて思わなかった。
それだけゾンビはリアリティのあるグロテスクさを纏っていて――想像して三度、込み上げてくるものを抑えこむ。
「カルナ、あれ、なに?」
吐き気が治まったところで、カルナに向き直る。
カルナは少し怪訝そうな表情を浮かべていた。
それはまるで「あんたが知ってんじゃないの?」と言いたそうな顔だった。
そして一言、武蔵がわからない単語を口にするのだった。
「――?」
理解できなかったと首を傾げる武蔵を無視して、カルナは憎々しそうにコンクリートの建物を睨んだ。
そして徐に立ち上がった。
もう立ち去ろうと、そういうことだと思う。
確かに長いができるような場所ではない。
ゾンビ映画の通例として噛まれたらお終いという恐怖もあるが、なによりも生理的な嫌悪がどうしても拭えない。
生き物としての法則を完全に犯してしまっているそれの側にいる、目に付くところにいるのは、単純に悍ましく思うのだ。
カルナに習って立ち上がる。
「あら?」
声が聞こえたのはそのときだ。
武蔵のものでも、カルナのものでもない、第三者の声。
相変わらずの茹だる暑さを着こんでいるはずなのに、途端に寒気に襲われる。
振り返る。
コンクリートの建物がある方向とは逆の方角。
そこにメイド服を着た女性が立っていた。
サティやパールと同じ服装。コンクリート建物にいる女性たちと同じ服装。
それがどういうことか、武蔵にはわからなかった。
しかしカルナの行動は早かった。
帯刀していた剣を抜き、メイドへ肉薄。
完全に不意をついた形で、一閃を放つ。
「――なんで!?」
疑念の声は武蔵のもの。
カルナの刃はメイドを一刀両断するものと思われた。
しかし辺りに甲高い音が響いて、完全に斬れたと思われたものは斬れなかった。
メイドはカルナの剣をその腕で受け止めていた。
なにか防具をつけているわけでもない、生肌で受け止めていたのだ。
「ちっ――!」
断ち切れなかったと知ったカルナの次の行動も早かった。
そのまま力で剣を押し込み、メイドがややバランスを崩したとみるや渾身の前蹴り押し倒した。
「ムサシっ!!」
カルナが馬に向かって駆けるのを見て、武蔵も慌てて後を追う。
華麗に飛び乗るカルナに対して、武蔵は甲冑の重みもあって上半身だけ乗せるのが精一杯だった。
武蔵の不格好さを気に掛ける余裕もなく、カルナは馬を走らせる。
ここまでの道中とは違う全力の走りに、馬にしがみ付いているだけの武蔵は振り落とされそうになる。
思わずカルナの身体に腕を回す。
あとで殺されるかもなんて場違いなことを考えるが、とにかく今のカルナにそんなことを気にかけている余裕はなさそうで、必死に手綱を握っている。
お陰で大分引き離せただろうと武蔵が振り返ると、
「嘘だろ……」
そこには人間離れした脚力で追いかけてくるメイドの姿があった。
馬がどれくらいの速度で走れるかなんて武蔵は知らない。
ただ人間の全力疾走なんかより遥かに早いことくらいはわかる。
それをあのメイドは離される様子もなく付いてきている。
「カルナっ!!」
「わかってるわよ!!」
あまりの化け物っぷりに恐怖して、思わずカルナの名前を叫ぶ。
一度も振り返っていないカルナ自身は、どうやらメイドが追いかけていることがわかってたようで、尚も振り返らずに一心に前を向いていた。
そんな武蔵達に対して、メイドは追いかけながら右手を伸ばしてきた。
――なんだ?
追いつくにしてはまだ早い。全く届くわけがない右手。
途端、辺りに木霊した破裂音――と同時に重い衝撃が武蔵の肩に走る。
当然、武蔵はそんな経験をしたことがない。
ただ直感的に、銃で撃たれた、と思った。
反動で身体がのけ反る。
カルナの身体にしがみ付いていた腕は否応なく離れてしまう。
一瞬の浮遊感。
馬から身体が離れていくのを、武蔵ははっきりと視認した。
そして全身を地面に打ち付ける。
腕が、足が、腰が、ありとあらゆる骨が砕けるような衝撃が武蔵を襲う。
天も地もわからなくなるほど振り回されて、ようやく身体が止まったとき、意識が残っていたのは奇跡と言っていい。
砕けたと感じた骨もどうやら無事のようで、辛うじて手足も動かすことができた。
恐らく甲冑を着こんでいたお陰だろう。
撃たれたと思った肩も、鈍痛さえ無視してしまえば問題なく動く。
しかし僥倖なのはここまで。
武蔵の目の前にはメイドが立ち塞がっていた。
改めてメイドを見る。
よく見れば彼女はサティやパールにとてもよく似ていた。
瓜二つとまで感じないが、どこか二人の面影を感じる。
瓜二つと感じないのは、恐らくその表情のせいかもしれない。
冷徹――というより無表情。
何の感情も反映されていない顔は、ただただ武蔵を殺すことに躊躇いがないことだけは窺え知れた。
しかもいつの間に、どこから取り出したのか、日本刀のような刀まで握られていた。
――逃げなきゃ。
そう思うが、身体が動かなかった。
全身を打ち付けた痛みのせいではない。
逃げられるわけがないという諦めが、武蔵の身体から力を奪っていた。
メイドが刀を振りかざす。
――ああ、死んだな。
どこか他人事のように感じたのは、現実感があまりないせいだ。
異世界で、メイドに、日本刀で斬り殺される。
冗談みたいな組み合わせだった。
滅茶苦茶だと感じた。
メイドが刀を振り下ろす――
「ムサシっ!!」
瞬間、カルナが武蔵とメイドの間に割って入った。
戦いに割って入ったというよりも、身を挺して守るために突進してきたそれは、それでも辛うじて刀だけは剣で受け止めていた。
しかしそこまでだった。
無理な体制で割り込んだカルナは体勢を崩してしまい、その隙にメイドの強烈な横蹴りを食らい吹き飛ばされる。
近くの大木に身体を打ち付けたカルナは気を失ってしまった。
メイドの矛先が変わる。
すぐにでも倒せる武蔵よりも、戦闘力の高いカルナを先に始末しようと思ったのだろう。
刀を構えてカルナににじり寄る。
「待って……」
なくした現実感がここに来て、武蔵の胸に焦りという形で帰ってくる。
自分が死ぬのは、まだいい。
そこでなにもかも終わるから。
無責任な考えだけれども、少なくともその先のことを知らなくて済むから。
ただ、自分を助けるために命がけで飛び込んできたカルナが、そのせいで死ぬのは見てられない。
軋む骨を必死で動かし、武蔵は立ち上がる。
メイドが刀を振りかぶった。
カルナがしたように、武蔵もどうにかメイドとの間に割って入ろうと動く。
しかし、どう見ても間に合わない。
痛みを放つ全身は、思ったような動きをしてくれない。
いや、恐怖で思うように動かないだけなのかもしれない。
武蔵は自分の情けなさに、心底嫌になる。
自分が全敗の剣豪じゃなければ、ここにいるのが本物の宮本武蔵であれば、カルナを助けられたのではないのか。
刀がカルナに向けて走る。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
武蔵の絶叫が辺りに響く。
そして刀は、カルナの身体に触れる寸でで止まった。
「――えっ?」
武蔵の静止の声で、メイドが動きを止めたのだ。
本当に武蔵の言うことを聞いてくれたように、ピタリと動かなくなってしまった。
「なんで?」
やめろと叫んでおきながら、本当に止めてくれたら疑問に思うのはとても間抜けではあったが、事実武蔵はそれで止まるなんて全く思っていなかったのだ。
やがてメイドは武蔵のほうに振り返る。その表情は、今までと同じ無機質な表情ではあったが、どこか武蔵と同じ疑問の表情を浮かべていた。
そして一言――
「ニホンゴ?」
「――っ!?」
武蔵が知っている言語で、そう呟いたのだった。




