「好きでもない相手じゃあ」(元上司の話)
「どういうことだ」
「ああそれ? そろそろ契約更新の時期でしょー? ちょうどいいから、帰ろっかなって」
「……どこへ」
おや?、と博士は顔を上げた。
なにやら聞き捨てならない趣旨の発言を元部下がした気がする。元部下の部屋の天井裏で雑穀をかじっていた個体を、室内の声を拾いやすい場所へ移動させる。元部下の私的な会話を盗み聞く、という状況は毎度気がとがめるのだが、元部下からも寝室以外は可、と承諾を得ている。情報収集は基本のキ!、と良心にフタをした。
博士は不定形の生きものである。本体は半透明の粘液。それが生きものの神経細胞に間借りして思考する。同種の個体間で知識・経験を共有・蓄積し、数が多いほどいろいろできる。現在の宿主は、都市でいう『ネズミ』の一種(小型)。増加も早く、こちらでもよく見かける生きもののため具合はいい。ヒトとは違った手段で入り込めるので、博士やその同類は都市のいろいろな部門に雇われてこちらに来ている。
「どこって、あっちに決まってるじゃない。……別にここの居心地が悪いとか、そーいうことじゃないんだけど」
「何故だ」
「……座れば?」
「答えろ」
ん?、と博士は宿主に首を傾げさせた。動作がどうにもヒト染みてくるのは、こちらのでの生活が長いためだ。都市とは違いこちらはヒトばかり、その習慣を真似してしまうのも自然な話だろう。だがその習慣を踏まえても、取引相手の返しは、いささか、早いように感じられた。元部下の語尾とかぶっている。
取引相手――エバン氏は冷静沈着を体現したような性格で、その発言は淡々と、かつ考え抜かれたものだ。情感豊かに話す姿など、中央に召喚されて一芝居を打った時くらいしか博士には覚えがない(その様子を聞いた元部下が爆笑していた)。その氏が、感情を――苛立ちも感情だろう――をあらわにして、元部下に尋ねている。『詰問』という言葉があてはまる勢いで。
ゆゆしき事態だった。元部下は円滑な意思疎通に適性を持つヒトである。こうしてこちらに送り出せるほどの水準だ。その元部下が、氏の感情を害している。深刻な問題だ、と考えた博士、いやこれは興味本位ではない、と明後日の方向に言い訳し、聞き耳を立てる個体を増やす。
新たにカチャカチャという物音を拾ったが、これは元部下が茶器を用意しているのだろう。氏が元部下の部屋(ここだ)を頻度高く訪れるから、接待道具の購入申請をあげたこともあった。茶器を机に整える音がした後、元部下が話し出す。
「条件とか待遇とか良くしてもらってるし、そういう不満はホントないの。……んーー、あたし、こっち、長いでしょ? 丸9年? うっわ、なっがー、びびるわ……飽きたってわけじゃないけど、別の仕事もしよっかなって。まあ、転職? そんな感じで」
「……」
「あ、ちゃんと代わりは入れてもらうから安心して。最近は書類仕事も多いでしょ? そーいうの得意なのいるし、引き継ぎもしとく。アッチのほうも相性がいいのが来るから、きっと! 心配しないで」
「……」
「募集条件には『将来の奥方サマと揉めない』っても入れてもらっとく。あんた、そのうちいいとこのお嬢ちゃんと結婚すんでしょ? 変にこじれたら修羅場ね、修羅場」
これがワカレバナシか!、と博士は感慨深く思った。発言の趣旨を考えれば、これは元部下から氏への、これまでの関係を終了しようという提案だろう。
ヒトとのつきあいも長い博士だが、知ってはいるが見たことはない、という事柄も多い。これはまさにその1つ、ワカレバナシ! 博士は単体で増殖できる生きものだ、他者との親密な意思疎通(や破綻)事例には縁遠かったので、興味津々である。感動し、じーーん……、と宿主にヒゲを震わせる。1個体では足りず5個体ほど並んでじーーん……、じーーん……、震わせれば謎の高ぶりが間借りする神経細胞を興奮させた。
元部下と氏の間柄が緊密になったのはここ数年の話だ。こちらのヒトと(どんな形であれ)関係を持つのは奨励されている。しかも氏は組織の決定権を持つ立場、都市としても都合が良い。氏が交渉事で手加減することは一切なかった(むしろ都市側の交渉手法を読まれた)が、元部下を通じて都市への理解が深まった。
恐怖は未知から来る。
得体が知れなければ、恐怖によってたやすく存在を除外される。ましてや都市住民の多くが、こちらのヒトとは異なる姿だ。理解の深さは深いほど助かる。元部下との関係が(予想外だったが)交代可能なものならば、さらに、助かる。少しずつ、ヒトにない器官・容姿を持つ者を入れて慣らすこともできるだろう。手始めは都市職員が推薦する「尻尾」とか「耳」とか「もふもふ」とか。その有益性を思うと、「ワカレバナシ……!」とまた高ぶりが湧き上がった。
「大丈夫よ! 村の娘たちと付き合ってるの多いじゃない。それならあいつら、そうそう反抗してこないでしょ、あんたここらのご領主サマなんだし」
「……」
「でもまー、好いた娘と一緒になると男って変わるもんね。昔あたしにちょっかい出してたことバラしてやろーかとか思うわー、ほんとあの幸せヅラむかつく……あらやだ、また修羅場ね」
む?、と博士は虚をつかれた。
感動のあまり注意散漫になっていた。いつの間にか元部下と氏の話が進んでいる。闘技場時代からの古参組をどうするのか、というのが氏の懸念のようだ。今でこそ氏の指揮系統にいるが、闘技場時代、元部下と企んで彼らの住環境に介入したのだ(食料や医薬品などが効果覿面)。元部下も「死にたくない!!」などと叫びながら共に死地をくぐったものだから、それなりに信用されている。明らかに支配階級な氏より、気安い下層民風な元部下を頼る者もいるかもしれない。
とはいえ、元部下の発言の通り、博士もさして不安は覚えない。衣食住の現在の提供主は氏だ。その事実、その自覚を促せば、古参組も氏の指揮下からは出まい。生きものは、死にたくないものだ。繁殖相手がいるならばなおさらだろう。
「これが『愛』ってやつ? 愛してるから変わるのかしら……? 愛してもない、好きでもない相手じゃあ……一緒にいたって、しょうがないわね」
「――そう、か」
「……あたしは、愛するなら、たった1人がいい。誰かと共有すんのは、ちょっと、できない。……あんたは?」
「状況による」
「……言うと思った!」
ワカレバナシとは笑ってするものなのか、と博士は新たな知見を得た。たいていの記録では泣きわめくか叫び散らすかしていた。
元部下は、いつも通り、けらけらと笑っている。明るい声で「座りなよ、お茶入れ直すから。冷めちゃったでしょ? 引き継ぎとか、話いろいろ詰めなきゃだし」と氏を促している。氏も氏で、無言ではあるが、元部下の言葉に沿って椅子にかけたようだ。ギシリ、軋んだ音は、博士が知っている氏の動きとはずいぶん違って、鈍く、重いものだったけれど。
そうして元部下と氏は、いつも通りに、仕事の話をはじめた。
しばらくそれを聞いていた博士は、はて?、と違和感を感じた。
ワカレバナシの直後である。いつも通りにしようとしても、できないことはあるだろう。氏が仕事以外の話題(こちらの支配階級での流行や近隣で人気の芝居など)を出したり、沈黙(わりと長い)したりすることも、やはり、ない。元部下もそれを促すことは、なかった。
しかし、声のはしばしに潜む、この、妙な、奇異な、圧迫感は何なのだろうか。ワカレバナシで関係が終了すれば、良かれ悪かれ、互いに、互いへの感情を持つ必要はあるまい。事務的な会話で十分だ。このような、重く、かすれた、ひずんだ音を、声に潜ませる必要はあるまい。元部下も、氏も。
博士が思索にふけっているうちに、会話が終わった。
ギイィ、と扉を開ける音。
開かれたのは、通路に通じる扉だ。いつもの通り元部下は氏を見送り、いつもの通り氏は無言でそれを受ける。
「じゃ、ね」
バタン、と扉を閉ざす音。
興味深い、と博士は思った。
音だけだからか、博士にはもろもろ、裏側にべったり張り付いた非言語の情報が、よく、わかった。よくわかったが、当事者同士が同意しているならば干渉する理由はない、というのが博士の持論だ。都市の統計を踏まえれば、この種の案件は周りが何を言っても変わらない、という結果が出ている(ものによっては悪化していた)。そんな案件、そんな当事者に、時間と思考を割くのは資源の無駄だ。
当事者には。
関係者、組織の役職付き、そういった者に話を通せば良いだろう。手間と苦労は困る者がすれば良い。元部下で無ければだめだ、という者が、時間と思考を割いて、どうにかすれば良い。長年組んできた仕事仲間が変わるのは寂しいことだが、博士にとってはそれだけである。元部下でなければ、といった属人的な事項はないし、そうでなければ仕事にならない。
しかし、と博士は改めて思う。『愛』とは興味深いものだ、と。
音を拾っていた個体の制御を外すと、また雑穀をカリカリカリカリ、と囓り出す。思考から急速に音が消えていくなか、博士はふと、そういえばあの音が聞こえなかった、と気がついた。
元部下は、今日は久しぶりにかんぬきを閉め忘れたようだ。
◆◇◆
城の中庭の一隅にちょっとした空間がある。周囲を灌木に囲まれた空き地。石積みの城の壁には日光が当たり、昼寝するには居心地がいい。そのわりに利用者が少ないのは、「出る」、と噂(何が「出る」か聞く相手によって変わる)があるためだ。今日のように内密に話したい時には手頃だ、と博士は個体のヒゲをピクピク震わせる。ア、アと個体の喉にはめた小型拡声器の調子を確認し、思考を発声する。
「というわけで、派遣職員の交代が近く発生する。退職届もすでに提出された。理由は本職員の希望だ。『長期に渡る同一職務を変更したい』、とのことだ。退職届はエバン氏も承諾し、こちら側に交代職員の要請を出している」
交代職員の希望(性別・性格・容姿など)を氏に尋ねたら、一瞬、凄まじい目つきになったのを見てしまった。その凄まじさといったら! 氏と応対していた個体の体毛が即座にぶわぁっっっ、と膨ら(み寿命が縮)むほどだった。
博士は組織における都市側の窓口である。数日前に氏から呼び出され、素知らぬふりで元部下の退職希望を聞き(元部下は氏の元に派遣されているためこのような報告経路となる)、雑多な打ち合わせしている時のことだ。「当事者に関わるといらぬとばっちりをくらう」説が、都市の都市伝説ではないことが証明された瞬間であった。
「こちらにも異存は無い。速やかに交代職員を選定し、引き継ぎを行う。10日ほどで派遣されるだろう。こうして君たちを集めて知らせているのは、本件に関する影響を最小限に留めるためだ。私が情報を開示する許可を得たのは君たちまで。君たちの部下に開示したい場合は、直接エバン氏に交渉してくれ」
博士が集めた関係者は、闘技場時代から元部下とつきあいがあった3名だ。
初老の男は商人で、資源や情報などの取引を行っている。
渋面を作ったのは家臣だ、氏が領地を追われた時から従ってきた者。
なァ、と口を挟んだのはかつて闘技場で使い潰されようとしていた、古参の青年。
「ドウイツショクムってのは何だ? あの女、何だって出てくんだ?」
「長く同じ仕事していて飽きた、ということですよ」
「アァ? 飽きた? 何言ってやがンだ? 魔法も使えねェのに、女一人出てって何ができんだァ?」
「できるのでしょうな、あちらでは。でしょう?」
商人に水を向けられたので、博士は「可能だ」と答える。古参は「?」と眉を寄せた。
「ここと同じだ。我々の地は、ここよりさらに魔法を必要としない。意志があれば生計は立つ。飽きたわけではない、とは発言していたが、真意は不明だ」
「飽きたとは……」
あの女子は、と家臣がうめいたのを見て、博士は同情した。
元部下と全く相性が合わないのがこの家臣だ。元部下の大雑把さに怒り心頭しながら、主君である氏のために耐えてきた。一方で元部下は「おっさんおっはよー」といけしゃあしゃあとしているのだからどうにもならない。また引っかき回されることを想像しているのだろう。
卑賤め、これだから好かんのだ、と家臣が毒づいたのが聞こえたのか、アぁ?、あンだと?、と古参が絡む。いつものことなので博士も放置し、商人の問いに答える。
「他に彼女はなんと?」
「交代要員は彼女と同じく適性のある者、氏にとって利便性がある者、氏の将来の配偶者と摩擦を起こさない者を都市に打診する、と発言していた」
「配偶者? あぁ、正妻ですか」
あとは、と博士は元部下との会話を思い出す。氏との打ち合わせを済ませた後、元部下とも面談をしたのだ。「聞いてたんでしょ?」と面倒がられたが、対面による意思確認は重要である。「撤回するならば今のうちだ」と博士が重ねて問えば、元部下もそれなりに真剣な表情をした。
「自身のわがままだと言っていた。情がないことは許せるが、他の個体と氏を共有することは許せないと」
「……情が、ない?」
商人があごに手をそえた。ヒトではない博士から見ても、たいへんいぶかしげな表情である。
「情が、ない。……誰が、誰に?」
「燭台の手元は暗黒、という言い回しをこちらでは聞く。自分に関わることほどわからないのだろうな……どちらも」
「どちらも? ……あぁ、なるほど、そういう」
これはまた、と商人は莞爾として笑う。博士から見ても、たいへんイイ笑顔だった。
「まぁ私は構いません。これまで通り商いを続けさせていただきましょう。しかし、なんともはや、彼女もご婦人だったのですね。いやいや、また可愛らしいわがままだ」
「この種の嗜好は種族・個体によって差異が出る。本人もこれまで自覚していなかったようだ」
「……それでは高貴な方々のご来訪がきっかけで、と? なんとまあ、まるで芝居のようではありませんか! 博士殿、どうか私の腹をよじれさせるのはお止めください!」
「ぬ?」
「あンだァ、じいさん?」
家臣と古参の舌戦が終わったので、博士は3名の関係者に改めて告げる。
「連絡は以上だ。職員の交代に関し、こちらに異存は無い。異存がある者はそちらでどうにかしてくれ。そのために情報を開示した」
「イゾンってのは何だ?」
「交代に反対、ということだ。交代があっても、またなくても、こちらに支障はない」
支障がある者が行動したまえ、と言った博士は、そういえば、と思い出した。
もう一つ、彼らには用があった。良い機会だったので、質問したい事項があったのだ。小型拡声器の位置を確認し、個体の姿勢を整え、質問を発声する。
「君たちにとって、『愛』とは何だね?」
――得られた三者三様の回答に、博士はまた、『愛』とは興味深い、と思った。




