第106話 交渉開始
眠るパールの頬に触れる。
やや体温は熱いが、それでも脱水症状に陥りそうなほどにかいていた汗は引いていた。
苦しそうに深めな呼吸を繰り返していたのも、今は落ち着いたようで安心する。
――また無理させてしまった。
武蔵やヨーダが巨大ロボットと戦っている裏で、パールもまたカルナと一緒にこの国のために戦ってくれた。そのこと自体は誇らしくもあったが、そのせいでまた体調を崩してしまったパールを見ると、胸が締め付けられる――怒りが沸き上がる。
それはパールを戦場に連れ出したというヨーダに対してもそうだったし、パールがそんなことになる前に事態を収拾できなかった自分自身に対してもそうだったし、そして何よりも――
「……魔王アルク……アルクイスト・ロースム」
武蔵は彼に対して、より複雑な気持ちを抱えていた。
全ての元凶にして、パールの父親だ。
それが今、このムングイ城にいる。
武蔵自身、ずっと会ってみたいとは思っていた。
それは同じ世界からやってきた異邦人として、三百年間なにを思って核兵器を落とし続けてきたのか、それは本当に元の世界に帰ることに繋がるものなのか。
しかし実際に会ってみて、それが既に知り合ったロースムであるとわかって、武蔵はそんなことはどうでもよくなっていた。
『私は――魔法の杖の毒に侵されているんだ』
『だけど君たちの場合、まだ希望はある』
昨晩、ロースムが武蔵に語ったことだ。
それはどういう意味だったのだろうか?
そして、彼は娘であるパールのことをどう思っているのだろうか?
「……ムサシ、そろそろ……」
否が応でもその答えはこれから聞けるだろう。
やってきたサラスの呼び掛けに、武蔵は無言で立ち上がって部屋を出ようとした。
「……サラス?」
しかし呼びに来たはずのサラスがその場から動かない。
彼女は緊張した面持ちで、パールを見つめていた。
「……私、また何もできなかったの。……私だけ、何もできなかったの。
それどころか、魔王に会って話がしたいなんて言ってたのに、いざこれから話をするんだって思うと……怖いの」
「何かあったら、俺と師匠が守るから、大丈夫だよ」
それに武蔵はどうしてもロースムがサラスに危害を加えるためにやってきたとは思えなかった。
むしろサキがやろうとしていたことはまさにそれで、ロースムはそれをわざわざ止めたのだ。
「ううん……そうじゃなくて……。
なんだか、何もかも奪われそうで……」
ロースムは魔法の杖を使ってきた人間だ。彼自身にそんな印象を抱くのもわからなくはない。しかし今のロースムにこの場所で魔法の杖を使うことなんてできるわけがない。そんなことをすれば例え不老不死だと言う彼自身も無事では済まない。
「……ううん。ごめんね、変なこと言って。
たぶん、緊張してるんだと思うの。こんなんじゃ、やっぱり王様失格だよね」
頬を叩いて気合を入れ、サラスは笑ってみせた。
それはどう見ても無理して笑ってるようにしか見えなくて、武蔵はなにか気の利いたことでも言えればと思うも、
「あ、そうだ。これ、できたの」
「――?」
先にサラスから何かを差し出されて、何も言えないままそれを受け取った。
「これ――」
それはパールから貰った結婚指輪代わりの歯車だった。
指にはめようとしたところ、二人して全くサイズが合わず、落ち込むパールに「なんとかするから!」とサラスが預かっていた。
しかし実際に出来上がったそれは、指輪としては何ともなっておらず、ただ紐を括り付けてネックレスにしているだけだった。
「ちょっと苦し紛れだけど、でもこれで身に着けておけるでしょ?
ほら、もう一個はパールに持っててもらえば、離れ離れになっても安心しない?」
そう言いながら、もう一つのネックレスを眠るパールに握らせていた。
不安そうにしていたのはサラスのはずだったのに、まるで武蔵がそうだったかのような言い草に、思わず吹き出してしまった。
「なんだよ、その離れ離れって。まるで俺がどこかにいなくなるみたいじゃんか」
「うん……」
なんとも歯切れの悪い返事だった。
やっぱりまだ魔王のことが怖いのだろう。
「でも、確かにこれ付けると、安心するよ。ありがとう」
武蔵は自分の首にネックレスをかけて、歯車の部分を握り締める。
これはパールとの誓いの証だ。
それを握ると、ささくれ立つ気持ちも不思議と穏やかになる。
そんな武蔵の姿を見て、何かを決心するように、サラスは大きく頷いて告げる。
「――さあ、行きましょうか」
いざ、トップ会談である。
◇
アルクイスト・ロースム。
この国では家名は存在しない。文化的時代背景の中で家名を付けるという風習が現れなかったのだろう。言葉もロクに話ができなかった頃に、実は「ミヤモトムサシ」なんだからの「でも呼び方はムサシでいい」までを説明するのに苦労した記憶がある。
魔王アルク。
略称が定着しているのは、彼もそんな苦労をしたのだろうかと、場違いな親近感を覚えながら、落ち着き払って座る魔王の姿を見る。
敵陣のど真ん中にただ一人堂々と居座っている姿は、無理やり考えれば魔王然としていると言えるが、どちらかと言えばやはり礼儀正しい青年という印象が強い。
「これで全員かな? では始めようか」
テーブルを挟んで対面するのは、武蔵、サラス、ヨーダの三人だ。
ヨーダからクリシュナの監視を命じられたカルナはこの場には不在だ。それはヨーダが未だに魔王に与していることをカルナには隠していたいという趣があってのことだが、それ以上にカルナ自身がクリシュナの心配をしていたというのも大きい。カルナに連れられて城まで運び込まれたクリシュナは、生きる気力を無くしたと言わんばかりにぐったりしていた。
「まずは謝罪したい。
うちのアンドロイドが無礼を働き、迷惑をかけてしまった。申し訳ない」
主導権を持って話を始めたのはロースムだった。
予想外の謝罪に面食らってしまったのもあり、まるでこちらが不利な状況に立たされているかのような、そんな気持ちにさせた。
「……貴方には、私たちに危害を加えるつもりはなかったということ?」
謝罪の意図がわからず、サラスが問う。冷静さを保とうとしているが、そこにはやや困惑が透けて見えた。
「その通り。
並びにロボク村でのことも謝罪する。すべては一体のアンドロイドの暴走が引き起こしたこと。私は全く知らなかった」
「ふざけないで!!」
椅子を蹴り、テーブルを叩き、サラスは怒りをぶつける。
「どれだけの人が死んだと思ってる!? どれだけの人が住むとこを奪われたと思ってるの!?
それを知らなかったで済ませるの!?」
こんな感情のまま怒りをぶつけるサラスは見たことがなかった。だけどサラスの気持ちはわかる。
まるで責任逃れをする政治家のような言い草は、武蔵でさえも不快感を覚えた。
「サラス、残念だが、全部ホントだ」
しかしそんなロースムに助け舟を出したのは、ヨーダだった。
「そもそもコイツはオレたちのことになんざ、丸っきし興味なんざねぇ。
自分の城に引きこもって、自分の目的だけに執念を燃やすのがコイツだ。
ロボク村のことも、今回のことも、コイツの目的からは外れてやがる。
ホントに、全部、コイツは知らなかったんだ」
「……じゃあ、私たちはどうしてこんな目に遭わなきゃいけなかったの?」
「すまないが、それも私は知らなくてね。
どうして彼女がこんなことをしでかしたのか、まったく、想像もつかない」
彼女とは恐らくサキのことだろう。
その目的に武蔵は心当たりがあった。
『武蔵君に、元の世界に帰る手段なんてありません。
ですが、もうこの世界で帰る場所があるじゃないですか。それはとても幸福なことです。
それでいいじゃないですか?』
そう語ったのはサキだった。
帰りたいと望む反面で、パールのことが気掛かりになっている武蔵には、その言葉の意味が痛いほどわかる。
『わたくしは!! ”あの人”の嫁で!! 人間です!!』
そこにどれだけの想いが込められていたのかわからない。
しかしアンドロイドである彼女が元の世界でそう名乗ることができないのは想像に難くない。
きっと彼女はロースムを帰したくなかったのだ。
――だからきっと、その手掛かりになるかもしれない俺を殺すために仕組んだんだ。
急に居たたまれなくなる。
この場所にいてよかったのか不安になる。
巻き込まれたのだと、最初はそう思っていた。
そのうちサラスたちのために、力を貸そうと粋がっていた。
しかしその実、巻き込んでしまっていたのは自分のほうだった。
これほどバツの悪いことはない。
「――ロボク村のことも、今回のことも、テメェのせいじゃねぇって言うんなら、それはいい」
ヨーダも同じ結論に達したのか、武蔵の様子を一瞥すると、話題を逸らすように続けた。
「けどな、テメェが今までわけわかんねぇ実験のために、魔法の杖を使ってきたのは事実だ。
そんなテメェが今になって、ムングイにやってきて、まさかただ謝りに来たってわけじゃねぇだろ。
テメェの目的はなんだ?」
「もちろん、ここからが本題さ」
ようやく話したいことが言えるとばかりに、ロースムはその端正な顔に微笑みを浮かべ、身を乗り出すようにテーブルに肘を着き指を組んだ。
「武蔵君と、パールの身柄を預からせてもらいたい。
今日はその交渉のために来たのさ」




