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第141話 出立の朝

 夏休み初日。

 待ちに待った長期休みに学生なら誰だって浮足経つその日。

 江野栄介は変わらず、いつも通りの時間に起きた。


 ラジオ体操は中学からなくなった。

 栄介はあの時間が少しばかり好きだった。

 武蔵や真姫とそのまま遊びに出掛けるのに、ラジオ体操は都合のいい口実だった。

 朝稽古をサボっては父によく怒られたものだ。


 今はそんなことはない。

 仮にラジオ体操があっても、武蔵とはそれとなしに距離を置いてしまうだろう。

 そうすれば必然的に真姫にも距離を置く形になる。

 ラジオ体操なんてなくてよかったと思う。

 ただ、それがなくなった代わりに栄介に待っていたのは、いつも通りの日課だった。


 寝ぐせのひどい妹のリオと二人で一時間のランニング。

 その後、道場に戻って素振りから始まり、諸々の稽古で一時間。

 それを毎日続けていた。


「別に付き合ってもらう必要はないよ?」

「ううん、やります」


 眠そうにしているリオに何度となくそう口にした。

 しかし彼女はずり落ちた眼鏡を直しながら、頑なな態度で栄介に言った。

 律儀と言うか、頑固と言うか。


 ――やりたくないことなんて、やらなくてもいいのに。


 栄介はそう思う。

 少なくとも自分は、やらなくていいと言われればやらない。


 ――そう思ってるのがわかるから、負い目に感じてるのかな。


 リオとも最近、何となく距離感を感じていた。

 昔は「おにーちゃーん!」とどこへだって付いて来た。

 他に友達がいるのか心配になるくらい、栄介にべったりだった。

 近くにいるという点では今も変わらないような気がするが、それでも気を遣っているように感じた。

 喋り口調も時々敬語だし。


 ――中学生になって、いよいよ思春期突入かな。


 それともいよいよ彼女も気付いたか。


 本当の兄ではなくても、それでもリオが物心付く頃からずっとお兄ちゃんとして接してきた。

 どちらにしても栄介としては、今までと変わらずに接する他ない。


 広い道場に二人の掛け声が響く。

 どこか噛みあっていないような掛け声に、栄介は少しむず痒いものを感じた。




      ◇




 父に丁寧に外出する旨の挨拶をするリオを置いて、栄介は先に家を出た。


 外出が楽しみで妹を待ちきれなかったというわけではない。


 父とも現在、絶賛喧嘩中だった。


 原因は武蔵の退会だ。


「なんで武蔵を辞めるのを止めなかったんですか!?」


 そう詰め寄った栄介に対して、父は武蔵と全く同じことを口にした。


「彼は剣道はもう必要ない」


 ――必要ない。

 その言葉は栄介が一番嫌いな言葉だった。


「なんだよ、それ……じゃあ、ボクだって、辞めたって――」

「それは駄目だ」


 強い言葉で否定される。

 そこに栄介の意志なんて関係ないと言わんばかりだった。


「お前は、この道場の跡取りだ。お前に剣道は必要だ」

「――っ! 何が必要で、何が必要ないかなんて、勝手に決めるな! 本当の親でもない癖に!!」

「――っ」


 珍しく父が顔を歪めるのを見て、言い過ぎたということには気付いた。

 それでも一度口から出た言葉は引っ込めることはできなかった。


「……………」


 居心地の悪いものを感じて、栄介はその後から逃げ出した。


 それ以降、父とは一言も口を利いていない。

 稽古には出ている。指導も受けている。だけどそれだけだ。


 そこには親子の会話はない。

 最初から親子の会話があったのか疑問ではあったが、それでもお互いになんとなく避けている状態だ。


 家から離れつつ、なぜか後ろ髪を引かれるような気持ちがあった。

 そんな気持ちもありながら、同時に矛盾した思いも抱える。


 ――もう家には帰りたくないなぁ。


 そんなことできるわけがない。

 所詮は中学二年生。

 お金を稼げるような年齢ではないし、生活する手段なんてない。

 そもそも夜に出歩いているだけで補導されてしまうだろう。


『本当の親でもない癖に!』


 だけど、そう口にして逃げ出してしまった瞬間から、あの家は本当に自分の家ではないような気がしてしまった。


「はぁ……」


 溜息を吐き、頭を振って、無為な考えはリセットさせる。


 夏休み初日。少なくとも今日はものりの誘いのお陰で家から出ることができた。

 例え夜には帰らなくてはいけなくても、ここからは友人たちと過ごす時間だと思えば、気持ちを切り替えていけると思えた。


 武蔵と顔を合わせるのだって、正直それほど喜ばしいことではない――というか、栄介としては武蔵に謝ってもらいたいという気持ちがあった――が、それでも父親と一日中一緒にいるのを思えば幾分かマシだった。


「お兄ちゃん、待って!」


 追いかけてくるリオを待って、バス亭へ向かう。

 

 ――今日、どこかで武蔵と仲直りできればいいな。それで、できれば道場に復帰させられたら、父さんとも仲直りできるかな。


 そんなことを思いながら、バスに乗り込んだ。


 車窓から眺める景色は随分と早い速度で流れていくように見えて、今日は遠くへ出掛けるんだったな、と今更のように感じていた。

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