第163話 僕の役割
「エイブル・ギアに乗りたい」
「……………」
「あー、オレのエイブル・ギアー。早くまた乗りたいよ、エイブル・ギア」
「……………」
「この青空の下でエイブル・ギアで走り回ったら、気持ちいいだろーな」
「あーっ、もうっ、うるさい! そんなに乗りたかったら、早く日本語覚えてよ! に・ほ・ん・ご! どうして赤ん坊相手するみたいに、同い年の友達に日本語の勉強を教えなきゃいけないの?」
「うっさいのはものりの方だろ! 何度も言うが、クリシュナさんたちが話してるの、日本語じゃねぇからな! なんかあれば、たぶんベトナム語とか、アラビア語とか、たぶんそっち系の言葉だ!」
「ものりがベンガル語もアムハラ語もわかるわけないもん!」
「ああ、そうだろなー。英語の成績だってオレよりも低かったもんな」
「三点差だもん! スペルミスの三点差だもん! 実質、はる君より上だったもん!」
「スペルミスでも、三点差は三点差だろ!」
「じゃあ、三点優秀なはる君に聞くけど、エイブル・ギアってなんなの?」
「……いいんだよ、意味なんて、カッコよければ」
「カッコよくないよ! なんなの、エイブルって? はる君はロボットに住む気なの? あのロボットは、賃貸なの?」
「……あっ……あー、うん……あー……やべ……語感がいいと思って付けたけど……そうか、あれか……なんか聞き覚えはあったんだよな……」
珍しく遥人がものりの返しに負けて黙り込んでしまった。
エイブル・ギアとは、昼間に見つけたロボットの名前だ。
ロボットに名前がないと知るや否や、遥人が勢いで命名した。
任もものりも「エイブル?」と疑問には思ったが、遥人があまりにも「エイブル・ギア」「エイブル・ギア」連呼するので、突っ込むこともできず、済し崩しで決まった。
もう今更、取り消せないだろう。
まあ、名前の意味はともかくとして、ロボットの命名は遥人がするに相応しいと、任は思う。
なぜなら、ロボットの操縦ができたのは、遥人だけだったのだ。
任もものりも試しにロボットに乗り込んでみたのだが、うんともすんとも言わなかった。
そもそも本当に人が乗り込むことを想定していたのか、コックピットはびっくりするほど狭く、任はY軸方向に、ものりはZ軸方向に問題が生じ、乗り込むのすら四苦八苦だった。
その点、遥人は三次元で問題なかった。
そして難なくロボットを動かして見せたのだ。
誰に教わったのか。ビギナーズラックなんて言葉で片付けられないほど、最初から完璧に操縦してみせた。
そんなわけでパイロットは遥人が担当に決まり、操縦訓練の必要もないと、エイブル・ギアをその場に放置してそそくさと城に帰還することになった。
「もっと苦戦すればよかったー!!」とは帰ると聞かされた遥人の叫びだ。
そしてその後に待っていたのが、この国の言葉の勉強だった。
講師は当然、ものりが担当。
なぜかものりはこの国の言葉を日本語と言い張る。
そして、これまたなぜか、日本語で話しているのにクリシュナとも問題なく話をしている。
「え、クリシュナさんがなんて言ったか? はる君にも言葉をわかってもらわないと、指示を出すときに困るかも知れないから、覚えて欲しいって。
え? ……うん? だから日本語だったじゃない。
ん? クリシュナさんが言った言葉を繰り返すの? えー、だから――」
誰にとっても苦痛な時間が始まる。
十数分に一度は遥人とものりが言い合いになり、その様子にクリシュナはため息を吐いた。
そんなみんなの周りでワタワタするのが任の仕事。
お陰で最初に覚えたこの国の言葉は「ごめんなさい」だ。
そう言うとクリシュナは諦めた様子で手のひらをひらひらさせて返事する。
――僕は、いったい何してるんだろう……。
これは異世界転移である。
任の知っている異世界転移は異世界語の勉強から始まったりしないし、遥人もものりもそんな素振りを見せないが、間違いなく異世界転移なのだ。
この世界を救うために選ばれたのだ。
――いや、違う。
ロボットを与えられたのは遥人だった。
ものりはこの世界の人と遥人たちを言葉で繋ぐという役割がある。
では、任はなぜ異世界転移したのか?
任にだけ役割がなかった。やることがなかった。いらないキャラだった。
それこそ流れに任せて、遥人と一緒に異世界語の勉強をしているが、それだって遥人のついでだ。
クリシュナも言ったのだ。遥人にも言葉をわかってもらわないと。そこに任の名前はなかった。
――必要ないのだ。だって、ロボットは一体しかないのだから。
そもそもロボットの操縦ができなかったのだから。
「あの……ちょっと、きゅ、休憩してもいいですか?」
日本語で告げる。
クリシュナにはわからないであろう。
しかし「ごめんなさい」と言ったときと変わらず、クリシュナは手のひらをひらひらさせた。
「どうぞ」と言っているわけではない。たぶん興味がないのだ。
任はトボトボと、部屋から出た。
アニメや漫画の世界では、当然のように主役キャラにスポットライトが当たる。
視聴者に読者が注目するのは、当然のように主役キャラだし、任だってそうだった。
だから任は勘違いした。
異世界転移したのだ。
なら、自分にも当然のように、主役キャラ的な、何か、役割が与えられたのだ、と。
そんなことはなかった。
ロボットの操縦席は一つしかなく、そこには遥人が座った。完全に主人公キャラだ。
ものりはきっとヒロインだ。時に主人公を引っ掻き回し、時に主人公を助ける、そんなヒロインキャラだ。
――では任は?
今のところ、主人公の友人キャラだ。
いや、友人キャラならまだマシだろう。友人キャラは、時に主人公にアドバイスを与え、時に主人公を勇気づける。
しかし任には、人にアドバイスを与えたり、勇気づけられるような行動力はない。
オドオドウロウロするばかり。
そんなの名も無きモブキャラである。当然、スポットライトなんて当たらないし、当たったところで読者諸君を退屈させるだけだろう。
明かりが当たらないのだって、いいこともある。
現に今、この国の暑さに耐えかねて、木陰で蹲って休んでいた。日の当たらない場所はいい。涼しいのはいい。
――いいや、スポットライトなんて当たらなくて。そんなの、緊張するし、怖いし。
もしかしたらと期待した。
自分にも、もしかしたら、何か生き抜いてしまった理由があったんじゃないかと。
だけど、そんなことはなさそうだった。
やっぱり任は、どこまでいっても場違いな人間で、モブキャラで――きっと居なくなっても誰も気付きもしないのだろう。
「……いなくなっちゃおう、かな」
口にしてみると、それはとてもいい考えのように思えた。
だけど、同時に、確信めいたものもあった。
「あー、タモさん、こんなとこにいたー」
――やっぱり。
ものりを見上げる。
任には経験がなかったが、きっと母親のお迎えが来た小さい子供はこんな気持ちなんだろうと思った。
なんだかホッとした。泣きそうになるほどホッとした。
「あっ! タモさん……もしかして、泣いてた? 不安で、心配で、泣いてたりしてた?」
「うっ……あ、う、ううん、べ、別に泣いて……泣いて、なんか、ない、よ」
慌てて顔を背ける。
その様子がきっと子供っぽく見えたのだろう、ものりは悪戯っぽく笑った。
「タモさん、身体大きいのに、ホームシックなんだーなー。
あっ、ここ、涼しいね」
特に断ることもなく、ものりは馴れ馴れしい様子で隣に座る。
どうして彼女はこんなにも自分のことを気に掛けてくれるのだろう。
そんなことを口にすれば、自意識過剰と思われそうなので、絶対に口にしない。
だけど、それでも気になってしまう。
どうして?
「タモさんには言っちゃうけど……ものりもね、ちょっと不安、かな?」
「えっ……?」
「ほんのちょっとだよ! ほんのちょっとだけ、だからね!」
「う、うん……」
こんな状況なのだ。不安になって当然なのに、ものりはなぜか強がるようにそう強調した。
「はる君は、なんか楽しそうだけど、ものりはね、なんか、いやだなーって思うの。
遊びでも、スポーツでも、争ったりするのは、きらいだなー。
みんなさ、ちゃんと話し合えばいいんだよ。きっと、大体のことはそれで解決だよ」
「う……うん……」
任としては、そうとも限らないと思う。
例えばこの世界で残虐非道を尽くした魔王は武蔵に退治された。
そこにはきっと話し合いでは解決できなかったことがあったのだろう。
だけど、ものりの言いたいこともよくわかった。
暴力で解決しないで済むなら、それに越したことはない。
「きっとね、あのロボットも、これ以上、争わないように、捨てられてたんだよ」
――確かに。
あのロボットは明らかに打ち捨てられているかのように放棄されていた。
仰々しく遺跡や洞窟のような場所に隠されているというわけでもなく、まるで不法投棄された粗大ごみのようだった。
そもそもあのロボットは、誰が何のために造ったのか?
そもそも二人の魔女はロボットで戦う必要があるのだろうか?
魔女は人の心を操ると言っていたし、魔王は魔法を使うようなことを言っていた。
それに対抗する手段として、あのロボットは、やや過剰――不適格のような気がする。
ロボットを見つけたテンションで、深く考えもしなかった。
だけど、考えれば考えるほど、あのロボットは不可解な存在だった。
「あのロボット……本当に、必要なのかな?」
「そう! ものりも、そう思う!!」
――でも。
それを深く突き詰めていくと、もっと恐ろしいことを考えなくてはいけない。
クリシュナが、ロボットを使って何をしようとしているのか?
それは即ち、この国の人たちを信用していいのか、どうか、だ。
「はる君にもね、戦うのよくないって言ったんだけどね、はる君ってば、もうロボット乗れることに夢中で、全く聞いてくれないんだよ。
よかったー、タモさんだけでも、わかってくれて。
ものり、クリシュナさんにも話してみる!」
「ま、待って!!」
任自身もびっくりするほど大きな声が出た。
すぐにでも走り出しそうだったものりも、思わず竦んでいる。
ただ、もし、この国の人たちにとってロボットを動かせる遥人しか必要がないとしたら。
遥人が言葉を覚えて、もうものりは必要がない――むしろ邪魔だと判断したら。
「ク、クリシュナさんに話をするのは、その、ま、まだ、待った方が、いい、と、思う」
「どうして?」
「ま、まだ、争いになるか、わからないよ。もしかしたら、その、話し合いをするために、ロボットが必要だったかもしれないし」
苦し紛れだった。
ただ、交渉をするのに人質を様子するというのは往々にしてよくある話である。
「それって、脅迫だよー。それはそれでよくないよー」
「でも、魔王だって、ま、魔法、使うんだよ。
残虐行為をしてたんでしょ? 戦わなくても、必要なことだって、ある、の、かも、しれない」
ものりの言っていることは、はっきり言って綺麗事だ。
だけど、否定したくない。
きっとそういう綺麗事に救われることだってある。
「うーん、わかった。
タモさんが、そんなに一生懸命しゃべるんだもん。きっと必要なことなんだもんね」
「えっ!? いや、ぼ、僕は、べつに、一生懸命なんて……」
そう、救われることだってあるのだ。
任は、ようやくわかった。
任がここに来た理由は、ものりを守ること。
誰かに否定されたとしても、誰かに勘違いだと馬鹿にされたとしても、任はそう思うことにした。




