第152話 やくそく
――そろそろ、キツいな。
栄介たちが出発してから二時間は経過していた。
そろそろ足腰が悲鳴を上げ始めていた。
普段から剣道で鍛えている栄介であるが、それでも獣道と呼ぶにも満たない山の中をリオを背負って歩いているのだ。いい加減、休憩が欲しいところだった。
ただしそれを口にするのは憚れた。
――サティさんは、まだ平気なのかな?
サラスを抱えたまま先行しているサティの足取りに疲れは見えない。
それどころか、
「こっちは駄目です。藪が深すぎてこれ以上は進めません。一度引き返します」
栄介とパールが歩きやすくするために、藪を踏みならしているようだ。
グラマーな女性であることは間違いないが、がたいがいいのとは違う。
サラスが病的に細いことを加味したとしても、鍛えている栄介よりも体力があるようには思えない。
そんなわけで栄介から休憩を進言するのは、男のプライドが邪魔していた。
「……。
あーあ、サティ! やすむを、おねがい! あし、いたい! うごく、ない!」
栄介がそんなことを考えていると、栄介の後ろを歩いていたパールが突然声を上げた。
「ああ、そうですね。確かに、そろそろお薬の時間でしたね。
お嬢様が自分から言い出すなんて珍しいです。普段でしたら、時計の針をずらしてでも遅らせようとするのに」
「オクスリ……? くすり……っ、クスリ!? ――、―――――!?」
「……薬?」
「あーっ! あーっ!! あし、いたい、ない! うごく、できる! うごく、ない、は、いきる、こと、ちがう。はたらく、たいせつ。いのち、だいじに」
「はい。そうですね。命は大事です。
では、準備しますので、少々お待ちを」
パールはなんのことかわからず、キョトンとした顔をする栄介と、サラスをテキパキと降ろすサティを見比べて、
「……はい」
項垂れるように頷くのだった。
「あの、薬の準備ってなんのこと?」
サティに習ってリオを慎重に降ろしながら訪ねる。
しかし尋ねるまでもなく、どこから取り出したのか、サティはすり鉢にいくつかの固形物を放り投げてすり潰し始めた。
「お気になさらないで下さい。サプリメントのようなものです」
「はぁ」
催眠術の件といい、あまり踏み込んで来て欲しくない話なのだろうか?
「わたし、くすり、きらい」
そう言いながらも、パールはパールで水筒を用意して、サラスに飲ませてあげながら大人しく待っていた。
「薬が好きな人なんていないよ。
リオも昔はよく、飲んだ振りしては、父さんに怒られてたよ」
「いもうと、びょうき、おなじ?」
リオが何か病気をしているか聞いてるのだろうか?
「病気じゃなくて、目がよくなる薬とか言われて、父さんがよく買わされてたんだ。
たぶん、全部インチキ薬だったんじゃないかな。結局、効果があったのなんてなかったから」
なんて言ったところで、たぶん通じないだろうと思っていると、
「ひと、だます、いいこと、ちがう」
「……うん、そうだね」
パールは正確に理解して、そう返していた。
どうやらリスニングは問題ない――いや、さっき薬という単語がわからなかったようだ。
――そもそも、なんで無理して日本語を喋るんだろう?
彼女たちが言う通り、ここが異世界なら、日本語を勉強する意味があるのだろうか。
サティが完璧に日本語を喋っていることも気になる。
武蔵が教えたにしても、彼が行方不明だった一か月程度でそんな完璧に教えられたとは、武蔵の学力的にも思えなかった。
――そうなるとサティは最初から日本語を喋れたということかな? 誰が教えたんだ? しょっちゅう日本人が異世界転移してくるから、覚えるのが必須だとかな?
「パールはどうして日本語の勉強をしてるの?」
あれこれ考えているよりは聞いてしまった方がいいだろう。
「んー? ニッポン、いくのこと、はなす、できる、ない、は、たいへん」
「パールは日本に行きたいの?」
「うん! ニッポン、いいとこ。ガッコ、ある。トモダチ、いっぱい」
「――ふふふ。なにそれ」
同い年に見えるパールが、まるでこれから小学生になる子供のようなことを言うので、思わず笑ってしまった。
「……わたし、へん?」
「ああ、いや、ごめん。そういうわけじゃないよ」
「……うー、はずい? はずかしめ、された?」
「ああ、いや、全然! 全然、そういうんじゃないんだよ!」
別に変だと思って笑ったわけではない。
ただ、それがあまりにも可愛らしくて、思わず笑ってしまっただけだ。
「じゃあさ、ボクがパールを日本に連れてくよ」
それを伝えるのはやっぱり照れ臭くて、栄介は代わりにそう言った。
「ほんとー? やくそく?」
「ああ、うん、約束するよ」
「おー、ありがと。うれしい」
「―――――」
これは語彙力の問題なのだろう。
パールの言葉は一々ストレートで、ドキドキしてしまう。
「さあ、お嬢様、お薬の準備ができました。
とっとと飲んで下さい」
「うっ……」
サティの言葉で、さっきまで笑顔だったパールの笑顔は見る見る曇る。
「エイスケ、たべる? とても、おいしいよ?」
「……人、騙す、良いこと、違うよ?」
「うー! これが、いじわるなー!」
頬を膨らましながらサティからお薬を受け取り、多分、量が多いとかで文句を言うパールを見ながら、栄介は改めて思う。
――約束、守らないといけないよね。
もともとその目的ではあった。
だけど、より一層、帰らなきゃと、強く思うのだった。
◇
「……ん?」
パールが四苦八苦しながら薬を飲むのをぼーっと眺めていたら、サティとパールで二、三、言葉を交わした後、突然サティが物凄し速さで走り去って行った。
森の中とは思えない速度である。
ここまでのサラスを担いで歩いて来た体力といい、メイドさんに見せかけた忍者なのではないかと思う。
「サティさん、どうしたの?」
「んー……? ひと、ちかい。みる、を、おねがいする」
「人、近い? それって、ムングイ王国の騎士が近付いてるってこと!?」
「……しっぱいが、ある」
困った顔で頷くパール。
その視線は、今まで歩いて来た道に向いていた。
「ああ、それはそうだね……」
こんな森の中で、どうやって追いついてきたか。
そんなこと見れば一目瞭然だった。
サティがパールと栄介のために藪を踏みならして歩いたために、それが道標になっていた。
これではどこに向かっているのか知らせているようなものである。
「しんぱい……」
「そうだよね。サティさん、大丈夫かな?」
パールに同意するが、彼女は首をぶんぶんと振って否定する。
「しんぱいは、ムングイのひと。サティ、つよい」
言われて、確かにと思い返す。
サティは自分よりも一回りも二回りも大きな大男を軽々吹っ飛ばしていた。
やっぱり、メイド姿は敵を欺くための仮の姿で、本職は凄腕のボディガードなのかも――
「いやいや、相手、銃持ってたよ。やっぱり心配だって」
「ピストル、サティ、あたるは、だいじょぶ。サティ、かたい」
メイド服の下に防弾チョッキでも着ているのだろうか?
それでも手足や頭に当たればひとたまりもないと思うのだけれども。
「しぬは、だめ、ぜったい。いのち、だいじに」
パールは首から下げたネックレスを握り締めて力強くそう言った。
ある意味、この戦いは仲間同士の争いだ。
カルナという人物を含めて、あちら側にも見知った人がいるのだろう。
サティとムングイ王国の人。
どちらが傷付いても、それは悲しいことなのかもしれない。
「……そうだね」
ただ、だからと言って栄介に何ができるのだろうか?
リオを置き去りにするわけにもいかない。
「……あ」
「――っ」
銃声が聞こえた。
それも一発や二発ではなく、複数発連発だった。
大男の持っていた銃は連射できるような構造をしていなかった。
発砲音からして、十人近い人数がいるのではないだろうか?
「……十二……カルナは……いない?……これは……あっ」
目を瞑り、戦況を図るかのように、聞き耳を立てていたパールが、突然驚いたように目を見開いた。
「……シュルタ?」
「パール?」
音だけで何かわかったのだろうか?
彼女の顔を覗き込もうとすると、パールは慌てて振り返り、
「ここにいるをおねがい!!」
それだけを告げると、サティの向かった方向へと走って行ってしまった。
「え、ちょ、ちょっと、パール!?」
慌てて追いかけようとするが、栄介の後ろにリオとサラスがいることを思い出す。
パールのお願いとは、恐らくここにいてサラスを見ててということなんだろうけど、
「えっ、ちょっ、えぇ!? どうするの、これ!?」
再び銃声が響く中、栄介は追いかけることもできず、パールが走り去った方角と、リオたちを交互に見るばかりだった。




