この先どうなるかを見ること
初投稿です。
話ごとのタイトルはテキトーです。
作者もテキトーです。
物事には「輝いて見えるけれども正しくないもの」や、「駄目なことのように見えるけれども正しいもの」もあると思います。
科学を出来る限りの力で際限なく発展させていくことと、しっかりと世界に与える影響を見定め、節度を持って科学を発展させること、この二つの対比を例に挙げます。
科学を出来る限りの力で際限なく発展させたならば、きっと今よりも便利な家電製品が増えたり、今とは違った娯楽も増えるでしょう。
少なくとも科学者は窮屈な思いをしながら技術を開発することはなくなり、より自由で活発な研究が行えるはずです。
しかし、その代償として、人類は発展した科学によって多大な血を流し、多くの自然は傷つけられるでしょう。
場合によっては地球という星が不毛の大地と化し、人が住めない環境になってしまうことも考えられます。
仮にこの状況で人類が生き残ることが出来たとしても、それまであった自然環境を取り戻すことは出来ません。
対して、節度を持って科学を発展させた場合はどうでしょうか。
確かに科学の発展するスピードは落ちてしまうでしょうが、少なくとも自然を滅ぼしてしまったり、地球を不毛の地に変えるような事態は避けられるはずです。
「研究者の研究を邪魔するだなんてとんでもない!」という考えを持っている人は、少し止まって考えて下さい。
このまま進んでいくと、この先には何が待っているでしょうか。
「研究者の研究を邪魔する」ということ自体は決して間違った考え方ではないのです(無論正しい考え方だと断じることもできませんが)。
貧しい国に食料を支援することと、その国の農業を発展させること、どちらがいいことでしょうか。
不正を見てみぬ振りをすることと、不正をやめさせるために努力すること、どちらがいいことでしょうか。
老人への社会保障を充実させることと、若い人間への社会保障を充実させること、どちらがいいことでしょうか。
使ったら終わり、使っても消えてしまう、そういったものに投資するよりも、何かを作る、未来に繋がっていくようなものに投資すべきだと思います。
残念ながら、この世ではたくさんのものに限りがあります。
消えてしまうものよりも、未来でも役に立つようなものを優先する。
限りあるものをどう使うか、という選択をしなければならないとき、この考え方は大まかに正しい方向を指し示してくれると思います。
状況が変わればその時々に優先すべきものは変わってきます、しかし、未来において取り返しがつかない事態にならないように、常に自分が進んでいる方向と、自分が進まなければならない方向を意識することは絶対に必要です。