「申し遅れた。オレはシュタイナーだ」
欧州―第13地区。8日目。
石畳の上を、無機質な靴音が鳴り響く。
上着のポケットに両手を入れたまま、ハルトは道なりに歩いていた。
石畳の両脇には、二階建てで煉瓦造りの店舗が立ち並ぶ。どの店もまだ開店の準備をしている途中だ。忙しく立ち回っている人間の何人かが手を止め、見慣れない顔のハルトに好奇の視線を投げてよこした。
しかしハルトはそれには構わず歩き続ける。歩きながら、長い溜息をついた。
全身が気だるい。昨夜は一睡もしなかったのだ。当然といえば当然かもしれないが、原因はそれだけではないだろう。こめかみの辺りを押さえる。
こんなはずではなかった。少なくとも昨日の今頃、第六地区から第十三地区の首都へ向かう列車の中では、このような展開は予想だにしなかった。
列車の駅を降りて村へと向かう。そこには緑の山に囲まれた家々があり、懐かしい顔ぶれがハルトを出迎えてくれる。そんな、ごく当たり前の情景を期待していただけなのに。そんな自分を嘲笑うかのように待ち受けていたのは、焼けた瓦礫の山と、たくさんの人間の亡骸と、そしてカヤの死という厳しい現実だった。
一体、誰があのような事態を招いたのだろう。
村を出てから八年が経つハルトには、最近のテト村やその周辺集落の状況など分かるはずもない。何か、襲撃に発展するような問題があったのだろうか。しかしデュカスの言葉の端々からは、そのようなことは感じられなかった。彼はただひたすらに、「なんで」と繰り返していた。―どうして、村が襲撃されたのか。どうして、皆が殺されたのか。
ハルトは嘆息する。
何も知らない自分がここで悶々と考えていても仕方がない。ひとまずはテト村の惨劇を自警団に知らせるのが賢明だろう。そして村を襲撃した連中の心当たりを聞き、相応の対処を考えてもらう。それが最も手っ取り早い方法である。
とはいえ、自警団も所詮は民間人の寄せ集めに過ぎないのであって、こういった事件を取り扱うことに関しては素人に違いない。彼らの手でどこまで解決できるかが問題だ。事態が複雑であるようならば、第十三地区に常駐している欧州陸軍に事後処理を任せた方がいいかもしれない。
そしてテト村のことが一段落すれば、今度は亜州第三十八地区の爆撃についても動かなければならない。
今のところ、爆撃があったことを知っているのはごく一部の人間だけだ。情報の漏洩がない限り、下級兵士と民間人は勿論のこと、大多数の軍人も何も知らないはずである。
ハルトやロウが爆撃の件を知っているのは、特別な事例である。これは自分たちが、爆撃調査に携わったトールキン中尉の直接の上官だからだ。無関係な軍人には何の通達も出ていないはずだ。
秘密裏にされているのは爆撃のことだけではない。
トールキン中尉たちが死亡したことはもとより、彼らが第三十八地区に赴いたこと自体、知っている人間は非常に限られている。これも上層部から、口外無用の通達が出ている為だ。
一連の事柄がこれだけ徹底して隠蔽されている以上、しばらくの間は混乱を避けられるかもしれない。が、なにせ一つの国家が集中的な爆撃を受けたのだ。終戦直後の、この時期に。そんなにも大きな事件を、いつまでも隠し通せるはずもない。どこかから情報が漏れるのだって時間の問題だろう。
そうなれば、当然のことながら報道機関は爆撃について騒ぎ立て、あることないことを言い触らし、民間人の不安を煽るような真似をするのだ。悪い報せはよい報せの何倍もの速さ、電光石火の如く知れ渡る。そんなことは目に見えて明らかである。
だからこそ、世間が混乱の渦に呑まれ情報が錯綜する前に、自分は事態を把握しておかねばならない。
今回の件は、単なる爆撃事件ではないのだ。少なくともハルトはそう認識している。
何かを隠している上層部、謎の微粒子、トールキン中尉の怪死現象。引っかかる点はいくつもある。
近日中にでも陸軍の内部情報を調べてみる必要がある。まずはここウラカの町を出て第十三地区の首都カストヴァールに赴き、陸軍地方司令部に顔を出すのが無難か。
混濁する思考の波の中で、ハルトは自分がこれからとるべき行動について整頓する。
そう、やるべきことは山積みなのだ。悲しみにくれるのは後、今はそんな余裕などない。とにかく動かなければ。自分に言い聞かせる。そして、ふと眉根を寄せた。
ひとつだけ、どうすればよいか分からない問題がある。デュカスのことだ。
今はひとまずあの娘に看てもらっているから安心だが、彼が目覚めた時、果たして襲撃のことを語れる精神状態にあるのだろうか。
彼が口を開かない限り、あの村で起こった本当のことは誰にも分からないのだ。だからと言って、過度に彼の心に踏み込んで追求することだけは、してはならない。それくらいのことは分かっている。
ハルトは、昨日デュカスに手を振り払われた時のことを思い出す。幼子のように怯えた目、小刻みに震える体。深追いしすぎるのは彼にとって――あまりに酷だ。
再び溜息をつく。やはり倦怠感は拭えない。
ほどなくして右手に、ミトの話していた鍛冶工房が見えてきた。やはりここにも、錬鉄の看板が吊り下がっている。金槌の形だ。
ハルトは呼び鈴を押してみた。しばらくして出てきたのは、丸い顔に小さな目をした中年の男。作業服を着ており、腰に巻き付けたエプロンにはたくさんの工具が差してあった。彼が工房の主人だろう。
「忙しいところ、すまない。ここに自警団の長がいると聞いてやってきたんだ。そいつに会わせてもらえるか?」
「団長は俺だよ。あんた、この辺じゃあ見かけない顔だが……?」
男の目に一瞬だけ警戒の色が浮かんだのを、ハルトは見逃さなかった。なるべく気さくに見える笑顔を作り、先手を打つ。
「申し遅れた。オレはシュタイナーだ」
しかし男は目をきょとんとさせて首を傾げるばかりだ。そこで。
「シュタイナー。ハルト・シュタイナーだ」
再び自己紹介をしてみた。いつもの癖で思わず陸軍の階級名までも言いそうになったが、かろうじて踏みとどまる。男がようやく、あぁ、と丸い顔をほころばせた。
「ハルトさんっていうのか」
男の反応に、ハルトは目をしばたかせた。そして苦笑する。
そういえばこの地域には、苗字を名乗る習慣がないのだ。相手を苗字で呼び合う軍隊生活に慣れたハルトには、それが不思議なことのように思えた。
ハルトは、ミトの名、そして彼女から自警団の存在を聞いたということを主人に伝えた。
名前が分かったことで、主人の警戒は解ける。人のよさそうな目を細めた。しかし挨拶もそこそこにハルトがテト村の惨状を報告すると、その柔和な顔から笑顔が消えた。
彼はミトと同じような反応をし、そんな馬鹿な、と繰り返し呟いた。
そしてすぐさま、ハルトを伴って町の中心部にある広場へと急ぐ。木で組み立てられた櫓やぐらに登ると、力いっぱい警鐘を乱打した。
朝日に照らされた町に、鐘の音が響き渡る。今日一日の支度をしている人々は皆、その手を止めて空を仰いだ。滅多に鳴らされることはない、自警団緊急招集の合図。
下から櫓を見上げ、ハルトは目を眇める。太陽を反射して光る警鐘が眩しかった。手で光を遮り、広場を見渡した。
この町も何ら変わってはいない。不規則に敷き詰められた石畳も、乳白色の煉瓦で建てられた家々も、錬鉄を加工した看板も、全てが、ハルトの記憶にある町並みそのままだ。十代の頃、まだテト村を離れる前に、カヤとともによく買出しに来ていたウラカの町そのままである。
変わったのはやはり自分自身。そしてテト村がなくなったという、事実だけ。――隣にはカヤがいないという事実だけだ。
心の奥に、新たな空虚感が生まれる。
この鐘の音は、テト村にも届くのだろうか。届くわけがないと分かっているのに、ふとそんなことを思った。警鐘の音も、人々のざわめきも、ウラカの町を流れる風も、そして眩い朝日も、全て体で感じているはずなのに、それらはどこか、自分から遠く隔たったところにあるような気がした。周りの風景が、何だかおぼろげに動く。
今から自警団を集め、テト村のことを報告する。それがまるで他人事のように感じられた。
少しだけ、苦笑してみた。外界と自分との壁が薄くなる。
朝の忙しい時間であるにもかかわらず、すぐに人員は集まった。その数は二十数名、ほとんどが四十代から五十代といった年齢の男性ばかりである。若い青年も何人か混じってはいたが、自分たちよりも遥かに年配の男たちに囲まれ、少し居心地が悪そうであった。彼ら若者は、先の大戦で運良く徴兵を免れたか、ハルトのように戦場から帰還した直後かのいずれかであろう。戦争が終わったばかりである今現在、どこの町でも若い男手は不足している。
集まった男たちは皆、好奇心と懸念がない交ぜになったような表情で召集理由の説明を待っていた。こんな朝早くから、一体何が起こったと言うのだ。彼らの顔には、一様にそう書いてあった。
自警団の統率者である工房の主人は、まず一同にハルトを紹介し、次にテト村の惨劇を説明し始めた。テト村が何者かに襲撃されたこと、村人はみな殺されたこと、村そのものにも火を放たれたであろうこと。
主人の話が進むにつれ、人々の間に緊張が募っていった。
皆、強張った顔でお互いを見やる。あまりに突然のことで事態が今ひとつ掴めないのか、そんなまさか、と引きつった顔で呟く者もいた。
男たちの間から声が上がる。
「襲撃は、いつ起こったんだ?」
その質問に対し主人は、分からないらしい、と答えた。主人の隣で腕を組み、ハルトは思う。遺体の腐乱具合から察するに、ここ二、三日の出来事でないことは確かだ。しかしそのことに関しては何も言わなかった。彼らも自分たちの目で確かめれば分かるだろう。
また別の男が尋ねる。
「助かった奴は?」
主人は口篭り、ハルトを見やる。ハルトは、デュカスという名の少年が一人助かっただけだ、と告げた。人々の間から、落胆と安堵の混じった声が聞こえた。あいつだけなのか、と誰かが呟く。どうやらこの町の住人は、デュカスのことを知っているらしい。
皆、めいめいに知り合いの名をこぼしながら顔を覆う。不思議と、襲撃の理由について尋ねる者はいなかった。
ともかく、と主人が皆をなだめる。
「ここにいても仕方がない。テト村へ向かおうじゃないか」
その言葉に、何人かが顔を上げた。隣同士で何か言いたげな視線を交し合うと、躊躇いがちに頷いた。
ハルトは眉をひそめた。彼らのその様子が、少し気にかかった。
ウラカとテトを結ぶのは、一本の林道である。
山の中を曲がりくねって頂上を目指し、そしてまた下降する。そうやって小さな山を二つほど越えると、テト村が見えてくるのだ。
林道の両側には樅の木が迫り、道に影を落としていた。昼間といえども、樅の木のトンネルをくぐっていると暗くて視界が悪くなるほどだ。
谷側を見やれば、木々の合間に麓が一望できた。ウラカの町並み、そしてその向こうに広がる大草原。それらはまるで、一つの風景画のようだ。時を止め、額縁の中に収まるのがふさわしい景観である。
時折、ウサギやリスなどの小動物が木の根元から顔を覗かせ、小さな瞳で道行く男たちを眺めていた。
背の高い樅の木に頭上を覆われ、自警団の一行は鬱々と林道を歩く。各々の手にはスコップや鍬が握られていた。ハルトが、テト村の住人を埋葬して欲しい、と要請したからである。
一同の間には重苦しい空気が漂っている。それはそうであろう。自分たちの近隣の村が一つ、何者かによって壊滅させられたのだから。
沈黙の中に身を置きながら、ハルトは襲撃について考え込む。
いくら小規模とは言え、テト村にだって十数戸の家があった。そこに住まう人間全てを殺害したとなると、当然のことながら複数、しかも大人数による凶行と見て間違いないだろう。組織立った連中の仕業なのか。しかもあれだけ徹底した虐殺である。生半可な武器では実行不可能だ。となるとやはり、襲撃した連中は銃火器を使用したことになるのか。
ハルトは眉間に皺を寄せる。
銃は軍属の人間以外が手にできる代物ではない。仮に虐殺に銃が使われたとして、何故民間人の間に流布しているのだ。
そっと、自警団の人々に目を配る。
この周辺地域に、そういった銃器を扱う武装集団がいるのだとすれば、ウラカなどの地元の人間も、その存在を知っている可能性がある。もしかすると、襲撃に発展した経緯なども知っているのかもしれない。
しかし今はそんなことを聞けるような雰囲気ではなかった。みな黙々と、林道を急ぐ。ハルトもその流れに乗って歩いた。
重い沈黙に耐えられないのだろう。男たちのうちの何人かが、道中、物珍しげにハルトに声を掛けてきた。その度にテト村との関係や出身地について尋ねられたが、ハルトは適当に愛想を振りまき、それらの質問をやんわりとかわした。好奇の目に晒されるのは好きではないし、彼らの口調に、よそ者に対する警戒心が露だったせいもある。
必要以上に詮索されているような不快感を覚えたので、ハルトはさり気なく列の後方へと移動し、最後尾に落ち着いた。
そこからは前を歩く自警団の連中の様子が一望できた。
ハルトはふと眉をひそめる。ウラカを出発してから数十分、彼らの挙動に少しだけ変化が見られた気がする。
林道を一歩進むごとに、テト村に一歩近付くごとに、彼らを包む緊張感が異様に高まってゆくのだ。皆、時折お互いの顔を見やっては、気まずそうに目を逸らす。それによく見ると、それぞれまばらに歩いていたはずの彼らは、いつの間にか幾つかの小集団を形成しながら山を登っていた。
集団ごとに顔を寄せ合い、小声で相談していたかと思うと、他集団の連中をちらりと見やり、不意に言葉を途切れさせる。そんな光景がそこここで見受けられた。一体何を話しているのだろうか。陽気な世間話などではないことだけは、確かである。そしてその輪の中には、工房の主人の姿も見られた。
ハルトの目の前には、若い二人組が歩いていた。出発の時から居心地が悪そうにしている青年達だ。彼らはどの集団にも属さずに押し黙って歩いていた。
不意に一人が、口を開いた。先を行く先輩達に声が届かぬよう、囁くように話す。言葉遣いから察するに、セゲド村出身者のようである。
「なぁ。テト村を襲撃したんって、やっぱり……」
言い終わる前に、もう一人がぴしゃりと否定する。
「やめや、そんなワケあらへんやろ」
「そんなん言うたかて、他に考えられへんやん。ついにあいつら、やりよったんやで」
「やめって。もしもあいつらの仕業やったとしてもやな、先に手ぇ出したんは、セゲドと違う」
「せやんな。俺らかて、仲間殺されたんや。これは報復や。テト村襲撃は見せしめなんや」
意気込む若者を、その相方はやはり牽制する。
「やめ、言うてるやろ。あいつらがやったって、まだ決まったワケ違う。根拠のないこと口にすんなや」
厳しい口調で咎められたが、若者は喋るのをやめない。更に熱がこもる。
「だって俺、聞いてんって。この間会うた時、言うとったもん。あいつら、銃を仕入れたって……」
「お前、声大きいわ。おっさんらに聞こえたら、どないすんねん。自警団のほとんどはテト村の味方やねんぞ」
そして二人は、初めてハルトの存在を思い出したかのように、肩をびくりと震わせる。恐る恐る、後ろを振り返った。しかしハルトは俯き加減に歩きながら、それに気付かないふりをした。まるで、青年たちの会話など耳に入っていないかのように。
首の向きを前方に戻すと、青年達は足を速めた。ハルトから少しでも遠ざかろうとしたのだろう。
ハルトは二人組を一瞥し、また目を伏せた。
今の、会話。仲間が殺された、銃を仕入れた――若者達は確かにそう言った。訛りが強いので細かいところまでは理解できなかったが、どうやらテト村襲撃の背景にあるのは、かなり複雑な事情のようだ。ハルトは確信する。やはりこの問題は、軍に委ねるべきだ。
あの青年達の同郷人が、テト村を襲撃したのか。彼らはそれを、事前に知っていたのか。
そっと息を吸い込み、そして吐き出す。
私情に走ってはいけない。心を動かしては、いけない。
やがて林道の先に、石垣の門が姿を表した。それと同時に、鼻を覆いたくなる悪臭が漂ってきた。原因など考えるまでもない。ハルトを除く全員が、苦虫を噛み潰したような顔で、手に持った道具をそれぞれ握り直した。
重い足取りで一同は石垣をくぐる。その奥に広がる光景に、息を呑んだ。
本来なら棟を並べているはずの、赤屋根の家々。実り豊かな緑の畑。立派に咲き乱れる色とりどりの花たち。そんなものはみな、消え去っていた。代わりに人々の目に映るのは、延々と続く瓦礫の山ばかり。村の背後にそびえる山がその全貌を晒し、鮮やかな緑を痛いほどに強調していた。
これがあのテト村なのか。あの、緑と花に囲まれていたテト村なのか。
感情の宿らないハルトの眼差しに、焼け野原と化した土地が映し出される。こんな村は、知らない。ハルトの記憶の中にあるテト村ではない。まるで別の集落に足を踏み入れたかのようだ。
誰もが、言葉を失って入り口に立ち尽くしていた。村中を埋め尽くす家屋の残骸を、ただ呆然と眺める。
ややあって、一人が右手にある畑の中を指差した。指先が震えている。彼が示したのは、既に腐敗が進んだ一つの肉の塊。元は人間であったものだ。僅かだが、肉の下に白いものが覗いている。周囲には漆黒のカラスたちが群がり、食事をしていた。それを見た何人かが喉を鳴らし、口元を押さえる。耐え切れずに、若者が一人、石垣の陰で嘔吐した。他の男たちも皆青い顔で、すぐに畑から目を逸らす。
腐臭を漂わせているのは、その肉塊だけではない。村のいたる所に、同じようなものがごろごろしているのだ。
口にはしなくとも、全員がそれを理解していた。
誰ともなく、緩慢に動き始める。畑を通り過ぎ、集落内へと足を進めた。
汗拭き用に持ってきたタオルで鼻と口を覆い、手にはスコップや鍬を持ち、遺体の埋葬に向かう。この悪臭の中では、思考もまともに働かない。男たちはただ黙々と、瓦礫を取り除ける作業へと入った。
ハルトも彼らと一緒に、焼け落ちた家屋に手をかける。まずは細かい木片や石を脇に寄せて、作業がしやすいようにする。ある程度の足場を作り、家の支柱と思われる木片を皆で持ち上げた瞬間、腐臭の濃度は濃くなる。その下から、数人分の大小様々な焼死体が姿を見せた。親子、だろうか。
ハルトは眉間に皺を寄せ、奥歯に力を入れる。苦い唾を飲み込んだ。何の感傷も湧いてこないよう、自制した。遺体が出てくる度に嘆いていたのでは、心がもたない。
他の連中も同じような心境なのだろう。悲嘆の声を上げる者はいない。機械的に遺体を外に運び出し、一所に集めた。遺体の回収作業が終わると、今度はそれを山の方へと運んでゆく。先行の穴掘り班が作った無数の穴に、遺体を一つずつ投げ入れる。腐乱死体を見ただけで、どこの誰だと分かるはずもない。名もなき遺体たちは、狭い穴の中で体を不自然に折り曲げ、上から容赦なく土を被せられた。同じ家屋から出てきた遺体は、全て同じ穴に埋められる。せめてもの心遣いだ。
しかしそれは、埋葬などではない。荘厳さのかけらもなく、死者への敬意もない。悪臭の元を断ち切るための除去作業とでも言うべき無感動さが、人々の全身を包んでいた。みな表情をなくしたまま、淡々と遺体を運び、投げ入れ、土を被せた。延々と、それを繰り返した。
これらの肉塊も数日前までは自分達と同じように生きていたのだ、そう考える者はいなかった。
墓標のない盛山が、足元に幾つも出来上がった。
全ての作業が終わる頃には、既に空が朱に染まりつつあった。何の達成感も湧かなかった。ただ空しさだけが、心を捕えて放さなかった。
往路以上の重苦しさを抱え、一向は下山する。ウラカに帰り着くと、言葉少なに各家へと散っていった。
他の連中同様、さっさと帰路に着こうとしている工房の主人を、ハルトは呼び止める。
襲撃の原因に心当たりはあるかと尋ねると、主人は明らかに狼狽した。しかしハルトの質問には答えず、後のことは私たちに任せてくれと、目を泳がせながらハルトの肩を叩いただけであった。地元の問題は、地元の人間で解決するから、と。
ハルトは片眉を上げる。しかし納得したふりをして頷いておいた。
足早に去ろうとする男を更に引き止め、この町で電話機のある場所はどこかと訊いてみた。男は疲れた顔で怪訝そうにハルトを見上げたが、この質問にはちゃんと答えてくれた。櫓の近くの食堂になら置いてあると教えてくれた。
男の言葉通り、ハルトは食堂へ向かう。
もうすぐ日は暮れる。ウラカの町は、夕飯の支度をする女たちの活気で賑わっていた。彼女たちは今夜、疲れた顔で帰ってきた男たちから、テト村の惨劇を聞かされるのだろう。
まずいな、とハルトは思った。テト村の生き残りがデュカスだと漏らしたのは、まずかったかもしれない。
先ほど、テト村へ向かう道中の時点で既に、町の連中は数組の集団に分かれ始めていた。誰も表立って口にはしなかったが、皆あの若者二人同様、テト村を襲撃したのがセゲド村の人間だと考えているのではないだろうか。
彼らはやはり、テト村襲撃に至った原因を知っている――。
だから出身の村ごとに集団を形成し、セゲドに対しての警戒を強めていたのではないだろうか。だとしたら、ウラカの町そのものが大きく分派してゆくのも時間の問題だ。
そうなった場合、デュカスの立場はどうなるのだろう。彼本人はまだ心の傷が癒えていない状態だ。しかし周囲の大人たちはそんなことに構いはしないだろう。唯一の生き残りであるデュカスを、分派の火種に仕立て上げたりはしないだろうか。
同族のみで群れた人間というのは、最も厄介な生き物なのだ。
彼らの勝手な都合にデュカスを巻き込ませるわけにはいかない。あの少年の心を無闇に踏みにじるだけだ。
ハルトは、本日何度目かの溜息をついた。倦怠感が朝よりもひどくなった気がする。やはり疲労が蓄積されているようだ。
大通りを歩きながら、一人苦笑し、呟いた。
「落ちたよなぁ、体力……」