人を殺すもの
いつだって人は死んでいきます。
寿命や病、あるいは殺され、あるいは自ら命を絶ち、毎日人は死んでいきます。
しかし、人を殺すのはいつだって人間なのだと思います。
殺人は勿論、自分自身を殺すことだって、他人との関わりがなければ起こるとは思えません。
寿命がストレスによって縮むという話も有名ですし、病は気から、という言葉も有名です。
人は人を殺さないような努力をすべき時代に入ってきているのではないでしょうか。
大きな所では、国同士の付き合い方です。
約60年前まで、国同士の問題は戦闘によって、人を殺すことで解決することが大国の常識だったと思います。。
しかし、核兵器の登場や、インターネット、マスコミ等の発達により、表立って人を殺し、相手を屈服させるというやり方を国が取ることは難しくなりました。
そのやり方に変わって登場したのは、経済的に相手を締め上げ、屈服させる方法です。
このやり方では、少なくとも自国の兵士が死ぬことはありません。
しかし、少なくとも、やられたほうの国で人間が苦しんでいるのは事実ですし、場合によっては人が死んでいるでしょう。
このやり方が、賢明で理性的なやり方だとは思えません。
少なくとも、大国が自分のエゴを押し通すために相手の国の人を殺す、という点では、これは戦争とまったく変わりません。 違うのは、大国の兵士が死んでいないという点だけです。
相手の国の人間がどうなろうと知ったことではない、という考え方は、今でも全世界で通用してしまう考え方です。
これはおかしなことではないでしょうか。
せめて国民レベルでは、相手を思いやる気持ちを持つべきだと思います。
小さなところでは、他人を傷つけるとき、一歩踏みとどまって考えることです。
相手に対して悪い感情を持ったのであれば、面と向かって言いましょう。
それは、行き過ぎれば自分が罰せられます。 つまり、相手に対して自分は責任を負っている、ということになります。
陰口の嫌なところは、相手が反撃できないところでねちねちとダメージを蓄積させるところにあると思います。
悪口を言う人間は、相手がどうなろうと知ったことではなく、これは相手に対して責任を持っていないと思います。
人を傷つけるのであれば、相手に対して責任を負うべきです。 自分の安全を確保した上で相手に悪口を言うのは論外だと思います。
傷つけるのであれば傷つけられる覚悟を持つべきではないでしょうか。