第149話 チートⅤ 眺望の加護
「にげる……?」
「お嬢様」
「かくれる……いく、の、ばしょ、わかる、ない……どする?」
「あの、お嬢様」
「いま、かくれる……そろそろ、だいじょぶ?」
「お嬢様、どうして無理して日本語で喋られるのですか?
文法が滅茶苦茶で最近勉強をサボっていたことが丸わかりです。
僭越ながら進言しますと、見栄を張ろうとして失敗しています」
「……サティ……ことば、の、いう……はやい……わかる、ない」
困った顔ではにかむパールの耳に、メイドさんはそっと耳打ちした。
多少聞き取れはしたが、それは栄介の知らない言葉だった。
しかし、それを聞いたパールは途端に明るい顔をした。
「ほんと?」
「ええ。ただし、ご主人様はなるべく私に頼らないように努力されてましたよ」
「……が、がんばる」
パールは密かに拳を握っていた。
それを確認したメイドさんは、よしとばかりに頷き返していた。
そして歩く足を止め、改めて栄介に向き直って、
「では、ここからは私がお嬢様のわからない言葉を翻訳させていただきます。今の私は通訳のサティです。以後お見知りおきを」
丁寧にお辞儀をした。
「は、はあ……」
栄介も、サティと名乗る、この日本語ペラペラのメイドさんに倣って頭を下げる。
「ええと、江野栄介です……よろしくお願いします」
「お嬢様、今のが名前です」
「なまえは、わかる。でも、ながい。エエト、よぶの、いい?」
「……エイスケ、でお願いします」
「おねがいは、わかるっ。エイスケを、おぼえるっ」
「ええと、それで、あなたがパールさんでいいの?」
「パールサンは、ちがう。パールっ」
「……………」
これは骨が折れそうだと思いながらも、満面の笑みを浮かべるパールを見ると、栄介は何も言えなかった。
「それで、こっちが妹のリオだけど……パールさ……パールは、リオになにをしたの?」
背負う妹を見せながら問う。
レザーアーマーの男を倒した場所から、離れること十数分。
リオはここまで移動する際も眠り続けたままだった。
寝息は穏やかで、先ほどまでの苦しむ様子は一切ない。
とりあえずもう慌てるような事態は脱したのだと思うが、それでもどうして苦しみだしたのか、そしてパールに触れられた途端、どうして眠り始めたのか、全て謎のままだ。
「いもうと。ねむるを、おねがい、する」
「んん?」
「……催眠術のようなものを掛けたのです。人体に害はありませんので心配なさらないで下さい」
頭の上にクエスションマークでも見えたのか、突然、サティがフォローを入れる。
その後、またパールと二人で知らない言葉で話し出していた。
明らかに怪しいやり取り。
ここには意識朦朧としている女の子がもう一人いる。
妹の容態がかかっているのだ。さすがの栄介も不安から眉を顰める。
「催眠術ってなにっ? 本当に大丈夫なのっ?」
「はい、失礼しました。
疑われるのは無理ないと思いますが、こればかりは信じて頂く他ありません。
お嬢様の話では、もうあと数時間もすれば目覚めるとのことですので」
「……しんじるを、おねがい」
「……………」
パールに不安そうに見つめられて、栄介は再び何も言えなくなってしまった。
どうにも彼女に調子を狂わされてばかりだった。
「ただ、妹様が目覚める前に、目隠しをしておいた方がいいかと思います」
「……目隠し?」
言っている意味がわからない。
確かに、リオが苦しみ出したとき、彼女は目の違和感を訴えていた。
それと関係があるのだろうか?
「リオ、め、みえるが、とても……。ちいさいが、おおきい……。みえるが、とても、は……きもちは、わるい」
「ええと……」
「妹様は目がとても良くなってしまったようです。
そのため普通では見えないものまで見えてしまっているようです」
「それは……」
――つまりどういうことだろう?
何を言っているのかわからないというわけではない。
ただ、どうしてだとか、そんなことがあり得るのかとか、そもそもなんでそれがわかるのかとか――
リオのことだけじゃない。
今の状況全てが全て、とにかく疑問が多すぎるのだ。
「……………。
――ここに、やすむ! やすむ、たいせつっ。はたらくの、だめ、ぜったい」
「え、なんて!?」
「一旦、ここで休憩にしましょう、と、お嬢様はおっしゃってます」
「……ああ、そういうこと」
絶対ニート宣言されたので、何事かと思った。
「でも、大丈夫なの? さっきの人の仲間が追ってきたりしない?」
ここまで無理して移動して来たのは、先ほどの襲撃を警戒してのことだ。
いつ、また拳銃を持った男が襲撃してくるかもわからないのだ。
「だいじょぶ。いまは、とおい。ちかづくは、わかる」
パールの言葉を証明するかのように、サティは抱えた女の子を木の根元に横たわらせると、その子の口へ強引に水筒を突っ込んでいた。
「サティっ! ―――――、―――――――!!」
あまりに雑な扱いに、パールは目を吊り上げながら、日本語で喋ることも忘れて、慌てて水筒を取り上げていた。
――そう言えば、この子の名前も、まだ聞いてないよな。
敵が近付くとわかる仕組みはわからなかったが、一度、落ち着いて話をしたいのも事実だ。
栄介も、サティに倣って、比較的綺麗な場所にリオを降ろした。
「――じゃあ、改めて聞くけど、リオに一体なにが起きてるの?」
パールが人形のような少女に丁寧に水を飲ませてあげるのを待って、栄介は改めて聞く。
兎にも角にも、栄介としてはそれが一番大切なことだった。
「――それを説明させて頂くには、まず、ここがどこなのか、という話させて頂いた方がいいかと思います」
栄介の疑問に対して、パールとサティはしばらく相談事をした後、サティから徐にそう切り出した。
それは栄介としても、二つ目に聞きたいことではあった。
「ここはムングイと呼ばれる場所になります。
栄介様の居た日本から見れば、異世界になります」
「……異世界?」
「はい、異世界です」
「……………」
あまりにも信じ難いことをさらっと言われ、思わず唖然としてしまう。
そう言われて納得できる部分もないわけではない。
ただもちろんそれ以上に理解できない部分が多すぎる。
「……そ、その根拠は?」
「私たちが異世界から来た人間を知っているからです。宮本武蔵をご存じですね?」
「――武蔵っ?」
その確信めいた発言をわざわざ栄介に向けた以上、剣豪として誰もが知る宮本武蔵のことではないだろう。
思わずその名をオウム返しすると、パールとサティは嬉しそうに顔を合わせた。
「え、宮本武蔵って、歴史上の人物の宮本武蔵じゃなくて――あの、宮本武蔵?」
「はい、あの、宮本武蔵です」
自分で言っておいて、一体どの宮本武蔵なのだと思ったが、同時に思い浮かべた顔が同じであることは疑いようがなかった。
「え……武蔵のこと知ってるの?」
「はい。宮本武蔵は私のご主人様です」
「……ご主人様?」
その発言には疑いの余地が出てしまうが、ただ、サティの言葉に信憑性が出た。
武蔵が行方不明になっていた一か月間、彼がどこに行っていたか。
様々な噂が出た中に、異世界へ行っていたなんて説があった。
それはあまりにも現実味がなく、結局、海外誘拐説で落ち着いたが、まさかここにきて再び異世界なんて単語が出るとは……。
「……ムサシくん、いくの、ばしょ、わかる?」
胸元に下げた歯車型のネックレスを握りながら、パールが真剣な表情が聞いてきた。
それで思い出す。
ここに来る直前、武蔵を含めて、栄介の周りには七人の友人たちがいた。
気付いたときには、リオと二人きりだったが、もしかしたらあの場にいた全員がここに来ているかもしれないし……来ていないかもしれない。
「ごめん、わからない」
「……そう」
目に見えて落ち込むパール。
「あの、二人は、武蔵とは、その……どういう関係?」
自分でもどうしてそんなことを聞いたのかわからなかった。
気付けば口が動いて、そんな歯切れるの悪い聞き方をしてしまった。
それに対して、サティはよく聞いてくれましたとばかりに、胸を張って答える。
「はい。私はご主人様専属のお世話係です。ある時に通訳のサティとして、またある時はダッチワイフのサティとして、ご主人様を甲斐甲斐しくお世話させて頂きました」
「――ダッチワイフ!?」
「……だっちわいふ?」
「はい、お嬢様。ダッチワイフと言うのはですね、俗に空気人形とも言いまして――」
「あー! あー!! いい!! 武蔵とのことはもういいから!!」
慌ててサティの言葉を遮る。
行方不明だった一か月間、武蔵はいったい何をしていたのか。
ただ久しぶりに会った友人が、どこか大人びて見えたことを、栄介は今更ながら思い出していた。
「と、とにかく! 武蔵が行方不明になっている間、二人のところにいたってことだね?」
「そうなります」
ここが本当に異世界かどうかはさて置いて、武蔵がいたことに間違いない。
それは栄介としては朗報ではあった。
武蔵がここから帰って来たことがあるのなら、帰る手段はあるということだ。
どこだかわからない場所に放り出された不安は、それで少しだけ解消された。
「話を戻します。
妹様の症状に関してですが、これは恐らく異世界転移の影響ではないかと思われます」
「異世界に来た影響で、目がおかしくなったの?」
「おかしくなったわけではありません。常人より目が良くなったのではないかと思われます」
「――んん?」
よくわからなかった。
どこかからどこかへ移動するだけで、目が良くなるなんてことはあるのだろうか?
そもそも栄介自身に何も影響はない。個人差でもあるのだろうか?
「異世界転移をした人物には漏れなく一つだけ”ギフト”と呼ばれる特異能力を授かるそうです。
ご主人様も”勝利の加護”と呼ばれる、どんな勝負にも絶対に勝ってしまう特異能力をお持ちでした。それはムングイに来てから授かったものだとおっしゃってました」
「――っ!?」
夏休み直前、武蔵と剣道試合を行ったことを思い出す。
かつての武蔵では考え難い動き。
そして栄介の完敗。
武蔵が『俺に勝つことなんてできないよ』と言った理由。
その全てが、特異能力によるものと考えられた。
「いもうと。みえる、ない、が、みえる。ちいさいが、いっぱい。それ、きもちは、わるい」
「目が良く見えるというのが、どのレベルかはわかりません。
ただ、常人では見えないものまで見えてしまうのは、とても気持ちの悪いものだと、お嬢様はおっしゃっています」
「……リオ」
ここが異世界だと言う話と合わせて、やはり信じ難い話ではあった。
ただ、リオの苦しみ方は尋常ではなかった。
武蔵の異常なまでの強さを考えても、嘘とも言い難い。
思わず妹の瞼に触れる。
触れたところで何か違和感が感じ取れるわけではないが、何となく手を伸ばしていた。
目が悪いことを、リオはずっと気にしていた。
手術は失明のリスクがあると言われ、止む無く眼鏡を付けてどうに生活していた。
しかし本人は眼鏡を付けることを、とても嫌がっていた。だと言うのに――
――これじゃあ、失明したのと変わらないじゃないか!?
「……これは、どうにかできないのっ?」
「ご主人様は能力のオンオフ切り替え可能と言ってました。
恐らく調整は可能と思われます」
「あ、そうなの……?」
――なら、よかった……のかな?
それを嬉しいと思うかどうか、リオにしかわからない。
ただ、目が覚めてまた苦しむ姿を見たくはない。
とりあえず栄介は、先ほど提案された通り、ハンカチを使ってリオに目隠しをしておくことにした。




