好意には笑顔で返してほしい
好意を断ることは、場合によっては間違った行動であるということを分かっていてほしいです。
列車やバスで、お年寄りだと思って席を譲ったら、「自分はまだそんなに年を取っていない、失礼だ!」と怒られたという話を聞いたことがあります。
怒られたほうは当然いい気分ではありません、「もう二度と誰かに席を譲ってやるもんか」と拗ねてしまうかもしれません、場合によっては一生誰にも席を譲らない、というような人間になってしまうかもしれません。
そうでなかったとしても、次に誰かに席を譲るときに躊躇してしまうのは確かでしょう。
そして、一番問題なのは、それを見ていた不特定多数の人間が、誰かに席を譲るという行動を躊躇してしまう状態になってしまうことです。
よく「自分は誰にも迷惑をかけていない」という言い訳を耳にしますが、ごみのポイ捨てや歩きタバコ、未成年の飲酒や喫煙は、それを目にした誰かが同じことをする可能性を持っています。
これで誰にも迷惑を掛けていないというのは無理があります。
誰かの好意を無碍にするという行為は、本質的にはごみのポイ捨てと変わりません。
誰かの好意には笑顔と誠意で返すのが正しいです。
自分がしてもらって嬉しかったことを他人にもする、自分によくしてくれた人が困っていたら助けてあげる、これがいい連鎖というものだと思います。
好意を断る、更に自分の都合を優先させ悪意で返すというのはこの連鎖を大きく断ち切ってしまう行為です。
差し出された好意は、自分のためでなく、他人のために遠慮せず笑顔で受け取るのが一番いいことだと思います。
もちろん、受け取りっぱなしではなく、誰かのためになにか行動するのも重要です。
また、好意を差し伸べる側は、押し付けるのではなく、売りつけるのではなく、ただで差し出しているのだ、という心構えを持ってほしいです。
好意を押し付けてしまえば、相手の成長を阻害したり、相手が疲れてしまうということに繋がってしまいます。
好意を売りつけることも、相手は何かを返すという行動に縛り付けられてしまい、いい連鎖には繋がりません。
好意は差し出すもので、決して見返りがあるるものではないということを分かってほしいです。
なので、差し出す好意は、その人が簡単に返せるものにするのがいいと思います。
「一人は皆のために、皆は一人のために」という言葉は「一人は皆のために」が無ければ決して成り立つことはありません。
また、見返りを求めてしまっても、成り立つことは無いと思います。
決して自分は無理をせず、決して他人に無理をさせず、これが一番大切なことだと思います。