第132話 彼女思う、ゆえに彼女あり
サキの動きは全く見えない。
剣道で言うところの残心はあるものの、攻撃に入る前の予備動作が全く見えないのだ。
加えて、高周波ブレードは防ぐという行為そのものを無意味にする。
剣である以上、何度か受け止めてしまえば刃こぼれもするだろうし、刀身に使われている物質より硬いものであれば防ぐことはできるだろう。
ただその見極めを武蔵にできるわけがない。
鍔迫り合いなどしていられない。
受けた刃ごとその肉体を切り裂かれる。
サキの攻撃を受けるわけにいかない。
しかし予備動作すらない。
武蔵は勘だけで彼女の攻撃を躱すしかなかった。
それもサラスを抱えた状態で。
以前は一騎打ちでさえも押し切られていたのだ。
本来サラスを抱えて戦うのは、相当なハンデを抱えて戦うに等しいことだった。
サラスを抱え込むことで、サキの攻撃はどうにか見えるものには変わった。
それはアンドロイドに仕組まれた「バリアンを傷付けてはいけない」という呪いのせいだろう。
――呪い。
逐一躊躇いのような反応を見せるそれは、サキにとっては呪いと呼ぶに相応しいだろう。
それでも瞬間移動のような動きは変わらない。
肉迫は瞬きの間に行われる。
ほとんど見えるか見えないかのカットバックを挟み、武蔵たちがいた空間に刃が通る。
そんな隙とも言えない隙を、”勝利の加護”による肉体強化と超感覚で突いて辛うじて躱すのだ。
はっきり言ってしまえば、武蔵に勝ち目などほとんどなかった。
以前、サキが操っていたアンドロイドのマリウスにさえも、恐らく武蔵は勝てなかっただろう。
今の彼女は呪いの影響はあっても、マリウスよりも速い。
マリウスはプリムスのレールガンによって大破した。
以前サキと直接対決したときは、ヨーダの介入もあってどうにか退けた。
だったら武蔵一人で勝てる道理はなかった。
「くっ!」
何度目の攻撃を、これもまた勘頼りの横っ飛びでどうに躱す。
サラスが武蔵にしがみ付いてくれているから、まだそんな大きな動きもできるが、彼女の体力だってどこまで持つかわからない。
長期戦は武蔵にとっては圧倒的に不利だった。
しかしだからと言って短期決戦に持ち込む材料を、武蔵は持ち合わせていない。
――いや、一つだけなら!
「――サキさん!!」
たった一つ、武蔵には心当たりがあった。
次の攻撃を後ろ飛びに躱し、その僅かな間隙の中で、武蔵は藁にも縋るような思いで叫ぶ。
「Sleep!!」
サティは「Wake up」と言って目を覚ました。
ならば単純に英語で命じれば、それだけで機能停止するのではないか――。
しかし、やはりそんな甘い話ではない。
「武蔵君に、わたくしを自由にできる権限なんてありません!
わたくしに命令していいのは、”あの人”だけです!」
ロースムはアンドロイドたちの命令権をサラスと武蔵にも与えたと言っていた。
事実、他のアンドロイドたちは武蔵の言うことを聞いていた。
しかし、やはりそれはサキには当てはまらなかった。
「―――――」
破れかぶれに近い策であった。
だけど一つだけ可能性を見つけた。
もっとも単純な決着の付け方であり、唯一、武蔵にとって長期戦に持ち込んだ際の勝利条件だった。
勝ち方がわかってさえいればこその能力が、武蔵の”勝利の加護”だ。
あとはそれがどこまでの範囲で適用されるのか――
「えっ――ムサシ!?」
「――!? しまっ――」
そう思っていた矢先、突然の浮遊感に襲われ、武蔵は全身から血の気が引いた。
剣戟を躱した先に、地面が無かった。
サキの攻撃に集中するあまり、周囲に気を配ることを完全に怠っていた。
結果、屋上の淵まで追い込まれていることに気付かず、自ら空中へと身を投げていた。
「――っ!」
どうにか屋上の縁に手をかける。
サラスと合わせて二人分の体重。
指先に激痛が走るが、身体強化の効果もあってか、どうにか落下から免れる。
しかし刀は遥か数十メートル下の地面へと落ちていった。
どう考えても人が落ちて助かるような高さではない。
サラスを持ち上げて、どうにか屋上に戻ることも可能だろう。
しかしそこにはサキが待ち構えている。
「勝負ありましたね。
サラスさんを見捨てるのなら、武蔵君だけは助けてあげてもいいですけど、どうしますか?」
月を背にして、逆光となった彼女の表情は見えない。
その声は優しい慈愛に満ちているものにも、冷徹なまでに凍えたようにも聞こえた。
「ムサシ……私は……」
抱きかかえたサラスが不安そうな声をあげる。
恐らく「私のことはいい」と言うに言えなかったのだ。
サラスのことだ。自らの命だけなら躊躇わずにそう言っただろう。
しかしサラスが死ねば魔王がこの世界に残ってしまう。
それはムングイ国王として、許せなかったのだ。
「……サラス、大丈夫だから」
どちらにしてもサラスを見捨てるなんてありえない。
二人で飛び降りた方がまだマシだと思えた。
――だけど、どうだ? 助かるか?
「そうですか。残念です。
でも気持ちはわかります。わたくしも武蔵君の立場になれば、同じようにしたと思います」
そう言いながらサキは高周波ブレードを構える。
覚悟を決めるしかない。
「では、さような――」
「ご主人様!!」
縁にかかる手を放そうとした、そのとき、サキの身体が宙を舞った。
その身体に、もう一人、サキに抱き着くエプロンドレスの女性の姿が見えた。
「サティ!!」
サキを抱えたまま落ちていくサティ。
この高さから落ちれば、アンドロイドであるサティだって無事では済まないはずだ。
それなのに――
どうにかその姿を目で追えば、サティは武蔵に向かってピースサインを送っていた。
「あいつ……」
そしてそのまま建物の影の中に消えていった。
姿は見えなくなってしまったが、固いものがぶつかる鈍い音だけは武蔵の鼓膜にも届いていた。
「今の……サティ? でも……」
「サラス、持ち上げるから、屋上に戻れるか?」
「あ、う、うん……」
サラスに続いて、屋上へと戻る。
そして建物の下に目を凝らすが、月明かりの届かない場所に落ちたのか、サティもサキの姿も見えなかった。
「サティは……大丈夫、かな?」
「……大丈夫だろう。あいつ、結構しぶといからな」
サティの身を案じていないわけではなかったが、彼女のピースサインを思い返す。
問題ないと言いたかったのだと思いたい。
しかしそれは同時にサキもまた無事である可能性が高いということだ。
「サラス、ロースムにサキを止めさせる。ロースムを探そう」
サキははっきり『わたくしに命令していいのは、”あの人”だけです!』と言っていた。
だったらサキを止めるのは簡単だ。ロースムに命令させればいいだけだ。
ロースムだって元の世界に帰りたいはずだ。
ならばサラスを殺させるわけにはいかないだろう。
「……………」
ただ、そこにも問題はあった。
武蔵はサラスを救いたい。
だけどロースムはそうじゃない。ロースムにとってサラスは元の世界へ帰るための手段でしかない。
それは武蔵の目的と明らかに反する。
――場合によっては、ロースムとも戦うことになるかもしれない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ケイがバリアンの娘を襲い掛かっただって?」
「はぃ。
ただいまぁ、ご主人様と戦ってますぅ。どうしますかぁ?」
スラはアルクの書斎のドアを開けっ放しのまま報告していた。恐らくすぐに駆け付けるものと考えた配慮だろう。
しかしそんなスラの考えに反して、アルクイストは特に駆け付ける理由も見当たらず、スラが訪れる前と同じく、深く椅子に腰掛けて目を瞑った。
「アルク様ぁ?」
責めるような声音が耳に響く。
眠るものだと思われたのだろう。現にアルクは普段からそうやって寝ていた。
「放っておきなさい」
「よろしいのですかぁ?」
「ケイにバリアンの娘は殺せないよ。
彼女が殺せるのはせいぜい武蔵君までだよ。それなら特に問題はないよ」
「それは僕が困りますぅ。また仕える人がいなくなってしまいますぅ」
「そうだね。ならば君は助けに向かえばいいさ」
「そうしますぅ」
言うが早いか、スラは書斎から飛び出して行った。
ドアは閉めてくれなかった。
改めて閉めに行く気もならず、アルクイストはそのまま思案に暮れた。
――果たして、あのアンドロイドはバリアンの娘を殺すか?
スラの報告を聞いて、アルクイストはこれはチャンスだと考えた。
長年に亘りアルクイストが自らに投げかけた哲学的な疑問に答えが出るかもしれない。
――曰く、彼女がケイであるかどうか。
彼女はケイ自身が一番最初に造りながら、最期まで起動させなかった、云わば最初にして最後のアンドロイである。
その設計コンセプトはアンドロイドというよりもアバターに近く、人の記憶をコピーして植え付けることにより完成するロボットであり、素体の構造は他のアンドロイドと全く同じではあるが、根幹部分を担うハード、ソフトにおいては一線を画す。
実のところケイは彼女を造ってみたものの、稼働させるつもりはなかったようだった。
しかしケイは瀕死の間際、彼女に己の記憶をコピーした。
ケイは死んだ。アルクイストの目の前で、確かに死んだ。
だけどケイは自身の記憶を彼女へと受け継がせた。
ならば、彼女はケイであるはずである。
しかし起動したアンドロイドは自らを「サキ」と名乗った。
姉であるはずの「サキ」を名乗ったのだ。
では彼女は「ケイ」ではないのか?
アルクイストはそうは思わなかった。
彼女が「サキ」を名乗る以上、「サキ」を知らなくてはならない。
ではその「サキ」の情報はどこから来たかと言えば、ケイの記憶からでしかない。
あくまでも彼女は「サキ」を演じようとしている「ケイ」なのだ。
アルクイストはそう考えていた。
――しかし。
『――わたくしは、サキです。ア――アルク! 貴方の妻、サキの代用品です!』
「……代用品、ね」
それはケイの思考とも、ましてサキの思考とも違っていた。
数学者のデカルトは言った。
『我思う、ゆえに我あり』
彼女は己のことをアンドロイドとして自覚していた。
それは己のことを疑っている自意識が存在していることを意味する。
なら――
「彼女のこと、認めないといけないのかも」
そのためにも今、このときにこそ、彼女が何者であるのか、改めて考えないといけないと、アルクイストは思った。




