プロローグ 第27回異世界転移実験
――帰りたい。
その思いだけで生きてきた。
大切な人がいて、また会うために必死に帰る方法を探した。
そのためなら魔王になることも厭わなかった。
モニターを見上げる。そこにはコンクリートの柱に縛り付けられた女性が映し出されていた。
遠方から撮られたそれは、しかし女性の恐怖に歪む表情までしっかり捉えていた。
今から何が起こるかわかるはずがないのに、恐ろしいことが起こることだけは感じるのだろう。
半狂乱になりながら、必死に拘束を解こうとしている。
罪悪感を感じないわけでない。
ただ、その感情は目的よりも後ろにいる。
今更その目的がどれだけの意味を持つかもわからないのに、それでも諦めきれないでいる。
「始めろ」
途端、モニターはホワイトアウト。
―――――。
さらに数秒遅れてブラックアウト。
そしてさらに数秒後、室内を地震のような揺れが襲った。
それが一分程度続き、揺れが収まるのを待って、彼は部屋を出ようとする。
「お待ちください、まだ……」
「いや、いい。大丈夫だ」
止める声を拒絶して、そのまま部屋を後にする。
◇
二時間ほどかけて、女性を磔にしていた場所までやってきた。
そこには何もなかった。何も残っていなかった。
圧倒的な暴力により木々は燃え尽き、岩々は薙ぎ払われていた。
男はその中心で深く息を吸う。
未だに熱を孕んだそれが肺を燻る。しかし男が望む異物感はなかった。
実験は失敗だった。そんなことはわかり切っていた。
そもそもなにがどうなれば成功なのかわかっていない。
ただの直感でしかない。
しかし、あのとき感じた異様な空気は覚えている。
白い靄に包まれて前後も上下もわからなくなる恐怖。
自分のなかになにかが入り込んでくる異物感。
それらがこの場にはない。
だから失敗なのだと彼は思った。
「……記録を、回収しなくては」
吹き飛んで残骸に紛れてしまったそれら――。
いくつかは壊れてしまっているに違いないが、それでもいくつかは無事だろう。
「解析して、分析して、次の――」
ホワイトアウトした映像と、ブラックアウトした映像。
その僅かな時間で垣間見た女性の顔を思い出す。
肌を溶かし、眼球を蒸発させて、骨を消し炭にして、消えていく、悲痛な、苦痛な、恐怖が、悲しみが。
脳裏に焼き付いて離れない。
もう、こんなことを27回も繰り返しているのだ。
歩く。
途中、記録係りを見つけては呼びかけ、壊れていないものだけを連れていく。
――そして、見つけてしまった。
心臓が凍り付く。
本来あったところから数百メートルは吹き飛ばされているが、そもそも破壊の中心にあったそれが残ったのは奇跡に近い。
地面に突き刺さっているのは、女性を磔にしたコンクリート塀。
そこに当然女性の姿はなく、しかし影だけがしっかりと残されていた。
女性は影だけを残して消え去っていた。
「くはっ……くっ、くっくっくっ」
思わず笑いが漏れた。
なにが面白いわけではない。
なにかが外れたのだ。それだけはわかった。
「あははははははははは」
彼女は異世界へ行けたのだろうか? 影だけを置いて、異世界へ転移することができたのだろうか?
雨が降り出してきた。
黒い雨だった。
この雨が自分の身体を溶かしてくれたら、どれだけ救われただろうか。
それで死ねれば、どんなに楽だったのだろうか。
独り遠い異世界に取り残された魔王は高らかに笑う。
この異世界を嗤う。