第121話 第一次ムングイ事変Ⅰ
「……これはどういうつもりなの?」
屋根を叩く雨音に掻き消されそうな声で、サラスは呟いた。
騎士団の面々にも戸惑いの色が強い。それが分かったからこそ、まだ冷静さを装うことができたが、それでも内心は恐怖と、それ以上の驚きと、さらに強い悲しみが心を占めていた。
寺院の最奥。主に祈祷と神託のために用意された部屋。しかしそのほとんどがヨーダとの密談に使用していた部屋で、サラスは騎士団に取り囲まれていた。
例によってヨーダに「話がある」と呼ばれて来ただけに、サラスは初め何が起きているのかさっぱりわからなかった。
「えっ、見てわかんないっすか? アンタ、裏切られたんすよ」
「裏切られた?」
「あ、いや、違う、逆っすね。裏切ったのはソッチっすね」
――誰が? 誰に?
騎士団員たちからピストルを突き付けられていてなお、サラスは起きていることが現実のこととは思えず、正面でニヤニヤと笑うクリシュナをただ呆然と見つめていた。
「あのね、クリシュナ。なにを言ってるのか、ちっともわからないの。
もう一度訊くけど、これはどういうつもりなの?」
「それはこっちの台詞っす。
アンタ、魔王と手を組んでどうするつもりっすか?」
――魔王と手を組んだ?
サラスからすればそれは全く予想をしていなかった言葉だった。
「――サラス様!? 魔王と繋がってたってのは本当ですか!?」
「魔法の杖がどこで使われるかも、事前に知っていたんですか!?」
「ちょっ、ちよっと待って!! いったいなにを言ってるの!?」
取り囲む騎士団からも矢継ぎ早に捲し立てられて、サラスはたじろぐ様に後退った。
「アンタが魔王と密会していたってもっぱらの噂っす。
一年以上前から機械人形がこの城に居座ってたのは、この城に出入りしていた人なら誰でも知ってるっす。
ロボク村で魔法の杖が使われるずいぶん前から、ロボク村に警告を出していたとも聞いたっす。そんなの魔王と繋がってなきゃわかるわけないっす!」
――本当になにを言ってるの?
混乱している頭では、すぐさま反論の言葉が出ない。
そもそもロボク村に魔法の杖を持ち込んだのは他でもないクリシュナである。それを棚上げした発言に、サラスはようやく怒りを覚えるも、
「ウチが、魔王に脅されて、奴隷のように使われてたとき、アンタは魔王と手を組んでたんすか!? そんなのあんまりっす!!」
「――――っ!?」
反論の糸口さえ、クリシュナに塞がれてしまう。
だけどお陰で少しばかりは冷静になれた。
「ヨーダ!? ヨーダはどこにいるの!?」
ここに呼びつけた張本人を呼ぶ。こんなにも声を張り上げたことはない。雨音に負けないよう、城中に響き渡らせるつもりで大声を上げる。
「団長なら来ないっすよ」
「……ヨーダになにをしたの?」
精一杯の抵抗のつもりでクリシュナを睨みつける。きっとちっとも脅しになんてならないだろう。
クリシュナは馬鹿にしたように口元を歪めた。
「なんもしてないっすよ。だって団長が指示したんすよ?
姫さんが魔王と手を組んでる、取り押さえて牢に拘束しろって」
「……………え?」
――ヨーダが指示した? この状況を?
「嘘よっ!! そんなことない!! ヨーダがそんなこと言うはずない!!」
長い黒髪を振り乱し叫ぶ。
胃の底にずっしりと重いものが落ちていく感覚に囚われ、今にも倒れてしまいそうな意識を必死で繋ぎとめるように、地面を踏みしめて、全力で否定する。
そんなサラスの様子に騎士団からはますます困惑した表情を浮かべていた。
それで気付いてしまった。
騎士団の全員が疑心暗鬼の中ここにいる。それでもサラスを取り囲んでいるのは、誰かに指示されたからだ。
クリシュナを副団長に任命したのはサラスだが、それが騎士団からは反感を買っていたことは知っている。
そんなクリシュナからこんな無茶苦茶な命令を下されて従うわけがない。
もっと信頼を置いている誰かから指示されたのだ。
「……嘘よ……」
いよいよ雨音は雷雨に変わり、その声は誰にも届かなかったかもしれない。
サラスでさえも、その空虚な呟きが言葉通りであるなんて思えなかった。
もう気丈になんて振舞えなかった。
誰よりも信頼していた人物に裏切られたのだ。
――違う。そうじゃない。きっともうとっくに駄目だったの。
ロボク村での出来事で、すでに自覚していた。
――私は、王様失格。
それ以降の判断はヨーダに頼りっぱなしだった。
クリシュナを副団長に任命するのも、ヨーダに言われるがままに決めてしまった。
自分でも疑問に思っていた。
――街を襲った人間をどうしてそこまで優遇するの?
しかしそんな単純な疑問さえ口には出さなかった。
――ヨーダが決めたことだから大丈夫。
自分は王様なのに、いつしか判断することからも逃げていた。
その結果がこれなのだ。
「サラス様! なにか反論して下さい! サラス様!」
「……………」
何も言う気にはなれなかった。
決めることを止めてしまった王様が、国民に一体何を言えばいいのだろう。
「なんも反論なしっすね。じゃ、大人しく牢屋まで来るっすよ」
「サラス様……」
初めて裏切られたという顔をする騎士団の面々に、本当にもう取り返しのつかない失敗をしたのだと知る。
だけどもう今更どうすることもできない。
サラスは項垂れるようにして、ただただクリシュナに従おうとして――
「サラスっ!!」
その間に突如カルナが割って入る。
騎士団を掻き分け、サラスを庇うようしながら剣を構えた。
「あんたたち、なに考えてんの!? 反逆罪で処刑されたいわけ!?」
「反逆者は姫さんの方っすよ。姫さんが魔王と繋がってること、カルナだって薄々は気付いてたんじゃないっすか?」
「そんなわけないでしょ!
あんたたちも、そんなもん下して、ちょっとは冷静に考えなさい!!」
カルナがサラスを庇ったことで、騎士団もますます混乱していた。何人かはカルナに従うように、ピストルを下ろした。
クリシュナはそんな騎士団に呆れたような視線を向ける。
「冷静に考えるのはカルナの方っすよ。これは団長命令っすよ?」
「だったら団長を連れてきなさい! お父さんはどこにいるの!?」
普段なかなか呼ばない「お父さん」という言葉に、カルナも相当に焦っているのだとわかる。
恐らくヨーダがこの場に現れないのは、サラスが真実を告げたときに、事の追求がヨーダにまで及んでしまうからだ。後からサラスのいない場であれば、言い逃れはいくらでもできると踏んでいるのだろう。
ただ、いよいよクリシュナにも苛立ちの表情が見え始めた。
さらに一歩詰め寄って改めてピストルを構えるので、カルナはそれと同じだけ距離を取るようにサラスを背中で押した。
「庇い立てるってことは、カルナも同罪ってワケっすね。
残念っす。せっかくトモダチになれたと思ってたんすけどね」
「――っ」
「カルナ……もういいの。私が大人しく捕まればいいだけだから」
「――それじゃあまるで認めるみたいじゃない! 違うなら堂々としてればいいでしょ!?」
「……………」
違う――とも言い切れない。
実際にヨーダを通じて魔王側の情報を掴んでいたし、時には交渉事のようなこともしていた。
だけどカルナはそんなことは知らない。誰もそんなことは知らない。サラスと、ヨーダだけがわかっていればいいと、誰にも相談なんてしなかったのだから。
「……サラス?」
なにも答えがないことに、カルナは怪訝そうに背後に視線を向けようとする。
その隙をクリシュナは見逃さなかった。
「じゃ、サヨナラっす、カルナ」
「――カルナっ!!」
サラスの悲鳴のような声は、響き渡る破裂音によって掻き消された。




