第146話 異世界転生するやつ
――あ、これ、異世界転生するやつだ。
何度となくライトノベルで読んだ出来事。
任がそれを認識したのは、真っ白い空間に投げ出された場面でもなければ、舗装された大地から突如ぬかるんだ大地で泥だらけにされた場面でもない。
馬にはねられて、空を飛んでいる時だった。
トラックにはねられて異世界転移はオーソドックスな方法として有名だが、他にも過労死、通り魔に刺される、ゲームの中からゲーム世界へ等が有力な手段だ。
さて、と空を飛びながら考える。
かつて、馬にはねられて異世界転生はあっただろうか?
ありそうだなー、いっぱいあるもんなー、異世界転生。僕が知らないだけで。
人生の最期。
とても褒められた人生とは呼べなかった。
病気のせいでほとんどを病院のベッドで過ごすばかりの人生。
漫画やアニメ、ラノベにゲームにと、娯楽三昧だった人生。
病気の癖に、全く病弱そうに見えないほどガチムチに育ってしまった人生。
どうせ死ぬんだと親の脛をかじり続ける人生。
まさか、治るなんて一切考えなかった人生。
今更、学校へ行けと言われても、ただただ恐怖しかなかった。
初登校の日、緊張のあまりお腹が痛くなって、結局、初登校まで一週間伸びた。
クラスメイトたちの前で初めて自己紹介をする際、緊張のあまり名前すら名乗ることができなかった。
変な奴と言う視線を一身に浴びたような気がして、やっぱり学校なんて来るんじゃなかったと思ってる中、隣の席の女の子に話しかけられた。
「ねーねー、なんて読むの? にんくん?」
一瞬で頭が真っ白になった。
なにせ同年代の女の子と話をしたことなんてほとんどなかった。
任が話をした女性なんてせいぜい母親と、病院の看護師だけだった。
それもその子がまたびっくりするぐらいの美少女で、そんな女の子に話しかけられたという事実だけで、任は心臓が止まりそうだった。
「あだ名どうしようかなー。にんにん? ニンジャくん? あ、サムライくん?」
それで彼女がようやく黒板に板書された自分の名前を見て、「任」と書いて何と読むのか聞いてきたのだとわかった。
任としては、彼女がそう呼ぶのであれば、親から与えられた名前なんて捨てて、「にんくん」でも「サムライくん」でもどっちでもよかった。だけど、何も面白い返しも思い付かず、クソ真面目に、ただただ普通に、
「た、たた、たもつっ!」
と返してしまった。
彼女は笑った。
「じゃあ、タモさんだー」
ちょろい奴だと笑いたい奴は笑えばいい。
任はそれだけのやり取りで、たまたま隣の席になったものりを好きになってしまった。
それから学校に通うのは楽しかった。
ものりは面倒見がよく、可愛いのに気取らず、自分のようなコミュ障でも平気で話しかけてくる。
体調が悪くなっても、頑張って学校に通った。
だから――
――彼女を庇って死ねるなら、本望。
何が何だかわからないまま、突如として目の前に迫る馬。
パニくる頭では思う様に身体をコントロールしてくれない。
だけど転がるようにして馬の進路上から抜け出る。
遥人も大慌てで走り出すのだけは視線の端で確認して、気付いてしまった。
ものりは未だに地べたに座り込んでいた。
背中を向けていて、一人だけ馬の接近に気付くのが遅れたのだろう。
ようやく振り返ってキョトンとした顔で小首を傾げていた。
可愛い……じゃなくて、危ない!
「あ、あぶっ、あぶっ!!」
咄嗟に叫ぼうとするが、普段からどもる口は、こんなときだってまともに声が出なかった。
馬がどれだけの速度で走れるか知らないが、車に轢かれるよりはマシだなんて思えない。
このあと起こるであろう悲劇に対して、身構えるように身体が縮こまり――それでいいのかと自問する頃にはものり目掛けて足を動かしていた。
長い病院生活で、走ることなんてほとんどなかった。
リハビリしなさいと口を酸っぱくさせる医者の言うことを、もっとちゃんと聞いておけばよかったと初めて後悔した。
それでも咄嗟に動けたのは、愛の力だと任は内心で叫ぶ。
ようやく迫る危機に気付き、腰を抜かしているものりの襟首を掴んで、引っ張りあげ――
「重いっ」
「タモさん!?」
こんなときにだけしっかり出てしまう声に、自分でもげんなりする。
だけど許して欲しい。人生で一度だって人を持ち上げたことがない。
漫画の主人公たちはヒロインを簡単に持ち上げていた。
そのイメージのまま引っ張り上げようとしたら、逆に身体が持っていかれたのだ。
突っ伏すように土のへ倒れ込む。
それでもどうにかものりだけはと、渾身の力でもってものりを突き飛ばす。
ほんの一、二メートルだけだったけれども、それでもものりの身体が離れていくのを確認して、ああ、よかったと思った直後、
「――っ」
馬にはね上げられて、任は空を飛んだ。
不思議と痛みはなかった。
ただ「ああ、死んだな」と他人事のように思った。
クルクルと回る景色の中――よく聞く走馬灯のようなものは見えなかったが、これまでの人生を思い返し、転生したらもっとカッコよく運動のできる人間にして欲しいなんて願い――
視界の隅で悲痛に顔を歪ませるものりの姿が見えて、
――ああ、本当によかった。
本心からそう思いつつ、視界は一面大地が広がり、任は顔面から地面へと叩き付けられた。




