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第128話 終わりのノスタルジア

 明日の夜――正確にはもう今日の夜だろうか。


 未だに元の世界へ帰れるという実感も沸かず、興奮なのかそれとも不安なのか、自分でも判断が付かない感情を持て余していた。


 これから一緒に日本へ行くことを、パールに伝えようと思った。

 しかし安らかに眠るパールを起こす気にもなれず、珍しくヘレナの姿がないのに、武蔵はただただ無菌室の外から窓ガラス越しにパールを見つめていた。


 ――本当にこれでいいのか?


 ――先にちゃんと話をすべき相手がいるんじゃないのか?


 誰とだ? それはもちろんサラスとである。


 ロースムが退室してからも、まともにサラスと話ができないまま、気付いたら武蔵はパールのところにいた。

 まるで逃げているようだった。


『ムサシを元の世界に帰してあげる』


 帰りたくないのかと聞かれれば、帰りたいと武蔵は答える。

 真姫が今どうしているのか、心配じゃないわけがない。

 パールだって、日本に連れて帰って治療した方がいいに決まっている。


 だけどバリアンの力がサラスにどんな影響を及ぼすのか――それを考えると本当にサラスに頼ることが正しいとは思えなかった。


 サラスは大丈夫だと言った。

 サラスの作り笑顔が頭から離れない。

 それは精一杯の強がりなんだと武蔵にはわかる。


 その強がりを尊重すべきかどうか――武蔵には何が正しいかなんてわからなかった。


「クソっ!」


 苛立ちを窓ガラスにぶつける。

 丈夫に作られたそれはビクともしなかったが、それでも廊下中に響き渡る音が鳴った。


「――酷い顔をされてますね。もし、よろしければ私が慰めて差し上げましょうか、ご主人様?」

「えっ――」


 懐かしい声が聞こえて、振り返る。

 そこにはパールを大人にしたような風貌のメイドさんがいた。


「――サティ」

「はい、貴方の夜のお供、今から私はダッチワイフのサティです」


 懐かしいやり取りに涙が出る。

 以前はパールの前でなんて怒ったが、今はそんなことお構いなしで、気付けばサティに抱き着いた。


「ご主人様、しばらく見ないうちに、随分と積極的になりましてね」

「ムード台無しだ、馬鹿……でも、よかった……本当によかった」


 以前のように記憶を失ったりしていない。

 正真正銘、武蔵が知るサティがそこにいた。


 もしかしたら、自分が殺してしまったのではないかと、ずっと怖かった。

 何とかしたいと、必死になればなるほど壊れていく姿が、今も脳裏に残っていた。


 だから、本当によかったと。

 武蔵はしばらくサティの胸のなかで泣いた。




      ◇




 当然だが、サティはロボク村での核爆発以降の出来事を知らなかった。

 それどころか、どうして自分が起動停止してしまったのかもわからない様子だった。


「いきなりビリリと痺れたと感じましたら、気付けばこの建物におりました。

 ――ここは一体どこなのでしょうか?」

「知らないのか?」

「ええ、全く見覚えがございません」


 確かに記憶を失ってからのサティは魔王関連のことも全く知らなかった。


 武蔵はサティが起動停止してからの一年間を掻い摘んで説明した。




「なるほど……ご主人様とお嬢様が結婚ですか」

「真っ先に気にするのがそこ?」

「はい。

 このロリコン野郎と思いますが、お目出度いことですから」


 色々と反論も訂正もしたいこともあったが、サティに口で勝てる気がしない。

 とりあえずそこの部分に関しては黙殺する。


「それで、ご主人様はどうして奥様の部屋の前で鬱憤を爆発させていらっしゃるのでしょうか?」


 早くも奥様呼びしていることも、とりあえず無視する。


「パールに怒ってるわけじゃないよ。

 ただサラスのことをどうしたらいいかわからなくて……」

「なるほど、第二婦人問題ですね」

「いや、違うからね!」


 いよいよ無視できなくて突っ込んでしまった。


「違うのですか? でもご主人様、サラス様にもプロポーズなさってましたよね?」

「そんなことしてなっ――あー」


 否定しようとしてから思い出す。

 確かに、ロボク村で武蔵はサラスの頭を撫でた。

 知らなかったとは言え、あれがこの世界での求婚だった。

 そしてサティもあの場にいたのだ。

 武蔵からすればあればもう一年も前の出来事でも、サティからすれば昨日一昨日くらいの出来事なのだ。


「ご主人様、差し出がましいかもしれませんが、ここは正直に話をすべきかと思います」

「何を正直に話すべきなんだ?」


「どちらも幸せにすると言うべきです」


「……………」

「大丈夫です。ご主人様ならできます。

 私も陰ながら見守っております。私は今から、家政婦のサティです」

「それ、最後には何もかもぶちまけてぶっ壊す奴だからな」


 あと服装的にも最初からサティは家政婦だ。


 久しぶりのサティとの会話に、完全に彼女のペースに呑まれてしまっている。

 だけどサティの言う通りなのかもしれないと思った。


「――どちらも幸せにする」


 色々なことが複雑に絡み合って、何が正しいのかなんて全くわからないけど、本当に望んでいるのはそれだけだった。

 だからサラスが不幸になる可能性が少しでもあるのは嫌なのだ。

 わがままかもしれないけれども、何もかもうまくいく方法を見つけたい。


「ほら、ご主人様、まずは第一婦人とお話しを!」

「えっ、えっ? ちょっ、ちょっと、サティっ?」

「家政婦は見てますから、頑張って下さい」


 無理やりパールの部屋に押し込まれる。

 ヘレナが見ていれば鉄拳制裁ものだが、幸いなことに彼女は留守だ。


「――ムサシくん?」

「あ、悪い、パール、起こしちゃったか?」


 ベッドの上でパールがモゾモゾと身じろぎをしていた。

 サティは勢いよくドアを閉めていた。きっとうるさかったに違いない。


「ううん、いいよ……うれしい。

 いつも、がらす越しだったから。

 ムサシくん……頭なでて」


 言われるがままにパールの頭を撫でる。

 ツルツルのパールの頭に触れるのには、未だに抵抗を感じる。

 気持ち悪いとか、そういうのではない。

 パールの大切な何かに直接触れているような気分になるのだ。

 だから以前よりもそっと触れるようにしている。

 パールにはそれこそばゆいのだろう、目を細めてくすぐったそうにしていた。

 

 パールの治療は投薬と血液検査の繰り返しだった。

 薬を打って、しばらく様子を見て、血液検査で薬の効果を確認して、また次の薬へ。

 薬を打っている間のパールは、本当に見ていて心が苦しくなる。

 起きては吐いて、寝たと思えば苦しみだして、また起きては吐いての繰り返しだ。


 今はお休みの期間だから、サラスにも「良くなった」と言えた。

 だけど投薬中のパールの前で、果たして同じことが言えたかどうか――。


 苦しむパールを見ていると、もうこれで助からないのではないかと不安になる。


 もっとちゃんとした医者に診てもらいたい。


 こんな場所ではなくて、もっと安心できる場所で治療してもらいたい。


 だけど――


「……ムサシくん」

「うん?」


 パールはまどろんだ目を向けている。

 まだ眠いのかもしれない。

 苦しみだすと何日も眠れない日々が続く。

 寝れるときに寝かせてあげた方がいいと、そろそろ退室しようかなと思っていた矢先、パールは服の裾を握り締めた。


「パール?」

「わたしは、死なないよ」

「……………」

「いっしょに、生きるって、約束したから」


 そう言ってパールは胸元から指輪を取り出した。

 パールはこんな状況でも、それを肌身離さずに持っていた。

 当然、武蔵も決して離さずに持っている。

 胸元に下げた指輪を、武蔵も触れる。


「だから、ニッポンには、行かない」

「……パール」


 思わず、触れた指輪を握り締める。


「わたしは、ぜったいに死なないよ。

 ニッポンに行かなくても、だいじょうぶ。

 ここで、病気を、治すの。

 治して、ムングイに、帰る。

 ムサシくんと、サラスと、三人で帰るの」


「―――――」


 パールはレヤックだ。

 人の心を読むことができる魔女で、そのせいで迫害を受けてきた魔女の一族だ。

 でも、だからこそ誰よりも優しかった。


「サラスは今、泣いてるよ。

 ずっとずっと泣いてるよ。

 わたし、サラスのことも好き。

 ムサシくんの次に好き。

 だから、助けて欲しい。

 ムサシくんだって、サラスのこと助けたいって、ずっと思ってたはずだよ」  


 ――だからパールは全て理解した上で、武蔵の背中を押すのだ。


 サティは話をすべきと言った。

 だけどパールには話す前から全て筒抜けで――だからこそ武蔵は最も大切なことを話した。


「パール、愛してる」


「うん、知ってた」


「でも、言わせて。大切なことだから。ちゃんと口にして伝えたい」


 今の今まで一度も口にしてこなかった。


 口にしなくても伝わるとか、そういうのとも少しだけ違う。

 きっと本気で口にしてしまうと、何かが終わるのだと思っていた。

 本当はもうとっくに終わっていたのかもしれないけれども――。

 だけどもう迷わない。決めたのだ。


「愛してる。

 だから、待ってて。

 ちゃんと帰ってくるから」


 ――ここが俺の帰る場所なのだ。


「うん。まってる」


 笑顔のパールを久しぶりに見た気がした。


 今はそれだけで十分だ。


 その笑顔に送られて、武蔵は部屋を出た。

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