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空と花と道と  作者: オガタチヨ
第1章
13/52

「答えは、出たのか?」

欧州――第13地区。8日目。

 払暁の明るみが辺りを包む。

 山には朝霧が出ていた。どこかで鳥の囀る声が聞こえる。空気は凛と冷たく、吐く息は少しばかり白くなる。

 夜露に濡れた草を踏み分け、デュカスは山の中を歩いていた。

 一晩中、眠れなかった。

 風に揺れる草原を眺めながら、剣を懐に抱き、まんじりともせぬままに夜を明かした。

 ハルトの言葉を何度も反芻して、自分なりに考えた。――これから一体、どうすればいいのか。

 それは非常に難しい問いかけだった。

 実際のところ、ハルトの話した爆撃に関することは、全く理解できていない。ホウシャノウとかヘイガイとか、聞いたこともない言葉がどんどんとハルトの口から飛び出すのだ。おまけに、自分達のいる第十三地区とハルトの言う第三十八地区との距離感すら、全く掴めない。そんなデュカスには、ハルトの口から語られた情報を消化するのは不可能だった。でも何やら大変なことになっているらしい、ということだけは確実に伝わった。

 とは言え、今のデュカスにとって爆撃は関係ない。要は自分が一体何をしたいのか、ということだ。何がしたいのか、何をすべきなのか。

 しかし、と心のどこかで別の思いが頭をもたげる。本当に爆撃は自分と無関係なのだろうか。世界中が巻き込まれるとハルトは言ってなかったか。だとしたらこの村はどうなるのだろう――考えれば考えるほどに、思考能力は欠如してゆく。何だかもう億劫で、投げやりな気持ちにさえなる。

 デュカスは顔を上げて前方を見やる。

 遠目に、姉の墓標が確認できた。そして墓標の前には、ハルトがあぐらをかき、カヤと向き合っていた。恐らく一晩中そうしていたのだろう。

 デュカスは、ゆっくりとハルトの背中に近付く。

「答えは、出たのか?」

 こちらを振り返らずに、ハルトが問い掛けてきた。デュカスは立ち止まる。

 答え――自分はこの村を離れるのか、否か。

 空咳(からせき)を一つして、ハルトが立ち上がった。

「やっぱり朝方は冷えるな」

 振り返ったその顔には、憔悴の色が濃い。それでも無理やりに、余裕の表情を作ろうとする。それがなんだか痛ましかった。

 ハルトの肩越しに姉の墓を見つめた。その足元には、小さな花が一輪、供えられていた。デュカスが摘んだものではない。そして墓標となっている木の棒には、昨日まではなかった布切れが、無造作に巻きつけられている。代わりに、ハルトの額を覆っていた布が見当たらないことに、デュカスは気付く。

 デュカスは改めて考える。

 村を出てしまえば、姉をずっと見守ることもできなくなるのだ。しかし――。

 ぎゅっと、自分の服の裾をつまむ。躊躇いがちに、口を開いた。

「オレ……オレには、難しいことは分からない。お前の話したことも、オレには難しくて分からない。でも、何だか大変な事になってることだけは、分かる」

 ハルトは黙って聞いている。

「本当は、これからどうしたいかなんて、オレ自身にも分からない。考えてみたけど、頭が混乱しただけだった。でも……」

 顔を俯け、肩を震わせた。

「オレ……嫌なんだ。つらすぎる。オレはもう、この村に……いたくない」

 これ以上、あの孤独感や罪悪感にさいなまれるのは嫌だ。あの日の光景は、焼け落ちた集落を見るたびに、あまりに生々しく蘇る。自分がこの村にいるのは、もう――限界だ。

「オレは、この村を、出る」

 ハルトを見上げ、一言一言、噛み締めるように断言する。目の前の男は、何も言わずに重々しく頷いた。

 でも、とデュカスは更に続ける。

「もう少し、待ってくれ。村のみんなをまだ、弔ってない」

 彼の言葉に、ハルトが軽く瞠目する。しかしすぐに表情を改めると、

「わかった」

 再び頷いた。デュカスは安堵する。次の瞬間。

 ぐらり、と視界が揺れた。目の前にいるはずのハルトの体が、大きく傾く。いや、ハルトだけじゃない。目に映るもの全てが、デュカスの中で重力を失う。

 慌てて駆け寄るハルトの姿を認めたのを最後に、デュカスの意識は途切れた。




 間一髪でハルトは、デュカスの体を抱きとめる。

 ハルトの腕の中で目をつむる少年は、ぴくりとも動かない。張り詰めていた神経が切れたのだろう。ぐったりとしたまま、目を覚ます気配もない。ハルトは嘆息した。

 満身創痍という表現が的確なほどに、デュカスの体は痛々しかった。全身に細かく走る引っかき傷は勿論のこと、左腕の火傷、傷だらけの手の甲、泥にまみれた手に、血豆のできた指先。そして、赤くなって腫れ上がっている左の耳たぶ。

 小柄なデュカスを横抱きにして、立ち上がる。その体重は、異様に軽い。ここ何日も、飲まず食わずの生活をしていたのだろう。この状況だ、無理もない。そう思うと胸が痛んだ。

「本当に、よく頑張ったな」

 いたわるように、呟く。無論それがデュカスに届いているはずもない。

 デュカスを抱いたまま、ハルトはカヤの墓標に向き直る。

「……じゃあ、またな」

 穏やかに笑うと、背を向けた。そして、歩き出す。やわらかな風がそよいだ。ハルトの供えた花を、微かに揺らす。

 ハルトは一度も振り返らなかった。デュカスを抱きかかえ、木々の中へと消えていく。

 朝もやが少しずつ、薄れ始めていた。  



(第1章 了)

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