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空と花と道と  作者: オガタチヨ
第2章
16/52

「軍人の、どこが偉いねん」

欧州――第6地区。8日目。

 世界には、百余りの「地区」がある。

 それぞれが国家としての機能を果たし、各地区によってその政治体制や国家指導者の種は異なる。長年王制を貫いている地区もあれば、独裁を打倒して民主主義を勝ち取った地区もあれば、王制と民主主義の両者が共存している地区もある。当然のことながらそういった政治体制は経済の動きにも影響を及ぼし、様々な経済体系が見られるようになった。それぞれの地区が、多方面に(わた)ってそれぞれの特色を見せている。

 幾つかの地区が集まると、「州」という行政単位で一括される。軍隊などは、州ごとに編成され機能する。各地区に常駐している軍隊にしても、あくまでも州の所有する軍隊の一地方司令部なのであって、その地区の政府に統帥権はない。各州の軍隊は、たかが一地区の政府よりも大きな権限を有しているのだ。

 州は現在、八つある。そのうち先の世界大戦に参戦していたのは、欧・亜・露・米・豪の五つ。前者三つを西側陣営、後者二つを東側陣営と呼んだ。この対立が三つ巴やそれ以上になることはなかったものの、各陣営はそれぞれ欧州と米州を枢軸として、世界各地で激しい戦闘を繰り広げた。

 つらく長い戦争は二十数年もの間続いた。そして先月、ようやく世界政府の中でも和平協定が締結され、半ば強引な形でもって大戦は終結を迎えた。

 だからと言って、これで全てが終わったわけでは決してない。

 戦争は確かに終わった。しかし軍隊という組織は生き続ける。その力はあまりに強大であり、彼らに不可能はないのだとさえ思わせるものがある。ゆえに。彼らが裏で何を画策していても不思議ではない。彼らにはそれを実行するだけの力もあれば、隠し通すだけの力もあるのだから。

 そして例の新兵器製造疑惑についても、軍は何の発表も行わないままだ。依然として、その情報は隠蔽され続けている。

 しかし、とラウルは思う。永遠に隠し(おお)せるものなど、この世にあるはずはないのだ。




 総司令部への潜入は、いつもの手順で滞りなく進んだ。

 馴染みの連中を介して用意してもらった偽造の身分証に、一台の軍用ジープ。そしてラウル自身が昔実際に使っていた陸軍野戦用ジャケットと、「伍長」階級の袖章。

 これらを使って欧州陸軍の兵士として総司令部へと潜入するというのが、いつものやり方である。兵士用の通用門で身分証さえ見せれば、門衛はそれが偽物だと気付かずに簡単に通してくれる。堅固に張り巡らされた金網を無理やりに乗り越えたりする必要は、どこにもないのだ。

 軍組織の規模が大きいだけに、そこを突破する小さな抜け穴など、いくらでも探し出せる。

 とはいえ、隻腕の人間というのはとかく目立つ。目立つということはすなわち、潜入の際に接触した人間の記憶に残りやすい。それを懸念したラウルは今回、右腕の肘から先の部分にL字型の太い水道管を固定した。その上から包帯を巻いて三角巾で吊るせば、右腕を負傷しただけの人間にしか見えない。

 その格好で軍用ジープを運転し、通用門から堂々と総司令部の敷地内に進入した。やはり門衛は、何の疑念も抱かずに門を開けて通してくれた。

 右手に広大なグラウンドを眺めながら、ジープは並木道を走る。幌を折りたたんだ車体は風を受け、運転しているラウルの髪も乾いた風に煽られて後ろへと流れた。

 グラウンドからは、演習中の兵士たちの掛け声が聞こえてきた。戦争は終わっても大事に備える必要があるのだ。演習は欠かせない。グラウンドの更に向こうには、金網を隔てて飛行訓練場が広がっていた。豆粒ほどの大きさの戦車が、滑走路の上をちまちまと蠢いている。肝心の戦闘機の姿はなかった。格納庫の中かもしれない。

 並木道の左方を見やれば、常緑樹のすぐ向こうに赤い煉瓦造りの建物が並んでいる。あれが下級兵士用の兵舎。ここで働く兵士たちのための、私的な生活空間だ。ラウルも、右腕を切断して本国送還にされるまでは陸軍に在籍していた。そのため目の前の兵舎には親近感を覚える。

 ここ総司令部に、兵舎は全部で三つ存在する。下級兵士用のものが二つに、上級士官用のものが一つだ。彼ら軍属の者は、この敷地内で衣食住を全てこなしている。当然のことながら、民間人は敷地内に立ち入ることを許されていない。

 これは軍事機密上の問題もあるが、それだけではない。

 先の世界大戦以降、軍隊という組織は未だかつてないほどの強権を手に入れ、世を席巻した。その当然の結果とでも言うかのように、彼らが武力でもって物事を推し進めていくことが通例化した。それに伴い、人々の間にも意識の格差というものが浸透し始めたのだ。

 軍人、兵士、民間人。今の世の中は概ねこの三階層に分かれている。軍人と兵士は軍属の人間、民間人とは、市井に暮らす非軍属市民のことである。

 「民間人」は軍に関することを一切知らされない。各方面軍の戦略から、軍隊の内部事情から、銃や兵器の存在及び扱い方まで、全てだ。だからこそ彼らと軍隊との間には、精神的な意味でも隔たりが生じる。軍隊は恐ろしい。何をするか分からない上に、自分たちの生活を脅かす存在だ。軍隊というのは自分たちとは隔絶された世界であり、そこで働く人間も自分たちとは毛色が異なる――民間人は、畏怖の念をもってそう考えるようになった。

 軍属の人間と民間人とでは、世界が違うのだ。

 しかし同じ軍属であっても、「軍人」と「兵士」との間にも大きな隔たりが生じている。

 まず軍隊には、元帥から上等兵まで、様々な階級の人間が在籍する。尉官以上の階級を持つ者は「軍人」と呼ばれ、それより下の者――すなわち曹長や軍曹、伍長、上等兵――は「兵士」階級とされる。更にその下の一等兵や二等兵は、訓練学校に在学中の人間に与えられる階級であり、彼らは卒業と同時に正式に軍に入隊する。特例がない限りは、入隊直後は皆、上等兵扱いだ。その後戦歴を積み、功績を挙げて昇進してゆくのだ。少尉階級にまで昇進すれば、立派に「軍人」の仲間入りを果たすこととなり、優遇されるようになる。

 「軍人」には、「兵士」にはない様々な特権が与えられる。給与額が大幅に上がるのは勿論のこと、紺の正装用軍服を身に纏うことが許されるし、階級徽章(きしょう)もそれまでのフェルト生地から金具付きの上等なものに変わる。

 更に、軍人になると通達される情報の量も格段に違ってくる。下級兵士には知らされない重要な軍機も、軍人階級にならきちんと行き渡るし、当然のことながら作戦会議等への参加も許される。兵士や民間人の知りえない内部事情を把握し、軍隊という組織の中で中心になって動く。それこそが軍人階級の人間の役割なのだ。

 しかし軍人の中には、そういった自分たちの特権を鼻に掛けて、兵士や民間人を蔑視する輩も少なくはない。まるで自分たちが世界を支えているかのようなことを豪語したり、金と権力に物を言わせて好き放題したりと、ろくでもないことを行う連中もいる。だからこそ余計に、軍人と民間人との隔たりは拡がるばかりなのだ。

 それに対して「兵士」は、心情や立場としてはどちらかと言うと民間人に近い。持っている情報量も軍事知識も、民間人のそれとさほど変わりはしない。ただ彼らは、銃の扱い方を知っているという点を考慮すると、やはり明らかに民間人とは異なる存在だ。

 兵士のほとんどは軍人に対して憧憬の念を抱いており、いつか彼らの仲間入りを果たすためにと、戦場では最前線で命を張って奮闘するのだ。

 しかし中にはそうでない人間もいる。

「軍人の、どこが偉いねん」

 運転席の上で、ラウルは苦々しく吐き捨てた。

 しばらく走らせてから兵舎の陰にジープを停めた。エンジンを切り、鍵をつけたまま車を降りる。こうして放置しておけば、後で誰かが適当に乗り回してくれるだろう。ジープに別れを告げ、目の前の建物へと向かう。

 赤い煉瓦で造られた兵舎は、ところどころ壁がひび割れており、その歴史を感じさせる。入り口の扉を押し開け、ラウルは堂々と中に入った。

 格好だけは、どこから見ても陸軍兵士なのだ。誰が彼のことを部外者だと疑おうか。事実、すれ違う兵士たちは誰もラウルを見咎めない。中には、右腕の三角巾を見て、見舞い代わりのガムや果物を投げてよこす者もいたほどだ。そんな彼らに対して、ラウルも明るく感謝の言葉を述べた。

 鼻唄を歌いながら板張りの廊下を歩く。一歩進むごとに、ラウルの足元で床がきしんだ音をたてた。漆喰で塗られた白い壁と古い木枠で縁取られた扉が、廊下に沿って延々と続く。壁には掲示板が掲げられ、何枚もの張り紙が重なるようにして画鋲で留められていた。張り紙には、兵士たちへの連絡事項などがタイプ打ちされた文字で書かれている。それらを懐かしい気持ちで眺めながら、まずは兵舎の中にある食堂へと向かった。

 時間帯のせいもあってか、食堂は若い兵士たちで混み合っていた。昼の演習の前に腹ごしらえをしようと、彼らは配膳の列に殺到している。ラウルもその最後尾に並んだ。四角い盆を手に、自分の順番を待つ。

 遥か前方に並んでいる兵士たちの間から歓声が湧く。どうやら今日の昼食のスープには、肉の細切れが入っているようだ。軍属の人間であっても、下級兵士の食事は上級士官と違って(わび)しいものなのである。

 食糧事情の悪さは、今もラウルたちの頃も変わらない。

 給食だけでは空腹感が満たされず、食堂にある缶詰を夜中にくすねてくる――そんなことは日常茶飯事だった。共犯者は同じ中隊の仲間だ。上官に見つからないように、皆で数種類の缶詰を回し食いしたものである。果物の缶詰ともなると、中に入っている果汁を必ず誰かが一人で飲み干してしまう。それが原因で真夜中に喧嘩が起こることもしばしばあった。

 ラウルはそっと笑みを浮かべた。

 下士官用の兵舎に来ると、いつも懐かしいことばかり思い出す。

 列が進み、ラウルの順番が回ってくる。今日の主食は、先ほど若い兵士たちが騒いでいた肉の細切れ入りスープだ。あとは、パンと、味気のないマッシュポテトと、干し肉のように硬い焼きベーコン。やはり侘しい。給仕係の若い兵士に、せめてスープを大盛にしてくれるよう頼んだが、それは無理だと一言で拒否された。仕方なく、並盛で我慢する。十三地区の司令部だともっと融通が利くのに、総司令部の給仕係はいつもケチだ。

 給食の乗った盆を片手に、空いている席を探す。狭い食堂には長机が整然と並んでおり、机と机の隙間を埋めるかのように座った兵士たちは、体を丸めて食事を貪っていた。あちこちのテーブルから、若い兵士たちの話し声が響いてくる。非常に活気のある光景だ。

 ラウルは適当な空席を見つけ、そこに座った。同じテーブルには、ラウルよりも三つか四つは若い青年たちが席についており、雑談交じりの昼食を楽しんでいた。

 こういう席では、交流を兼ねた情報収集がしやすい。

「なぁ、ちょっと、そこの塩取ってくんない?」

 ラウルは早速身を乗り出し、テーブルの中ほどにある塩の瓶を指差した。当然のことながら言葉の訛りは隠す。

「はいよ」

 瓶の一番近くに座っていた赤毛の青年が、隣の若者にそれを手渡した。何人かの手を経てラウルの元へと塩が辿り着く。ラウルは礼を言うと、細切れ入りスープに塩を勢いよく振りかけた。それを見た向かい席の若者が、そばかすだらけの顔をしかめる。

「お前、そんなものに塩かけるのかよ。しかもそんなにたくさん」

「悪いか?」

「邪道だ。スープってのは元々味がついてるだろ」

「いやいや、これが実は美味いんだって。お前もやってみるか?」

 にっこりと笑って塩の瓶を突き出したが、若者は激しく首を振ってラウルの誘いを拒否した。

「食わず嫌いは損だぞ」

 ラウルはおせっかいな忠告をすると、スープをすすり、満足げな笑みを浮かべる。そばかすの若者は、信じられないといった風に首を振り、肩をすくめた。

「――ずっと気になってたんだけど、さ」

 塩を回してくれた赤毛の青年が、たわしの様に硬いパンをちぎりながら、一同を見渡す。

「戦争が終わったはいいけどさ、俺たちって、これからどうなるわけ?」

 彼の言葉に、みな一様にお互いを見やる。答えたのは、ラウルの向かいに座るそばかす青年だった。彼は手の中でフォークを弄ぶ。

「どうなるも何も、とりあえずは後方待機だろ。演習だってやってるじゃないか」

「だからそれは、あくまでも今日明日の話だろ? そりゃ今は、また何が起こるか分からない状況だし、待機しておく必要もあるんだろうけど。でも長期的に考えてさ、俺ら下級兵士の需要って、これからもあるわけ?」

「さあ? でも状況が落ち着いてきたら、今みたいに大量の兵士を常駐させておく理由もないよな。――と、なると」

「やっぱさ、俺ら、用なし?」

「ってことになるかもな。上級士官なら、何かとやる事はあるんだろうけど」

 そばかすは肩をすくめた。上級士官というのは軍人階級の人間のことを指す。

「んー、確かによぉ」

 隣のテーブルの兵士がこちらに体を向け、話題に入ってくる。彼はラウルと同じくらいの年齢だろうか。縮れた黒髪に褐色の肌をしている。欧州の中でも南部出身者かもしれない。

「今の時期、軍人なら仕事は山ほどあるみたいだぜ。奴ら、戦後処理の業務に追われてるじゃん。でもよ、その分、俺たちが手持ち無沙汰になってんだよな」

 テーブルを囲んでいた兵士たちは皆、彼の言葉に頷いた。

「内勤職に、俺たち兵士は不要だもんな。現にほら、あそこの部隊、前線から帰ってきて即行、解隊されたらしいし」

「え、どこの部隊――ああ、第八か。だってあいつら、ろくに戦功挙げてないだろ」

「指揮官が腑抜け野郎だからさ、いっつも駆けつけるのが遅いんだよ」

「来たら来たで、要領悪いから足手まといになるだけだったよな」

「解隊されても仕方ないぜ、あれは」

 何人かがそれに対して相槌を打った。

「つまり、役立たずは故郷(くに)に帰れってことだろ」

 ラウルがポテトを口に運びながらけろりと言うと、兵士たちは口を噤み、苦い顔になった。彼らもそれを他人事だと一蹴することはできない。兵士の需要がないのだとすれば、戦功に関係なく、今の時期はどこの部隊でも解隊の可能性があるのだ。

「解隊云々はともかく、さ。お前、故郷に帰る?」

 赤毛が自分の隣にいる兵士に尋ねる。相手は首を傾げ、いや、と答えた。

「みんな、帰らないのか?」

 訊いたのはラウルだ。兵士たちは揃って首を横に振る。

「だってさ、やっぱり給料いいもんな、軍属だと」

「同感」

「オレも」

「田舎帰っても、畑耕すだけだし」

 彼らの言い分は、ラウルにもよく理解できる。下級兵士とはいえ、軍属の人間の給与額は他の仕事に比べて遥かに高い。

「何? お前、帰んの?」

 そばかすが訊いてきたので、ラウルは慌てて首を振った。

「まさか。みんなと同じ理由で、ここに残るつもり」

 ラウルの言葉に対しそばかすは、やっぱそうだよな、と一人納得していた。そしてまた、指先で器用にフォークを回して遊ぶ。

「でもよ、案外、俺らの仕事って残ってるんじゃねぇの?」

 言ったのは縮れ毛である。

「前線での戦闘行為はなくなったけどよ、各地の復興作業とか、人手が足りてねぇじゃん?」

「それに駆り出されるってことか」

「あー、あり得る」

「でも(へき)地に飛ばされるのだけはゴメンだぜ」

(ひる)と共寝する恐怖は、もう味わいたくない」

 皆口々に、自分の懸念を放出する。それをそばかすが牽制した。

「おいおい、お前ら。仕事欲しいのか、欲しくないのか、どっちだよ」

「仕事は欲しいけど、楽なやつがいい。三食寝床付きなら最高」

「それでよく生き残ったもんだぜ。お前は一生蛭に血でも吸われてろ」

 呆れ顔のそばかすに、若者はわざとらしく肩をすくめた。

 ラウルは彼らの会話を黙って聞いていた。炭の塊と見紛うほどに焦げたベーコンをかじりながら、考え込む。

 戦争は確かに終わった。人々の生活には平穏が訪れた。

 しかしその一方で、兵士階級の人間は自分たちの役割を見失っている。今までは戦場で武器を手に戦うということが彼らの務めだったが、戦闘行為の止んだ現在、彼らには戦うべき相手がいない。軍人階級の人間と違って内勤職に携わることもできないため、何をすればよいのか全く分からない。上からの命令が下されない以上、動くことができないのだ。

 「兵士は自らの意思で行動を起こしてはいけない」――この鉄則がある以上、彼らは何もできない自分たちの状況にもどかしさを抱えたまま、ただひたすらに上からの通達を待つのみだ。

 これから彼ら兵士たちがどういった役割を担ってゆくのか、それはラウルにも想像がつかない。全ては、今後の状況次第であろう。

 ラウルが思案にふけっている間にも、兵士たちの会話は続く。

「そうは言ってもさ、十六地区の方ではまだ戦闘が続いてるよな?」

 赤毛が縮れ毛に同意を求めた。縮れ毛はパンを頬張りながら頷いた。あぁ、とそばかすも声を上げる。

「確か、まだあそこから引き上げてない部隊もあったよな」

 縮れ毛は再び頷く。他の兵士たちも心得たような表情になった。

「地元ゲリラが厄介だからな、十六地区(あそこ)は」

「大戦が終わっても、相変わらずなことしてるよなぁ」

「もう少しおとなしくなりゃいいのに」

「ほんと、ほんと」

「欧州の東部は、問題が多いよな」

「その上、三十三地区も近いし」

「三十三地区のことは露州が何とかするだろ。――まぁ、近いことに変わりはないけど」

「とにかく要注意地区の集まりだよな、東部地域は。地元の人間が一番大変だと思うぜ」

 ラウルの地元である第十三地区も、欧州東部地域に位置する。しかも東隣には第三十三地区、南隣には第十六地区がある。彼らの言うところの要注意地区に囲まれているではないか。思わず、乾いた笑みが漏れた。

 ラウルの出身地セゲド村は、第十六地区との国境に近い。彼らの話すゲリラ集団の話も他人事だとは思えないところがある。確かに、ゲリラ関連の事柄がセゲド村にも飛び火しかけているという話は、同郷人からも聞いた。先ほど誰かが言った通り、こういう問題で頭を抱えるのはいつも地元の人間なのだ。

 ラウルはポテトにフォークを突き刺し、最後の一かけらを口の中に放り込む。

 早食いの癖は、相変わらず治らない。口うるさい妹からは、胃腸を悪くするぞとよく叱られるが、ラウルにはこの速さが合っているのだ。これも職業柄だろうか。

 適当に咀嚼すると、後は水で流し込んだ。

「そんじゃ、お先」

 食器が空になったところで、ラウルは席を立つ。

 彼ら兵士の現状が分かっただけでも、個人的な収穫はあった。潜入操作の本来の目的を履き違えそうになりながらも、ラウルは満足する。

 よもや彼が部外者だとは(つゆ)知らず、兵士たちは片手を上げてラウルを見送った。その背が小さくなってゆくのを、何とはなしに皆で眺める。

 テーブル上は最初の顔ぶれに戻った。

「――そういや、さ。あいつは一体どこの所属だ?」

 赤毛の言葉に、みな首を傾げる。そばかすが意外そうな顔をした。

「お前、知り合いじゃないのか?」

「違うよ」

「だって、塩渡してたじゃないか」

「いや、あれはさ、頼まれたからつられて……」

「え? じゃあ、どこの奴だ?」

 そばかすが一同を見渡す。全員がそれぞれ、かぶりを振った。

「俺の部隊では見ない顔だぞ」

「俺のとこも」

「うちでも見ないな」

「――って、ことは……?」

 食卓の上に、沈黙が訪れる。ややあってから誰かが、あ、と呟いた。

「この間、新しく移動してきた部隊があったよな。あそこの奴じゃないか?」

 赤毛も、ぱちんと指を鳴らす。少しだけ得意げに顔を輝かせた。

「きっとそうだ」

 それにつられ、他の兵士も頷きあった。

「うん、そうに違いない」

「そっかそっか、そういうことか」

 皆が皆、それぞれ都合のいいように解釈して納得した。まさか彼が侵入者だとは、夢にも思わない。そんなものである。

 納得したところで、彼らの昼食は再開する。

 一人がそばかすに声を掛けた。

「なぁ、そこの塩、取ってくれ」

 そばかすはラウルが先ほど使っていた塩の瓶を、彼に手渡す。受け取った本人は、早速スープに塩を振りかけた。そばかすがぎょっとした顔になる。

「お前も、そんなものに塩かけるのかよ!」

「え、いや…。さっきの奴がすっげぇ美味そうに食ってたから。俺もやってみようかなーって」

「知らないぞ、俺は知らないぞ」

 そばかすは怖いものでも見るような目で、塩とスープを見比べる。塩を手にした若者は、小さく笑いながらスプーンを手にする。

「大げさだよ、お前」

 そして一口、すすってみる。周りの兵士たちは、緊張の面持ちで彼の反応を窺う。次の瞬間、彼は顔いっぱいに何とも言えない表情を浮かべた。慌てて水を手に取り、飲み干す。

 涙目のまましばし呆然とし、ようやくのことで声を絞り出した。

「…塩っ辛い……」

 それを見た兵士たちは、やれやれといった風に肩をすくめた。誰もが、自分が試してみなくてよかったと、密かに安堵していた。


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