第123話 第一次ムングイ事変Ⅱ
「はっ……はっ……はっ……はっ……はっ……」
手を引くカルナの呼吸が荒い。
繋いだ手と逆の腕からは雨に混ざった血が滴り落ちている。
それでもその手から剣を離さないのは、どうしても自分を守りたいという気持ちからだとわかり、サラスは居た堪れない気持ちになった。
「カルナ……もういいの……」
「なにが、いいもんですかっ! とにかく、今は、ヨーダを探すのよ!」
それが難しいことはカルナもわかっているだろう。
騎士団に追われ街を出て、森の奥まで来てしまった。もう彼らを撒いて城へ戻るのは難しいだろう。
そしてそれ以上にサラスは、ここにカルナが居る限り、ヨーダは絶対に出て来ないと確信していた。
魔王との繋がりだけではない。
カルナの母親を殺したこと。ヨーダにとってはそれが一番知られては困ることだ。
そしてサラスとしても、それをカルナに知って欲しくはない。
無意識にその事実から目を背けているカルナが、もしそれを知ったらどうなってしまうのか――考えたくもない。
雨は一層強くなり、逃走する二人の痕跡は消してくれていた。
今のところ騎士団の影は見当たらない。
だけど怪我を負ったカルナには、この雨は辛い追い打ちだ。
雨はじくじくと弾痕に染みて行き、きっと歩くのだって辛いはずだ。
いずれ騎士団に追いつかれるのは時間の問題だった。
二人一緒に捕まるのは不味い。カルナまで反逆罪に問われる。
そうなってはヨーダだって庇い立てできないだろう。
サラスは何もかも諦めていた。だけどカルナのことまで諦めたわけではない。
「カルナ……聞いて……」
「ごめん、今は、そんな余裕、ない」
「いいから聞いて!!」
引かれた腕を逆に引っ張る。
カルナの身体も限界だったのだろう。それほど強く引っ張ったつもりはなかったのに、それだけでカルナはよろめいてしまった。
「カルナ……全部、本当のことなの……」
「……なにがよ」
「私が、魔王と繋がってるって……本当のことなの……。私が裏切り者だって、本当のことなの。
だから、カルナが私のこと庇う必要ないの。私を連れて、城に戻って」
それで少なくともカルナまで罪に問われることはない。
カルナはあくまでもサラスの護衛で、彼女を最後まで信じて守ろうとした。だけどカルナもやっぱり騙されていて、それに気付いて裏切りの王女様を連れ帰った。
ヨーダならきっとそんな筋書でどうにかしてくれるだろう。
「カルナは何も知らなかったでしょ? だから、カルナまで、こんなことしなくても――」
「知ってたわよ」
「えっ?」
「あんたが魔王と繋がってたなんて、知ってたに決まってるでしょ! 舐めるんじゃないわよ!」
怒鳴った拍子に傷口が痛んだのだろう。
一瞬カルナは表情を歪めたが、それを無視するように続けた。
「あんた浅はかよ!! 気付かれてないと思ってた!? ばっかじゃないの!? ばればれだったわよ!!」
追われていることも忘れてしまったように、怒鳴り散らすカルナ。
サラスはこんなに怒ったカルナを見たことがなかった。
「あたしずっと言ってたじゃない! あんたが隠し事しないで済むように、がんばるって!
なのに、あんた、たかだか魔王と繋がってたこと気にしてたんなら、ほんとにばかよ!
だってね、全部、この国のためにやってるんだって! あたしがわからないとでも思ったの!?」
「カルナ……」
「あんたはあたしの妹みたいなもんなんだから! あたしが、あんたのこと、一番理解してるんだから!!」
「――あぁ」
そうだった。
心を失って、動く死体のようになってしまったサラスを、この世に引き戻したのがカルナだった。
そのときの記憶はサラスにほとんどないけれども、だけどその在り方はまさしく姉妹のようであり――確かに、カルナはサラスの一番の理解者だった。
だからこそ。
隠し事は止めよう。
本当のことを話そう。
「私、カルナのお母さんを殺した人のこと知ってるの」
「えっ」
今度こそ本当のことを話して、それでカルナにはサラスが裏切り者であるとしっかり理解してもらわないといけないと思った。
「私、カルナのお母さんを殺したのが誰か、知ってるの」
「―――――」
カルナがサラスの姉であるなら、サラスはカルナの妹である。
カルナがサラスの一番の理解者であるなら、サラスがカルナの一番の理解者である。
カルナが次にどう動くかはわかっていた。
サラスの目の前に迫るのは、カルナの血が滴る剣だった。
ロボク村で、サラスはカルナのことを殺そうとした。
ならば、これでお相子だと思った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
甲高い金属音の響きに、武蔵はデジャヴを感じた。
それは今から一年以上昔、同じようにカルナの剣を受け止めていた。
傷痕は残ってしまったが、痛みはもう全くなかったはずだった。それなのに今になってそこがズキズキと痛むように感じた。
「どうして、カルナっ!?」
それも当時と同じ叫び。
だけど内心は当時よりも混乱していた。
カルナの攻撃は明らかにサラスを殺そうとしていた。
ギリギリで割って入ることはできたが、予想だにしていない事態だっただけに、咄嗟に身体が動けたことが奇跡のようだった。
「……ム、サシ?」
ただ受けた剣に、もう全く重さを感じない。
カルナ自身も自分がやったことが信じられないようで、目はすっかり泳いでしまっていた。
カルナの握る剣は、その手から滑り落ちた。
「ち……違う……そんな、そんなつもりじゃない……だって、サラスが……お母さんが……あたしを……」
「……カルナ?」
明らかに様子がおかしい。
後退るカルナの目は、ここではないどこかを見ていた。
「……サラス?」
振り返るが、サラスもまた目を逸らした。
まるでばつが悪いことがあったかのようだった。
「ご主人様ぁ!!」
そんな雨音ばかりが際立つ張り詰めた空気を、やや間延びしたスラの声が割って入った。
サラスの居場所がわかるということで一緒に来てもらっていたのだが、サラスとカルナの姿が見えたので置いてきたのだ。
「伏せてくださいぃ!!」
「え?」
喋り口調に反していつだってせっかちなスラだが、その言葉は真に逼迫したものだった。
――突如、雨雲だった空が晴れた。
そう錯覚するほどの閃光が辺りに広がった。
大地はその脅威に震え、風向きは不自然に変わりやがて雨粒を肌に叩きつける。
何が起きたのか、すぐに理解する。
この経験は初めてじゃない。すでに二度も、これと同じ現象に遭遇している。
過去の二度に比べれば規模は小さいが、それでも三度目ともなれば、これが何なの嫌でもわかる。
魔法の杖が使われたのだ。




