第09話 なまえをよんで
西日も徐々に水平線の彼方へ消えていこうとしている。
あと一時間程度で真っ暗になるだろう。
そんなことを考えながら、武蔵はサラスの後にぴったり付き添った。
その後ろにいつの間にかやってきた――というより、恐らく武蔵が寝かされていた部屋の外に控えていたのだろう、女戦士がついてきている。
さらにその背後、武蔵から隠れるように女戦士の足元にぴったり張り付くエプロンドレスの幼女がいる。
まるでカルガモの親子のようだった。サラスをお母さんとしてぞろぞろ続く子供たち。
女戦士は、これは当然のように思えるが、相変わらず武蔵に対して警戒心を持って一歩引いている。
小さいメイドさんは、最初の接触は何だったんだと思えるほど、武蔵の視界から逃げるように隠れて回っている。
ついでにここにいない大男に関しては、武蔵のことをどう思っているか皆目見当もつかなかった。
サラスだけが親身になって武蔵と接してくれている。
だから武蔵としてもサラスを頼る他ない。
一つ、サラスに関してわかったことがある。
ここまで何人かの人とすれ違ったが、皆必ずサラスに対して手を合わせて頭を下げていた。
つまりサラスはここではある程度の立場にいる人物だということだ。
女戦士だって、サラスが庇い立てしていなければ武蔵のことはとっくに斬って捨てている。
つまりはサラスがいる限りは武蔵は安全だということだ。
――当面はこんな風にサラスを母親のように思いながらついていく日々が続くだろうな。
しばらくしてたどり着いたのが、食堂のような場所だった。
中央には二十人は優に座れるの広さの木造のテーブルと椅子が鎮座していた。
それだけなら会議室にも見えるのだが、そこが食堂だと思ったのは、丸一日以上食事を取っていない武蔵の腹がとっくに限界を迎えていたからに他ならない。
そしてそこで恭しく頭を下げて武蔵達を出迎えたのは――
「メイドさん……」
メイド服を着た女性がそこにいた。
ちびっ子メイドはその姿を見つけるや否や、メイドさんに駆け寄って抱き着いていた。
服装も含めてよく似た二人は、たぶん親子なんだろう。
――しかし、服装のギャッブが凄いな。
ちびっ子メイドのエプロンドレスはまだ小さい子供という理由で違和感がなかったが、女戦士のビキニアーマーやサラスの透けそうなほどの薄手の服と比較して、メイド服は場違いのように感じてしまう。ジャージ姿の武蔵と並ぶほうがまだ親和性が高そうだ。
最も、ここまで現実離れした光景ばかり見させられてきた武蔵からしたら、現代日本でも見かけるものに心が和らぐ気分はあったが。
――現実でメイド服なんて見たことないけどさ。
いや、もしかしたら昔真姫がふざけて着ていたかもしれない。
メイドさんに椅子を引かれ、ここに座れと促される。
気付けばサラスも、その正面に移動していた。
促されるままに腰を下ろすと、すぐ横を女戦士が陣取る。恐らく武蔵が不審な行動を取った場合、即座に切り捨てられるようにだろう。自然と背筋が伸びる。
「ムサシっ」
サラスがお腹を摩るジェスチャーをしながら、なにか話しかけてきた。
尻上がりのイントネーションはたぶん疑問形。「おなか空いたでしょ?」ではないかと思った。
――首を縦に振ると否定の意味になる国があるって聞いたことあるような。
本当に食事を頂けそうなことに喜びを感じつつも、そんなことを気にしながら頷き返す。
サラスも同じように頷き返してきたので、とりあえず通じたことにほっとする。
些細な動作ですでに二回失敗している。
言葉だけじゃない、ボディランゲージだって文化が違うと変わるのだ。英語の先生が「本当に困ったらジェスチャーで乗り切っても構わない。とにかく話してみようということが大事なんだ」なんて言っていたけれども、あれは完全に嘘だと身を持って経験させられた。
そうこうしていると、遅れて大男もやってきた。
プロテクターと剣は身に着けておらず、かといって代わりになにかを着てきたわけでもなく、相変わらず半裸のような恰好だった。
そして武蔵の隣――女戦士が座るのとは反対側に回り、そのでかい図体でもって木製の椅子を軋ませた。
どう考えても武蔵を取り囲む形である。
ちらりと大男に視線を向けると、白いを歯を見せてニカっと笑って見せた。少しだけ和んだ。この人はどうも人懐っこい性格のようで、不思議と嫌いにはなれないと思った。
ちなみに、少しだけ期待も込めて女戦士のほうも視線を向けると、相変わらず冷徹な視線を武蔵に向けていた。慌てて目を反らす。
「ムサシっ」
「あっ、はいっ」
牢屋でもしていたように、またしてもサラスが武蔵に手のひらを差し伸べながら呼びかけてくる。
そう何度も呼ばれると、ちょっと照れくさい。
「サラス」
「ん?」
そしてやはり牢屋でもしていたように、またしてもサラスが胸に手を当てて、自分の名前を告げた。
それはもうわかっているけどなと思いながら、なにも言わないでいると、、
「サラス」
もう一度、そう名乗るので、
「サラス」
とりあえず呼んでみた。
そして彼女は本当に嬉しそうに笑う。ああ、もう、本当に可愛いな。
そして彼女の手が次へ動く。ゆっくりと、武蔵の視線が動くのを確認するように。
その手は女戦士のほうに向けられた。
女戦士は自分に向けられると思わなかったのか、ちょっと驚いていた。
「カルナ」
それが女戦士の名前なのだろう。
女戦士は――カルナと呼ばれた少女は思わず立ち上がって、何事かサラスに告げた。それは浴室でも聞いた言葉だった。恐らく非難したのだ。
サラスもこれも浴室で聞いた言葉で返していた。たぶん「まあまあ、落ち着いて」に近いニュアンスのことだと思う。
二、三、言葉を交わし合い、カルナはしぶしぶと言った雰囲気で椅子に座り直した。
そして再度、
「カルナ」
と、サラスは武蔵に紹介した。
「カルナ」
さらにもう一度。
「カルナ」
――それはつまり。
「カルナ」
――呼べと?
カルナを見る。明らかに嫌そうな顔をしていた。
「カ、ル、ナ」
――サラスさん、意外と頑固?
「ええっと……カルナ、さん?」
「カっ、ルっ、ナっ!」
――敬称さえ許してくれないの!?
「カルナっ!」
大声ではっきりとその名前を呼んだ。
そしてカルナは思いっきりそっぽを向いたのだった。
次に起こることは容易に想像できた。
「カルナっ!」
母親が叱るようにサラスが呼ぶ。
そしてカルナもまた母親に反抗する娘のようにそっぽを向き続ける。
コミュニケーションを拒否することをサラスは許さない。立ち上がり、カルナの後ろに回り込んでいく。
そして、
「ムサシっ!」
カルナの頭を掴んで無理やり武蔵のほうを向かせようとする。
「ム、サ、シ」
必死に抵抗するカルナだったが、抵抗空しく武蔵に向き変えさせられる。
カルナさん涙目だった。顔を赤くして口を窄めて必死に抵抗している。
――名前を呼ぶのが、そんなに嫌なのか。
「あの、そんなに無理させる必要もないと思うんだけどさ」
「ムサシっ!」
思わず止めに入る言葉に自分の名前を被せられて、思わず萎縮してしまう。
怒られたのか呼びなさいと言いたかったのかどちらとも思えるタイミングだったけれども、少なく武蔵はもう止めようなんて思わなかった。
そして、
「ム………ム、サシ……」
武蔵の聞き取れるギリギリの声量でカルナは武蔵の名前を呼んだ。
サラスは満足そうにコクコクと頷いていた。
無理やり取らされたコミュニケーションは、なんとも複雑な気分だった。
大男は面白いものを見たと言うように、ゲラゲラ笑っていた。
当然、サラスの視線は次に大男に向けられた。
手のひらを差し伸べて、
「ヨーダ」
「ヨーダっ!?」
サラスの呼びかけに、瞬発的にオウム返ししてしまった。
さすがのサラスもその反応には驚いたようだった。
一方、大男は「おうっ」と言った返事をして、親指を立ててお得意の白い歯を見せる笑顔を向けてきた。
――全くヨーダ感ないな、いや宮本武蔵の俺が言うのもなんだけど。
「ムサシ?」
「あ、ごめん、違うヨーダを思い出してたもんで、緑の、小さいほうの」
「?」
――あんなに有名な映画を知らないのだろうか?
今のところテレビどころか、電気すら見ていない。知らなくても当然のようにも思えたが、それがかえってここが異世界なのではないかという思いを強くさせた。
それにしては親指を立てるジェスチャーが武蔵の認識と同じような使われ方をしていたことに若干の不思議さを感じた。
最後に残った二人――メイド親子の側へとサラスは近付いていき、
「サティ、パール」
呼ばれて母親メイドはスカートの裾を軽く摘み上げて武蔵に会釈した。
娘メイドはそのスカートの後ろに隠れたままだった。
武蔵としては、どちらがサティでどちらがパールかわからないでいたら、
「パールっ」
カルナ同様、そんな無礼を許さないサラスが娘メイド――パールを抱え上げた。
ジタバタと暴れるパールだったが、そこはやはり幼女、大した抵抗にもならず、空しくサラスの手によって武蔵の目の前に差し出されてしまう。
「……よろしくね、パール」
握手を求めて手を差し出すと、抵抗は無駄とわかったのかパールは大人しくなり、顔を真っ赤にしながら渋々という感じで握り返してくれた。
これもまたベッドルームで求めていた触れ合いとは違う気もしたけれども、とりあえずは拒否されなかっただけよかったと思うことにした。
母親メイド――サティはそんな娘の姿に無言で微笑むのだった。
そうして一通りの自己紹介が終わり、ようやく食事となる。
普段は五人の団らんの場所だっただろうが、そこに武蔵という異物が混ざったことでぎこちない雰囲気になっているのを武蔵も感じた。
自己紹介を交わしたところで、急に親しくなれるわけではない。
――言葉が話せたら、少しは違うのかな?
少しばかりの孤独感を感じながら、武蔵は用意された料理を口に運ぶのだった。
――ところで、
「なんでチャーハンなんだ?」
異国の地の料理ということで、どんなものが出るか多少身構えていたのだが、ご飯に鶏肉と野菜を混ぜて炒めたものに目玉焼きを乗せたそれはチャーハンと呼んで差支えないだろう。
高温多湿な気候、鬱蒼とした木々と海、寺院、ビキニアーマー、メイド服、そしてチャーハン。
――世界観がゲシュタルト崩壊してるな。
仮に――仮にここが異世界だったとしてもだ、もう少し統一感がある、例えばファンタジーな中世ヨーロッパ風でもよかったんじゃないかと、そんなことを武蔵は思うのだった。




