第135話 バリアンの終わり
『俺は、今、大切だと思ってるものを失いたくない』
そこに自分が含まれていることを感じて、サラスは救われた気分だった。
ムングイを追われた。
カルナを傷付けた。
自分の居場所が完全に無くなってしまったように感じていた。
だからこそ、ムサシに「大切」と言われたことが、サラスにとっては何よりも救いだった。
誰よりも「大切」に想われたい人に、「大切」だと想われていると知れた。
サラスはそれだけで満足だった。
だからサキに「いらない存在」と言われても、サラスはそれほど傷付かない自信があった。
むしろ腑に落ちる。だから上手くいかないのだと。
むしろ確信が得たかった。だから助けてもらっていいのだと。
しかしサキの回答は、サラスの思っているほど甘いものではなかった。
『貴女がいるから、誰も幸せになれないのです』
――ああ、そうなのね。
いらないのではない、負荷なのだ。お荷物なのだ。厄介者なのだ。
助けてもらうなんておこがましい。
その考えが減点だった。
その考えが犠牲を作るものだった。
そんなことはとっくにわかっているはずだった。
それはヨーダの言っていた「弱い人の選択」だ。
また、サラスはそんなことも忘れて、ムサシが差し伸べてくれた手に安易に飛び付いた。
だけど、それに気付いてしまった以上、ムサシがどれだけ「自分がそうしたいから」と言ったところで、もう駄目だった。
だって、もうムサシの周りだって不幸にしてしまっている。
きっとマヒメはムサシがいなくなって不幸になっている。
だからこそ、自分で始末しなくてはいけないと思った。
魔法の杖がバリアンを殺すためだけに使われていたのなら、それはバリアンが解決すべき問題だ。
サキのことだけは許せなかった。
それがバリアンを殺すためだけに行われていたのであれば、余計に許せない。
もし、サキが「貴女が死んでくれるのなら、これ以上は魔法の杖を使いません」と誓えば、サラスは喜んでその首を捧げただろう。
だけどサキのやってきたことを思えば、今更、彼女のために死んでやる気にはなれなかった。
その他でサキを止める方法――。
幸いなことに、その方法なら一つだけあった。
これがバリアンの問題であるなら、それは当然バリアンの力を使って解決されるべき問題だった。
バリアンの力は時間を止める。
サキがどれだけ素早く動けたとしても、全てが停止した時の中ではあまりにも無意味だった。
そしてこの方法なら、もう一つ別の問題も解決することができた。
それは全ての元凶であるバリアンも始末すること。
バリアンが消えてしまえば、バリアンを巡って争うことも、この先はなくなる。
元々、ムサシたちを元の世界に送り出したら、時の流れに身を委ねて生涯を終えるつもりだったのだ。
『――サラス、一緒に帰ろう。ムングイへ』
――ああ。
それを惜しいと思わないわけがない。
ムサシと一緒なら、きっとムングイだって帰れるだろう。
カルナと仲直りをして。
ヨーダと和解して。
パールの病気が治って。
みんな以前のように笑いあって。
その隅っこの方でもいい。
その場所に帰れるのなら――。
それはムサシが大切だって言ってくれた光景だった。
そして――
――私にとっても、大切な、場所。
「私は、やっぱり、ムサシの――みんなの大切なもの、奪ってばっかりで。
また、ムサシが大切だって言ったもの、奪っちゃうね。ごめんね」
だけど――
――私がいなくても、いいよね。
サラスがいては、カルナとヨーダの間に亀裂が入る。
サラスがいては、ムサシとパールの間に確執が起きる。
――私がいたら、誰も幸せになれないから。
カルナとヨーダが仲良くしてくれれば、それでいい。
ムサシとパールが幸せでいてくれれば、それでいい。
だから、
「ムサシは、パールと二人で、帰りたいと思うところに、帰るの」
きっと二人でなら、帰りたいと思えるところに、帰れると思うから。
抱き留めていたムサシの温もりを解放する。
とてもとても名残惜しかった。
だけど、これ以上はムサシを縛ることはできない。
「サラス……待って……」
違う。
待たせてしまったのは自分の方だ。
サラスは振り返って、刀を振り上げたまま固まるサキを見つめる。
自分が大切なものを縛り付けておきたいがためだけに、それ以外の全てを犠牲にしようとしていたサキ。
サラスの心持ちとはまるで正反対で、理解しようなんて到底思えるわけもなかった。
だけど――今すぐにその刀を振り下ろして、サラスを殺してしまいたいはずなのに、それがままならないでいる姿には、憎しみではなく同情の想いが込み上げる。
――終わらせないと。
「――サラス!!」
大切な人からの呼び声に、一つだけムサシに伝え忘れてたことを思い出しながら、サラスはバリアンの力を行使した。
◇
「――あら、今度は思っていたよりも時間がかかったのね。
あれだけ大見え切ったのだから、二、三日もあれば結論は出すものだと思ってたわ」
眩い光の中を抜ければ、地面も何もない暗く寒い場所に放り出されていた。
その中で、女神ラトゥ・アディルは、以前と変わらない様子でぷかぷかと漂っていた。
拗ねたような口調だが、それでも再びサラスが訪れたことに、喜びを隠せない様子だった。
「それで、貴女の本当の願いは決まったのかしら?」
「願い……?」
そう言えばそんな話もしていたと、サラスは今更ながらに思い出す。
この瞬間はバリアンの力を行使するための工程に過ぎない。
女神と無駄話をしているつもりはなかった。
――それに、今更、願い事なんて……。
「あら、ずいぶんと拗ねてしまったのね」
でも、もし――
「もし、本当に、願いが叶うなら、ムサシに――」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
刀は正確にサキのコアとなる部分を貫いていた。
サティやウェーブを分解している様子を、サラスも何度か眺めていた。
何がどうなっているかなんて、武蔵だってわからなかった。
だから解説なんてしたつもりもなかったけど、サラスも何とはなしにどれが大切な部品なのか分かったのだろう。
時間を止めている間に、武蔵が落とした刀を拾い、それをサキに突き立てたのだ。
「――なにが――どうして――?」
サキは何が起きたのか全く分からない様子で、自分よりも早く動いたサラスを見降ろしていた。
「このっ――バリアンンンンンンン!」
必至に振り上げた刀を振り下ろそうとする。
だけど、何かに阻まれるように、その動きは何度繰り返してもサラスまで届かない。
「わ――わたくしは――殺せるのよ! わた――わたくしは――あの――”あの人”の――嫁で――にん――人間の――アンド、ロイドなんかでは――わたく、しは――」
「……サキさん」
何度も何度も寸止めを繰り返して、その度に失敗して。
誰が見ても愚かで、滑稽で――でも、彼女は必死だった。
――その必死さが、ついに届いた。
「――あ」
「サラスっ!」
何度目かの刺突がサラスの肩を掠めた。
彼女の白い服に僅かに血が滲んだ。
――だけど、それだけだった。
サラスは微動だにすらしない。
それがサキの限界で、
「――あぁ。
――ほら――わたくしに、だって――できましたよ――」
ガシャンと無機質な音を立てて倒れ込み、
「わたくし――人間の――……ア……ルク……」
そのまま動かなくなってしまった。
「……………」
この世界で初めて出会った日本人で、
日本語が通じることが、こんなにも感動するのだと初めて知った。
自分勝手で、全ての元凶で、憎むべき相手だったけど――武蔵はそれでもやっぱり憎む気持ちにはなれなかった。
ただ一人の人間が好き過ぎた、哀れなアンドロイドの最期に、武蔵はしばらく呆然と立ち尽くした。
「……サラス」
しばらくしてようやく気付く。
サラスがここまで指先一つ動かしていない。
刀こそサキと共に床に転がり落ちたが、彼女を貫いた体勢のままだった。
「サラスっ!! サラスっ、サラスっ、サラス!!」
彼女の前に回り込んで、必死に名前を呼び掛ける。
目は開いていた。
本当に僅かだけど呼吸はしている。
確かに自分の意志で立っているようにも見える。
だけどサラスは武蔵の呼び掛けに答えない。
「サラスっ! サラスっ!!」
揺すっても、叩いても、その眼はどこか虚空を見つめているようで――
「……………あ……………む……………」
時より、そんな無意味な空気の漏れるような音だけが、彼女の口から出てくるだけ。
『その力を使ったら最期、その魂は天に召されちまう。残るのは抜け殻のような肉体だけだ』
それはヨーダが語っていたバリアンの力を使ったものの末路そのものだった。
「なんで……大丈夫だって……言ったじゃないかっ!」
サラスを責めるような声を上げる。
だけど、それにだってやっぱり反応はない。
わかっていたはずだった。
次はないだろうと。
そんな予感染みた思いは、武蔵に――そして恐らくサラスにだってあったはずだ。
「一緒に帰ろうって……助けになるって、約束したのに……」
どうすることもできずに、武蔵はただその場で俯くしかなかった。




