第105話 絶望の淵で
『Repeat, Detonate in 5 minutes』
部屋に赤い光が明滅する。それは辺りを囲う機械から発せられていた。
繰り返す無機質な声は、意味を掴むことはできなかったが、とても不吉な予感を感じさせた。
「――嘘。
――どうして?」
それはひどく怯えた表情を浮かべる、クリシュナからも読み取れる。
「ク、クリシュナ、これってなにが――」
「クリシュナさん、お疲れ様でした」
「――っ!?」
無機質な声を塗り潰す、さらに無機質な女性の声に、思わず振り返る。
しかしそこにも誰もおらず、それもまた何かしらの機械から届く声であることがわかった。
カルナはその声に聞き覚えがあった。
「――魔王の嫁!?」
「はい、お久しぶりですね。カルナさん」
どうしたって虫唾の走る慇懃な言葉に、カルナはまざまざと紺色の羽織を着た女性の姿を思い出す。
姿は見えなくても、ここで出てきたということは、今回の一件も彼女が関わっていたということだ。当然だろう、なにせ魔王の実働部隊の頭だ。
「隠れてないで、出てきなさいよ!」
「大変申し訳ないのですが、わたくしは今、その近くにはおりません。失礼かとは存じますが、遠方よりお声だけ掛けさせて頂いてます。あと四分ほどでその辺りは魔法の杖によって吹き飛んでしまいますので、お傍へ伺うわけにはいかなったのです。ご了承下さい」
「――吹き飛ぶ!?」
止めたはずではなかったのかと、クリシュナを見る。
しかしクリシュナの絶望した表情が、それが真実であると物語っていた。
「――ど、どういうことっすか、これ?
だって、コレは、魔法の杖の停止装置だって――」
「それは嘘でございます。クリシュナさんには何とお詫び申し上げたらよろしいのか――」
「――嘘?」
「はい。わたくしたちではバリアンに危害を加えることができません。そのように決められているのです。なのでムングイ王国を滅ぼすには、わたくしたちが意図せずに実行してもらう必要がありました。そのためにわたくしは、わたくしの持てる権限の範囲内で二つだけ嘘をつきました。一つが魔法の杖が時限式であること。もう一つは魔法の杖の停止装置と偽って起爆装置をクリシュナさんに持たせることです。
瀬戸際の賭けではありました。お陰様で、バリアンも、レヤックも、武蔵くんも、ヨーダ団長も――障碍は全て排除することができます。
全てクリシュナさんのお陰です。本当にありがとうございます」
「――ウチのこと、可愛いって言ってたじゃないっすか?」
「ええ。ですから、貴女の記憶データは全て抽出済みです。操縦デバイスに備え付けさせて頂いてました。十分前までの貴女は復元できますので、ご心配なく」
「……記憶データ? ……復元?」
クリシュナはまるで重病者の如くフラフラと覚束ない足取りで、先ほどまで座っていた椅子に近付くと、そこにあった兜を壊す勢いで掴んだ。
「あ、ああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!」
それは先ほどの慟哭の比ではない。真に絶望の底から響く、聞いてるものの心臓を鷲掴みにする魂の慟哭だった。
「意味ならあるわ」とカルナは言った。
そんなことはなかった。
全て、無意味だった。
「――ふざけるんじゃない。
――ふざけるんじゃないわよ!!
あんたは!! あんたたちは!! まるで道具のように!! 人を何だと思ってるのよ!!」
「おい!! カルナ!! 聞こえるか!? おい!!」
「――っ!?」
頭の血管が切れそうなほどの怒りに、やや冷静さを呼び戻す愛おしい人の声が届く。
それはクリシュナが握り潰さんとする兜から聞こえていて、カルナは慌てて近付く。
「ええ、ムサシ! 聞こえてるわ!!」
「今すぐにこのロボットを動かせ!! できる限り沖に沈めるんだ!!」
どうやらここでのやり取りは全て筒抜けだったようだ。
こんな時でもまだ諦めていない姿に、勇気付けられる思いだった。それでも――
「無駄ですよ。残り時間は一分半と言ったところです。ご用意した魔法の杖も150キロトン相当です。元よりどこで爆発するかわからなかったのです。多少動かしたところで、全ては誤差の範囲内です」
ゴーレムがどう動いていたかなんて、目の前にある不可思議の機械を見て、わかるわけがない。
残り時間一分半。
その絶望感に、今度こそ、全ての終わりを感じずにいられなかった。
「クリシュナ!! お願い!! クリシュナ!!
これを動かせるのは、あなたしかいないの!!」
カルナの必死な呼びかけに、しかしクリシュナはもはや全てを諦めたように、ただただ泣き崩れるばかりだった。
――ああ、終わりなのだわ。
絶望が、
後悔が、
恐怖が、
ありとあらゆる感情が、涙となって零れ落ちていく。
死ぬことに怯えて泣くのは、これで二度目だ。
一度目はムサシが駆け付けてくれた。
――ああ、どうせ死ぬから――
――彼のそばにいたかったな。
そんなささやかな後悔から、カルナはゆっくりと目を閉じて――
「―――――」
カルナはありえない人物が息を飲むのを聞いた。
誤魔化しようもないくらいに拡声された声は、はっきりと驚愕を伝えてきていた。
「――お兄様?」
残り時間は一分を切ろうとしていた。
そのことに誰よりも恐怖し、焦燥していたのは、他でもない、これを仕組んだサキ本人だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
核兵器の起爆装置が作動したと知るや、武蔵は巨大ロボットに取り付いて、後部ハッチからロボットの内部に侵入した。
どうにかして魔法の杖を止められないか考えたのだ。
しかし一度目にしていたはずのロボット内部はやはり複雑だった。辛うじて先ほど動いてなかったであろうタイマーが動いているのには気付き、その辺りのスイッチを適当に押してみたが、それではどうにもできそうにはなかった。
「オイ!! 魔法の杖だけ取り外せないか!? それを持って海に潜る!!」
ロボク村でカルナがしたように、自己犠牲でどうにしようと考えたのだろう。ヨーダもまた、ロボットの内部を覗き込みながら、叫ぶ。
「どれが魔法の杖なのかわかれば、とっくにやってる!!
――いや、待て、海に捨てるだけなら!
おい!! カルナ!! 聞こえるか!? おい!!」
ロボットごと海に捨てることも可能なはずだと、カルナに呼び掛ける。
足に損害を与え、砂浜に沈めてしまったことを今更ながらに後悔する。
機動力が万全の状態であれば、それだけ成功する可能性も高かった――。
しかし事態はそれ以前の問題だった。
カルナは応答したが、ロボットはうんともすんとも言わない。
サキが澄ました声で残り時間を一分半と告げる。武蔵は忌々しさに奥歯を噛んだ。
――もう、どう考えても間に合わない。
「師匠!! 一か八か、こいつを徹底的に壊すぞ!! もしかしたら、それで止まる可能性だって――師匠?」
自棄っぱちの提案だった。正直、それでどうにかなるのなら、ロボットが何度も転んでいる最中に壊れていてもおかしくない程度のものだ。
それでも何もしないよりはと、ヨーダに呼び掛けたが、
「……なんで、オマエがここにっ?」
しかしヨーダは呆然と、まるで幽霊でも見たかのような表情で、立ち尽くしていた。
明らかに様子がおかしい。
「おい、諦めるなって言ったのは師匠だろ!! どうしたって――」
武蔵もまたハッチから顔を出して、そしてそこに武蔵も知る人物がいるのを見た。
「……ロースム? なんで……」
ロースムがロボットに乗り上げて、ヨーダと対峙するように二本足で立っていた。
――二本足で立っているのである。
武蔵は片足で、杖を突いて歩くロースムしか知らない。
しかし目の前にいるロースムは、間違いなく二本の足で立っているのである。それも――
「……機械の足」
メタリックに輝くそれは、以前見たヨーダの機械の腕と全く同じ。
生物のそれではなく、明らかに人工的に作られたものだった。
「オイ……なんだってテメェがここにいんだ、魔王アルク!!」
「えっ……アルク……?」
「――お兄様?」
まるで時間が止まったような衝撃だった。
一瞬だって無駄にできる時間はない状況なのに、それでも武蔵は息を吸うことさえ忘れて、ただただ驚きに目を見開いた。
それはスピーカー越しのサキも同じだったようだ。
そしてさっきまでの澄ました声が一変、かつて一度も聞いたことがない叫びを上げた。
「い、いけません!! すぐに避難して下さい!!
もうわたくしにも、それは止められないのです!! お願いです!! すぐに海に飛び込んで!!
――貴方っ!!」
「――その呼び方をするなと言ったはずだが」
「あっ――」
「君はしばらく寝ているといい」
「待っ―――――」
それでもうサキの声は聞こえなくなってしまった。
もう核爆発まで残り幾ばくもない。
だと言うのに、ロースムは優雅にゆっくりとヨーダの脇を通り過ぎて、ロボットのハッチに取り付いた。
「ちょっと場所を空けてもらえるかな?」
有無を言わせない迫力があったというわけではない。
ただただ気軽な頼み事にするような口調に、武蔵はほとんど無意識のうちに従っていた。
「ありがとう。
さて、メカトロニクスにおいてはケイに劣るかもしれないが、この核兵器を作ったのは私でね。
私なら簡単に止められるのさ、こんな具合にね」
ロボットの狭い内部で武蔵と並ぶと、ロースムは言葉通り、いとも簡単に謎のスイッチを操作していった。
気付けばサキが口にした爆発の時間は疾うに過ぎていた。
なんとも現実感がなく、実はすでに自分は死んでしまったのではないかとすら思えたが、本当に魔法の杖は止まったのだ。
「……ロースム、あんた……」
「そうだね。改め自己紹介をしよう。
私の名前はアルクイスト・ロースム。この世界では魔王とも呼ばれているよ」
命の危機は去ったが、緊張感は先ほどより高まるのを感じた。
「……アルクイスト……ロースム……」
咥内が乾いていく。口がうまく動かない中で、武蔵は辛うじて、その名前を呼んだ。




