自分の位置を確認してほしい
誰かを笑うときに意識してほしいことがあります。
その悪口は、一体誰のために言っているものか、ということです。
他人のために言う悪口はただのいじめです。
リアルの付き合いで、誰かを馬鹿にしたり、笑いものにしたりするときは、自分一人で、自分自身の感情をぶつけるだけにして下さい。
他人を笑わせたり、他人を喜ばせたりするために悪口を言う、それは人として最低の行為だと思います。
いじめなどの問題で出てくる「なんとなく」という動機は、いじめるという行為自体に意味があるのではなく、その人をいじめることによって他人を喜ばせることに意味があるという証拠だと思います。
他人を喜ばせるために悪口を言う人間は、他人と作るグループの維持のために死力を尽くします。
会社の部署や、学校のクラスで発生したいじめは殆ど止めることが出来ないか、いじめられる対象が入れ替わるだけで、根本的な解決に至ることが少ないです。
これは、他人のために悪口を言うことによって得られる一体感や快感を無意識のうちにもっと得たいと思うからです。
他人のために悪口を言う人間は、他人と群れていなければ何も出来ません。
他人を喜ばせるためという目的に縛られて、視野は狭くなり、結果としていじめを始めとした馬鹿な行動を取り始めます。
それが他人のために悪口を言う人間です。
最近話題のツイッターなどに馬鹿な行動をアップロードする人間も、本質は同じです。
自分の行動によって他人が喜び、それによって自分が評価されるのを期待しているだけです。
また、所謂ネット弁慶のような、他人を批判してばかりいる人間も同じです。
誰かのしている批判に便乗して、更に多くの過激な批判を深く考えもせずに書き込む、そういった心無い行為をする人間は大抵誰かを喜ばせたい、誰かに評価されたいという思考で動いています。
もっと自分が独立した個であるという意識を持ってほしいです。
残念ながら、ツイッターやアメーバなどのSNS系のコンテンツでは、考えが足りないコメントをとても多く見かけます。
色々な批判をする前に、まずは自分が誰のためにその言葉を発信しようとしているのか、ということを考えてほしいです。