表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
140/239

エピローグ 初恋の終わるとき

 宮本武蔵という、変わった名前の男の子がいた。

 両親はなんと彼の剣豪、宮本武蔵を知らないで付けたというのだから、またさらに変わっている。


 彼は、樹家の斜め向かいに暮らし、同い年ということもあり、真姫は家族のように思っていた。


 気付けば自分の斜め後ろを歩き、振り返れば必ずいる。

 好きだとか、嫌いだとかではなく、居て当たり前の存在。


 当たり前のように一緒に生きて、当たり前のように一緒に年を取ってきた。


 だからきっと当たり前のように結婚して、当たり前のように彼と子供を作り、当たり前のように子供を立派に独り立ちさせて、当たり前のようにおじいちゃんおばあちゃんになり、当たり前のように一緒に死んでいくのだと思っていた。


 それが当たり前じゃないのだと知ったとき、何もかもが怖くなった。


 大きな地震に巻き込まれた。

 お母さんが津波に流された。

 車で避難している最中、様子を見ようとして、目の前で流された。


 当たり前のようにお母さんがいる生活が、あっという間に当たり前でなくなった。


 当たり前だと思えたものは、当たり前ではなく、とても脆いものなのだと知った。


 それ以来、周りにあるもの全てが怖かった。

 いつか全て亡くなってしまうのが怖かった。


 その中で唯一、武蔵だけが言ってくれた。


『俺はどこにもいかないよ。どこにもいなくならない。大丈夫だから。大丈夫だから』


 とてもとても甘やかで、優しく、こそばゆい時間だった。

 心の傷を埋めるのに、十分以上のものを、武蔵は与えてくれた。


 だけど――やっぱり、当たり前だと思っているものは、当たり前ではないのだ。


 武蔵がいなくなった。


 その事実は、お母さんがいなくなったときよりも、真姫を傷付け、そして取り乱せた。


 ただ、お母さんがいなくなったときと違い、真姫は諦めなかった。

 当たり前はとても脆いものだと知ったから。

 失いたくないと願うなら、どれだけ苦しくても、悲しくても、取り戻さないといけないと思った。


 真姫は、お母さんがいなくなってから、初めて独りで外に出た。


 友達とも協力してビラを配り、探せる範囲をどこまでも広げて、危険なところにも出向いた。


 探して、探して、探して、探して、探して、見つからなくて、見つからなくて、見つからなくて、見つからなくて、見つからなくて。


 当たり前を取り戻したくて、必死に足掻いて、武蔵のことばかり考えて――


 ――そこで真姫は初めて、気付いた。


「ああ、わたし、武蔵が好きなんだ」


 居て当たり前の存在。

 居るのが当たり前の存在。

 特別意識なんてできないくらい、近い。


 真姫は本当に今更のように、自分の気持ちを自覚した。

 だから、


「絶対に見つけ出して、武蔵に好きって伝えよう」


 自然とそう思えた。


 当たり前だからこそ、当たり前だと思うことを、当たり前のようにやる。


 それがどれだけ大切なことなのか、真姫はわかっていた。




 武蔵が見つかったと聞いたときの気持ちは、言葉にはとても言い表せない。


 武蔵のお父さんお母さんと一緒に病院に向かって、二人を差し置いて走り出していた。


 もう一秒だって待てなかった。


 一刻も早く、武蔵に会いたい。

 会って気持ちを伝えたい。


 病室のドアにかかる「面会謝絶」の札も無視して、真姫は病室の扉を開けた。


「武蔵っ!」


 ベッドにもたれる武蔵は、どこか虚ろな目で、空を見上げていた。


 なんだか大人びていて、それがどこか別人のようにも見えた。


 すぐにでも気持ちを伝えようという気持ちは、それでどこかへ消えてしまった。

 なぜかとても怖くなった。

 当たり前のように思っていた。

 だけど、そこに居たのは当たり前な武蔵の姿ではなかった。


「……む、さし?」


 もう一度、帯びた声で呼び掛ける。


 武蔵は、ゆっくりと真姫の姿を見て――とても傷付いた顔をした。


「なんで……なんで、ここにいるんだよ?」

「―――――」


 それは拒絶の言葉だった。


 会いたくなかったと。

 そんな気持ちがありありと伺えた。


 ――え……なんで?

   ……どうして?

   だって……。

   ずっと、一緒に……。

   今までは……。

   これからだって……。

   ……え。

   ……え?


 当たり前なものなんては、どこにもなかった。


 真姫が初恋だと思ったものは、こうして、あまりにも呆気なく、そしてどうしようもない最期を迎えた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 帰ってきてから、空ばかり見ている。

 どうしても思ってしまう。

 そこに自分の帰る場所があるのだと。




 武蔵が入院してからの二週間は、とにかく酷い状態だったのだと、先生から聞かされた。


 先生というのは、真姫のカウンセリングをしてくれていた女医の先生で、今や武蔵のカウンセリングの先生でもあった。


「日本語がうまく喋れなくなってたのよね。

 意味のわからない言葉が混じるから、会話するの疲れるのよね」


 武蔵が横たわるベッドの脇で、椅子をキイキイ軋ませながら先生が言う。


 どうやら無意識に日本語とムングイ語のバイリンガル状態になるようだ。

 しかし、患者に対して「会話するのが疲れる」と堂々と口にするとは。

 相変わらず思ったことをストレートに話す先生である。


「意味のわからない言葉じゃないです。ムングイ語です」

「そのムングイについて、ちょっと調べてみたわ」


 ムングイ王国での話を、警察は当然のように信じなかった。

 何かヤバい薬か盛られて、記憶障害を起こしているとの考えだった。

 それは武蔵の両親も同じだった。


 このカウンセリングの先生だけが、武蔵の言葉を真剣に聞いてくれる。

 それが仕事なのかもしれないが、それでも嘘だとは思っていないことだけは、武蔵は感じていた。


「まずムングイって国のことだけどね、実在した国のようなの」

「実在する?」

「ムングイはバリ島にある地名の一つよ。二百年くらい前まで、ムングイ王国という王国も存在していたみたいね」


 ロースムは、あの異世界は「インドネシア」だと言っていた。

 先生の話と辻褄が合う。


「武蔵君の話す、バリアンだとか、レヤックって言うのも、全てバリ島に由来する言葉ね。

 だから、武蔵君が言うムングイって言うのはバリ島のことじゃないかしら?」

「バリ島……」


 一瞬、本当にそうなんじゃないかと思ってしまう。

 だけど武蔵は、そんなはずはないと知っていた。

 あの国は、空の上にあるのだから。


「って警察の人が言ってたわ。ちょっとありえないわね。

 どうやって武蔵君を運んだんだって話よ。

 武蔵君が言う、異世界転移してたって話の方が、まだ信じられるってもんよ」


 ケタケタ笑い、即座に先ほどの話を否定する。

 一瞬でも、実はそうなんじゃないかと思ってしまった武蔵が馬鹿みたいである。

 そして、どうしても疑問に思う。


「先生は、どうしてそんなに俺の話を信じてくれるんですか?」


 武蔵が当事者じゃなければ、よっほど海外に居たと言う方が信憑性が高い。


「……………」


 先生は、しばらくぼーっとしたまま、椅子をキイキイ言わせていた。そして、


「まっ、それが仕事だからねー」


 身も蓋もない台詞を口にしていた。


「そんなことよりも!

 真姫ちゃん、どうすんの?

 今日も外のベンチに座ってるけど、呼んでこようか?」

「……面会謝絶じゃないんですか?」

「それはマスコミ対策よ」

「……………」


 責められているような気持ちになり、思わず目を逸らしてしまう。


 真姫とは、病院に運ばれて来た初日に顔を合わせて以来、会っていない。

 毎日、病院に来てはいるらしいが、面会謝絶の張り紙に従って、病室に入ってこない。


 正直に言って、顔を合わせずに済んでいるのは、武蔵にとって有難かった。

 会って、一体、何を話していいのかわからない。

 だって武蔵は――。


「真姫ちゃん、武蔵君のこと一生懸命探してたわよ。

 ビラ配りだって、隣の県まで行ってたみたいよ」

「……今は、まだ……」

「うわ、ひどい男」

「……………」


 なんと言われても、しょうがない。

 武蔵はただただ口を紡ぐしかない。


「武蔵君にとって、真姫ちゃんってなんだったの?」


 本当に思ったことを口にする先生だった。


 だけど、その通りだった。


 ――真姫は。


 幼馴染で。

 家族で。

 どこにも行かないと約束して。

 告白しようと思っていて。

 誰よりも大切、だった。

 そう――。


「……初恋、だった(・・・)んです……」

「……はぁ。

 ……真姫ちゃんの様子、見てくるね」


 病室を後にする先生を見送って、武蔵は再び空を見上げた。


 ふとした拍子に、ムングイは本当にあるのか、と思うこともある。

 誰にも認知されていない空に浮かぶ島の話を、武蔵だって信じられないときがある。


 そう、淋しさのような、せつなさのようなものを感じたとき、武蔵は胸元手をやる。

 首から下げた歯車は、程よい冷たさで、武蔵の指先に存在感を主張する。


 ――パールとの約束。


 それがあるからこそ、武蔵は諦めない。


 何度だって空を見上げる。

 何度だって、探してしまう。

 自分が帰りたいと思う場所を。


 そして、いつか必ず帰るのだと願う。


 だから武蔵は――また、真姫を置いて行くのだろう。


 そう――未だに、武蔵は、帰宅難民だった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 島の最西端。

 海辺に近い、鉄の塊を散りばめたような街。


 ここに二人の魔女が住んでいた。



 一人は魔王の娘にして、人をたぶらかす魔女。


 無垢な瞳で、魂を奪い、操り、蹂躙する。

 一たび彼女に囚われれば、生きる屍となる。



 一人は魔王と結託して、国を滅ぼそうとした魔女。


 魔女は穏やかに眠る。

 しかし彼女の眠りを妨げるなかれ。

 その者には容赦なく魔法の杖の災いが降りかかる。



 二人の魔女は、魔王が暮らした摩天楼を、今では自分の住処として君臨している。



 二人は一人の英雄の帰還を待つ。


 かつて交わした約束を果たすため。


 かつて伝えられなかった言葉を伝えるため。



 二人の魔女は機械人形に守られながら。

 いつ帰るとも知れない英雄を待ち続ける。


 いつまでも、いつまでも。

 ただただ、待ち続けている。



 ムングイ王国は、この二人の魔女を、この国、最大の脅威として、敵視していた……。




                      to be continued in "CONFLICTION"...

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ