第120話 諦めるまでの命
パールには辛い日々が続いていた。
食事も満足に採ることができず、点滴だけで栄養を確保していた。初めて見る注射に怯えていたのも最初だけで、気付けば嫌がるだけの余力もなくしていた。
もう胃袋には何も入っていない。それなのに吐き気だけは続いているようで、数分後とにえずいていた。
夜も満足に眠れない。目に見えて衰弱していく様子に、武蔵は見るに堪えなかった。そんな武蔵の心を読んでか、パールは気丈に振舞っていて、ますます切なくなってしまった。
そんなパールも一度だけ武蔵の前で大泣きしたことがあった。
抗がん剤の副作用で髪の毛が全て抜け落ちてしまったときだ。
そんな姿を見られるのが嫌だったのか布団を頭まで被って、わんわん大声を出して泣いていた。
「こんな頭じゃムサシくんに撫でてもらえない!!」
無菌室に隔離されてしまっているパールとは、言葉を交わすにしてもガラス越しだった。
頑固なエレナは一切の接触を許さなかったが、このときばかりは殺し合い寸前の大喧嘩となり、ロースムの仲裁もあってどうにか無菌室に入れてもらえるようになった。
久しぶりに対面したパールは、余程禿げた頭が恥ずかしいのか、なかかな布団から出てこなかった。
「……昔さ、パールと同じ病気になった人のドラマを見たことがある」
学校帰りの夕方に、昔のドラマの再放送の話だ。ふとそんなことを思い出したのは、この状況がそれによく似ていたからだろう。
「……どらま?」
「あー、うーん、演劇かな。とても綺麗な人で、その人もパールみたいに、治療で髪の毛が無くなっちゃうんだけど、でも、変わらずに綺麗だったよ」
「……その人も泣いてた?」
「どうだったかな……泣いてなかったような気がする。面倒だから、剃っちゃったって、気丈に振舞ってたから」
「……………」
だから何だと一蹴されてもおかしくない話をしてしまったようにも思う。所詮はフィクションの中の話だ。
だけどパールは興味を持ってくれたのか、それとも別の何かか、とりあえず布団から顔を出した。
ドラマでも、髪の毛が無くなった女の子の姿を見て、恋人の男が驚いていた。
覚悟はしていた。だけどそれでもパールの姿を見て、武蔵はショックを受けた。
髪の毛だけじゃない、久しぶりに間近で見たパールは、枯れ枝のように簡単に折れてしまいそうなほど細かった。
「うん。やっぱり、変わらずに可愛いよ」
パールに嘘はすぐバレる。
嘘ではなかった。嘘ではないが、きっとそこに含まれた諸々の感情も見透かされているだろう。だかららしくもない歯の浮くくらいキザっぽく感想を口にした。
「――ふふ、なにそれ。ムサシくん、可愛いなんて言ったことないよ?」
「でも、ずっとそう思ってた。知ってただろ?」
「うん、知ってた」
久しぶりにパールの笑顔が見れた。それだけで心が満たされるような気になって、武蔵はいつもそうしていたように自然とパールの頭に触れる。
いつもとは違う感触にちょっとした違和感はあるけれども、だけどいつも通り嬉しそうに目を細めるパールにいつも通り武蔵も嬉しくなる。
「――髪の毛、また生えてくるかな?」
「病気が治れば、また生えてくるよ」
「その――どらま? の女の子はどうだった?」
「……………」
悲劇的なドラマの結末は、ハッピーエンドなんてならない。武蔵も当然、そのドラマの結末は知っていた。
「ちゃんと生えてきたよ」
パールに嘘はすぐバレる。
それでも武蔵はそれでも嘘を吐く。必死に嘘にならないことを祈って。
その女の子は確かにまた髪は生えた。それは所詮はフィクション。女の子は俳優で、役が終わればまた日常生活に戻るのだ。
「……うん、それはよかった」
パールはどうだろう。治療が終わって、また日常生活に戻れるのだろうか。
――少なくとも異世界転移を果たせば、パールを治すための力が手に入るかもしれない。
例えそうならなくても、医学が進歩している現実の世界でなら、パールを治療できる可能性はある。
そのための鍵を握るのがバリアンの力であるのなら、一度サラスと話をしたいと思った。
できればロースムにバリアンの力のことを知られる前に、二人きりが望ましい。
ムングイ王国を離れて三か月ほどが経っていた。カルナを定期的に査察に出すとヨーダは言っていたが、彼女がニューシティ・ビレッジに来ることは一度もなかった。
その代わりなのか、なぜかスラが何度かキャンピングカーでムングイ王国へ行っているようだった。彼女に手紙を渡すことには抵抗があった。パールの病状も芳しくなく、お互いの近況報告もできないままでいる。
武蔵は一度、ムングイ王国へ戻ろうと考えていた。
――便りがないのは元気な証拠。そんな格言は平和な世の中でこそ通用する言葉なのだと、武蔵は痛感する羽目になる。
その日、初めて「ロースムが食事でもしようか」と言い出した。
”不老の加護”の影響か、ロースムは食事をほとんど必要としないらしい。
「代謝が極限まで抑えられてしまってるからね。逆に食べる方が身体に悪いんだ。何せすぐに太るからね」
病的にも見える痩躯に、とても太った姿は想像できなかった。
パールも無菌室での生活を余儀なくされている以上、そうなると武蔵は一人で食事を取ることに――はならず、基本的にはスラが付き合ってくれた。
スラはアンドロイドのくせにしっかりご飯を食べる。スラに限らずアンドロイドたちには、彼女らこそ本当に全く食事は必要ないが、なぜか消化器系の機能は備わっているらしい。もっともスラも食事をするのは人生で初めてと言っていた。
「食事は誰かと一緒に食べる方が良いらしいですよぉ?」
「それ、ロースムが言ってたのか?」
「別に誰に言われたわけでもないですよぉ? 常識ですよぉ。
でもぉ、ただ詰めて出すための機能になんの意味があるんでしょうねぇ?
ただ詰めて出すだけならぁ、ご主人様もう少し早くできませんかぁ?」
「……食事はよく噛んで食えとは教わらなかったのか?」
早食いはスラの性格なのだろうが、なるほど、彼女らの生みの親――ケイがアンドロイドにどういったことを求めていたか少しだけ垣間見えた。
そんなわけで武蔵はスラと二人で食事することが多かった。
だからこそロースムの「食事でもしようか」は言葉通りの意味ではなく、暗に「話でもしようか」と言うことだ。
「誰かと話をしながら食事するのは久しぶりだよ。まあ、そもそも食事自体が久しぶりなんだけどね」
料理はスラが用意してくれた。適当に鶏肉に塩を振って焼いただけに急いで作りましたよ感の強い料理はいかにも彼女らしい。そんな雑な料理でもロースムは丁寧に切り分けて口に運びながら、そう切り出した。
この世界にやって来てからの三百年という時間を、ロースムは一人で生きてきた。それは呪いにも近いものであり、どのような心境で今に至るのか、武蔵には想像もできない。
「……淋しくなかったのか?」
「淋しいさ」
どこか飄々としていて、そんな感情とは無縁そうな様子だっただけに、武蔵は少しばかり驚いた。安易に訊いてしまい悪いことをしたと思う。
「でも、彼女たちがいるからね。彼女たちは皆、ケイの子供のようなものだから。ケイも私が少しでも淋しくないように、彼女たちを残してくれたのだと思えば、淋しいとばかり言えないさ」
スラは先ほどから落ち着きなくエプロンドレスのフリルを引っ張ったり毛玉を取ったりしていて、確かに子供のようではあった。
そんなスラを微笑ましく見つめるロースムだが、それでも武蔵にはやっぱりどこか淋しそうに見えた。
「……不老不死なんてロクなことないな」
「そうだね。この加護がなければ、私はとっくに帰ることを諦めていたはずなのにね」
「……………」
ロースムがやってきたことを考えれば、その通りだと言いたくはなる。ただ、この世界で唯一彼の気持ちに共感できる武蔵は、安易に「その通りだ」とも言えなかった。
そんな武蔵の内心に気付いてか、ロースムは皮肉げに笑ってみせた。
「死ぬというのは、諦めるための最期の手段みたいなものだからね。君はまだ若いから、そんな風には思わないだろうけど、人間は皆期限が決められていて、どこか終わりを意識しながら、それまでに何ができるのか、何を諦めるべきなのか考えて生きるものさ。
そういう意味では、私は世界一諦めの悪い男だろうね」
諦めの悪い――そのなのかもしれない。
武蔵はこの世界にやってきてから、まだ一年と三か月程度だったが、それでも元の世界でのことを思い出さない日も多くなってきていた。真姫のことを諦めようとしていた。
武蔵は今更ながらに、気になった。
「ロースムは、どうしてそんなに帰りたいと思うんだ?」
核兵器まで持ち出して、そうまでして帰ろうとしていたのだ。そこには何か特別な理由があったのではないかと思った。
ロースムはどこか遠く、それこそここにいない誰かを見るかのように、目を細めて言った。
「――サキに謝りたかった」
「……サキさん?」
どうしても着物姿のアンドロイドを思い浮かべてしまうが、ロースムの言うサキは、現実の世界に残してきた彼の奥さんのことだろう。
「そう。私はただ妻に謝罪したかった、そんな自己満足のためだけに帰りたかったのさ」
「それってどういうこと?」
ロースムは武蔵から目を逸らして、肩を竦めてみせた。どうやらロースムにとってはあまり話したくないことのようで、この話はここまでと言いたいようだ。
不思議と武蔵は真姫のことを思い出していた。自分は何か彼女に謝らなきゃいけないことがあっただろうかと、なぜかそんな気持ちにさせられていた。
「ただ、実のところ、私は不老ではあるけど不死ではなくてね。死のうと思えば、いつでも死ねるのさ」
「えっ――」
「病気が進行することはないけれども、怪我が瞬時に治るようなこともない。むしろ普通の人よりも治りが遅いくらいさ。本当に不死であるなら、この足だってきっと再生したはずだよ」
確かに不老不死であるならば、欠損した部位も再生してもよさそうだ。そうならないということは失ったものは治らないということで――致命傷を受けたら絶命するということだった。
「だからね、もう本当にこれは諦めるしかないと思えば、私は自らこの命を終わらせるつもりだよ。そのための手段も常に身に着けている」
そう言ってロースムが懐から取り出して見せたのは、手のひらサイズの拳銃だった。
突然現れたその物々しさに息を呑む。
ロースムの身勝手さにやや苛立ちを覚えながら、それでも人を簡単に殺してしまえるその黒々した光沢に、彼の覚悟を見る思いだった。
「ごめんね、驚かせてしまったみたいだね。せっかくの食事が不味くなってしまったね。申し訳ない」
元からそれほど美味しい食事というわけではなかったが、確かに食欲は無くなってしまった。
「本当はこんな話をしようと思っていたわけじゃなかったくて、今日は実は君に良い知らせが二つもあって、それで話をしようと思ったんだ」
「……良い知らせ?」
ここまでの話がやや物騒なものに流れてしまったため、自然と警戒心が表に出てしまった。
ロースムは苦笑しながら、「本当に良い話だよ」と念を押していた。
「君がここに連れて来たアンドロイドの件だよ。サティと言っていたかな。もう間もなく修理が完了するよ。修理と言ってもほとんど本体の交換に近い作業になってしまったけど、幸いなことに記憶装置は無事だったから、以前と同様のまま稼働できると思うよ」
「えっ!? それって記憶喪失にもなってないってことか!?」
「はいはぁい! 僕が診断しましたからぁ、間違いないですぅ!」
今が絶好のアピールチャンスとばかりに手を挙げて断言したスラを見て、武蔵は思わず椅子から立ち上がった。今すぐにでもサティの様子を見に行きたいくらいだったが、それは「まあまあ落ち着いて」と嗜められてしまった。
ただ本当に久しぶりに嬉しい気持ちだった。ニューシティ・ビレッジに来てからというもの、良いことなんて一つもなかったから、余計に踊りだしたいくらいの気持ちだった。
「あっ、でも、ウェーブは……?」
そしてどうしても気になってしまうのが、同じ顔をしたもう一体のアンドロイドだ。
スラの話では、そもそも動いていたこと自体が不思議だという話だったが。
「すまないが、ウェーブに関しては、今のところどうしようもできない。ハード面の故障なら、他のアンドロイドたちが何とかしてくれるけど、ウェーブはソフト面の問題が強い。こればっかりはケイでないと原因すらわからないのだよ」
「そうですか……」
それは残念な話ではあるけど、それでもサティが直っただけでも喜ばしいことに変わりない。
「あ、パール! パールにもすぐに知らせてあげないと!」
笑顔が少なくなってしまったパールも、きっと笑って喜ぶだろうと思えば、やはり武蔵はすぐにでもこの場から飛び出して行きたかった。
「だから落ち着いて。もう一つ良い知らせがあるからさ。こっちの方がもっと良い話だからさ」
「ああ、そうだった」
一つ目があまりにも嬉しいことだったので、ついつい忘れてしまっていた。
「それで、もう一つってのは何だ?」
これ以上喜ばしい報告があるのなら、それは逆に罰が当たりそうである。だけど喜ばしいことは多くて困るようなことはない。武蔵はロースムの次の言葉を待った。
――しかし、心して待った言葉は、武蔵には到底喜ばしいようなものではなかった。
「バリアンの娘がムングイ王国を追われているという話さ。どうやらクーデターが起きたみたいだ」
「…………………………はあっ?」
武蔵はその言葉を飲み込むまでに、長い時間を要した。




