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第2章

「おーい、雲隠(ユンイン)ー」

 庭で二胡を弾く雲隠のもとに、学然(シュエラン)の声が聞こえてきた。

「ちょっとこっちまできてくんねーか」

 小さく息をつくと、雲隠は二胡を持ったまま室内へと入る。

「いったいどうしたというのです?」

 しかし、そこにいると思っていた肝心の声の主の姿がそこにはない。

「学然?」

「あ、こっち、こっち」

 どうやら門の外に学然はいるようだ。

(相変わらず大きな声ですね……)

 門の外にいる学然の声が、中庭にいる自分に聞こえてきたのだから、と妙なところで感心しつつ、雲隠は急ぎ足で声の主のもとへと歩み寄る。

「学……」

「なんかなー、行き倒れっぽいんだけどなー」

 学然は門の外でしゃがみこんでいた。

「学然!」

 雲隠にしては珍しく大声を上げる。

「あなた、何をしているんです…」

 思わず頭を抱える。

 行き倒れっぽいも何も、行き倒れ以外の何ものでもないだろう。

 学然の傍らには、人がうつぶせで倒れていた。

「とりあえずこいつのこと、家に入れたいんだけどさ、いいよな」

「いいも何も、さっさと運び込んであげてください」

「――あのな、さすがに気を失っているやつを1人で運べるほど、俺、力持ちじゃないの」

 言われて改めて倒れている者を見れば、なるほど、それなりにしっかりした体格の青年だった。

 年齢は20歳前後であろうか。身なりは決して悪くはないが、かといって裕福な貴族とも思えない。つけているものはどれも質素なものだった。

 ただ、首からかけている薄汚れた紐の先についている淡い紫色の玉が、彼のそんな姿に対してやけに不釣り合いだ。

「ほら、早く手伝えよ」

 学然に急かされて、あわてて雲隠は学然の手助けをする。

 学然の背に彼を乗せ、後ろから支えるようにして中庭を通り、客室へと向かう。

「こ、腰が……死にそうだ……」

「落とさないでくださいよ。万が一、あなたの腰がどうにかなったとしても、ちゃんとあとで湿布でも貼ってあげますからご安心を」

 おいしょ、と、学然は客室にある床に青年を静かに下ろす。

「このままとりあえず寝かせておくしかないよな」

 学然は手際よく青年の身体の様子をあれこれと調べて、外傷がないことを確認すると、「さ、いくぞ」と、部屋をあとにした。



 突然の来訪者が目覚めたのは、それから3日も経った後のことだった。

「目が覚めましたか」

 頭をかきながらやってきた青年に、雲隠は声をかける。

「えーと……」

「私は雲隠。この邸の主です」

 とりあえずおかけなさい、と、雲隠は椅子を指し示す。

 青年は言われるがままに、椅子をひくと、そこに腰掛けた。

「お、ようやくお目覚めか」

 厨房で昼ご飯を作っていた学然がひょいと顔を出した。

「ちょっと待ってろ、すぐ飯にすっから」

 これまたひょいと奥に引っ込む。

 雲隠は卓の上にある茶器を引き寄せると、小さな器にお茶を注ぎ、青年の前に差し出した。

 青年は軽く頭を下げると、そのままくいと一気に飲み干す。それを見て雲隠はさらに茶を注ぎ足した。

「身体の調子はどうですか?どこか具合が悪いところはありませんか?」

「――いや……」

 彼がそう答えるのと、ぐう、と盛大におなかがなるのとは、ほぼ同時だった。

 くすり、と雲隠は笑うと、厨房にいる学然に「どうやらそうとうお待ちかねのようですよ」と声をかけた。

「はいよ!」

 学然は運んできた器を青年の前にことりと置いた。

「さ、食えよ。ここに来てから3日間寝たままだったんだからな。腹も減ってるだろ?」

 中には粥が入っていた。温かな粥からは湯気がたち、食欲をそそる。

 さすがに数日間何も食べていなかった人間に、得意の饅頭を出すわけにもいかない。学然なりに配慮して、胃に負担がかからないものをまずは出したのである。

 青年は「いただきます」と一言言うと、よほどおなかが減っていたらしく、粥をこれまたすごい勢いで胃のなかに流し込んで行く。

 豪快な食べっぷりだと、感心しながら、学然と雲隠も自分たちの分を口に運ぶ。

「で、お前、名前は?」

 青年が一通り食べ終わって、大きくひと息ついたところで、まず学然が名前を訊ねた。

「――……」

「どうかしましたか?」

 青年は粥が入っていた器を卓の上に置くと、青ざめた顔で己の両手をじっと見つめる。

「おい!」

 学然は青年に近づくと、ぽんと頭を叩いた。

「どうした?」

 顔を覗き込む。だが、青年の反応はない。

 固まったまままったく動かない。

「学然……」

 低い声で静かに雲隠が学然の名を呼ぶ。

「ちょ、ちょっと待て!」

 あわてて学然が手を振る。

「俺は何も入れちゃいない!」

「じゃあ、なんで彼はあなたが作った料理を口にした途端、固まっているんです!」

「な!」

 学然はバンと机をたたく。

「何か妙なもん入れていたとしたら、お前だってただじゃすまないだろ!」

「――それはそうですね」

「それに俺は、自分が作ったもんに妙なもん入れるような真似しないぞ!料理がもったいない!」

「――確かに……」

「じゃなくてだな!あー、もう!」

 こいつだ、こいつ!と、学然は青年の肩を強く揺さぶる。

「おーい、しっかりしろ!」

 最後にぺしっと頭を叩いてみる。

 そこでようやく青年は我に返ったようだ。

 学然の顔を見上げる。

「大丈夫か?どうした?」

 まさか、俺の作った料理がマズイくて気を失いかけたとか言うんじゃないだろうな、と学然は目を細めて、意地悪な笑みを浮かべる。

「――わからねえんだ」

「?」

 彼の言葉に、2人は顔を見合わせる。

「何がわからないんです?」

「――全部だ」

「全部……?」

「ああ」

 青年はうーんと眉間にしわを寄せた。

「まったく覚えてねえんだけど。――なあ、なんで俺はここに来たんだ?あんたたち、知らないか?」

 彼の想定もしなかった言葉に、学然のすっとんきょうな叫びが竹林に響き渡った。

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