第140話 ロボット展へ行こう
「これはよくないですよー、よくないですよー、はる君、実によくないですねー」
「オレは知らねぇよ」
ホームルームも終わり、いそいそと部活動へ、あるいは家路に向かう生徒たち。
そんな彼らを出て行く扉を、机に突っ伏しながらジト目で見送る少女が一人。
「グラビアアイドルしてまーす」と言っても通じる彼女は、黙っていればクラスで一番可愛いと言われている少女。
長い髪を全て前に下し、幽霊のように髪の隙間から教室を出る生徒一人ひとりを睨みつける少女。
岸遥人は、今日もものりは残念だなーなんて思いながら、彼女の真似をして教室の扉を睨みつけていた。
ものりが「よくない」と言う理由を、遥人自身も同じように思っていた。
もっとも遥人の場合は「気に食わない」と言う意味合いに近い気持ちだったが。
二人が睨んでいたのは、教室の扉でも、まして今しがた帰りずらそうにしながら、二人が睨む扉を潜り抜けたクラスメイトでもない。
「みやむー、どうしちゃったんだろね?」
「知らねぇよ」
ホームルームが終わり、誰よりも早くその扉から飛び出して行った、友人の宮本武蔵。
その後を追う様に教室に飛び込んで来て、武蔵の姿がないと知るや否や、来た時と同じ速度で飛び出して行った二人の幼馴染でもある樹真姫。
その残像を二人は睨みつけていた。
「らぶらーぶだった二人に、破局の予感。
これは、クラスのヒエラルキーが大政奉還しちゃうよ」
「知らねぇーよ」
ヒエラルキーも大政奉還も言いたかっただけだろう。
ただ長い付き合いだけあって、ものりが言いたいことはわかる。
真姫はモテる。
隣のクラスで一番の美人だ。
竹を割ったような性格で、老若男女問わず懐に飛び込んで行く姿は、男女問わず羨望を集めていた。
まあ、それも小学校までの話で、震災以降は学校に来ることさえ稀だったが。
それでも小中ほぼエスカレータのこの学校では、小学校時代の真姫の姿は、皆が鮮明に覚えている。
実のところ遥人もその手合いで、真姫が初恋の相手であった。
しかしそんな男子の全てが「でも、武蔵がいるからなー」と端から諦めていたのも事実だ。
だからこそ、遥人は今の武蔵の態度が気に入らない。
武蔵が行方不明の間、真姫がどれだけ心配していたか知っているから余計にだ。
「ものりネットワークの情報では、みやむーは図書館で本の虫のようですよ?」
「倉知みたいに? そりゃ似合わねぇな」
武蔵と言えば、真姫とイチャイチャしてるか、竹刀を振ってるかのイメージしかない。
宿題だって遥人と一緒になって倉知のものを写したりしていた武蔵が、一年以上先の高校受験に向けて早くも勉学に励み始めたとは思えない。
「えーちゃんともケンカしたみたい。ケンカ、よくない」
「あ? あの栄介と? そうなのか?」
それは初耳だった。武道に優れてはいるけど、基本的に大人しい栄介が、誰かと喧嘩になる姿なんて想像できない。
しかし言われてみれば心当たりはあった。
最近の栄介はどこか余所余所しく、このクラスにも顔を出さなくなった。
以前は、先に隣のクラスのホームルームが終わると、真姫を連れて来ては、武蔵に引き渡していた。
「なんか、みやむー、別人みたいだね……」
一か月も行方不明だった。
帰ってきたと思えば、生傷多く、どこか大人びていて、まるで近所のガラの悪い高校生みたいになってしまった。
噂では海外で酷い目にあったらしいが、
「ありゃねぇーわ」
あまりの態度の悪さに、遥人も思わず喧嘩腰で言った。
『真姫がどんだけ心配してたと思ってんだ!?』
それに対して武蔵は、
『そんなこと知らない』
の一言だけだった。
思わず呆れ返ってしまった。
「と言うわけで、旅行行こ?」
「……は? なんで?」
顔を上げて、喜々と提案するものり。
思わず呆れ返ってしまった。
話の脈略のなさに。なにが「と言うわけ」なのか。
「あのね、パパがお仕事でこれに行くのだよ」
ものりが徐に取り出したチラシ。
そこには『はたらくロボット展』とでかでかと印刷されていた。
「ロボット!」
巨大ロボットや戦闘ロボと言ったものに心をときめかせる年頃の遥人としては、飛び付かざるを得ない。
最も、詳細をよく読めば工業用ロボットの展示会なので、遥人が考えるような合体ロボやビームライフルを撃つメカなんかがあるようなものではない。
そんなこととも分からず、遥人は目を輝かせていた。
「え、これに行くのか?」
「パパが東京観光がてら、夏休みに来ないかって言うの」
開催はちょうど夏休みの初日からだった。
ものりの父親は、確か、霞が関で単身赴任をしていると言っていた。
霞が関で働くことがどういうことか、普段ニュースなんか見ない遥人からすれば、「なんか偉そうな仕事」程度にしかはわかってはいないが、それでも夏休みを利用して、普段会えない娘を呼び寄せようとしている父親の姿は想像できた。
「え、なに、連れてってくれんの?」
異性の、それもまあ普段の態度は置いておくにしても、そこそこ可愛い女子に旅行の誘いを受けて、悪い気を起こす男の子なんてまずいない。
いや、むしろ、こいつオレに気があるんじゃないのと、勘違いしても仕方がないだろう。
「みんなでいこー」
ものりの言うみんなとは、本当にみんなだ。
つまり、遥人、真姫、栄介、武蔵、倉知の五人。
カミツケ隊メンバー五人だ。
それどころか、
「あ、タモさんも来る?」
「え……? ぼ、僕もいいの?」
先ほどから話すタイミングを伺ってウジウジしていた津久井任にも声を掛けていた。
任とものりは去年の冬辺りから妙に仲がいい。
仲がいいと言うか、ものりが無理やり引きずり回しているような印象だが。
勘違いは所詮勘違いだったことに、やや不貞腐れながらも遥人は考える。
ものりの提案は、恐らく、最近浮き気味の武蔵をどうにかみんなと仲直りさせようというものだろう。
ものりは昔から喧嘩や揉め事というものを過剰に嫌がる。ラブアンドピースの人なのだ。
だけど、遥人は思う。
「みんなってもな……武蔵はこねーだろ」
最近ノリの悪い武蔵。
特にロボットになんて興味もない。
これに食いつくのは、遥人と倉知くらいなもんだ。
「みんなで誘えばきっと来るよ。
みやむーって、押しに弱いもん」
だから、最近の武蔵にそんな雰囲気は一切ないから困ってんだけど。
「というわけで、図書館いこー。
タモさんもいこー」
「え、あ、待ってよ」
言うが早いか、早速教室を飛び出して行くものりを、任と足元覚束ない様子で追いかける。
「賭けてもいい。絶対に断られんな」
誰ともなしに一人ごちながら、遥人もまたやれやれと言う雰囲気で後を追った。
◇
「行かない」
さて、遅れて図書館に辿り着けば、武蔵は相変わらずの仏頂面で、こともなげに言葉の刃で一刀両断していた。
「えー、なんでー?
いこーよ。ぜったいにたのしーよー」
「行かない」
「舞浜が近いんだよ? このあとすぐにランドもシーも行けるんだよ?」
「行かない」
「夢の国いこーよ」
ものりの真の目的が透け始めたのは一旦置いておこう。
武蔵のあまりの頑固な態度にものりは少しばかり涙目になりつつあった。
任はそんなものりの様子にオロオロして、武蔵の隣に座る真姫はさすがの状況に困った顔をしていた。
――だから言ったのに……いや、言ってねぇか。
しかし、こんな状況でもものりのことなんかどうでもいいと言わんばかりに、本に目を落とし続ける武蔵には、遥人も少しばかり苛立つものを感じた。
そんなに勉強が大事なのかと思って、本の表紙を見れば、
「……インドネシアの歴史?」
勉強と呼ぶには、ややズレている。
歴史の勉強をしてるにしても、ちょっとマニアックではないだろうか。
「守、チラシ、見せて」
「あ、うん」
同じく武蔵の隣に座り、今までものりの動向を静観し続けてきた倉知有多子がものりに対して手を伸ばす。
いや、静観し続けてたというより、ロボット展のチラシを見ていたのか。
倉知も今の武蔵ほどとは言わないが、独特の空気感というか、マイペースさを持っている。
「あ、石黒裂先生の講演会。
守、私は行く」
「う、うん」
こんな雰囲気にも関わらず、唯我独尊と言うか、自分の興味があることを見つけると、空気なんか構わずに倉知は宣言した。
さすがのものりもやや引いている。
「……イシグロ……サキ?」
そこで武蔵は初めて顔を上げた。
心底驚いたような顔で倉知を見つめる。
「倉知、そのチラシ、見せて」
「うん。はい」
差し出されたチラシを引っ手繰るように受け取ると、食い入るように見つめていた。
何か気になることでも見つけたのだろうか。
「ねえ、武蔵……わたしも、みんなで東京観光したい」
「え」
今まで武蔵の様子をじっと見つめていた真姫もそう言い出したので、みんなが一斉に驚きの声を上げた。
母親が亡くなってからというもの、真姫はほとんどどこかへ出掛けようとはしなかった。
外が怖い。
そう言って、学校へだって一年かけてようやく来れるようになったのだ。
「ねえ、武蔵。みんなで、東京へ行かない?」
そんな真姫が、ここまで言っているのだ。
「なぁ、武蔵。真姫がここまで言ってんだ。
いい加減、お前だって立ち直って……」
「行く」
「あ?」
遥人の発言を遮って、武蔵は突然、言い放つ。
「俺も行く。いや、ものり、頼む、連れてってくれ」
急に立ち上がって、懇願するように頭を下げる武蔵。
あまりの態度の変わりように、ものりは目を白黒させていた。
「え、ほんとーにいいの?」
「ああ、頼む」
武蔵が頭を上げると、その顔は今にも泣きそうだった。
あまりの必死さに少しばかり気持ち悪いくらいだった。
だけどその時は、真姫が出掛けたいと言い出したことに感銘を受けたのかなと、そう考えるだけだった。




