第102話 勝てなくていい
「はーい、お兄さんのいい顔頂きましたっす!
というわけで、満足したんでウチは本来の仕事に戻るっす!」
「――っ!?」
再びロボットが動き出す。
不意に動いたロボットに全く反応することができずに、武蔵はコックピットの外に放り出されてしまう。
「――つっ?」
本日何度目かわからない転落で、またしても地面にもんどり打ちながら、苦悶の声を上げる。
「おっとっと?
うーん、やっぱり、左足の動きが鈍いっすね。
もういっそここで爆発させちゃうのもありっすかね」
「――っ!?」
転落の痛みも一瞬で引くほどに、それは恐怖を感じさせる言葉だった。
以前、上空で爆発させた核兵器とは訳が違う。ビルほどの巨体を上空に打ち上げられる手段がない。せめて海に捨てるということは可能かもしれないが、先ほどのコックピットを見る限りでとてもじゃないがムサシが操縦できる代物ではなさそうだった。
一度、起爆させてしまえば、これを防ぐ手段がなにもない。
「待って!! 魔王の目的は異世界転移なんだろ!! ムングイ王国を滅ぼすことになんの意味が――っ!?」
苦し紛れで説得に講じるも、それを言い終わるより先に再びロボットはムサシを踏み潰しにかかる。
「いいっすよ! いいっすよ! 焦ってるっすね!
今度こそ命乞いすれば、ここで爆発するのはやめてあげてもいいっすよっ?
まっ、どうせ城まで行ったら爆発させるっすけどね!
あははははははははははっ!」
「――っ!」
精神的優位を握ったとわかり、クリシュナが心底嬉しそうに笑う。
事実、武蔵は焦っていた。見えていた勝ち筋が全くの見当違いだった。対抗手段がまるで思い浮かばない。
負けが確定している戦いに"勝利の加護"は無効だ。つまり――
――こいつには……勝てない。
斬り落とすのではなく、粉砕せんとする斧の乱れ切りが武蔵に襲いかかる。
それは辺りの建物も巻き込み、辺りに着実に破壊の爪痕を残していく。
それらは辛うじて躱すことはできた。しかしだから何だと言うのだ?
目的がムングイ城だとクリシュナは言った。
ここで爆発させると脅すクリシュナだったが、未だに武蔵に攻撃を仕掛けてくるところから見ても、本当はそんな気はないのだろう。
少なくとも武蔵が攻撃を躱し続けていれば、核爆発までの時間稼ぎはできる。
しかしそこまでである。
あるいは武蔵が再び優位を取れば――いいや、そもそもクリシュナがなにかの気まぐれを起こせば、それだけで核爆発は起こる。それで武蔵は死ぬ。もしかしたらその爆発はムングイ城まで届くかもしれない。
――この時間稼ぎに意味はあるのか?
パールを始めムングイ城に残してきた人たちの避難がそれで間に合えばいい。
しかし、勝てると見込んで挑んだ戦いに負けるという事実が、武蔵にまたどうしようもない現実を思い出させる。
――全敗の剣豪。
それは武蔵の人生について回る敗北の歴史だ。
『”宮本武蔵”ならできる』という期待を背負い、いつしか『どうせ宮本武蔵なんかに』という失望に変わっていった、どうにもできなかった過去の積み重ねだ。
――カルナの期待に応えられない。
「おやおや? 諦めちゃったっすか?」
気付けば武蔵はただただ棒立ちとなっていた。
どうせ勝てないと、戦う気力を失った。
「まっ、よくがんばったほうじゃないっすかね?
ウチもそろそろ目的果たさないといけないっすからね」
抵抗を失った獲物には興味がないとばかりに、クリシュナが冷ややかな声を投げてくる。
それすらもしょうがないと受け入れる。
「せめて最期くらいは楽に殺してあげるっすよ?
まっ、ゴーレムじゃ手加減もできないわけっすけど」
巨大な斧が振り上げられ――
「じゃっ、さよならっす、お兄さん」
大気を切り裂きながら、圧倒的な質量で武蔵に振り下ろされた。
無抵抗のまま、何もできず、呆気なく――
――全敗の剣豪には相応しい最期だ。
そんな諦めを、
「ふざけんな、テメェ! なに勝手にあきらめてやがんだ!」
ヨーダの豪快な一太刀でもって受け止められた。
「――えっ?」
武蔵が刀でやったように受け流したわけでもなく、文字通り、ちょっとした大木ほどある斧を、その大剣で受け止めていた。
到底、人間の力では考えられない。
ヨーダの機械の手足がそれを可能にしたのだろうが、それでも当然人間の部分は無事では済まない。済まないはずなのに――
「……あー、クソ、腰がいてぇ」
そのまま斧を弾き返すと、そんな軽い口調で背筋を伸ばして見せていた。
「――し、師匠?」
困惑が口から洩れる。
まさか助太刀が来ると思っていなかった。剣道一筋だった武蔵からすれば、試合中に誰かか乱入するなんて意識がほとんどなかったのもあるが、それを置いておいても、これだけ絶望的な戦いを強いられているなかに飛び込むような人間がいると思わなかったのだ。
「……つーか、近くで見るとさらに怖ぇな、コレ」
現に武蔵とロボットの間に割って入ったヨーダ自身も、その巨体を見上げてそんな呟きを洩らしていた。しかし、
「……まっ、さっきの修羅場に比べれば百倍マシだな」
すぐにそれも否定して、苦笑してみせた。
これと対峙する恐怖が百倍マシとは、ここに来るまでにいったいどんな戦いがあったのか、武蔵には想像もできない。
「……はっ。誰かと思えばヨーダの旦那じゃないっすか。
久しぶりっすね。最近見ないと思ったら、そっちに寝返ったんすか?」
「寝返ってねぇよ。オレは最初からどっちつかずだ」
「アノ人が黙ってないんじゃないっすかね?」
「それ、脅しのつもりか? アイツがオレらに興味なんてあるわけねぇだろ。
んなことより、オマエのソレのほうがよっぽと問題だろ。
大方サキの差し金だろうが、今更バリアンを狙ってなんになるってんだ?」
「ウチは知らないっすよ。言われたからやるだけっす」
ヨーダもまた魔王の手下を名乗っていた。当然、二人に面識があってもおかしくはない。
ただそのやり取りは、なんだか同じグループに所属しているというよりも、敵対関係のような雰囲気だった。
もしかしたらヨーダには説得する手立てがあるのであるのかもしれない。
そんな期待からとりあえず武蔵は状況を見守ろうと思っていた矢先、
「テメェも、テメェで……オレがどんな思いをしたか、わかってんのか、コラっ!」
「へっ?」
突然、訳もわからないまま怒りの矛先を向けられる。
「本当ならテメェがハラハラしなきゃいけない修羅場に、オレが居合わせちまったんだぞ! オマエ、女の争いは怖いんだからな! もう本当に怖いんだからな! しかも片方は娘代わりだぞ! もう悔しいんだか悲しいんだか怖いんだか怒りたいんだか、こんなに複雑な気持ちになったのは生まれて初めてだったんだからな! その上、初めて『お願い』なんて言われて、ちょっと満更でもない気分で駆け付けりゃ、テメェはそんな色んな人の気持ち踏みにじって諦めかけてるし、もうなんなんだよ!?」
「いや、その話がなんなんだよっ?」
なにがあったのかもわからず、ただただ捲し立てられて、武蔵は目を白黒させるばかりだった。
クリシュナまで「あー、お兄さん、確かに他人を振り回す類の人っぽいっすもんね」なんて合いの手を入れていた。
ただ物々しい戦場のなか少しばかり和やかな雰囲気に流れたので、もしかしたこのまま和解なんて可能性を僅かながらに考えれば、
「そんなはた迷惑な人間は死んじゃったほうがいいっすよ」
突如、ロボットの拳が武蔵とヨーダに襲い掛かる。
不意打ちのようなそれをどうにか距離を取って躱す。
「師匠! あれは魔法の杖だ! すぐに城に戻ってサラスたちの避難を!」
「オレもそうしたかったんだがな……。
ウチのバカ娘が勝手に飛び出して行きやがったからな、なんとか食い止めるぞ」
「はぁっ!?」
苦々しく返すヨーダに、武蔵は今度こそ苛立ちをぶつけた。
ヨーダが何を考えているのか、まるで理解できなかった。だって――
「これに勝てるわけないだろ!」
武蔵には勝てる手段がないのだ。
それでは"勝利の加護"も意味を成さない。
そんなことヨーダにだってわかってるはずだ。
「オマエは勝てなくていい」
「―――――」
そんなことを言われたのは初めてだった。
”宮本武蔵”である以上、勝つことに期待されるばかりの人生だった。武蔵自身でさえもそう思っていた。"宮本武蔵"である以上は勝たなくては意味がない。
――それなのに……でも!
「それってどういう――」
「勝つのはカルナとパールがやってくれる。
オマエはそれを信じて時間だけ稼げ。手くらい貸してやるからよ」
「待て! パールって言った!? パールまでここに来て――」
「話してる余裕があるっすか?」
「――っ」
左足の損傷で機動力は落ちても、攻撃速度には衰えがない。
気を取られた一瞬を突いて、クリシュナが斧を振り下ろしてくる。
それをヨーダが大剣で叩いて、どうにか軌道を逸らす。
「いつまでもウダウダしてんじゃねぇよ!
テメェを慕ってるヤツが命張ってんだよ! テメェも男なら甲斐性くらい見せやがれ!」
カルナとパールがどこで何をしようとしているのか気になってしょうがない。
しかしヨーダの言う通り、今は目の前の敵に集中する他ない。
「――時間を稼ぐだけでいいんだな?」
それならまだ手段はある。
爆発を止めることはできない。
だけど時間を稼ぐだけなら、とっておきの手段が残っていた。




