第134話 彼女の選択Ⅱ
アンドロイドにバリアンは殺せない。
ロボット三原則に縛られず、ディープラーニングによってのみ学習していくことを基本とする彼女たちにとって、それだけが絶対的なルールだった。
――いや、ルールどころの話ではない。
それはそういうものとして認識している。
本来のアンドロイドたちはバリアンを殺そうと思うことさえない。
それは彼女たちの生みの親であるケイの決意であり、彼女自身の絶対的な意思でもある。
ケイ自身のもう二度と悲しい想いをしたくないという願いでもあった。
だからアンドロイド・サキは通常のアンドロイドとは違う。
想うことがありえないことを想い、考えることがありえないことを考える。
想うことこそ考えることこそが機械であるサキが、唯一人間らしくいられる部分だと信じている。
――だけど、機械である以上、ルールからは抜け出せない。
アンドロイドにはバリアンは殺せない。
しかしバリアンがいる限りは、いつか”あの人”は元の世界へ帰ってしまう。
サキは考えた。
唯一人間らしい機能を使い、考えに考えて、考えて考えて――
――”あの人”が破棄した異世界転移実験を利用することにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「人類が持ち得る兵器の中でも最大火力である核兵器でしたら、わたくしたちが意図しなくてもバリアンがその効果範囲に巻き込まれる可能性が高い。
わたくしたちが殺すのではありません。わたくしたちが知らないうちに死んでいた、というの理想的でした」
「……じゃあ、貴女が私たちに異世界転移実験のことを教えてたのって……」
「ええ、だって貴女は王様なのでしょう? でしたら被害の出る場所には行かなくてはいけませんものね」
思わず唾を飲み込む。
かつて経験したことのない悪意。
武蔵はその気持ちの悪さに胸焼けがした。
間接的な立場にいる武蔵でさえそうなのだ。
当事者であるサラスの心境はもっと耐え難いものだろう。
「もし直接的に被害に遭われなくても、あれは放射能を撒き散らす環境破壊兵器でもあります。
わたくしはサラスさんが放射線障害になればそれだけでよかったのです
放射線障害は例えご自身に影響がなくても、その子供にまで影響を及ぼしますから。
貴女が子供を産めなければ、そこでバリアンは終わりです」
「……………」
サラスは青ざめた表情で思わず下腹部に手を添えていた。
「……私が」
怒りからか、それとも恐怖からか。
サラスは小刻みに震えるその唇から、辛うじて声を絞り出す。
「……私が、いるから、魔法の杖を、使ってたの?」
「ええ。”あの人”が異世界転移実験を諦めてる以上、それ以外の理由はありませんもの」
「――サキっ!!」
聞くに堪えられない。
武蔵は刀を振りかざして、サキに襲い掛かる。
怒りに任せた大振りの一閃は、当然のように受け止められる。
刀と刀がぶつかり合う甲高い音が響く。
「あんたはっ! あんたは、そのためだけに!! ロボク村の人たちを!! パールを!!」
「わたくしにとって、この世界の人たちのことなんて、どうでもいいのです。
わたくしはただ、”あの人”と一緒にいたいだけなのです。
武蔵君だってそうでしょ? サラスさんやあの子と一緒にいられるのなら、ほかの全てを犠牲にするのではなくて?」
「一緒にするなぁぁぁぁぁぁっ!!」
力任せに鍔迫り合いを押し切り、サキのバランスを崩す。
体勢を持ち直す前に、一気にケリを着けたい。
体を捻り、サキの背後に回り込み、その回転をバネに一気に刀を突き刺そうとして――
「全然遅いですね」
気付けばサキが背後に回り込んでいた。
「――ガハっ!?」
衝撃が背中から訪れる。
肺が潰れたのかと思うくらい、空気が口から吐き出される。
最もそこには赤いものもいくらか混じってはいた。
「ムサシっ!!」
そのままサラスの近くまで転がり落ちる。
背骨はどうやら折れていないようだが、そうなってもおかしくない衝撃はあった。
「あら、ちょっと足蹴にしただけで、ずいぶんと派手に吹き飛ぶのですね」
「……着物姿の女性が、ヤクザキックだなんて、ちょっと、品がないんじゃないか?」
ヨロヨロと、どうにか立ち上がる。
強がりを述べながら、手元から失ってしまった刀の所在を探す。
が、どうにも見つからない。
「そうですね。では、少し上品に掌底でもどうでしょう?」
――マズイ。
そう思う間もない。
咄嗟に後ろに跳ぼうとするも、武蔵の身体が動き始めるより早く、腹部に強い衝撃。
「――ごふっ!」
次は空気が押し出されるどころではない。
血の塊を吐き出しながら、再び吹き飛ばされる。
「本当に遅いですね。
これでも加速度は三割も落ちているのですが」
「ムサシっ!!」
「さて――」
サキはすぐ横に立つサラスに向き直る。
「――っ」
思わず身構えるサラスだったが、サキはそこから何もしない。
いや、何もできないでいた。
「忌々しいですね。
手を伸ばせば簡単に殺せる距離にいるというのに、刀を振りかざすことさえままならないなんて……」
人を睨み殺すことができるのであれば、サラスはとっくに死んでいただろう。
それ程までにサキは憎らしさに表情を歪めている。
「私は――」
「――?」
そんなサキに対して、サラスはどこか救いを求めるような声音で問う。
「私は、この世界に――いらない存在だったの?」
サラスはずっとこの世界のために戦ってきた。
王様だからだと。自分の幸せさえかなぐり捨てて。
誰もが諦めてしまうような脅威に、足を震わせながら立ち向かってきた。
誰よりもこの世界と、この世界に暮らす人々の幸せを願ってきた。
そんなサラスを――
「ええ。貴女がいるから、誰も幸せになれないのです」
サキはその一言で殺した。
「―――――」
サラスの中で、何か――とても大切にしていた何かが――崩れていくのを、傍から見ていた武蔵でさえもわかった。
――そんなことはない。
だって、武蔵はこの世界に来て――辛いことも、悲しいことも、いっぱいあったけど――だけど、それでもよかったって思ったのだから。
「あああああああああ!!」
血の塊が口の中から吐き出る。
だけど、そんなことには構わず雄叫びを上げて、立ち上がってサキに飛び掛かる。
刀はない。
だけどそれでもサラスの間に割って入らないといけないと思った。
「しつこい人ですね。
見逃してあげたのだと、どうして気付かないのですか?」
武蔵の突進に気付いたサキは、やれやれと言う雰囲気で刀を振り上げた。
これ以上は本当に殺すという意思表示なのだろう。
上等だと武蔵は思う。
サラスを助けると決めたのだ。
それはこの世界に来て、最初に決めたことだ。
頼れる人はどこにいない、ここがどこなのかわからない、そんな状況で優しく手を差し伸べてくれたサラスが、今、殺されようとしている。
だったらせめて彼女を守る盾ぐらいにならないと、武蔵はこの世界で何にも報えない。
「ああああああああああああ!!」
決死なんて呼べるものではない。
必死にしてもあまりにも無策だった。
それでもサラスの前に立たないといけない。
そんなただの意地でしかない突撃を、
「もういいのっ!」
サラスが阻んだ。
まるでサキの一閃から守るように大きく腕を広げて、武蔵の前に立ちはだかった。
「――っ」
勢いは止められず、そのままサラスの胸に飛び込むようにして抱えられる。
サラスはとても傷付いているはずだった。
自分の存在は不要だったと、何よりも大切にしようとしたものから突き付けられたにも関わらず、サラスはとても穏やかに、武蔵を諭すように言う。
「もう、いいの」
「……なにが、いいんだよ」
「私のこと、もう、助けなくても、いいの」
「―――――」
思わず顔を見上げる。
吐息さえ感じられる距離感で目が合うと、サラスは悲しそうに微笑んだ。
「私は、やっぱり、ムサシの――みんなの大切なもの、奪ってばっかりで。
また、ムサシが大切だって言ったもの、奪っちゃうね。ごめんね」
「何を、言って……」
「私はムングイに、帰れない」
「……え」
「ムサシは、パールと二人で、帰りたいと思うところに、帰るの」
初めて手を差し伸べられたとき以上の優しさで包まれていると武蔵は自覚する。
それと同時にサラスが何をしようとしているのかわかった。
「サラス……待って……」
彼女の温もりが離れていく。
離れた場所から凍り付いていくような、そんな悪い予感に、武蔵は思わず手を伸ばす。
彼女が差し伸べてくれたような優しい手ではなく、惜しむように、求めるように。
そんな何もかもが終わってしまうものに対しての未練で持って、手を伸ばす。
――だって、俺は、彼女に、まだ、何もしてやれてない。
与えられたものに対して、何一つ返せていない。
ただただ辛いものばかりを見させてしまった。
仇ばかり返してしまった。
何一つ助けてあげられなかった。
――俺は、
「――サラス!!」
叫ぶと同時に、
サラスの姿が消え、
次の瞬間、
サキは振り上げた刀を下せぬまま、
武蔵が無くした刀でもって、
サラスによって貫かれていた。




